第三十三話「ザ・バトル・オヴ・ヴァイオレット ー元帥退場ー」
三個軍団。
十二個師団。
後方部隊を含む参加総兵力、三十万六千。
この膨大な戦力の総司令官となったのは、元予備役元帥であるホーエンローエ元帥。
七十歳の老境にある彼が、栄えある大遠征の総司令官に選ばれたのは、確実な手腕と言うよりも第一軍団を率いるアレキサンダーと面識が深いからである。
アレキサンダーは大将、ホーエンローエは元帥であるが、少年からの顔見知りの老将であり、アレキサンダーとしてはやり易い相手なのだ。
第二軍の司令官はストラス上級大将、そこには軍参謀長として中将クラウスが就く。
第三軍は大将の位を持つ、中部貴族のマグネッセン公が司令官を務める。
この第三軍は特殊であった。
派遣された軍司令部や高級将校以外の殆どが参加貴族達の私兵中心の軍団なのである。
この編成には、カールやアルフレートの政治的な手腕が関係していた。
総司令官ホーエンローエ元帥ではなく、実質的な司令官であるアレキサンダーは初め、私兵参加は一割程度に留めて、遠征軍の大多数を正規兵で編成するつもりであったが、遠征決定後の政治的な駆け引きで、遠征軍の総数自体をカールやアルフレートにより削減されたのだ。
このままでは予定の三個軍団の編成に支障をきたすが、出兵自体を許してしまったカールやアルフレートは頑なで、謀略家のクラウスをもってしても上手くいかない、そこに、
「ならば、第三軍は我々がやりましょう! 友人ジャーグラッドの仇は我々が獲る!」
と、事件で殺されたジャーグラッド公の友人であるマグネッセン公が音頭を取ると、中部貴族達を中心に大盛り上がりをしてしまい、半ば強引に第三軍は編成された。
もちろん、クラウスもアレキサンダーもそれには危惧を感じて、やんわりと阻止を試みたが上手くいかず、大貴族という庇護の下、ほぼ戦にも出ず、長く軍に籍を置いただけで大将の地位を得たマグネッセンが司令官の約八万を越える貴族軍団が出来上がってしまったのだ。
予想外の事はあったが、フェルノールの東のアルワンス平原に集結した三個軍団は皇帝パウルの南部諸州連合軍撃滅の勅命を受け、三方面に別れて南下を開始したのである。
それは実戦兵力だけで二十万を越え、アイオリア帝国至上空前の規模で、後世には鉄槌遠征と呼ばれる大遠征の始まりであった。
***
「彼らの目的は、主力同士の決戦、及びアルファンス州の制圧、ならびにセフィーナ皇女暗殺の首謀者であるリンデマン中将、君の首だろうな」
アルファンス州都エリーゼ。
統合作戦本部の作戦会議室でのモンティー・オーソン元帥の言葉に対して、作戦机に着席した司令官、高級参謀の中に並んだリンデマンは鼻で笑う態度を隠さなかった。
「及び、ならびと、敵が非常に贅沢か、我々が優柔不断か、よくわからなくなってきましたな、正確な現状把握をなされた方が宜しいと私は考えますな」
会議の席の空気が凍った。
各司令官は眉をしかめ、会議机に座るリンデマンの後ろに立って控える副司令官のアリスは思わず天を仰ぐ。
「ならば敵軍の狙いが貴官には正確に判断できると言うのか!?」
「もちろん……」
総参謀長のルッテン大将の強めた語気に、リンデマンは薄ら笑いを浮かべた。
「敵の真の狙いは実に単純、どの軍団、どの司令官にしても、何でも良いので功績を積み上げようとする欲深い狩人の集団です、戦略的な作戦目的など表向きのみで、実はありはしないのです、さしもの統合作戦本部長も相手が貴族の狩り気分では見抜けぬのも無理はありません」
リンデマンの答えに賛同したのか、モンティー元帥が半ばバカにされたので、愉快な気分になったのかは解らないが、数名の師団長から笑いが漏れた。
リンデマンは味方は少ないが、それは本部長モンティー・オーソン元帥も大して変わらない。
特に将官クラスになってから目覚めたらしい政治活動により、熱心な民主党主義を軍に浸透させようとした事で、ある意味政治的には無色のリンデマンよりも階級が高いせいかタチが悪いと、高級士官のクラブ等では頻繁に話題になっているくらいだ。
「相手は狩り気分でも、対象にされた者は真剣に取り組まねばなるまい、それに相手の狩人の数は三十万を越えるという情報が有力で、更に三手に別れて南下を始めているというではないか」
師団長連中の笑いを咳払いで牽制しつつ、モンティー元帥は語気を強めた。
これでもモンティーとしては理性を以て、部下を統率しているつもりなのであるが、ほんの一部のモンティー元帥の派閥の者を覗いては、師団長クラスの将官は彼を何処かで見下している。
だが、帝国が三十万を越える大軍団で南下を始めているのは確かであり、流石に師団長からの笑いは収まった。
「姫を傷つけた代償は高くつきましたね」
第十一師団の師団長のブライアン中将がリンデマンに視線を向けてくる。
視線はリンデマンを責めるという種類ではなかった。
褐色の肌に、堂々とした体躯を持つブライアン中将はリンデマンの士官学校時代の一つ後輩であり、数少ない理解者の一人だからだ。
「さぁ、姫を傷つけたとは何の事か? しかし、代償云々が高いか安いかは戦いが終わらなければわからないのではないかな?」
軽い口調で両手を振って見せるリンデマン。
リンデマンがセフィーナ暗殺を企てたとは、公式には何も発表されていない。
指示したのは帝国の観兵式に偵察員を送り込んだまで、セフィーナ暗殺未遂に繋がったのは、あくまでも偵察員の置かれた状況から起こった偶然である、とリンデマンは清々しいまでに白々しい説明を公式にはしつつ、非公式では指示をほのめかし、本人はそれをわざと流している。
「ともかくだ……軍部としては、早急に迎撃の作戦をまとめねばなるまい」
再びリンデマンの舞台になりかけた会議室の主導権を奪い返したモンティーであったが、会議室のドアがノックされ、秘書官らしき女性が恭しく頭を下げて入室してくると、彼に一枚の文書を渡し、何事か告げると退室していく。
「綺麗な秘書官だ」
「私設の……じゃないか?」
「帰りに声をかけようか」
「止めとけ、民主党だぜ」
会議を中断させ、文書の内容を確認する元帥を待ちながら、小さな声で噂し合う指揮官達。
だが言われている当の本人は、内容を把握するだけなら、数十秒もすれば可能でありそうな文書を目を見開き、何度も読み返してから、
「この文書は緊急開催された連合会議の結果を受け、マーシャル国防大臣が決定を下した命令書である……」
と、明らかに活気を失った様子で会議を再開し、リンデマンに視線を向けた。
「ゴッドハルト・リンデマン中将」
「なにか?」
呼びかけに対して、不遜にも見える態度で応じるリンデマン。
意気消沈していた筈のモンティー元帥は数秒間は判りやすい葛藤の表情を見せたが……
「マーシャル国防大臣は、国防省は緊急の現役復帰要請に応じ、カーリアン騎士団の撃滅を果たした中将の功績を高く評価し、大将への昇進を決定すると共に……南下する帝国軍の迎撃の総司令官に就任する事を命ずる……との事だ」
と、告げて、この部屋の上座に座る資格が無くなった事を認めるかのように、再び落ち込んだ表情を浮かべ、会議室から出ていった。
続く




