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銀色のアイオリア  作者: 天羽八島
第七章「逆襲の英雄姫」
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第二百話「降伏勧告」

 乾燥した荒野に風が吹き砂が舞い上がると、マリア・リン・マリナは軍服のポケットからハンカチを出し、眼鏡を外して砂埃を拭きかけ直す。


「ん~、完全には捉えられなかったなぁ、流石はゴットハルト・リンデマンですよねぇ、ここまで来るとは」


 マリアの視線の先にあるのは荒野に立つ中規模の砦。



 連合軍第五師団を撃破したマリア率いる新鋭遊撃軍第四師団は撤退中のリンデマン率いる第一軍本隊への追撃を再開し、その後背を捉えた。

 素早い追撃で新鋭遊撃軍第四師団は連合軍第一軍にかなりの損害を与えるが、リンデマンは自ら殿軍を率いて防戦反撃、対応するマリアが進軍速度を落とした隙を突き、補給要衝であったセルウィークへの撤退に成功する。

 更に第五師団の一部を率いていたシアの副将であるビスマルク少将の六千の部隊と合流、物資を補充すると、僅か数時間でセルウィークを出発して十数キロを南下、ラクラという荒野の砦に飛び込んだのである。


「しかし不思議ですね、なぜリンデマンは物資もあり防御力も高いであろうセルウィークを出て、この砦まで南下したのでしょうか?」

「そりゃあ嫌ですよ、セルウィークにはいつセフィーナ様に味方して、こっそり門や裏口を開け放つ住民や役人が出てくるかわからないですからね、砦なら純粋な軍事施設ですからその心配はありません」

「ああ、なるほど、追い詰められても冷静なのは流石はゴットハルト・リンデマンという所ですな、セルウィークに籠っていたら必ずそういう我々への協力者が出ていたでしょう」


 傍らのカナヘル大佐の疑問にマリアが答えると、大佐は納得して砦を見据えた。


「しかし連合軍は我々の追撃による被害、途中での脱落逃亡、我々への投降とかなり兵力を減らしてます、おそらく現在の兵力はセルウィークで合流した味方を合わせても一万五千をようやく越える程度でしょう、数ヵ月前は十数万を数えた連合軍もここまで無惨に敗れるとは思っていなかったでしょうな」

「セフィーナ様の采配ですねぇ、この大陸で誰があの戦略家ゴットハルト・リンデマン相手にここまで鮮やかな勝利を獲ることができるでしょうか?」


 やや苦笑混じりのマリアにカナヘルは首を振る。


「おそらく誰もおりませんな、セフィーナ様は我々の想像すら遥かに越えております、それも率いていたのは同じ一個軍団といっても実働は三個師団、連合軍の半数だったのですから」


 稀代の戦略家として知られるゴットハルト・リンデマン率いる六個師団十五万を数えた連合軍第一軍が実働半数の戦力に完膚なきまで叩かれるなど誰が想像しえただろうか。

 少なくともカナヘル大佐には無理だった。

 マリア・リン・マリナにしても同じだ。




「マリア・リン! 探したぞ、そろそろ休憩は終わりだ、こちらが何かしないと相手も待ちくたびれているだろう」



 不意に背後から二人に声がかかる。

 その声に素早く振り返ったカナヘルは直立で敬礼、マリアは了解です、と微笑み返す。

 そこには軽装鎧に身を包んだセフィーナがメイヤを始めとする護衛達と歩いてきていた。


「来られましたか? 初めにクルサード中将と麾下師団だけを先に寄越された時は驚きましたよぉ、寄り道は疲れませんでしたかぁ?」

「大丈夫だ、問題ない」


 マリアに穏やかな笑顔を見せたセフィーナだったが、荒野の砦に向き直ると神妙な顔つきに戻った。 


「ここまで撤退してきたか、セルウィークに留まらなかった所はやはりアイツは冷静さは失ってない、まだ一万は越える戦力はいるだろうから手こずる可能性はある······だがヤツの手元に残った兵は万全とは程遠いだろうな」

「私もそう考えます、負傷兵の割合は相当な物でしょうね」


 セフィーナの分析にマリアは同意する。

 中規模の砦に籠ったリンデマン率いる一万を越える相手。

 これだけを聞けば相当な防御能力を覚悟しなければならない。

 対して攻める味方は三個師団であるから攻防を考えれば勝負は判らないとするのが普通だが、リンデマンの率いる一万の兵はセフィーナの言う通り万全とは程遠い状態だろう。

 敗走に敗走を重ね、逃亡、投降を大量に出している士気状態であり、残った兵の負傷率も高いと二人の推測が合致した。


「それでも戦力の形にしているのがリンデマンの凄さではあるがな、逆の立場なら私ならどうだろうかな」

「どうでしょう? 私は全然自信ありません、多分今頃投降する味方に手土産代わりに引っ張り出されているかも」

「私でもとっくに瓦解して組織的な部隊を維持できてないかもしれない」


 リンデマンの様に敗走軍の組織戦力を維持できるかという疑問に自信無げな苦笑のマリア。

 セフィーナも素直な答えを口にした。

 

「さて、すぐにでも総攻撃をなさいますか? その準備は整っておりますけどぉ?」

「そうだな」


 マリアの確認にセフィーナは口元に手を当て、ラクラ砦を睨み付ける。

 連合軍の軍旗がはためく荒野の砦。

 好天の空には一匹の鷹が滑空している。

 その姿に視線を送る。

 望み続けた勝利の目前。

 己の高揚。

 脳裏を過る様々な思いに瞳を閉じ、暫しの沈黙と葛藤。

 数秒の後にセフィーナはマリアに告げる。


「いや、まずは降伏勧告しよう」

「そうきますかぁ、ここに来てぇ」


 攻撃寸前のセフィーナの判断にマリアは間延びした口調で肩をすくめた。 



 降伏勧告。

 戦況からみれば有り得ない選択ではない。

 ラクラ砦の防衛力、残った連合軍兵の状態、士気、戦力を考えれば戦いの帰趨は既に決しているが、守るのはリンデマンであり、攻撃を強行した場合に思わぬ損害を帝国軍が受けるおそれもある。

 一方、勧告を受ける連合軍としてもここで戦闘を受けて立ち帝国軍に打撃を与えたとしても壊滅は免れない、確実にほぼ全滅の憂き目に会うだろう。

 勝敗自体が動かぬのならば互いの損害を抑えようという手段が選択肢に並ぶのは当然である。

 ある意味有り得る命令にも関わらず、セフィーナから命を受けたマリア・リン・マリナは、


「本当にそれでいいですか?」


 そう再度の意思確認を促し、セフィーナが黙って頷くと了解しましたと敬礼をしたという。





「御配慮痛み入る所だな」


 数時間後。

 ラクラ砦の中庭に張られた幕舎で新鋭遊撃軍総司令官セフィーナからの降伏勧告を受けたリンデマンは使者にそう答えた。


「これ以上の戦闘は勝敗に意味のない犠牲を加えてしまう、良くない事だってさ」


 使者のダーググレーの髪の少女メイヤはセフィーナの言葉を抑揚のない己の口調で付け加える。

 彼女が使者となったのはセフィーナの指示であった。

 情報将校を当てるべきという意見を、


「いやメイヤは私の伝えたい事を正確に伝えてくれるし、リンデマンとも面識があるから」


 と、却下してまでの起用である。

 しかし本人は至って嬉しくも無かったようで、セフィーナが言うなら仕方がないか、でももし相手のメイドが気に食わない事を言って乱闘になっても知らないからね、と答えて、数人の供を連れて使者に発ったのである。


「······」

「どうするの? どっちでもいいけど私は早くここから帰りたいんだよ」


 沈黙したリンデマンを急かすメイヤ。

 第一軍の幕僚達もその態度に眉をしかめるが、メイヤに文句を言うまでには至らない。

 戦況は明らかな帝国軍の優勢なのだ。

 ここで交渉が決裂して攻撃を受ければ、連合軍第一軍が高確率で負けて壊滅、大多数の者が戦死するだろう。


「条件は渡された文書と言われた通りに?」

「そうだよ、ここで降伏すればセフィーナの名前において、連合軍第一軍の誰も処断しない、高級士官幹部クラス以外の兵達の完全武装解除の後の連合本国への即時帰還を認めるよ」


 リンデマンの確認にメイヤは頷く。

 降伏すれば武装解除の後、ラクラ砦に籠る者の大半である幹部クラス以外の兵達の帰国を認め、また捕虜として残した幹部クラスにも処断まで至らぬようにセフィーナが保証するというのである。


「······」


 口を真一文字に結ぶとリンデマンは再び黙り込む。

 幕僚の誰も意見が言えない。

 軍人の矜持としては到底受け入れがたい降伏であるが、受け入れなければ全滅は必至。

 この選択を誰もが出来ていないのだ。 

 重苦しい空気が幕舎を包む。

 メイヤは視線をリンデマンの背後のヴェロニカに送る。


「待たせるなら喉が乾いたんだけど」

「かしこまりました、お茶をお持ちします、少々お待ちくださいませ」


 メイヤの言葉にコクリと頷くと、ヴェロニカは幕舎を出ていき、ティーカップを乗せたトレイを持って戻ってくる。

 歩み寄ってきたヴェロニカ。

 メイヤはカップを取らない。


「二度目のルイ・ラージュでお前と一対一で戦った女、覚えてるか?」

「ええ······」

「クレッサっていう愛想が無い女なんだけどな、お前のパンチで片眼が潰れちゃったよ」

「そうですか」

「アタシが闘ってりゃ良かったよ、そうすれば······」


 言葉が終わる前にトレイがメイヤに左手だけで持った状態で差し出される。


「どうぞカップをお取りください、このような状態で満足な給仕が出来ずに誠に申し訳ありませんが」

「んっ!?」


 スッと右手をメイヤに見せるヴェロニカ。

 メイヤの表情が変わる。

 手の形の体裁はとっていたがそれは単なる作り物。

 それはあらゆる動物の中でも器用な動きをこなし、人類の発展に大きく寄与してきた人間の手ではなかった。


「それは······」

「クレッサさんにお伝えください、あなたは十二分に闘われました、強敵だった、立派でしたと」

「······だね、クレッサはよく闘ったな、私がやってりゃ、とかは失礼だった、帰ったら謝らないと」


 ヴェロニカにそう答え、ティーカップを取って紅茶を二、三口飲むと、メイヤは誰に言う訳でなく呟く。




「お互いたくさん死んで死んで、傷ついて、また死んで、これ以上、死ぬ必要も傷つく理由もあるのかね?」




 メイヤよりも遥かに学のある筈の高級幕僚達が誰もそれに答えられない。

 それから数十秒が流れた後、沈黙をしていた連合軍第一軍総司令官ゴットハルト・リンデマンは答えた。


「降伏勧告を受諾する、明日の朝に砦から出て全軍武装解除に応じよう」



 





「······そうか、ご苦労だったな、よくやってくれた」

「誰がやっても一緒だったよ、これからは頼まないで」


 帝国軍陣地。

 報告に安堵の表情を隠さず使者の労をねぎらうセフィーナにメイヤは舌を出す。

 同時にヤレヤレと胸を撫で下ろすのはルーベンス大佐や高級幕僚達。

 苦闘数ヶ月、紆余曲折、帝国中部を舞台にして、ようやく東奔西走に約二倍以上の侵攻軍に勝利を収めたのである。

 同僚に握手する者、拳を握り締め喜ぶ者、涙を流す者と様々だが共通するのは勝利のもたらす感情だ。



「ふぅ~」


 上座の椅子に座るセフィーナも大きく息を吐いて、背もたれに大きく身体を預けて天を仰ぐ。

 ようやく勝った。

 ゴットハルト・リンデマンにようやく。


「よくやったね、ここまでセフィーナは頑張った」


 上を向くセフィーナの額に当てられるメイヤの手。

 いつもの抑揚のない口調だが、その言葉には親友への最大級の労いがあった。


「うん」


 頬を伝う涙。

 己の青春の煌めく年頃に迎えた最大の強敵にようやく勝利した喜びに浸る少女であったが······

 その数時間後の夜、まるで英雄姫セフィーナの激動の運命を更に弄ぶかの様な報せが舞い込む。

 それは······



 ベネトレーフ要塞の陥落と帝国皇帝カール・ゼフィス・アイオリアの死であった。



 

 

続く 

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