第二十四話「ネーベルシュタット事件 ーゼライハにて、姉と弟ー」
ゼライハ。
そこは帝国首都フェルノールより、北西に二百キロ程行った場所にある。
春の訪れと共に雪山を駆け降りてくる雪解け水の川が流れ、その水が育て上げた森には沢山の動物たちが住む高原地帯だ。
皇族直系に代々、ミドルネームと共に与えられるこの地をセフィーナは生後三日で賜り、初めて足を運んだ六歳の頃より慣れ親しんだ、自らの封地である。
「久しぶりのゼライハだな」
「そうだね」
四騎の女性護衛に囲まれ、山道を登っていく馬車の中で微笑むセフィーナに、ダークグレーの肩にかかるくらいの髪と瞳を持つ護衛兼幼馴染みの少女メイヤ・メスナーは頷く。
セフィーナの正面に座る彼女の傍らに立て掛けられ、馬車の震動で揺れているのは愛用の銀色のトマホーク、いわゆる戦斧だ。
メイヤの身長は同じ歳で百六十三㎝のセフィーナより少し低いくらい。
体つきは細身ではあるが、曲線豊かなセフィーナに対して、やや平均よりふくよかな印象を与える程度のメイヤが、相当な重さのトマホークを振り回す。
白兵戦での模擬戦は、武器の種類、有無を問わず、多くの場合は序盤にセフィーナが見事な技の切れでメイヤを押すが、決定的な一撃に至る前にフィジカルに優れたメイヤに押し返され、力でそのまま圧しきられてしまうパターンだ。
「護らなきゃいけない相手より、弱くちゃ話になんないよ」
昔からの、抑揚のない淡々とした喋りをするメイヤに、何かと負けず嫌いのセフィーナは鍛練を重ね、戦術を練って挑むが、勝率は非常に芳しくない結果に終わり続けている。
「そろそろ、屋敷だな、予定よりも少し早く着いたな」
「サーディアが喜ぶよ」
メイヤの口から出た名前は、セフィーナの弟でアイオリア直系の第六皇子である。
「そうだな、あいつにも久しぶりに会う、少しは体調がよくなってるといいんだが」
「それよりもアイツはお姉ちゃん病を治さなきゃいけないよ」
「……かもな」
メイヤに向け肩をすくめてから、セフィーナが馬車の窓を少し開けると、広大な草原の中に建つ三階建ての屋敷が遠くに見え始めていた。
「セフィーナ姉さん!」
亜麻色の髪の少年は歓喜の声を上げて、屋敷のホールに現れたセフィーナの胸に飛び込む。
「サーディア、こら、着いた早々……」
「だって、姉さんに会うの本当に久しぶりだから、嬉しくって!」
十二歳の少年を胸元に受け止め、セフィーナは戸惑い、苦笑しながらも抱き止めた。
「わかった、わかったから」
「姉さん……」
「くっつきすぎだよ」
姉の胸の隆起に顔を埋めた、サーディア少年の襟首をグイと引っ張って離すメイヤ。
「こ、こら、メイヤ……何をするんだよ!? 久しぶりなんだから、仕方ないだろ!」
「ダメだよ、くっつき過ぎ、姉貴の胸に顔をうずめてるんじゃないよ」
不満げなサーディアの抗議を、いつもの調子の口調で却下し、舌を出すメイヤ。
年少とはいえ、アイオリア皇族のサーディアにこんな態度を取れるのは、セフィーナと一緒になって、産まれたばかりからサーディアの面倒を見たり、遊んだりをしてきたからだ。
「姉さん、メイヤに何とか言ってやってよ、ボクはただ……」
「ただ、大好きな姉さんのオッパイに顔を埋めたかったんだろ?」
「そ、そんなんじゃ……ないっ、姉さん、メイヤが失礼だ!」
「まぁまぁ、二人とも……サーディアもはしゃぎが過ぎるし、メイヤも襟首を掴むのは良くないし、婦女子がその……言葉を選べ」
幼い頃から、大してレベルの高くない弟と幼馴染みの争いに、いつも何故か渦中に立たされてしまうセフィーナは赤面しながら、頬を指で掻くのだった。
ゼライハの屋敷は、正式にはセフィーナが所有者だが、何かと身体が弱いサーディアが気候と空気の良いゼライハに年中療養に来ているので、セフィーナやメイヤよりもサーディアのお付きの使用人達の方が勝手をよく知っており、テーブルに並ぶ茶菓子や紅茶はサーディアの使用人が用意をした。
サーディアの体調も良いので屋敷のテラスにテーブルを置き、余暇の午後を楽しんでいる。
「ネーベルシュタット?」
「サーディアは知らないか?」
「わからない、メイヤは知ってる?」
姉の口から出た見知らぬ地名に、首をかしげたサーディアは、茶菓子のクッキーを遠慮なく頬張るメイヤに訊いた。
「行った事はないけど、中部のかなり大きな都市、よく霧が出る」
「そうだ、今度、そこで観兵式が行われる事が決まったんだ、それに私が皇族の代表として出席してくるんだ」
「セフィーナ姉さんが?」
「ああ……あとデオドラート妃も来賓として、出席する予定だ」
「デオドラートさんもか……ボクも行きたいけど、無理かな?」
デオドラート妃というのは、現皇帝の第六番目の妻であり、クラウス・ゼノ・アイオリアの母である。
四番目の兄、クラウス本人とは微妙な仲であるセフィーナやサーディアだが、その母デオドラートとはよく話が合う。
三十代半ばで、温厚な性格な持ち主の彼女は何かと伏魔殿のような宮中に置いて何処か落ち着ける雰囲気を持っていたのだ。
「ダメだ、療養中だろ? 自分の行きたい行事だけ行けるか、バカ」
「わかったよ、ゴメン」
セフィーナに叱られると、学校はサボった癖に遊びに行きたがった子供の様に、サーディアは罰の悪そうに謝った。
しかし、サーディアの場合は仮病ではない、今日などは療養地で調子がいいが、長旅などをさせたら、何があるかわからない。
胸を病んでいて、市政の住民達と比較にならない医療を受けられる筈の皇族であっても、発病から数年たっても治せていない。
もし、サーディアという少年が皇族という立場でなかったなら、病に屈していたかも知れない。
それを知っている姉だからこそ、自らの身体ながら調子が良くなると、つい病よりも欲求を優先しがちになる弟を強く諌めるのだ。
「観兵式だけじゃないんだよね、他にも行事があるんだよね?」
「行かせないぞ」
「わかってるよ、姉さんにダメと言われて行く訳ないよ、でも、あるんだよね?」
「まぁな、夜は近隣の貴族達を集めた大きなパーティがある」
念を押すと、サーディアが素直に応じたので、セフィーナは隠さずに答える。
サーディアは年相応の我が儘は言うが、嘘をついたりは滅多にしない。
「観兵式の後のパーティかぁ……盛大なんだろうなぁ」
「そんなに良い物じゃない、各地の貴族諸侯達にいちいち挨拶をしなきゃいけないし、殆どの者は知らぬ者ばかりだし、並んだ料理を食べる暇も、ショーを観る暇もないしな」
「同感、特に今は、眼をギラギラしてないといけないし……」
斜め上を見上げ、想像を膨らませるサーディアに、やや顔をしかめるセフィーナとメイヤ。
二人のパーティに対する危惧は、並んだ料理を食べる暇も無いのも、ショーを観る暇も無いのも、互いには一緒だったが、全く意味の違う物であった。
今回の観兵式は急遽、決まった行事だ。
その原因はバービンシャー動乱である。
帝国西部で起きた規模の大きな内乱に各地の貴族諸侯が動揺していた。
それを帝国の軍事力の強大さを誇示し、バービンシャー候に続くような者が出ないようにするという目的があった。
だからこそ、皇族代表の出席者が動乱を見事な軍事手腕で押さえ込んだセフィーナなのである。
初めは西部の都市で行う案もあったが、まだ動乱の余波が残る西部では、早急という事で見送られ、中部の比較的、大都市ネーベルシュタットが選ばれたのだった。
セフィーナとメイヤ。
二人の各々の危惧とは、一方は動揺冷めやらぬ貴族達に帝国の権威をきちんと示す事と、そんな不安定な中で、帝国の最重要人物になりつつある親友を護るという、些か十七歳の少女には互いに重い物だったのである。
続く




