第二十二話「ネーベルシュタット事件 ー教授謀略ー」
ホテル・マーガレッタの朝食は、肉と野菜をふんだんに使ったマスタードソースのクラブサンドイッチが名物である。
ロビーの入口から遠い奥まったテーブルでそれをコーヒーと食べるのが、ビップ待遇を受けるゴッドハルト・リンデマンの滞在中の朝のパターンとなっており、今日は新聞をテーブルに広げてクラブサンドイッチを口に運んでいた。
後ろに控えたいたヴェロニカが新聞に読みふける主人より先に歩み寄ってきたアリスに気づき、丁寧に頭を下げた。
「おはようございます、アリス少将」
「ええ、おはよう、ヴェロニカ……アンタもおはよう」
ヴェロニカと挨拶を交わすと、アリスはリンデマンが新聞を広げるテーブルの正面に座る。
「おはようアリス、見たまえ、次のアルファンス州知事戦は民主党の現職が有利らしい、その一因は私が勝利を上げた事だ、と書かれている……これは何かの便宜を図ってもらうのが筋という物かな?」
声をかけられる前にリンデマンは州知事選挙戦の様子が書かれた新聞を見つめたまま、顔も上げずにアリスに言った。
「そして、アンタも我らが連合軍総司令官モンティー・オーソン元帥よろしく、民主党の犬の仲間入りが出来るわね? 幾らもらえば人間が犬になれるか参考までに聞きたいんだけど?」
「止めておこう、私は人間でいたいからな、その質問は犬自身であるモンティー氏に直接聞きたまえ、朝から急いで君は何を報せに来たんだい? テセウスが殺されるか、捕まるかして、バービンシャーが降伏でもしたかい?」
「よくわかったわね、親戚連中がバービンシャー候テセウスを捕まえて、セフィーナ姫の元に降伏したらしいわ、これで優雅なホテル住まいは終わりを告げたわね」
それは届いたばかりの偵察隊からの早馬の情報であった。
目の前の新聞には当然、そんな事は書かれていない。
そうにも関わらずリンデマンが事態を言い当てた事にはアリスは驚かなかった。
ここまでの戦況から、この結果くらいは予想していたと思っていたからだ。
「何もかも予想通りだったじゃない?」
「珍しいね、誉めてくれるのかい?」
「素直に誉めてるわよ、驚いてもいるわ」
アリスが素直に誉めて、驚いていると言ったのは、今朝に届いたバービンシャー軍の降伏を当てたからではない。
「第一の攻撃目標はここだ、最も攻撃を警戒していないコモレビト、全軍を上げてコモレビトの反乱軍を壊滅させ、そのまま部隊をコーセットに向け、その方面からやって来る援軍も撃破し、コーセット城も奪還する、しかるのちにファンタルクに陣を張れば、反乱軍はエトナに向かわせた軍も引かざる得なくなる、これで大勢は決するだろう!」
セフィーナ率いる討伐軍が作戦を起こす前からリンデマンはそう断言して作戦図を指さし作戦を予想していた。
それがほぼ言う通りになった事を驚いていたのだ。
実際にセフィーナが採った作戦と細部は異なるが、それは作戦の進捗状況からくる物で、大きな読み違えとは言えない。
それでもコーセットからの援軍を撃破したセフィーナがリンデマンの読みを外し、そのままコーセット城を奪い返さずに、ファンタルクに向かったと聞いたリンデマンは、
「なるほどな、コーセットを攻略せずファンタルクに素早く向かい、孤立した圧倒的不利な状況に相手を置き、あえて戦わずして降伏を促す、そういうやり方もあるが……」
と、一旦は唸りながら腕を組んでから、
「いやいや、コーセットの反乱軍が味方の壊滅に弱気になって降伏したから良いものを、もし後方でゲリラ戦にでも出られたら面倒な事になっていたぞ」
などと、自分の予想とずれた部分の責任をセフィーナに求めたりしていた。
確かにリンデマンの言う危険はあっただろうが、果たして士気が落ちていた私兵集団にゲリラ戦が出来きるような指揮官がいたか、議論をしたら埒があかないだろう。
『でも……そういう所が相変わらずゴッドハルト・リンデマンね』
アリスはそんな事を思いながら、コモレビト急襲、援軍への各個撃破、ファンタルク進行によるバービンシャー防衛への圧力を言い当てたリンデマンに改めて舌を巻くと同時に、その作戦を見事なまでの完成度で実施してみせたセフィーナ・ゼライハ・アイオリアという十七歳の少女の才能に末恐ろしい物を感じていた。
***
バービンシャー動乱の動向偵察の任を受けた為、カーリアン騎士団を撃破した第十六師団の戦勝パレードは時期を逸したので中止、というシナリオがリンデマンの理想であったが、現実はそう甘くはなかった。
アルファンス州の州都エリーゼに帰りついた途端、リンデマンと首脳部一行は飾りの付いた馬車に乗せられ、市中を拍手と喝采を浴びせられながら引き回された挙げ句、誰が決めたか不明なスケジュールで、知りもしない政治家のパーティに出席が内定していた。
戦勝パレードと戦死者慰霊祭には割と大人しく参加したリンデマンであったが、戦勝パーティの類いの予定が式典課から伝えられると、
「それは司令官の公式任務ではないし、政治家のパーティなんて、誰のも出たくもない」
そうハッキリと拒否の意向を示し、自宅に引き籠りを決め込む。
カーリアン騎士団を討ち滅ぼした英雄を何とか人気の糧にしようと、民主、共和、二大陣営の政治家からリンデマンの周囲に、彼をパーティや政治運動に参加するようにと様々な圧力や甘い要請がなされた。
だが、リンデマンの周囲と言っても、彼は中将という地位にありながら、その交遊関係は極端に狭く、伝がある者は皆、リンデマンの気難しさを十二分に実地で思い知っている者達なので、少し位の圧力や甘い誘惑では話すら通さない。
更に特務少尉とはいえ、副官であるヴェロニカから、
「中将は前の作戦中に軽傷を負っており、暫しの自宅療養が必要です」
と、彼女の知り合いの医者が書いたらしいカルテと療養申請の書類が出されると、流石の政治家達も名誉の負傷中の英雄をパーティや運動に引っ張り出したという汚名を恐れ、やっと誘いがなくなったのである。
リンデマンが周囲の雑音を遮った影響は周囲の者が受けた。
英雄名高い司令官の仮病引きこもりの間、残務やパーティの代役に追われた副司令官のアリスに、
「今夜あたりお食事でも一緒にどうでしょうか? 御主人もアリス少将に久しぶりに会いたいそうです」
ヴェロニカから意味深な食事の誘いがあったのは、リンデマンが引きこもってから二週間の後の事であった。
「名誉の負傷は治ったかしら?」
リンデマンの自宅、大して広くもない居間のテーブルについたアリスは上座でワイングラスを揺らす家の主人に問い質す。
「ああ……お陰さまでね、この食事は君へのお詫びみたいな物だよ、さぁヴェロニカ、お客人にワインをお注ぎしなさい」
「かしこまりました」
リンデマンの指示を受け、ヴェロニカはアリスの前に置かれたワイングラスに白ワインが注がれ、それを口に運んだアリスの表情が和らぐ。
「ありがと……うん、いい感じの食前酒だわ」
「若いです、まだ深みはありませんが、この年の白は旨味が凄く評判が良いんです」
「へぇ~、あと何年かすると、もっといいワインになるのね」
「左様です、あと本日のメインデイッシュはヴェルサス産の成年牛のステーキです」
「楽しみだわ」
ヴェロニカとは笑顔を浮かべ、楽しげな会話をしたアリスだったが、
「で!? あなたが私を呼び出すなんて、今度は何の厄介事よ?」
と、リンデマンをジロリと睨む。
無駄と思いつつも、ここ二週間の苦労の少しでも目の前の男にぶつけたかったが、
「いや、私は負傷中にも、次の任務やどうすれば南部諸州連合が帝国を打ち倒し、この大陸に連邦議会主義を樹立できるかを考えてしまう実に真面目な軍人でね」
相手は予想通り、そんな事は意に介さない様子でワインをクッと飲む。
「へぇ~、まぁ解るわ、どうやったら帝国軍をまんまとまた嵌められるかを、一人で暗く考えていた訳よね?」
「その想像は君に任せるよ、そこで私は、確実に帝国軍を弱体化させる、ある手立てを思いついたんだよ」
ワインをテーブルの上に置き、リンデマンは椅子に深く腰かけた。
「手立て? 帝国に何かの謀略戦でも仕掛けようというの?」
「そうだ」
「その手とは何よ?」
そこで……ニヤリと笑うリンデマン。
インパクトのある答えが来るのは、予想がついたアリスは精神に盾を構えさせる。
しかし相手はその盾を構えさせる余裕をわざと与え、その上で驚愕させるつもりなのだ。
「セフィーナ・ゼライハ・アイオリアを暗殺する」
簡単に言ってのけた。
帝国の皇女を。
帝国の英雄姫を。
軍人らしく、戦場で打倒してみせると誓うのならともかく、暗殺しようと目の前の男は簡単に言ってのけたのだ。
「あ、あ、暗殺だなんて、アンタには軍人の矜持とかプライドは無い訳? 暗殺なんて企まないで彼女を戦場で倒す努力をすればいいじゃない!」
思わず吃りながら、声を上げたアリスに、
「軍人の矜持とかプライドで彼女を倒そうとしたら、何万の人間が死ぬかわからんよ? 暗殺した方が楽でいい」
リンデマンは平然とそう言った。
続く




