第二十七話「ネーベルシュタット事件 ー暗殺実行ー」
「メイドさん……」
ポツリと呟くセフィーナ。
帝国上流階級では特に珍しくもないが、皇帝居城にはメイドは居ない。
「メイドが帝国皇女や大貴族と······」
「はい、メイドが皆様方とテーブルを囲むのは不調法とは思いますし、私のメイドとしての作法にも存在しません」
テーブルの他の者が発しようとした言葉を制した形でヴェロニカは頷く。
「ただ……成し遂げたい思いがございます、それは稀代の英雄姫セフィーナ皇女殿下に、このメイドが太刀打ちできそうな事が他に思い付きません、どうか女子のプライドとしてお受け願えませんでしょうか?」
「ぬけぬけと……それはカードなら、私に勝てるという意味だろうに?」
椅子の背もたれに肘をかけ、セフィーナは苦笑したが、
「殿下の解釈に、一任いたします」
対面するヴェロニカの黒い瞳はまったく臆する所がない。
銀髪の英雄姫の深い紫の瞳との交差。
「そなた、美しいな」
「お褒めいただき光栄です、しかし、それは皇女殿下には到底及びつきません」
本音であった。
ヴェロニカも自分の容姿が十二分に美しい部類に入る事の自覚は喧伝するつもりもないが、ある程度にはある。
だが目の前の帝国皇女は十二分という表現が陳腐に思える程、美少女だとヴェロニカ個人は感じていた。
「セフィーナの言う通り、そのメイドさんも十二分に可愛い、好みの違いだよ」
「黙ってろ、メイヤ」
主人の後ろに控えつつも、会話に割り込むメイヤをセフィーナが睨む。
「二人とも十分に可愛いや、どっちが可愛いなんて、そりゃ贅沢って物だって、好みの違い程度の差しかないと思うよ」
不満げなメイヤの言葉が周囲の者に二人のタイプの違う美少女をどうしても比べさせてしまう。
客観的に観れば、それはメイヤの言う通りで甲乙つけがたいというのが妥当だろう。
「何を争うの前に、そなたはポーカーテーブルに着いたのだ、まずポーカーをやろう」
「かしこまりました」
男達の品定めを中断させるセフィーナの声に、ディーラーは背筋を伸ばし、ヴェロニカはペコリと頭を下げたのだった。
***
ホテルの前に馬車がつける。
「……申し訳ありません、本日は特別警戒なので、確認を……あっ、失礼しました」
馬車に駆け寄り、身元の確認を行おうとした警備兵が神妙に敬礼した。
車体に付けられた特別な立場の者が乗る事を示す紋章
馬車から降りてくるのは、護衛を兼ねる二人の女武官。
彼女等が周囲を見渡した後、続くのは落ち着いた白のドレスに身を包んだ薄茶色の緩いウェーブのかかったロングヘアー。
年齢は三十代半ばだが、温和さを感じさせる童顔、二十代でも十分に通用する美しく可愛らしい女性であった。
彼女の名はデオドラート。
現皇帝からの一番の寵愛を受けているという妃で、今回の観兵式では皇女セフィーナに並ぶ重要人物と言える。
「もうセフィーナちゃんは来ているのよね? 調子を崩したせいで遅れちゃったわ」
デオドラート妃はため息をつく。
首都フェルノールを発つ直前、彼女はかなり酷い風邪を引いてしまったのだ。
皇帝パウルはそれを心配して、観兵式への参列の取り止めを彼女に提案したが、
「セフィーナちゃんだけに、色々な事をさせるのは、良くないでしょう」
と、それをやんわり断り、馬車に乗り込んだのである、そこで愛妃の為、パウルは皇帝居城でも腕利きの老医師ヘンゲルを連れていく様に手配していた。
「デオドラート様、お具合はどうですか?」
「ヘンゲルさん、処方してもらったお薬が効いたのでしょう、とても気分がいいです、それにしても陛下に命じられたとはいえ、このネーベルシュタットまでの長旅の同行、ご苦労でした」
最後に馬車から出てきた、禿げ頭の細身の老人ヘンゲル医師に具合を訊ねられたデオドラートは、ニッコリと笑顔を見せた。
「いえ、いえ、薬が効いたのなら安心です……しかし念の為、観兵式までホテルで静養されます様にお願いします」
「ええ、セフィーナちゃんに会って、少しだけ話をしたらそうします」
「セフィーナ姫か、最近はご無沙汰ですが、姫は小さな頃からよく熱を出されましてな、その度に診た物ですよ」
「では、一緒に会いに行きましょうよ」
「宜しいのですかな?」
「ええ、もちろん」
老医師に対し、デオドラートは気さくに笑顔を向けた。
***
「コール」
セフィーナの声に迷いは無い。
「フォールド」
卓を囲む貴族の一人がここで脱落、セフィーナ以外に残るは、ブランデンブルグ伯とメイドのみだ。
「コール」
ブランデンブルグ伯は勝負を続けた。
か細くシワだらけの指でチップをつまみ上げ、ポットに丁寧に出した。
「コール」
ヴェロニカもコール。
セフィーナやブランデンブルグ伯が積んだチップと同じチップをヴェロニカはポットに押し出す。
「では……リバーです」
ディーラーが五枚目のコミュニティカードを開く、出たのはクラブの6だった。
コミュニティカードはダイヤのエース、ハートの6、ダイヤの10、ダイヤのキング、そして今出たクラブの6。
セフィーナが好むホールデムルールのポーカーは、これらコミュニティカードに自分が初めに配られ、伏せたホールカード二枚を組み合わせ、五枚のカードの役で勝負する。
『しめた……』
セフィーナは僅かに瞳を輝かせた。
セフィーナの手持ちのホールカードは、ダイヤとスペードの6なのである。
『クワッズじゃないか……』
クワッズというのは、フォーオブアカインドともいう、四枚の同じ番号のカードの揃う強力な役のカードだ。
「では……お願いします」
五枚のコミュニティカードが揃った最終決断である、勝負を通すか、降りるかを決めなければいけない。
「ベットだ」
セフィーナは勝負に出た。
自信満々の笑み。
自分のテーブルのチップを全て、ポットに手の平で押し出す。
周囲がどよめく。
高いレートの勝負に出た事で、ここまで賭け金を賭けてきた相手を降ろさせる効果もあるが、クワッズを揃えたセフィーナはハッタリではなく、もちろん勝負だ。
自信満々の笑みも相手がブラフと思って、勝負に出てくれたら、これ幸い。
『コールしろ、私のブラフだと思え、さぁ勝負してこい、受けて立つ!』
強気の思いを隠さないセフィーナ。
ポーカーフェイスという言葉があるが、ここでのセフィーナは役の強力さもあり、増して自信ありげに振る舞う。
「いい手が入りましたな……最終局面で降りるのは残念ですが、フォールドです」
ブランデンブルグ伯は、いとも簡単に最終局面での勝負を諦めた。
これまで積んだチップは戻らないが、セフィーナがベットした高いレートの勝負には乗れないという判断だ。
『伯には、逃げられたか……しかし』
セフィーナの視線は残ったメイドに向かう。
勝負に出てくれたら良し。
相手がフォールドして降りたとしても誰も相手が残らず、セフィーナの勝利だ。
「……」
自分の二枚のカードは、最初に確認して伏せたままで、ヴェロニカはセフィーナの方だけを見つめていた。
「どうした? コールかフォールド、乗るか降りるかを決めなければ、勝負が進まないぞ」
「いえ……」
ヴェロニカは首を振った。
「ルールとは違いますが、チップが無いので、この現金でレイズさせてくれますか?」
「レイズ?」
セフィーナも周囲も驚く。
レイズとは賭け金の上乗せ。
今の賭け金の倍額以上を賭けるのが、この店の基本的ルールだ。
セフィーナの最後のターンでの、ベットが高すぎて、その倍額の分のチップをヴェロニカが持っていなかった。
その為、おもむろに札束をヴェロニカは取り出して、テーブルの上に無造作に置く。
周囲から驚きの声が上がる。
「む……」
「どうですか? オールインでも構いませんが、こちらの方が盛り上がるでしょう?」
ヴェロニカの微笑みに、帝国皇女の美しい顔に険が浮かんだ。
『大した女の子だ、あの度胸のいいセフィーナ姫が圧されている』
勝負は降りたが、二人の勝負に最も近いブランデンブルグ伯は、ヴェロニカの横顔を見た。
『だが……君はメイド、セフィーナ・ゼライハ・アイオリアは帝国皇女なんだよ、これが二人が一介の女子学生同士だったなら、君にも勝ち目はあったろうが……』
「良かろう……」
伯の予想通りだ、セフィーナは不敵に笑う。
『セフィーナ姫が降りる訳が無いだろう、我々とゲームを楽しむ感覚でなら降りたかも知れんが、姫は今、君を勝利によって暴こうとしているのだ、失う金など問題ではない立場の人間に勝負を降ろさせるなど到底、不可能なのだよ』
ブランデンブルグ伯も穏やかな性格で、領民からも慕われる経営をしている穏健派であるが、根は貴族である。
「受けて立つ、コールだ」
セフィーナの宣言。
賭け金は更にセフィーナの吊り上げたベットの倍額に膨れ上がった。
すでに一般市民からはもう財産といっていい額。
散財に慣れきった筈の周囲の貴族の者も、一回の勝負には、かなり熱すぎる金額に緊張感が流石に隠せない。
だが……セフィーナは違う。
周囲で見物する貴族とは格が違うのだ。
「で……では、賭け金も揃いました、貴女からショーダウンをお願いします」
ルールにより先に手を開けるのは、レイズを行ったヴェロニカからだ。
誰も彼女の名前も聞いていないので、ディーラーはヴェロニカを貴女と呼んだ。
ショーダウンは、手元の伏せられたホールカードを開けるだけだ。
それらが開けば、元々開いているコミュニティカードと合わせて七枚、その中から好きなカード五枚を組み合わせて役を作る。
「では……」
「待て、ショーダウンする前に聞いておきたい事があるんだ」
大勝負の緊張感が、否応なしに高まる中で、セフィーナが口を開く。
「殿下、何か?」
「何処のメイドか、等と無粋を訊ねるつもりは毛頭ないが、貴女では何だろう? せめて勝負を応じた私に免じて、今から名を名乗れ」
「そうはいきません、勝負の最中なれば、通したい事は勝負でお通しください、姫」
「なるほど……な、どにしろ、すぐに名乗る事になるぞ」
深紫と黒の瞳が見つめ合う。
「それは……どうでしょう……か」
隠されたカードの一枚目を開くヴェロニカ。
ダイヤのクイーン。
「まさか……」
「嘘だろ?」
思わぬダイヤのクイーンの登場に、呟きと共に盛り上がる野次馬たち。
セフィーナもグッと唇を噛む。
手はクワッズという強力な役だが……ダイヤのクイーンから、ヴェロニカの手はそれすらも遥かに上回る可能性が産まれた。
ストレートフラッシュ、いや、それをも上回るポーカー最強の役、ロイヤルストレートフラッシュ。
『バカな……あり得ない、滅茶苦茶だ』
セフィーナも考えなかった訳ではない、しかし、その確率は非常に薄い物だ、それも勝負の一回目である。
『だって……最後のリバーはクラブの6だったんだ、ならアイツはそれ以前にロイヤルストレートフラッシュを完成させていたと言うのか!?』
「セフィーナ姫……貴女は私が負けたなら、名前を名乗れ、と仰いました、ならば私にもこの勝負に積み(レイズ)する資格がありますよね?」
二枚目の伏せられたホールカードに右手の指をかけたままで、ヴェロニカは銀髪の英雄姫に視線を向けた。
セフィーナは何も答えなかった。
ただ、伏せられたホールカードに眼をやると、ヴェロニカに顔を上げて頷く。
「では……」
細い指がカードをめくっ……
「この野郎!」
セフィーナの耳に聞こえてきたのは、幼馴染みが滅多に発しない怒号。
「くっ!?」
同時にセフィーナは、左腕に何かがかすめた鋭い痛みを感じる。
「な……」
自分の席の左後方。
いつの間にかメイヤは、エメラルドグリーンの少女と取っ組み合いになっている。
何かの飛び道具を放ったのかも知れないが、その寸前にメイヤに気づいて飛び付き、その狙いが逸れたのだ。
「セフィーナ! 逃げろっ」
叫ぶメイヤ。
この事態をセフィーナの脳細胞は一瞬で処理し、四肢にメイヤからの指示とは違う指令をはじき出した。
前方。
椅子を引き、正面に脚を蹴り上げる。
予想通り、奴がそこには居た。
ヴェロニカがテーブルを乗り越えて、セフィーナに迫っていたのだ。
だが、ヒールの先端はメイドの顎の寸前で空振りをした、いや、躱された。
「えっ?」
眼を見張る。
完全なカウンターの蹴り上げ、それをメイドは突っ込んできた身体を後方に逸らし、躱してしまったのだ。
恐るべき反射神経。
更にセフィーナが空振りの体勢を立て直し、椅子から立ち上がるより速く、ヴェロニカは後方に逸らした身体を再び前進させる。
セフィーナの懐に飛び込み、
「せいやぁぁぁぁ!」
その腰を一気に持ち上げ、フロアの床に首から落とす。
「ぐっ……」
素早さと力に抵抗できなかった。
両手が出来た事は脳天を抱え込み、ダメージを極力減らすだけだった。
間一髪、脳天からの落下、頭蓋骨骨折は免れたが、ダメージは大きい。
明晰な頭脳も、脳震盪に対する耐性は一般人と何も変わらない。
「あぁ……」
混濁する意識。
もう思うように身体が動かない。
「セフィーナ!!」
そこに飛んできたのは、組み合っていたミラージュを強引に投げ飛ばしたメイヤ。
「離せや、バカァァァ!」
ヴェロニカはセフィーナを離し、メイヤの飛び込みの右フックを左のガードで防ぐ。
鈍い衝突音。
「て……てめぇぇぇ」
「姫より遥かに強いですね、言う通りに姫を離してなかったら、一撃で昏倒させられてました」
歯を食い縛るメイヤに、ヴェロニカは半身に拳を構える。
「メイヤ……」
「平気……このふざけたメイド野郎は私が殺す、誰か早くセフィーナを!!」
起き上がれないセフィーナ、メイヤはヴェロニカを睨み牽制つつ、警護の女性兵を呼び寄せる、慌てて飛んできた二人の警護兵がセフィーナを抱きかかえる。
「絶対、逃がさねぇからな……」
普段のメイヤからは想像もつかない口調の台詞が出るが……
「そうはいきませんわ!」
投げ飛ばされた筈のミラージュが……近くのテーブルに乗り、フロアの出口に向かって、ワンピースの裾を両手で大きく上げた。
「おどきくださいませ、バーン!!」
裾裏に仕掛けられた特殊ボウガンから放たれる無数の矢嵐。
ここまでの攻防に呆気に取られていただけの者達は、自分達も無差別攻撃の目標なったと気づいたが遅かった。
たちまち入口近くにいた十人近い者たちが血を撒き散らし倒れ、阿鼻叫喚が巻き起こる。
「フフフッ、私達の道を開けないと、こうなりますわよっ!」
装填の間なく、放たれる次弾。
またもや数人の貴族が倒れた。
「なんだ、あれはっ……お、奥に逃げろっ」
数十の貴族とその連れは大混乱を起こしてフロアの奥に向かって、逃げ惑う。
「今です、姉さま! 退散ですわ、表の兵に気づかれたら逃げられませんわ」
「ええ」
ミラージュに促され、ヴェロニカはメイヤに背を向けて走り出す。
矢嵐を恐れ、二人を阻む者はいない。
「逃がすなっ!」
そうは言いつつもメイヤの意識は、二人の警護兵に抱えられ、まだ起き上がれないセフィーナに向かっている。
この状況では無理をしても起き上がってくる筈のセフィーナが、まだ身体を警護兵に預けたままにしているのが気になった。
「セフィーナ、大丈夫? 首を怪我した?」
「いや……首は平気だ……だが」
セフィーナの顔には脂汗が浮かぶ。
警護兵から引ったくるようにして、セフィーナを抱きかかえるメイヤ。
「だが? 何!?」
「身体が……動かない、苦し……」
「毒かっ!?」
飛び道具が掠めた左腕を恨めしく見るメイヤ。
毒を当てた確証があったからこそ、暗殺者はセフィーナへの止めをアッサリ諦めたのか。
メイヤの背筋が凍る。
「そ、そのよう……」
その言葉を言い終える事無く、セフィーナはガクリと全身の力を喪失させた。
続く




