第三十四話「ザ・バトル・オヴ・ヴァイオレット ー肉食獣の瞳ー」
ネーベルシュタット。
帝国中部のこの都市は元々有名な場所であったが、この二ヶ月ほどで更にその名を広めた。
しかし、ネーベルシュタット住民が歓喜したという話は聞かない、有名になったと言っても、帝国の英雄姫セフィーナ・ゼライハ・アイオリアの暗殺未遂の場としてという不名誉きわまりない物であったからだ。
それでも住民達は健気だった。
初めの予定では出来る限り早いうちに医療設備の整った首都のフェルノールにセフィーナを移す予定が、逆に医者や設備をネーベルシュタットに移送して、ある程度の快復を待つという方針に変わったと知ると、住民達はセフィーナの入院しているネーベルシュタット記念病院の前に立ち、彼女の早い快復を祈り、直接に手渡すなど赦される筈もない花束や手紙を玄関前の短い階段の隅に置いていく。
その数はかなりの物で、それだけでセフィーナの絶大な人気を現していた。
放置も出来ないので、片付ける手間はあるが警備兵も特に不審が無ければ注意もしなかった。
しかし添えられていた手紙をメイヤがチェックした後、病床のセフィーナに届けていると新聞に乗ると、病院の玄関前が毎日、手紙付き生花市場のようになってしまったのだ。
「何とかしたいんだけど、警備上の問題もあるから花や手紙を置くのを禁止してもいい?」
一週間後。
病床のセフィーナに、メイヤが侍従長でも言いにくい相談を持ちかける。
「入院中に花だけでなく、丁寧な手紙まで貰っておいて迷惑がるなんて皇族としての態度ではないさ、片付けに人手がかかるなんて言わせないぞ、この病院にどれだけの警備兵が詰めてるか言ってみろ」
「四百……」
「まったく要塞守備か!? 宮内省から押し付けられたのは分かるが、デオドラート皇妃ももう帝都に帰ってるんだから、大半は持て余してるんだろう? だったら花の片付けの当番くらい決めてどうにかさせるんだ!」
ベッドの備え付けのテーブルの上に置かれた大量の手紙を読みながら、セフィーナはそう答える。
「花はともかくセフィーナに届ける手紙の内容のチェックが時間がかかる」
「ならチェックしなくていい、お前の事だ、危険な内容物だけじゃなく、その内容まで視てるんだろうしな、危険な物が仕込まれていないかのチェックなら部下に任せていいだろう? ちょっとした脅迫状や抗議文書にも目を通したいくらいに、こっちはベッドの上で暇なんだ」
言う通りだった。
メイヤはセフィーナに宛てられた手紙の内容のチェックは他人には任せなかった。
部下を信用していなかった訳ではないが、手紙を書いた者の気持ちを鑑みると、セフィーナ以外で目に触れるのは限られた少数が望ましいと考えたからである。
「手紙に何か仕込まれてなくても、書かれた文字が毒に成り変わる場合もある」
「ほぅ、らしくない程に感受性の強い事を言うようになったな」
普段とは変わった事をいつも通りの口調でポツリと呟くメイヤに、セフィーナは不敵な笑みを浮かべたが、
「だって……変態やテロリストから、セフィーナと変態の淫らな新婚生活を延々と綴られた妄想文や、テロリストがどうやってセフィーナをいたぶって殺すかを書かれた脅迫状とか読んだら、怖くなって泣いちゃうでしょ? そういうのには昔っから弱かったんだから」
そう遠慮なく言われると、一旦はグッと息を呑み込んでしまうのだった。
***
致死性の毒からの快復が思わしくなく、身体の不調は続いているが、それが精神的には大きく響かず、セフィーナは順調(?)な入院生活を過ごしていると言えた。
手紙は相変わらずチェックが入るが、余程の内容でなければメイヤはセフィーナに通してくる様になっている。
その中の九歳の少女からの手紙にセフィーナは目を止めた。
ネーベルシュタットに住む彼女の家に、フェルノールでパン屋を営む祖母が珍しく店を休んで遊びにくる予定になっており、その日を少女は待ち焦がれていたのだが、この事件でセフィーナが入院したと知った祖母が、セフィーナ様が苦しんでいる場所に遊びには行けない、と言い出してしまったという内容だった。
抗議とも陳情とも取れない、年齢相応の悲しい事だけを書き綴った手紙だったが、セフィーナはメイヤに筆記用具を用意させると、一筆をしたため、手紙に書かれた少女の名前から、フェルノールでパン屋を営む祖母を早急に調べさせ、自ら書いた手紙を届けるよう手配したのである。
内容は特に工夫のない短い文章。
丁寧な文で、この度の事件について心痛めてくれる忠誠心に感謝しつつ、九歳の孫娘と祖母が互いに会いたいとする気持ちを阻害する事は帝国がいかなる事態にあっても有り得ず、どうかご自重などなされないように、と。
祖母はまさかのセフィーナからの手紙に驚き、ネーベルシュタットの孫娘の元に予定通りに来てから孫娘と記念病院を訪れ、孫娘が思わぬ陳情をしてしまった事を詫び、それ以上に感謝の言葉をセフィーナに代わり応対したメイヤに涙を浮かべながら告げた。
そんな事もあった入院生活であったが、当初の予定より、かなり遅れてのフェルノール帰還の馬車の中でセフィーナは、件の鉄槌遠征の三個軍団が南下を開始したと報告を受けたのである。
「始まったな……」
鉄槌同盟成立から、これまでの過程は病床にあっても積極的に聞いてきていた。
過度とも思える数百の護衛騎士団に囲まれた馬車の中、自らと犠牲になった貴族の仇と始まった大遠征に複雑な表情を見せ、セフィーナは正面に座ったメイヤに遠征軍の情報を出来るだけ詳しく説明するように求めた。
「わかった……でも、これがまた資料が結構、多くてね」
膝の上に乗せた文書のどれを読んでいいのか迷うメイヤ。
あくまでもセフィーナの護衛としての任務と訓練を重ねてきたメイヤは軍単位での情報にはかなり疎い。
副官としては別に人材がいるのだが、指揮部隊がフェルノールにいる為、ここには居ない。
「じゃあ、そうだな……味方内はネーベルシュタットで幾らか聞いたからいい、まだ情報は少ないだろうが、相手の迎撃軍の総司令官を教えてくれ、推測でも載っている筈だから」
「ええっと、ええっと……あった」
いつもの本当に急いでいるのか判らない淡々とした口調でペラペラと文書を捲っていたメイヤだったが、あるページで動きをピタリと止める。
「どうした?」
「……」
「メイヤ?」
「…………」
「メイヤ!」
返答をしない彼女を怒鳴りつつ、セフィーナは幼馴染みの態度から、その答えを既に思いつき……それを口にする。
「ゴッドハルト・リンデマン」
狩りの最中の肉食獣すら思い起こさせる鋭い瞳に豹変したメイヤは、その問いに対してゆっくりと首を縦に振ったのみだった。
続く




