第二十五話「ネーベルシュタット事件 ーホテル・シュテヒパルメー」
早朝。
朝陽が差す石畳の回廊を、一台の幌馬車がゆっくり進む。
傍らには徒歩の護衛の兵士が七名、付近にたまに出没する野盗への備えだ。
タングレート男爵。
帝国中部の小領地の領主で、今回の観兵式に参加する貴族の中では末席に近い立場だが、立派な貴族の一員である。
周囲には見えるのは、はるか遠くの山脈と近くにある森くらい、牧歌的な光景である。
護衛の兵士達も様々な話題を口にしながらで、緊張感はない。
彼らの緊張感は正面から二人組の女子が歩いてきても、そうは変わらなかった。
日傘を差した赤いリボンの帽子、フリルの付いたワンピースのお嬢様と、いかにもなメイドの二人が通りすぎていく位で警戒していてはキリがないからだ。
……だが、その二人が彼等を妨げるように回廊の中央に立てば、話は別だ。
「何者だ?」
馬車を止め、護衛兵のリーダー格の男が一歩前に踏み出る。
「こちら、タングレート男爵の御車でございましょうか?」
まだ十五にもなっていないようなお嬢様が日傘を畳み、エメラルドグリーンの長髪を垂らして、小首を傾げた。
黒髪ショートボブカットのメイドは、後ろでニコニコしている。
「そうだが、お嬢さんとメイドさんは一体何者だい?」
「わたくしは何ともうしましょうか……何と言えばいいのか……あっ、わかりましたわ」
エメラルドグリーンの髪のお嬢様にやや和んだ表情の護衛が聞くと、彼女は畳んだ日傘を両手で持ち少し考えると、パッと顔色を明るくした。
「死神です!」
その声と同時に鋭い何かが風を切る。
護衛のリーダーの男が鮮血をぶち撒けて倒れたのは、ほんの二秒後。
小さなお嬢様の手には日傘から抜き放った仕込み刀が握られていた。
「貴様!」
まさか、こんな小さな娘が!
残る六人の護衛兵は、驚愕しながらも腰の剣を抜いた……が、小さなお嬢様は、仕込み刀をブンと振って血を払うと、また日傘に戻してしまう。
「……!?」
「刀は良くないですわ、余計な血は、あまり好きじゃありませんの」
日傘を石畳の上に落とすと、お嬢様はワンピースの長い裾を両手で、残る護衛兵に向け、スーッと上げた。
「ばーん」
短い呟きと共に、ワンピースの裾裏から放たれた無数の小さな矢によって、六人の護衛兵はバタバタとその場に倒れた。
「何なんだ? あっ!」
そこでようやく幌馬車から顔を出し、異常に気づくタングレート男爵であったが、
「お静かに……男爵、少々、面倒くさい用事がありますけれど……ご協力をお願いします」
と、いきなり見知らぬメイドに、その首元を押さえつけられた。
病床につき、今回の観兵式には娘のレラ・タングレートが代理として出席する旨との、タングレート男爵本人の署名入りの書状を持った少女とお付きのメイドの来訪は、帝国中部の貴族の大部分が集まった中で帝国式典課にも、警備本部にも、大した疑いもなく受け付けられ、二人はネーベルシュタットの街で何番目かに格式の高いホテルに通された。
***
「この街には、中部で最も大規模なラミラセス・カジノがあるだろ?」
「ダメだよ、胴元よりもお金持ってるプレイヤーなんて、反則」
「オーケストラ音楽を聴けて、有名シェフのいるレストランもある」
「音楽は無理、料理は部屋に届けてあげる、でも皇帝居城の専属シェフの方が格上だよ」
「ドレスのオークションもある」
「競らなくても買って来てあげる、だいたいセフィーナに競りかける相手はいないから、迷惑になると思うよ」
「いい加減にしないかぁ!」
やり取りにキレたセフィーナは声を荒げて立ち上がるが、正面のソファーに座ったメイヤは視線で、それを追っただけだった。
「ゼライハにも一日しかいなかったんだぞ!? 少しは自由な時間を楽しませろ!」
「いいよ、でも私の許可を取って」
「全然、許可が下りないだろ!」
「下りないような事ばかり言うからだよ」
「じゃあ、下りるような事を教えろ!」
「このホテルのレストランでの食事、セフィーナのいう有名シェフを連れてきて料理させるよ、これでいいよね?」
「あのなぁ……」
ワナワナと震え出すセフィーナ。
自分の警備にメイヤが責任を持つのは解るが、今までここまで不自由は無かった。
ゼライハでの休暇は五日間だったのだが観兵式に出る為、一日に減らした。
そしてネーベルシュタットに入ってからも、セフィーナは一番格式が高いと言われる五階建ての大型高級ホテル・シュテヒパルメから、一歩も外に出ていないのだ。
初めは歌劇場や美術館見物がスケジュールに入っていたのだが、メイヤがそれらをキャンセルしてしまったのである。
「このネーベルシュタットは何処の領土だ!? 帝国領だ、サラセナでも、南部諸州連合でもないんだぞ! その街をなぜ、帝国皇女の私が自由に歩けないんだ?」
「それは、こういう事だよ」
テーブルの上に、メイヤがドサッと手紙類を大量に落とす。
「手紙!?」
「これは新聞社や公的機関に、本日までに届けられた、色んなヤツや組織からの犯行予告声明文だよ」
「声明文? 何の!?」
「殺害予告、セフィーナへのね」
「はんっ、そんなの初めてじゃない、よくある反体制派の嫌がらせの一種じゃないか!」
セフィーナが腕を組んで横を向く。
言う通りだった。
皇族の儀礼行事等には反体制派から、様々な嫌がらせがある。
予告だけなら、身元がバレる可能性は限りなく低い。
私信郵便は帝国郵政局で料金を支払えば送れるが、相手が政府機関だとその時点で眼をつけられかねないので、ほとんどの場合が夜中に自ら政府機関に行き、玄関に置いてくるという古典的手段だ。
その証拠に手紙には郵政局の消印が無い。
警備員がいるような場所なら、お菓子代を渡せば、近くで遊んでいる子供が届けてもくれる。
どちらにしても、相手の尻尾を掴むのは憲兵隊にも難しい。
彼らも余程な確証のある情報でもあれば別だが、その手の嫌がらせに捜査を行う程、潤沢な人数も捜査費用も無いのだ。
精々、犯行予告声明の対象者の警護チームにそれを報せるくらいしか出来ない。
早い話が皇族で、更にセフィーナぐらい注目されていると、反体制派からの犯行予告声明文など、相手にしていられないくらいに来るのだ。
「であろ? メイヤも、いちいち気にしていたら、息が詰まって何も出来んぞ?」
「いや、今までとは違う」
メイヤは首を横に振る。
セフィーナとしても自らの警備にばかり気を取らせるのも負い目が少しはあるのだが、幼馴染みはそんな気配りは無用の様子だ。
「聞いた事もない組織からの声明文もあるし、今まで見た事ない特徴のご新規もある、中にはセフィーナを拐って、子供をもうけさせる、とか言う変態も出てきた」
「な……どうせ、やりもしない事を!」
犯行予告声明の内容に圧されかけるセフィーナだが、フンッと鼻を鳴らすと余計な勢いをつけてソファーに座り込む。
「元々、有名だったけど、ヴァルタやバービンシャーで勝って、人気に拍車がかかった……その分、敵も増えたんだよ、気をつけないと、テロリストは捕まらなければ、何度でも失敗できるけど、護る側は一度でも失敗したら、全てが終わるから」
「……」
幼馴染みのダークグレーの瞳に見つめられると、我が儘を言っているつもりは無かったセフィーナもこれ以上、言う気が失せてくる。
「わかった、わかった……じゃあ、このホテルの中に開設されてるカジノならどうだ? もちろん、お前も連れてだ」
親友の苦労も汲んだセフィーナの妥協案に、
「仕方がないなぁ、お金持ちがギャンブルやって、何が楽しいのだが……」
メイヤはいつもの抑揚の無い口調で、フゥと息をつき、少しだけだよ、と念を押してから立ち上がるのだった。
続く




