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銀色のアイオリア  作者: 天羽八島
第七章「逆襲の英雄姫」
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第百九十九話「朝陽、草原の少女」

 何個か架けられたランプの明かりが薄暗く照らす大型厩舎の隅、黒髪の司令官は柱に背をかけて座り込んでいた。

 切れ長の瞳の美しい顔立ちが後世にも語られる彼女であったが、その表情は暗く疲れ切り、矢傷を受け右肩に巻かれた包帯は血に滲んでいる。

 率いる数十名の兵士達も大小の差はあれ無傷の者は殆ど居らず、表情も司令官のそれと同じ。

 一万三千の味方は散々となり残るはここにいる者達だけ。

 敗残軍と呼ぶ以外になにがあろうか。

 帝国親衛遊撃軍第四師団との会戦で惨敗を喫した連合軍第五師団の残兵は戦場であったルイ・ラージュの東にあるロッタという牧場に逃げ込んだが、周囲を親衛遊撃軍第四師団から分派したモルトック准将率いる千名の部隊に包囲されたまま夜を迎え、まさに進退極まっていた。


 


「シア様、肩の包帯を替えましょう、血が滲んでます」

「ありがとう、でも大丈夫よ、痛みもないから」


 歩み寄ってきたルフィナにシアは微笑みを返す。

 

「シア様······」

「ホントに平気だから、あなたも傷を負ってるじゃない、衛生兵には観てもらったの?」

「私は平気です、これくらいの傷で戦えなくなるような訓練は受けていません」


 セフィーナの護衛を完璧にこなす為、幼い頃から厳しい訓練を受けてきた彼女は個対個の戦闘能力では遥かに一般の兵士を上回っていた。

 負け戦の中で軍服の所々が破れ、傷は負ってはいたが全てが軽傷で済んでいる。


「ダメよ、軽傷でも処置はしないと······隣に座りなさい、マードック曹長、治療箱を!」


 シアは柱に預けていた身体を起こすと、若い青年衛生兵から薬品や治療道具の入った箱を受け取り、ルフィナを座らせる。


「え? へ、平気ですから」

「背中も切られてるわよ、上は脱ぎなさい、恥ずかしいだろうけど私なら平気でしょ? マードック曹長、悪いけど少し離れていてくれるかしら」


 シアの指示に衛生兵のマードック曹長は敬礼してその場を去り、他の負傷兵の治療に当たり始める。


「し、シア様?」

「まずは座って、早くしなさい、他の兵士もこの広い厩舎だし暗いから見てはいないわ······」


 赤面するルフィナであるが、シアにそう言われると渋々ながらに軍服の上着とシャツを脱いで座る。


「ほら、上着とシャツを見てみなさい」

「······あ」

「浅いけど大きく切られているのに気づかないなんて、よっぽど必死に戦っていたのね」


 軍服の上着の背中には斜めに入った大きな切れ目が入り、シャツまで裂けて鮮血が付いていた。

 戦いの中で切られたのは感じていたが、かすった程度だと思っていたのだ。

 シアの言う通り浅くはあるが大きく斬られている。


「軍服は補給隊ともはぐれたから代わりは無いけど何とか縫えるかしら?」

「縫うと生地が張って戦いづらくなるから大丈夫です」

「そう、なら背中の傷を消毒しましょう、背中を見せてね」

「お願いします」


 シャツを受け取り、ルフィナはそれを胸元に抱えてシアに背中を向ける。

 シアは布に消毒用液を含ませてルフィナの背中に斜めに入った傷を優しく拭く。


「んっ!」

「痛かった!?」


 傷に染みた消毒液に声を出すルフィナ。

 シアは布をパッと背中から離す。


「だ、大丈夫です、訓練じゃ背中は正面の数倍の耐久力があると教えられて、大切な人は背中で護るように言われてましたから慣れてます」

「だめよ、女の子がそんなことに慣れちゃ······」

「えっ?」

「可愛いんだから安心できる場所くらいでは我慢は止めて可愛く痛がりなさい、きっと周りが構ってくれるから」

「そ、そんなものですか? シア様からそういうお話を聞くとは意外です」


 可愛い顔をして他人を頼る。

 セフィーナ程ではないが、若くして功を立て将官の座を得たシアから聞くにはギャップのある助言に赤面しながらルフィナは振り返る。


「そんなものよ、いつもじゃ困るけど、たまにはそういう顔を見せるのもいいわよ、可愛いかどうかは別として私だってそうしたい時はあるんだから」


 微笑むシア。


「謙遜が過ぎますよ」


 ルフィナはクスリと笑みを見せて、


「シア様は可愛いですよ、現に私はとても可愛いと思ってます」


 と、正直な気持ちを告げる。


「もう······ルフィナもうまくなったわね」


 意外な返しに肩をすくめて苦笑するシアを見つめ、ルフィナはこれから始まるであろう絶望的な戦いの中でも、この人だけは護ろうと改めて思った。


 




 浅い眠りが覚めたのは深夜だった。

 周囲の兵士達の動きが騒がしい。


「動き始めましたか?」

「ハッ、見張りによるとかなり慌ただしく動く気配があるようです、そろそろ夜が明けますのでそれと同時に来るかと思われます」


 シアが立ち上がると、偵察兵の一人が報告してくる。

 ルフィナは既に起きて得物を手にしていた。

 相手は千は越えるだろう。

 対してこちらは厩舎に閉じ籠るとはいえ数十。


「火を放ってこないでしょうか? 心配です」

「ここまで戦力差があると私ならしないわ、領民の経営する牧場の厩舎は大事な資産だからね、数十の相手にそこまでしたら指揮官も能力を疑われかねないし、おそらく牧場主からはなるべく牛も厩舎と無事で、と願われてはいるだろうから」


 不安げな顔をするルフィナの横にシアは立つ。

 少なくとも焼き討ちされるという可能性は低い。

 帝国軍の司令官、それもセフィーナ傘下の者であれば所有者からの願いを聞く耳は持っている筈と考えたからだ。


「でもそんな心配はもう不要よ」


 腰に剣を差すシア。


「シア様······」

「ルフィナ、お願いがあるの」

「え?」

「帝国軍の攻勢が始まって、私が討たれたら······降伏しなさい」

「······!」


 絶句するルフィナ。

 帝国軍の攻撃近しとざわめく味方の兵達にはそれは一切聞こえていない。


「シア様!」

「聞きなさい、もうこの戦いには大した意味はないわ、ここにいる兵達が死ぬのも、あなたが死ぬのも私には耐えられない」

「ならばシア様が死ぬことだってない筈です!」

「仲間に恵まれて下手に調子に乗るとね、要らないプライドのせいで出来る事が出来なくなるのよ」


 自嘲気味に笑うシアにルフィナは首を振る。


「そんな事いけません、シア様が何で!」

「わかって······ルフィナ、わかってくれるでしょ? まぶしくて焦がれ過ぎて、でも負けたくない、私は引き返す道がありながら、それに絶対に協力してくれる友人もいながらにして、もう引き返せないと自分に勝手に言い聞かせて選んだのよ、負けたくないという気持ちがそうさせたのよ」 

「············」


 涙目で沈黙するルフィナ。

 シア・バイエルラインという女性。

 黒髪麗しく、才能にも溢れた彼女だからこそ。

 セフィーナ・アイオリアという稀有な少女が愛おしく、まぶしく······赦せなかったのだ。


「そして、ここまで情けなく負ければ、もういいの」

「シア様······」


 相容れなかったのか。

 セフィーナとシアは相容れなかったのか。

 ボロボロと涙を流す少女の頭をシアは撫でる。


「わかって、なんて卑怯な言い方をしてご免なさいね、あなたには付き合う必要も無い事を付き合わせたわね」

「そんな、事ないです、私はシア様についていきたくて、ついてきただけですから、ありがとうございました」

「私の方こそ、ありがとうね」


 シアが微笑むと、


「夜が明けます! 帝国軍に動きあり!」


 見張りの兵士達が声を上げた。

 いよいよか、死を覚悟した数十名の兵士達が厩舎の扉や窓の影に隠れ武器を構える。

 昇り始める朝陽。


「命令する!」


 シアは腰の剣を抜き放ち、強い口調で兵士達に告げる。


「突撃を私だけで行う! あなた達はその後に速やかに帝国軍への降伏をすること!」


 返事が無かった。

 皆、唖然としていたが、シアは構わず、


「この命令は必ず実行すること、以上です!」


 と、更に告げて厩舎の扉を開け、外に走り出す。


 


 草原。

 朝陽に照らされた草花を蹴散らし走る。

 行く先には帝国軍の包囲網。

 やって来るのは矢嵐か槍衾か。

 どちらでもいい。

 

『せめて······最後にセフィーナ様に······』


 涙で霞む視界。




 そこに、ひとり歩いていた。


「!?」


 バカな、そんな筈があるわけ無い。

 目を見開き脚が止まるシア。

 バカな、バカな、そんな。

 混乱する思考。

 シアの視線の先に······白のワンピースにブーツという格好の銀髪の美少女が一人で朝の散歩をするように歩いていたのだ。


「······」


 夢のような光景。

 呆然とするシアにまるで警戒する様子もなく近づき、美少女はクスッと笑った。


「また会えて良かった、迎えに来たよ」





続く

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