第三十八話「ザ・バトル・オヴ・ヴァイオレット ータイガーリリィ攻防戦ー」
ゲート・タイガーリリィ。
山間部の隘路を塞ぐように建てられた巨大な関門要塞。
リンデマンはタイガーリリィの北側にある草原にガブリエル・マース中将率いる一万八千の第九師団を配置した。
いきなりタイガーリリィに閉じ籠り、攻め立てられるのも受け身が過ぎ、外に置いた部隊と連携しつつの防御をしてみようというのと、敵軍の野戦の力を測る意味合いもあった。
「関門の前におよそ一個師団が出撃していますな、まずは野戦といった所でしょう」
帝国軍の総司令官ホーエンローエ元帥が言うやいなや、
「よし、まずは緒戦だ、俺が出る! 草原といっても広くない山間だからな、混乱はしたくないから他の師団には観ているように言え!」
アレキサンダーは槍を抱え、芦毛の愛馬に飛び乗り、
「第五師団、いくぞっ! 奴等を蹴散らして、鬼ユリもついでに千切ってしまえっ」
と、馬上から号令し、自らの指揮部隊である帝国軍第五師団二万を率いて出撃、凄まじい勢いで突撃を敢行する。
もちろんアレキサンダーは愛馬と共に先頭に立つ。
翻るは帝国軍の軍旗とアイオリアの一族が率いる部隊を現す金の鷹の紋章。
「来たぞっ」
迎え撃つ連合軍第九師団長ガブリエル中将はそれを見つけると、
「間違いない、奴がアレキサンダー・アイオリアだ、討ち取れっ! 奴を討ち取れば、一兵士からでも将軍になれるぞっ!」
そう部下達の士気を盛り上げた。
「覚悟しろ、アレキサンダー・アイオリア! 貴様の首をもらうっ!」
さっそくアレキサンダーの前に騎兵が立ち塞がる。
それは連合軍の騎兵中隊長のライト少佐で彼はもちろん腕に覚えがあったが……
「うるさいっ、貴様ごときに、いちいち馬を止めるかっ!」
馬を走らせたままの一喝と同時に、片手で放たれたアレキサンダーの異常なスピードの槍の降り下ろしに反応できず、鉄製の柄に脳天を真上から潰され、馬からずり落ちる。
「み、槍の降り下ろしが見えなかったぞ!?」
「ライト少佐ぁぁっ」
瞬時に指揮官を撃ち取られ、ざわめく周囲の歩兵達。
その動揺をアレキサンダーは見逃さない。
「邪魔するなっ、どけっ!」
片手で槍を振り回すと、並んだ歩兵二人が同時に胸に横一文字の傷を負い、鮮血を吹き出してその場に倒れる。
「囲めっ、囲めっ!」
一対一では敵わずと、槍を持った三人の連合軍歩兵が周囲を囲もうとするが、
「たかるなっ、ハエどもっ」
アレキサンダーは正面の二人を瞬時に突き殺し、左に回り込んだ少年兵から突き出された槍をいとも簡単に左手で柄を掴んで止め、それを難なく引き抜いて取り上げる。
「ああ……」
両手で持っていた槍を左手に軽く引き抜かれた少年兵は震え上がり、馬上のアレキサンダーを見上げる。
「返すぞっ!」
クルリと柄を回してからの投擲、少年兵は眉間に反応不可能な速度で槍が突き刺さり、何も感じずに即死した。
戦いが始まってから、わずか十数秒でアレキサンダーは六人の兵士を討った。
「流石はアレキサンダー様だっ」
「な、なんて強さだっ」
帝国軍の兵士は沸き上がり、連合軍の兵士は怖じ気づく。
先頭に立ち、勇猛を奮う指揮官の存在は味方の兵に大きな勇気を与え、敵軍には同等の恐怖を与える。
セフィーナも師団指揮の際には部隊の先頭に立つが、武勇という点で言うならばアレキサンダーにはとても及ばない。
兵士の中にはアレキサンダーになら、どこにでも着いていくと言うも少なくなく、まさにそれは信奉と呼んでも間違いではない程、その強さは神憑っていた。
「強い……アイオリアで一番、武勇に長けると言うのは嘘ではないな」
対する第九師団長ガブリエル中将が舌打ちをしている間にも、アレキサンダーは槍を振るい、連合軍兵士達を次々と蹴散らす。
中将は意を決し、声を上げた。
「ゴリアス中佐! 兵士達をチャンスを与えてやりたいが、あれ以上暴れられたら面倒だ、アイツを撃ち取れ!」
「オウッ!」
その命令に答え、連合軍の兵士達を掻き分けるように出てきたのは、二メートルを軽く越える巨人、ゴリアス中佐。
特製に誂えた軽装鎧を纏い、一体、何㎏あるか判別がつかないような巨大な鉄製のハンマーを手にしている。
第九師団で最も帝国兵士を直接に殺傷してきたと言われる戦場の豪傑だ。
「デカイな」
「馬は降りなくてもいいぜ、俺のハンマーで馬肉と人肉の合い挽き肉にしてやるぜ、王子さま」
ゴリアス中佐の身長の大きさに呟くアレキサンダーに中佐はハンマーを片手で持ち上げ、不敵な笑いを浮かべる。
「ふん……身体もデカイが虚勢も大概だな」
従卒の兵士に手綱を持たせ、アレキサンダーは馬から降りる。
至近距離で二人が見合う。
アレキサンダーも十二分に堂々とした体躯であるが、ゴリアス中佐から比べてしまうと、大人の前の子供だ。
「アレキサンダー様が負けるものか」
「ゴリアス中佐なら叩き潰してくれるさ」
豪傑同士の一騎討ち。
周囲の兵士達は戦いの手を止め、その推移を見入る。
鉄製の大槍とハンマー。
どちらの武器も一撃必殺だ。
「アイオリアの王子様、いくぜぇぇぇっ」
両手でハンマーを振り上げるゴリアス、だがアレキサンダーは動かない。
「ぶっ潰れろっっ!」
空気を切り裂く音を立て、アレキサンダーの脳天めがけて降り下ろされるハンマー。
しかし、それはピタリと止まった。
「な、なんだと……」
アイオリアの皇族を討ち取れると、紅潮していた筈のゴリアスの顔から血の気が急激に引いていく。
アレキサンダーは右手に槍を持ったまま、空いた左手でハンマーの柄を掴み、降り下ろしを完全に止めてしまっていたのだ。
「こ、この……うぬっ、ふんっ!」
ゴリアスは柄を片手で捕まれてしまった自慢のハンマーを動かそうと両手に力を込めるが、まるで動かない。
「貴様は見かけ倒しだ!」
口元を緩めアレキサンダーが左腕に力を入れると、ゴリアスの両手からハンマーは奪い取られてしまう。
「う……」
「俺からしたら、お前もさっきのガキも全く変わらん!」
巨大なハンマーがアレキサンダーの左腕一本で投擲され、至近距離から自慢の武器を自らの顔面に受けたゴリアス中佐の巨体はユックリと後方に沈み、あまり水分を含まない乾いた地面が大きな砂煙を上げた。
顔面血だらけの中佐はピクリとも動かなくなる。
「ゴリアス中佐が簡単にやられた!」
「ば、化け物!」
連合軍の兵士から恐怖の声が上がる。
アレキサンダーは従卒から手綱を受け、再び馬上に上がり、意気上がる帝国兵に握りしめた拳を振り上げた。
「南部の猿どもが人様に逆らうなど、大きな思い上がりと教えてやるのだっ!!」
「おおおぉぉぉっ!」
アレキサンダーのあまりの強さに酔いしれた帝国兵達は、高揚感に身を任せ、鴇の声を張り上げながら、豪勇無双を誇る指揮官の後に迷いなく続き、狼狽えさえみせる連合軍第九師団に突撃を開始したのだった。
***
「あの有名なゴリアス中佐が全く問題にならないのか……まさに桁違いの化け物だな」
「はい、兵士達は怖じ気づいてしまい、これ以上の野戦は危険と判断しました」
驚くというより感心するリンデマン。
第九師師団長のガブリエル中将は申し訳なさそうに、包帯が巻かれた頭を下げる。
結局、突撃を受けた第九師団は先頭に立つアレキサンダーを止められず、一万八千のうち三千を短時間に失い、タイガーリリィにほうほうの体で逃げ込んできていた。
アレキサンダーの師団はタイガーリリィの門を見上げる位置まで来襲。
このまま大勝に乗って攻城戦までは仕掛けてくるかと思われたが、緒戦の戦果に満足したのか、サッと後方に張られた本陣まで引き上げていってしまっている。
「申し訳ありません」
「いやいや、戦いを続けなかった判断は間違っていないと思う、ご苦労だった、今日は兵と共に中将もゆっくり休んでくれ」
三千もの部下を失い、自らも傷を負いながら再び頭を下げるガブリエル中将に皮肉を正面から言う程、流石のリンデマンも豪胆ではない。
労いの言葉をかけて、幕舎から下がらせる。
ゲート・タイガーリリィは関門であるから、城とは違い、防御側の連合軍も関門の裏手の広場に露営する形だ。
ヴェロニカにコーヒーを淹れてもらい、一服すると椅子に座り、リンデマンは顎に手を当て、思案を始めた。
「うむ、アレキサンダーがこちら側に来てくれたのは、計算通りだったのだがな、正直ここまでの豪傑とは思わなかった、それに勝ちを決めてからの引き際の良さも見事だ、単なる猪武者という訳でもない将だな」
「引き上げてきた第九師団の兵士から、第十六師団の兵士にも強さの噂は広がっています」
「仕方あるまい、箝口令など敷いたら、こっちがアレキサンダーの強さに舌を巻いていると公言するような物だ」
「御主人様にこう申し上げるのは差し出がましいのですが、もう外には出ず、ゲート・タイガーリリィに籠っていては?」
ヴェロニカにしては珍しく軍務について提案をすると、リンデマンは頷く。
「もちろん基本的にはそれでいい、だが兵には士気という物がある、あまり関門頼みの受け身でいると、消極的になりすぎて隙ができ、敵軍に乗じられてしまう恐れがある、それに、こちらが全く仕掛けないとなると、私がいるとはいえ恐れる相手ではないと、戦力を他方面に転用されてしまう」
「そうですか、差し出がましい真似までして役に立たず、申し訳ありません」
「いや構わんよ」
謝るヴェロニカに首を振るリンデマン。
再びティーカップを口に運ぶと、椅子の背もたれに身体を預ける。
「まず全体の軍の配置戦略については相手を上手く乗せている、ただ相手の武力が想定を越えていて、戦術的な罠を張るには、この舞台が限定しすぎて、やりにくい……それだけだ」
ヴェロニカが戦に口を出してくるという珍しい事があったからだろうか、リンデマンもこれまた素直というまでではないが、山間での関門攻防戦の為、平地も狭く、どうしても取れる戦術が限られてしまう悩みを口にする。
暫しの間の後……ヴェロニカが口を開いた。
「困っているという事で宜しいのでしょうか?」
意外なヴェロニカの言葉に、持ち上げたティーカップを途中で止めるリンデマン。
「どうした?」
「いえ、それは敵軍のアレキサンダー皇太子を戦場で止められる者がおらずに、御主人様が困っているという事で宜しいのでしょうか?」
「……」
そう聞き直すヴェロニカの瞳の中に確実に見えた殺意に、リンデマンはため息をつき、答えに窮してしまうのだった。
続く




