第二十六話「ネーベルシュタット事件 ー対峙ー」
ホテル・シュテヒパルメ。
セフィーナ・ゼライハ・アイオリアの一行が、ここに滞在しているのはわかっている。
しかし、ホテルの周囲を憲兵が周回し、おそらく館内の警備も固い。
一見、ホテル内での計画の遂行はかなり困難と思われたが……
「大きなホテルですわね、シュテヒパルメ……柊の木で、五階建てのホテルなんて建てられますのかしら?」
「建てられない事はないけれど、柊はとても堅いし、木が低いから、建材には向かないんじゃないかしら、たぶん、そういう意味では無いのよ」
「姉さま、私は柊の木を仕事で使った経験がございます、とても堅いのは知ってますのよ」
「言わなくていいわ」
ミラージュとヴェロニカは、ホテル・シュテヒパルメを路地を挟んで見上げる。
話しながらも、二人の瞳は建物周辺に配置された警備兵の動きを注視している。
「警備に緊張感がありますわ、姫様はお出かけにはなってないんじゃないかしら?」
「そうね……居るわね」
「情報部から仕入れた情報によると、姫様の休日の趣味は、洋服選びに、美味しいデザートを食べる事でしたわ」
「あと、もう一つあるでしょ? あまり国民に報せていない趣味が……」
クスリと笑うヴェロニカに、そうでしたわねと、ミラージュも笑みを返す。
「ホテル・シュテヒパルメの地下には、かなり立派で、お姫様が楽しめる場所がありますわ、そこに賭けて、侵入ります?」
「御主人様は賭け事がお嫌いなんですが、場所が場所だけに、賭けが必要ですか……入ります、ただし普通に」
ヴェロニカはミラージュに答え、落ち着いた歩調で、ホテルの玄関に近づく。
駆け寄ってくる若い警備兵。
彼はメイド姿のヴェロニカに対して、強く警戒した様子は見せないが、その初動動作はかなり早かった。
「宜しいでしょうか? 本館は現在、警戒中ですので……」
「はい?」
言われなくても知ってはいるが、ヴェロニカは首をかしげる。
「いや、当ホテルには観兵式にお出になられる方々がお泊まりになられているので、その他の方には、ご家族、ご親戚、以外の来訪は遠慮願っているんです」
「ああ……そうなのですか、お嬢様! こちらにいらしてください」
「ええ、わかりましたわ」
ヴェロニカに呼ばれたミラージュは、テクテクと、歩いて側にやって来る。
「ごきげんよう、警備兵さま、わたくしはレラ・タングレートと申します、タングレート家の一人娘ですわ」
「は……はぁ、どうも」
スカートの裾を上げ、ペコリとお辞儀するミラージュに、若い警備兵は戸惑いの挨拶を返した。
「お嬢様、本日は特別な警戒中らしいので、ホテルには部外者が入れないらしいのです、家族や親戚でなければ……」
「そうなんですの? それはスゴく困ってしまいますわぁ」
「え……まぁ、申し訳ありません」
ヴェロニカが告げると、ミラージュはエメラルドグリーンの瞳を大仰に開く、貴族のお嬢様にそんな眼を向けられた罪なき警備兵は罰の悪そうに、必要もない謝罪をした。
狙いはここだ。
帝国には、貴族という明らかな特権階級が存在し、それは時として、法という決まり事を骨抜きにしてしまう。
「ベルサリエーレ公からカジノバーがあるから、是非、遊びに来いと呼ばれましたのですけど、そういう事ならば仕方がありません、帰りましょう、お嬢様」
「公のご息女、エルミー様は、私に会いたがっていましたのに……残念ですわ、とっても仲良しで、会うのを楽しみにしておりましたのに」
「通れないのは仕方がありません……お手数ですが、警備兵さんのご所属と上官をお教え願えないでしょうか?」
シュンとするミラージュにそう言い聞かせると、ヴェロニカは警備兵に努めて丁寧に、向き直る。
「ええっと、自分は第十師団、第二警備中隊のマクメッセン中尉であります、中隊長は……」
「あ、中隊長の名前は仰らなくても構いません、第十師団ならば……師団長はコンドラチェンコ中将になりますね」
「え……!?」
ヴェロニカに言葉を遮られたマクメッセン中尉は一瞬、背筋を震わせる。
中隊長など用無し、この話は師団長に通す、と言われた様にしか意味が取れなかった。
「公も残念がりますわ」
「後で謝れば宜しいです、理由をキチンと話せば、きっと赦していただけます」
頭を垂れるミラージュに声をかけながらも、ヴェロニカはマクメッセン中尉を伺う、いかにも彼は迷っている様子。
彼は間違った事をしていない、しかし迷わなければいけない。
勝手に名前を出したベルサリエーレ公は、帝国中部、いや帝国全土でも十指に入る大貴族なのである。
そして……その性格は、いかにも典型的な大貴族であり、南部諸州連合中央情報部で、簡単に幾つかの、いかにも特権階級貴族らしい逸話が調べられた程だ。
警備マニュアルに依って。
規則に従い。
現場の権限で。
そんな言い訳は今まで何度も、自分の努力でもない、大貴族に産まれてきたという立場だけで、簡単に弾き飛ばし、それを自らが先天的に授かった不変の力とでも勘違いしている輩。
確認なんて、気安く出来る相手でもない、下手をすれば、自分がホテルに呼んだ客を返そうとするとは、顔に泥を塗った、と言いがかりをつけられかねないのだ。
「では、帰りましょう……お嬢様」
背中に手を回して、ホテルに背を向けさせるヴェロニカに、
「わかりましたわ、でも、お招き下さった公に挨拶も出来ないなんて……」
渋々と従うミラージュ。
そして、二人は歩き出す。
たったの二歩だった。
ヴェロニカとミラージュがたったの二歩、踏み出した時に、
「待ってください、簡単なボディーチェックだけ、受けてくれないでしょうか? そうすれば……」
我慢できないように、マクメッセン中尉が去ろうとする二人を呼び止めてきた。
もちろん、中尉には背中の向こうで、呼び止められた瞬間から、口の端を揃って上げた二人の顔など、見ようはなかったが。
***
「レイズ」
低い声。
セフィーナがチップをテーブルに積むと、残る三人のうち、二人のプレイヤーが勝負を降りた。
「では……ショーダウン、私はフラッシュだ」
「私の敗けです」
セフィーナに相対していた白髪の老紳士がカードをディーラーに返すと、周囲からオオッという声が上がる。
「戦もカードも、お強いですな、皇女殿下」
「ブランデンブルグ伯も、全く手を読ませないな、どこかで騙されて、一気に取り返されそうな気がして怖いぞ、大勝負を企んではおらんか?」
「いやいや……」
セフィーナがホテルの地下カジノでの遊興に選んだのは、幼い頃より楽しんでいるポーカーであった。
同じテーブルを囲むのも、帝国で名のある貴族達だ、ホテル・シュテヒパルメは元々が一般市民には敷居の高いホテルであるが、観兵式の間は、儀典課より割り振られた貴族達以外の一般客を受け入れていない。
その貴族の割り振りでも、皇族であるセフィーナと同宿となるので、観兵式に来訪する貴族の中でも家柄の格の高い者が割り振られている。
それでも、地下のカジノバーは貴族達の家族や親戚、随員など、普段よりも一段、客単価のレベルの高い者達で盛況であった。
「ここがカジノバーですわね」
一階からの階段を降りたミラージュは地下とは思えない位、明るい空間を見渡す。
本音を言えば、まずスウィートルームがある五階の最上階を調べたかったのだが、三階から既に警備が厳重で、外でのような手を使っても、今回は下手をすれば、名前を出すベルサリエーレ公のボディーガードに直接、会ってしまう可能性を考えると、気安く潜入を試みる危険は犯せず、地下のカジノバーに賭けた。
一階からの階段を降りる。
入り口に警備兵がいたが、ここで何かを聞かれる様な事はなく、お嬢様とメイドという事で安心されたのか、どうぞ、とドアまで開けてもらう。
「賭けに勝ちたいですわね」
ホールに入りながらのミラージュに、
「勝ちたいじゃない……勝ったわ」
ヴェロニカは呟く。
「え?」
ヴェロニカの視線を追った先には……彼女等の賭けの第一段階が、ひとまず勝利に終わったのを告げる光景があった。
ホール内に一際、目立つ人だかりが出来ていて、そこのポーカーテーブルに、このカジノバーの全てのチップよりも、二人が求めている相手に違いない、銀髪の美少女が得意気にテーブルに着いていたのだ。
「やりましたわね……でも」
「ええ……そうね」
互いの喜びは一瞬だった、ミラージュとヴェロニカはターゲットの近くに、周囲に眼を配る、少なくとも数人の手練れであろう女性警護の存在に気づく。
「どうしますの、すぐに眼をつけられますわよ?」
ミラージュの言葉は確かだ、この大人数のホールでも、おかしな動きは気取りそうな雰囲気を相手は持っていた。
「ですね……膳立てはやりますから、後は任せます、頼むわね……ミラージュ」
あと数秒もマゴマゴしていたら、相手の手練れの眼に留まるであろう寸前、ヴェロニカは落ち着いた様子で歩き出し……
「こちら……オーバーされた方がいられるなら、宜しいでしょうか?」
と、ポーカーテーブルの空いていた席、ターゲット、セフィーナ・ゼライハ・アイオリアの真正面に着席したのだった。
続く




