第三話「英雄姫参上・後編」
「よく粘るな、おそらくセフィーナが自ら指揮を採っている訳ではないのだろうな、部下たちに苦労だけさせて城の奥で震えているに違いないぞ」
戦闘開始から四時間が経つ。
砦の南側と西側を担当するアレクセイ中将は参謀に余裕綽々で漏らすが、砦の攻防戦は連合軍が押してはいるが余裕を見せるような進展はまだ無かった。
「味方の動きが悪い気がするな、士気は旺盛の筈なのだが」
「ええ……攻撃の時間を作る為にハッファ山地から強行軍でしたからね、お陰で正午攻撃開始は実施できましたが、休み無くの総攻撃、士気とは関係なしに疲れが出ているようですな」
部隊の動きに不満を言うアレクセイに参謀がもっともな理由を答える。
それはエルヴィン、アレクセイの両中将がある程度の覚悟をしての強行攻撃。
セフィーナ部隊の早い駆逐を実施せねば、救援に駆けつけるであろうアレクサンダー、アルフレート率いる四万の軍勢に対する備えが出来ないからである。
数の差でここは押し切り、二日後に到着する有力な相手と戦う前に陣地を用意し、兵士を休養させるにはここでは余計な時間はかけられない。
万が一にでもセフィーナに二日間粘りきられたら、二万が二部隊で計四万の敵軍が現れて一気に形勢が変わってしまう事もあるのだ。
まだ優勢は動かないが、腕を組み始めたアレクセイの元に伝令がやって来て膝をつく。
「エルヴィン中将より、北側の攻防がかなり有利に進んでいるとの事、援軍があれば突破の可能性大であると!」
「やったか!」
心配は杞憂だった。
籠城戦では一ヶ所でも敵の侵入を許せば、どんどん侵入が浸透していく物なのだ。
五万と八千という戦力差なら尚更だ。
「よし! 何処か一方でも崩せば勝利は確実である、我々の南側と西側の攻撃隊の半数を北側に援軍に回す! 私も指揮を執る!」
ようやく勝ったか……
そうは思いながらも、アレクセイ中将には新たな戦いが始まったのが解っていた。
帝国皇女を生け捕りにするのは同僚か自分か、それの結果により明日からでも互いの立場は大きく変わってしまうだろう。
それなのに勝ちかけた所で援軍を要請するとはエルヴィンもお人好しだ、立場が逆ならば自分なら援軍要請などまずしない。
さっさと砦内部に侵入を果たし、あの絶世の美少女だが、ヒステリックな姫を自分の手で捕らえてしまうだろう。
「行くぞ!」
アレクセイは笑い出したい気分を抑えつつ、編成を終えた兵を引き連れて砦の北側に向かう。
「アレクセイ!」
「エルヴィン、聞いたぞ、もう少しか?」
「ああ……かなり押したが我々ももう一押しが足らんのだ、夜になって引き揚げたら奴等が態勢を建て直しかねん!」
「そうだな」
アレクセイは頷く。
案外にエルヴィンも同じ事を考えてはいたが、攻勢の限界に達し、泣く泣くこちらに援軍を求めたのかもしれないな、などと考えながら砦を見た。
まだ攻防戦の真っ最中だ。
防壁に梯子をかけて登ろうとする連合軍兵士。
矢が飛び交い、砦に架かる梯子は石が投げられたり、鈎爪で外されたりしていた。
兵士達の流れを見るに確かに押している、六対四といった所で有利だろう。
ほぼ形勢に動きが無かった他の方面よりも遥かにマシだ。
「よし、一気に決めよう! ここにいる約三万の軍勢の突撃を見せてやろう、混乱を避ける為に一度部隊を退かせるんだ!」
「うむ!」
アレクセイに頷くエルヴィン。
数万の波状攻撃だ。
混乱を生じさせないように、現在攻撃中の部隊を一旦下げさせる、籠城側にも息を入れさせてしまうが、総攻撃前の当然の処置である。
それらが終了したのが、いよいよ夕暮れが近づく時間であった。
「全軍突撃だ!」
「必ず落とせ!」
両中将が先頭になり命令を飛ばす。
突撃を開始する三万の軍勢。
攻撃軍の約六割を越える大軍の突撃に抵抗はあったが、遂に一角が崩れた。
歓声を上げて砦に雪崩れ込む連合軍兵士達、アイオリア軍の兵士達は士気が一気に砕けたかの様に一目散に逃げ出していく。
「やったな!」
「アイオリアの姫を探せ、火を放つんじゃないぞ、殺すんじゃない!」
梯子を登り切り、防壁の階段を駆け降りて砦に侵入をしたアレクセイが声をかけると、エルヴィンは部下達に大声で命令した。
やはりコイツも姫を狙っているのか!
もう砦は陥落したも同然だ、三万の軍勢は声を上げ次々に侵入を果たしている。
相手は脱出を図るだろうが、外にも合計一万五千の部隊がそれをさせじと警戒しているし、陥落に混乱している状態からの脱出など上手く味方をまとめられる訳がない。
あの我が儘姫の事だ、兄上がどうとか喚き散らして砦の中を逃げ回っているだろう。
『後はコイツとの戦いだ!』
かなり内部まで侵入しているが、アイオリア軍の兵士達は疎らだ。
逃げ出してしまったのだろう。
砦の内部の通路に入ったアレクセイはまだ近くにいるエルヴィンを睨みつける。
「このあたりの部屋を探せっ、見つけた者には特別連合軍勲章だぞ!」
砦の中枢部をエルヴィンは数名の手勢を引き連れて、しらみ潰しに探る様子だ。
『ならば……俺は脱出しようとする門を抑えるか! 北が落ちたのなら南か、いや南は兄達が来る方向とは逆だ、西に賭けるか!』
決心を決め自分の副官を呼び寄せようとした時だった……エルヴィンが入っていった部屋の入口から、まるで火竜が吹いたかのような炎が廊下に噴き出してきたのである。
部屋から炎に包まれた誰ともわからない影がヨロヨロと現れて床に倒れると、その炎は廊下にも拡がる。
「な……」
驚愕するアレクセイ。
廊下は火の海だ。
あっという間に自分にも炎が迫る。
「な、なんだっ!?」
「火を放つんじゃないと言ったろうが!?」
「違う、火の回りが早すぎるっ、ここの床はおかしいぞ! あ、油が撒いてあるっ!」
アレクセイの参謀達が騒ぐ。
途端に周囲から悲鳴が上がり始めた。
火はアレクセイ達がいる場所だけではなく、砦の至る所に上がり始めたのである。
「罠かっ、まずいっ、味方を下げさせろっ!」
アレクセイが怒鳴るが、すでに遅すぎた。
落城に雪崩れ込む三万の軍勢はそう簡単に止まる物でもない、まして彼等はセフィーナの持つ金銀財宝や沢山の世話役の侍女達の話を信じているのだ。
二日をかけて火矢などが届かぬ内部に慎重で狡猾に、そして大量に各所に配置された可燃物が上げる炎に包囲されつつあるアレクセイの命令が味方に届く事は無かった。
***
「よし、そろそろだな、門を開けっ、南側を包囲する敵を突破するぞ!」
馬上のセフィーナが手を上げると、砦の南門がゆっくりと上がる。
「突破せよっ!」
剣を抜き放つセフィーナを先頭に、城門から出撃するアイオリア軍。
開けられた門は再び閉じられると堅く封印され、それを行った兵士は梯子で外に出る。
「来たぞ、帝国軍が脱出してきた! 突破させるな、すぐに味方が来て包囲してくれるぞ」
立ちはだかるのは南側で突破を警戒していた五千の連合軍。
率いるのはバルザック少将。
アレクセイ中将の副将である。
彼は砦から上がる火の手には気づいていたが、それがセフィーナ達が攻撃隊を引き付け、自ら放った物とは思ってもいない。
落城には出火は付き物で、それの類いと思っていた。
すぐにでもアレクセイが脱出を察知して来てくれると期待していたし、それが遅れたとしても西側にも東側にも五千の味方がいるのでと完全に安心していた。
それに籠城軍は八千というが、落城時に全軍が揃って脱出してくるなどは有り得ない、半分も出てくれば多い方で、それならば自軍だけでも互角以上やりあえると読んでいた。
「やはり少ないぞ!」
出撃してくるアイオリア軍にバルザックは歓喜の声を上げた。
炎が上がる砦から飛び出してきた数は明らかに少なかった。
バルザック少将の五千の半分以下、おそらく二千程度。
「これならこちらが有利だ、蹴散らせ!」
バルザックは馬に跨がり命令を下し、先頭に立ち走らせようとしたが……
「し、少将っ、後方に敵部隊が!!」
「バカなっ、敵は目の前に……」
不意の副官の悲鳴に後ろを見る。
嘘では無かった。
後方から突如出現した数千の部隊が、アイオリア軍の旗を見せつけながら彼の部隊の背中を攻撃していたのだ。
「おかしい、おかしいぞ! 敵の援軍は明後日の昼過ぎではないのか? それに後方は我が軍の領土の南の方向だ、おかしいぞっ!」
「おかしいのは貴様だ」
狼狽えるバルザックの目の前にいつの間にか現れたのは、黒鹿毛の軍馬に跨がった美しい少女セフィーナ。
予想しない後方からの攻撃でバルザックの五千の軍は急速に崩れていく。
「お、お前はあのドレスのバカ姫、な、なぜだ、なぜ……」
「人は単純じゃない、簡単にバカとか利口とか見極められると思わない方が……いいなっ!」
馬に走らせたセフィーナの剣が煌めく。
同じく馬上のバルザックも剣を構えたが遅かった、彼の首は胴体との永遠の別離をしながら宙に舞う。
「バルザック少将がやられた!」
「セフィーナ様が敵将を討ち取った!」
只でさえ後方からの攻撃で怯んだバルザック少将の部隊は指揮をすべき将官を失い混乱し、セフィーナの勝利にアイオリア軍は一気に沸き上がった。
セフィーナの部隊と後方からのアイオリア軍の挟み撃ちの上、将を失った五千の連合軍部隊はあっという間に散々になってしまう。
「セフィーナ様!!」
アイオリアの両軍が合流すると、セフィーナに馬を駆け寄らせてきたのはシア・バイエルライン中佐。
「シア中佐、敵への後方攻撃、絶妙なタイミングだったな、しかし休んでいる間はないぞ、次は西側だ! 門は封印したが砦の中の奴等も脱出して出てくるかもしれない」
「ハッ!」
もうもうと黒煙を上げる砦を振り返るセフィーナに、シアは敬礼する。
シアが率いるのは三千の軍勢。
砦には入らず、地図と猟師からの情報で伏兵の場所と決めた砦の南にある森に部隊を伏せ、セフィーナが南側から脱出を図る時に、それを助けるのが彼女の役目。
彼女のその動きの機敏さとタイミングは見事であった。
「南部諸州連合軍は兄上達が来るまでに、私を片付けようと焦っている、おそらくは強行軍で攻撃の時間を稼ぎに来るであろう、森に身を隠した部隊に気づかない、その為に敵の眼が砦に向くように派手に改修工事をして見せてるんだ、前日の夜に周辺から偵察部隊を取り締まって一旦駆逐する、その隙に森に移動せよ」
昨夜。
伏兵の成功を心配したヨヘンとシアにセフィーナは対策と予想を披露し、実際に言った通りに事態は進んだ。
南部諸州連合軍は強行軍で周囲の偵察は実に疎かだった。
アイオリア帝国軍八千のうち六千は砦外で伏兵しており、実はセフィーナ自身は二千という少ない戦力で籠城を展開していたのに彼等は気づかなかった。
戦いの前に姿を現したのも、敵軍に砦にセフィーナがいるというアピールでそこに全軍がいると思わせる為の芝居だ。
もちろん砦の北側にわざと隙を見せて、主力をそこから火計の罠を張った砦内部に誘い込み、籠城軍は南側から突破を図るのも計画通り作戦だ。
「ヨヘンはどうだろう? うまくやっているかな? 伝令を出して様子を連絡しようか?」
「あの娘なら平気です、我々はこのまま早く西側の敵を叩きましょう」
ヨヘンの様子を気にしたセフィーナにシアはそう断言し、次の作戦行動を促す。
同じ頃、シアと同じく森に三千の部隊を伏せていたヨヘン・ハルパー中佐は、セフィーナの脱出と同時に東側の五千の連合軍に後方から襲いかかっていた。
東側の連合軍を率いていた指揮官はヨヘン部隊の後方からの急襲に対し、大損害を受けつつも部隊を砦沿いに進ませ、南側に退却し味方との合流をしようとしたがそれは阻まれた。
戦いの前、無意味な配置をしているとアレクセイ、エルヴィンの両中将に酷評された柵や逆茂木が進路を丁度阻むようにあったのである。
「流石! セフィーナ様は混乱した敵がその場で部隊を反転させるバカじゃなければ、必ず南側に進んでいち早く味方との合流を図る筈だと言ってたもんね、一見砦の防備には無意味に見えても柵や堀が敵の部隊の行き来を阻んでるんだよ!」
ヨヘンは馬上で納得の笑顔を浮かべた後、行く手を阻まれて更なる動揺を見せた敵部隊の後方に突撃を仕掛け、壊滅に追い込む。
「よし! もう十分だよ、今度は西側の敵を倒す! 砦の反対側になるけど駆けて、駆けて、駆けまくれ!」
敵軍を全滅させる必要はない、余程の精鋭軍を優秀な指揮官が率いていても、蹴散らされて散々になった軍隊が再集結するには想像以上の時間がかかるのだ。
殲滅戦をするよりも、他の敵を素早く攻撃に移った方が賢明。
馬上の指揮官は童顔ながらも勇ましく剣を上げて次の命令を下した。
南側の連合軍を蹴散らしたセフィーナとシアの部隊は残る西側の部隊に挑む。
西側の連合軍部隊の指揮官レイマー准将は砦の内部と包囲した各部隊の異常を感じ行動を迷い、詳細を調べるまで部隊を動かさなかった。
だがその躊躇が命取りとなる。
南側から迂回してきたセフィーナとシアの部隊に後方を突かれる形になったのだ。
後ろから押された形で堅く閉じられた西側の門と帝国軍に挟まれた五千の部隊は呆気なく、北側への敗走を始めたが、またもやその判断は裏目になってしまう。
獲物を求め全速力で砦沿いを北回りで疾走してきたヨヘンの部隊に鉢合わせし、結局は追いついてきたセフィーナとシアの部隊にも後ろを突かれ壊滅する。
ヨヘンとシア、セフィーナの機敏かつ正確な動きによって撃破された周辺部隊の敗走も悲惨であったが、砦に引き付けられ炎に巻かれた突入部隊は更に悲惨であった。
ほとんどの兵達は出火を相手方の策略とは気づかずにセフィーナや噂の財宝や沢山の女を捜して砦内部に留まり、ようやく炎が迫り己の危機に気づいた時には逃げようにも各門は堅く封印されてしまっていた。
突入部隊の三万の兵のうち一万三千以上が火計で死傷し、残った兵はどうにか様々な方法で火焔地獄から逃げ出したが、もちろん指揮の統一も戦力の集中も無く、全軍合流した帝国軍に散々に追いまくられ、半数が降伏するか討ち取られたのである。
結局、南の国境ハッファ山地まで命からがら逃げ切れたのは連合軍の兵は一万六千足らず。
ヴァルタ平原の北にアイオリア本隊の備えにいた五千の部隊はまさかの本隊の大敗北に孤立した形となり、南からセフィーナの八千、北からは四万の本隊に挟まれるという圧倒的不利をセフィーナからの使者に勧告され、降服という道を選んだ。
この戦いの両軍の損害は南部諸州連合軍は二人の中将という上級指揮官、他に八人の将官、三万以上の兵士を失い、一方のアイオリア帝国軍の損害は将官は無し、兵士は千五百であった。
勝敗は論じるまでもなかった。
「セフィーナ様、万歳! アイオリア万歳!」
圧倒的勝利に万歳を叫ぶ兵士達。
馬上で手を振るセフィーナ。
「シア」
「ん?」
「私達はもしかしたら、とんでもない歴史的な場面にいるのかもしれないよ」
一見過大にも取れるかもしれないヨヘンの言いように普段は慎重なシアも、
「そうだね」
と、頷き兵達から万雷の拍手を受ける帝国皇女セフィーナの横顔を見つめた。
こうして第四次ヴァルタ平原会戦と呼称される戦いは幕を閉じた。
この戦いは後に少年少女の憧れとなり、沢山の作家や研究家によって様々な媒体と解釈で描かれる事になるセフィーナ・ゼライハ・アイオリアという一人の少女を語るには欠かせない戦いとなるのであった。
続く