第三十六話「ザ・バトル・オヴ・ヴァイオレット ーリキュエール・ダンセル准将ー」
三十万帝国鉄槌遠征軍がフェルノール郊外での大々的な編成式を終えた頃。
連合軍アルファンス州都エリーゼの統合作戦本部の作戦会議室の壁にかけられた作戦図の前に指揮棒を持つという慣れ親しんだスタイルで、迎撃軍総司令官の任を受けたゴッドハルト・リンデマンは各司令官、参謀達の前に立つ。
長机を横に並べて座る者達に見渡し、
「私は数ヵ月前まで、こうやって諸君たちの後輩に授業をしていたんだ、なんなら君達にも授業を受けさせてあげようか? いやいや、ここにはパウエル校長がいるのだった、いや失敬」
と、軽口を叩いて参列者の笑いと顰蹙を誘う。
軍人というのはよほど追い詰められないとそうはならないが、帝国軍の未曾有の大侵攻だというのに、その会議室には全く悲壮感は無い。
「では……冗談はさておき、いよいよ鉄槌同盟とやらの南下が開始される、その迎撃について諸君らに作戦を説明する、質問や提案は忌憚なく発言して欲しい、まずは編成からだ、ヴェロニカ」
リンデマンがそう告げると、傍らにいたメイド服のヴェロニカが文書を片手に迎撃軍の編成を読み上げ始める。
その実戦部隊の布陣は以下の通り。
総司令官兼第十六師団長 ゴッドハルト・リンデマン大将。
総参謀長 アルベルト・サトー中将。
第二師団 トーマス・クラウジ中将。
第八師団 グラン・パウエル中将。
第九師団 ガブリエル・マース中将。
第十師団 ブライアン・パルトゥム中将。
第十一師団 ウィリアム・スコット中将。
第十七師団 アリス・グリタニア中将。
第一州兵団 リキュエール・ダンセル准将。
「これはこれで堂々たる布陣ですな」
「いや、しかし帝国軍は十二個師団だという」
「防ぎ手なら、八個師団もあれば十分に戦闘できるだろう」
「いつの間にか第十七師団が新設されていたとは知らなかったな」
「州兵団は当てに出来るのか?」
会議に出席している各師団長や参謀達が、編成表を見ながら口々に語り合う。
そんな中で、大将になったリンデマンに続く形で中将に昇進し、第十七師団の師団長に任命されたアリスは訝しげに椅子に座っていた。
隣に座っているのはヴァイオレット州の州兵団を率いるリキュエール・ダンセル准将。
緑色の髪を長くサイドテールに流し、温厚そうな丸い蒼い瞳が可愛らしい印象を与える女性だった。
州兵団は、主に州の緊急事態に編成される予備的戦力であり、定数は師団と同じだが、通常の師団と違い、専業軍人は普段は二割程度しかいない。
残る兵は年に数ヵ月の訓練を受ける兼業軍人が召集される形であり、それを考えると、出席者から出た州兵団は当てになるのかという疑問は至極、当然の物だ。
しかし、ここではその戦力については提案や質問は全く意味がない。
この戦力は統合作戦本部からリンデマンに与えられた戦力であるから、この会議室では出来るのは増援の提案くらいであるし、それにしても各地域の防衛などを考えれば、役目を降ろされてしまったモンティー統合作戦本部長が裁可した割りにはまともに見えたからである。
『政治的な活動はウザったいけど、軍事的な作戦では割と堅実と言われてるからね、八個師団は後の事を考えれば、妥当でしょ』
アリスがそんな事を思いながら、モンティー氏を少しだけ見直していると、女性同士で並んだリキュエール准将が緑のサイドテールを揺らして、ペコリと頭を下げてくる。
「何だか緊張しますね、昇進したてで、こんな作戦会議は初めてなんです」
「あたしもよ、ところでリキュエール准将は何期なの?」
緊張した面持ちで話しかけてきた准将に、アリスも笑顔を返して訊ねる。
「五十六期です」
「へぇ~、校長は誰だった?」
「あそこに居ます、さっきリンデマン大将の言っていたパウエル中将です、宿舎抜け出して遊びに行ったのバレて、脳天に鉄拳落とされた事あります、覚えてないと良いけどなぁ」
「フフフッ、パウエル中将のアダ名は中将になられても、いまだに鬼軍曹だからね」
「はい……痛かったです」
叩かれた感触でも思い出したのか、頭に手を置くリキュエール。
士官学校卒ならば、期数を聞けば年齢が大体わかってしまうので、そんな態度のリキュエールに、
『若いわねぇ』
などと、第四十七期の首席卒業者であるアリスはいちいち思ってしまうのだった。
「次は防衛拠点の配置について説明する、北方からヴァイオレット州に大規模な侵攻をするならば、東のシャルコーズ海岸沿いのルート、中央街道を真っ直ぐ南下するルート、西のゲート・タイガーリリィを突破するルートの三路が万単位の大軍を動かせるルートだ」
リンデマンは指揮棒で壁にかけられた作戦図を指し、
「では……州防衛を担う州兵団を率いるリキュエール准将に、各々のルートの重要性を説明して頂きたいが、出来るかね?」
と、アリスの横に座るリキュエールを見た。
「え……あ……は、はいっ」
緊張していた上の急の指名に慌てて、立ち上がったリキュエールに、周囲の者達から軽い笑いが起こった。
『まったく……』
アリスは軽く唇を噛む。
この笑いはリキュエールが若い女性という事もあるだろう。
帝国ではセフィーナが目立っているし、南部諸州連合軍でも、女性が二割程軍に参加しているが軍はまだまだ男社会だ。
指名するなんて授業じゃないんだから、とも思うが、ここで州防衛を任務とする州兵団の指揮官の見解を始めに求めるのは普通だろう。
リンデマンの性格が善良とはアリスは決して思わないが、女性蔑視の色は薄い。
むしろ、わざわざ紳士を気取る場合があるので、その辺りはマシな部類だと思っている。
「えと……ではシャルコーズ海岸沿いは、海岸線には人口が比較的多い街が点在していますし、港も当然あります、敵軍としても制海権を得ながら補給も得て南下できますし、地形的にも平坦で侵攻ルートとしては容易です、味方としても守らねばならない場所です」
「うむ……」
緊張が出ているが、答えに頷くリンデマンを見て、リキュエールは少しだけ息をつくと、説明を続ける。
「次は中央街道のルート、名前の通りにヴァイオレット州を真ん中から南北に横断するルートで、ルート沿いには幾つかの街がありますが、東海岸程ではありません、このヴァイオレット中央街道のお陰で輸送や経済は助かりましたが、州防衛を考えると、敵軍に突破を許せば州が東西に分断されてしまう危険があります、味方としてはそれは許せませんし、帝国としてはこれを達成したいと思うのでは無いでしょうか?」
そこまで話したリキュエールに、ヴェロニカが水差しからガラスコップに水を入れ、彼女の前のテーブルに置いた。
「どうも」
ヴェロニカに微笑んで、リキュエールは水を口に含んでから、再び作戦図に視線を移す。
「最後はゲート・タイガーリリィです、隣のリオレタ州の防衛線ハッファ山地から続く山岳地帯と北部ヴァイオレット山脈の境に造られた防衛関門で、ここが突破され南下を許すとリオレタ州にも侵入が可能となる上、更に南下すれば、我々の中心州であるアルファンス州まで達する事が出来ます、州単位でヴァイオレット州が孤立させる事も理論上は出来ます……ただ、このルートは敵軍としても相当な覚悟と補給も必要でしょう、リオレタ、アルファンスからの反撃もありますし、周囲には補給に適当な街は少なく、補給線の分断は守備側からは容易ですから」
「素晴らしい!」
説明が終わると、シンとした会議室にリンデマンの拍手が響く。
「え?」
「君は正確にヴァイオレット州防衛を理解している、いやぁ素晴らしい」
「あ、ありがとうございます」
照れるリキュエール。
周囲の者達もホゥといった風だ、優等生な答えではあるが、きちんと任務であるヴァイオレット州防衛を自らの見解も含め、理解している彼女の説明は簡単なようで、なかなか出来ない。
「では……他の者に振ろうと思ったが、君がヴァイオレット州の防衛をここまで理解しているのならば、君に聞きたい、リキュエール・ダンセルが帝国軍の総司令官ならば、まずはどう作戦を組み立てるかね?」
「あ……」
第一の質問を上手く答えて安堵した所に、更に難しい質問をぶつけられたリキュエール。
数秒間の間はあったが、乾いた唇を少しだけ舐めて、リンデマンに向き直る。
「ゲート・タイガーリリィのルートを無視します、後方を掻き回されない程度の監視兵力を残して、侵攻ルートを二つにして、兵力の厚みを持たせます、自分ならシャルコーズ海岸沿いを主攻撃目標として、三十万を越える兵力の発揮が容易な平地での戦いに持ち込みます、防衛戦で防ぐ側が一番嫌う平地での決戦を我々に強います」
今回はさっき上がったような感心ではない。
上がったのは感嘆にも似た声だった。
あのゴッドハルト・リンデマン相手に、新任准将がスゴいな、といった風だった。
「鉄拳が少しは役に立った様だな」
そう呟くのは第八師団長パウエル中将。
白髪頭に細身の古参の将軍で、三十二歳で将官になってからは大小を合わせれば、百を軽く越える戦いに身を置いた将軍である。
軍事に及ぶ、政治的な活動を一切嫌い、特に現在政権を担っている民主党の軍事介入のこどごとくを跳ね退けてなければ、六十一歳の現在はとうに何期かの統合作戦本部長をしているだろうと言われている名将軍だ。
「校長……」
ただの作戦の質疑なのだが、リキュエールは嬉しくなってしまう。
「これは第四十七期以来の期待の将官では無いですかな? 校長」
リンデマンに話を向けられると、腕を組んだままで老将は口を開く。
「いや、私はその時は校長では無かった、しかし当時の士官学校の校長だったマーシャル大臣とは今でも呑む友人でな、彼が言うには四十七期は首席は良かったが、次席がそれを掻き消すような目立ちたがりの皮肉屋の問題児だったと聞いているよ」
「なるほど、目立ちたがりの皮肉屋ね」
パウエルの返しに、アリスは吹き出しそうになり、リンデマンは腰に手を当てて頷く。
パウエルくらいになれば、リンデマンが大将で自分が中将でも、あまり気にしないし、リンデマンもうるさくはない。
「では……話を戻そう」
一連の話が終わったと思っていた一同はリンデマンの言葉に、意外そうな反応をする。
「作戦とは……敵軍にやりたい事はやらせず、やりたくない事を強いる事だ、ではリキュエール准将」
「……はい」
「君が帝国軍の総司令官だった場合……こうなっても、さっき述べた作戦は実行できると思うかね!?」
そう言いながら、リンデマンは作戦図に、鉛筆で一筆、書き込む。
「あっ……」
「な……」
たったの一筆。
それだけで作戦会議室はリキュエールに送った感嘆の余波を吹き飛ばし、どよめきが支配する。
リキュエールは目を見開き、パウエルを初めとした猛者達は驚く。
「ずっるっっ!」
リンデマンをよく知る第四十七期首席卒業者アリスは驚くと言うよりも、この状態を招来する為にここまで話をしたのだと、素直な感情を口に出した。
「出来るかね? これでゲート・タイガーリリィを無視できるかね?」
涼しい顔で問いを繰り返すリンデマン。
「おそらく……出来ません」
リキュエール准将はゆっくりと首を振る。
作戦図のゲート・タイガーリリィの位置には、こう書かれていた。
ゲート・タイガーリリィ防衛司令官ゴッドハルト・リンデマン
「目立ちたがりの皮肉屋で、申し訳ありませんな……」
リンデマンはそう薄笑いを浮かべた。
続く




