第三十五話「ザ・バトル・オヴ・ヴァイオレット ータイガーリリィの誘惑ー」
南部諸州連合ヴァイオレット州。
大陸東海岸から南東部の部分に当たる南部諸州連合最大の面積を誇る州である。
中央部のリオレタ州、連合の真中に位置するアルファンス州、南部のアルザード州と州境が接する。
人口は七州中二位であり、同じ東海岸にある帝都フェルノールが近く、軍事境界線として戦いの歴史も長い。
もちろん互いに防衛拠点、砦は無数に建てられているが、中でも州の北西部に位置する鬼ユリの門【ゲート・タイガーリリィ】と呼ばれる巨大な防御壁があり、難攻不落のこの防衛拠点を帝国軍がどう扱うかが今回の作戦の焦点の一つだ。
三路より南下を開始する帝国軍としても軍団ごとの侵攻路については、何度も討議がなされている。
敵軍の備えを観つつ、国境より百キロほど北にある中規模都市ランシュタンでの作戦会議で最終決定という運びになっていた。
「我々がかかろうか!」
「いえ、公にはまだ強敵が控えております、単なる高い壁などに出撃願う事はありませんよ」
意気揚々と宣言するマグネッセン公。
クラウスは調子よく笑いかけながら、ヤンワリとその申し出を却下する。
これは実はアレキサンダーと前から決めていた事だった。
只でさえ私兵を貴族が率いている軍団である、一個軍四個師団でもタイガーリリィを突破できる筈はない、という結論を二人で共通していたのだ。
第三軍がゲート・タイガーリリィで詰まるだけなら良いが、下手な攻撃で大損害を出され、撤退となってしまい、ゲートより追撃してきた南部諸州連合軍に帝国領に逆襲侵攻などされたら、それこそ他の進攻軍が退路を断たれ鉄槌遠征が根幹から揺るがされかねなくなってしまうのである。
立場としてはアイオリア皇族の次男と四男、マグネッセン公に対して遠慮などはいらない筈だが、マグネッセンは彼等を支持してくれる中部貴族を束ねている大貴族であり、中々ハッキリとは物事が言えないのだ。
「なら、アレキサンダー様とクラウス様、どちらがゲート・タイガーリリィに?」
「誰も必要が無い、と思います」
マグネッセンの問いに、凛とした声を幕舎に響かせ、立ち上がったのは黒髪長髪の麗しき女性将官であった。
「貴官は?」
「第三軍参謀次長のシア・バイエルライン准将です」
その名を問うマグネッセン公に頭を下げるシア。
「他ならともかく、自分の第三軍の参謀次長くらい覚えればいいのにさぁ」
会議の席に並ぶヨヘンは、あれだけの容姿を持つ親友が幕僚として軍司令官に覚えられていない不憫さを小声で呟き、肩をすくめる。
まぁ、大貴族にシアの美貌が目に留まっても困るが……
ヨヘンとシアは鉄槌遠征に先立ち、またもや配置転換を受けていた。
ヨヘンは第二軍団、シアは第三軍団の各々が司令部の参謀次長という物である。
別段、二人は参謀畑でもないので、軍団が違えど同じ立場になったのは偶然であろう。
「必要がないとは?」
「此度の作戦におけるゲート・タイガーリリィへの対応です」
視線を向けてきたアレキサンダーにハッキリと答えて、シアは続ける。
「此度の作戦計画が、ヴァイオレット州の制圧にあるならば、是が非でもゲート・タイガーリリィを制圧する必要があります、しかし戦略目的が敵軍の撃滅ならば、南部諸州連合軍が主力を張り付ける可能性の低いゲート・タイガーリリィには牽制攻勢を可能とする一個師団も張り付けておけば良いと思います、その分他の二方面の戦力も増せますし、輜重部隊への護衛なども充実できます」
「賛成、小官も敵軍が守りを固める場所をワザワザ攻略する必要はない、と考えます」
シアの説明に他の者が反応を見せる前にヨヘンが挙手する。
おそらく出てくるであろう反対意見に対して、親友への援護射撃だが、ゲート・タイガーリリィには監視兵力を置いて、無視を謀る作戦はヨヘンも考えていた事だ。
『元々、鉄槌云々とかいう戦略なんかない、ただ敵軍に打撃を与えたいとかいうトンデモな作戦で、ワザワザ消耗がある防衛拠点を攻撃するなんて、ナントカの上塗りだし!』
ヨヘンとしては、これくらい言ってやりたい気分だが、言うべき根拠は賢い親友が言ってくれたので、援護だけして澄ました顔をしていると、
「バカな! 敵軍が自信を持っているゲート・タイガーリリィを堂々攻略してこそ、我々の鉄槌が敵軍の脳天に落ちた事になるのではないか!」
そんな事を言いながら、第三軍の師団長らしい貴族の青年が立ち上がる。
『バカはアンタ』
口に出せない態度をポニーテールの童顔を駆使して、必死に表現してみるヨヘンだが、
「そうだ! ハンスバウワー伯の意見こそ、まさに鉄槌精神だ! 単なる防御壁を怖がって、何が鉄槌だ! 高い壁を初めから越えられぬと決めつけるなど敗北精神だ!」
と、更に似たような輩が続く。
「その通り!」
「流石、猛勇を以てなるハンスバウワー伯!」
「壁ひとつを、我ら三十万が何を怖がる必要があるというのだ!」
マグネッセンの後ろに立つ第三軍の青年貴族たちがこぞって声を上げる。
本人達は至って本気なのだろうが、何処か演技じみて見えたのは偏見だろうか。
『ハンスバウワー伯さんが、何をして猛勇を以てなると呼ばれるようになったかを知りたいよ、家ではメチャクチャ猛勇なワガママ君とか?』
それでもなぜかヨヘンが腹が立たないのは、彼らが意見の違うシアや自分を責めているというより、自らの言動に酔っている様に思えたからだ。
まぁ腹が立たない分、十二分にバカには見えたのだが、そこを……
「待ってほしい、冷静に考えたい、鉄槌は確かに与えねばならないが、せっかくの参加兵力を防衛拠点攻めで浪費するのは良くないと俺も考えている、皆、騒がないでほしい、結論は明日の早朝会議で決めよう」
そう言って沸き上がった者達に強く自制を促したのは、アレキサンダーであった。
シアとヨヘンは意外そうに顔を合わせる。
アレキサンダーと言えば、武勇は優れるが、そこに偏りすぎている将と視ていたから、自らがゲート・タイガーリリィを攻略すると言い出しかねない、と思っていたくらいだ。
思わぬ人物の反対に幕舎は静まる。
流石の青年貴族達も、マグネッセン程の格にならなければ、直系皇族に意見などは夢にも思わないのか、皆が勢いを失い、押し黙った。
「そうだね、そこの美人さんはセフィーナも認めている遣り手だよ、その意見を考えてみても悪くはないんじゃないかな? 結論は明日という事でさ!」
クラウスもゲート・タイガーリリィに軍団単位で向かうのは気が進まないらしく、セフィーナの名前を使い、シアに助け船を出してきた。
鉄槌同盟の主要人物の皇族の二人の意見が、自分達と同じならば、ゲート・タイガーリリィについての扱いは八分方、決まったと言っていい。
『取りあえずは……三分の一の戦力が、ハナから連合が誇る要衝にぶつからなきゃいけない、とかいう状況は避けられたかな?』
ヨヘンは自分の席で腕を組み、起立したままのシアと安堵の息をつき合ったのだが……
翌日の早朝、その安堵は見事に裏切られる事になったのであった。
続く




