第百九十七話「第二次ルイ・ラージュ会戦」
約一万の連合軍第五師団の兵士を引き連れ北上していたシア・バイエルラインは続々と寄せられる報告に形の良い唇を真一文字に結ぶ。
ゴットハルト・リンデマンとセフィーナ・アイオリア。
現在のガイアヴァーナ大陸を代表すると言っても良い二人の将の戦いがここまで一方的になるとは。
ステラブロッサムの戦いの結果は二人の将を知るシアにとってはその予想を越えていた。
リンデマン率いる連合軍第一軍の主力は既に二万を割り込む戦力までに磨り減らされ再編成を要する状態。
その背後にはマリア・リン・マリナ率いる親衛遊撃軍第四師団が追撃してきており、リンデマンの主力部隊を補給根拠地であるセルウィークまで無事撤退させる為にシアは何としてもそれを食い止めなければならない。
『いや······それだけではこの戦況では足りない、追撃を食い止めるだけではなく、少なくとも親衛遊撃軍第四師団を敗退させなければいけない』
馬上のシアは切れ長の瞳を鋭くする。
追撃を食い止めるだけでは状況は好転しない。
追撃をしてきたマリア・リン・マリナ師団の攻勢を止めるだけではなく、完全に撃破をしなければ。
伝令によるとリンデマンが本隊から三千の兵力を回してくれるというからシアの第五師団は一万三千、一万五千のマリア・リン・マリナの師団との戦力は大差は無く、戦いのやりようによって完全撃破は十分に可能だ。
マリアに続き、クルサードやセフィーナが南下してくる前に先鋒のマリア師団を徹底的に叩く。
これが戦況好転の必須条件ともシアは考える。
『マリア・リン・マリナという指揮官については帝国の大が幾つも付く貴族としか知らないけど、戦績や話からはかなりの知将と見受けられるわ、セフィーナ様が師団を預けるのだから油断は出来る訳がないのだけど······やるしかない!』
只の防戦をするだけではいけない。
シアはより難度は確実に上がるが、ここからでも勝利を獲ようとする決意を固めた。
「このまま親衛遊撃軍第四師団が進んでくるのならば、おそらく我々とぶつかるのは······ルイ・ラージュでしょうか?」
参謀のビスマルク少将が告げる。
ルイ・ラージュは前にセフィーナとリンデマンが一個師団同士で決戦を行った戦場。
結果は東方戦線の結果も相まってセフィーナが北への転進を選び有耶無耶になったが、今回のマリア・リン・マリナとシアの一個師団同士の戦いはそうはいかない。
決着をつけなくてはいけない。
「前方に味方が見えます! 北から撤退してきたリンデマン大将の本隊です!」
情報参謀が大声で指差す。
リンデマン率いる本隊。
第五師団の将兵はその姿に思わず目を疑う。
整然としていた。
整然と、そして粛々としていたが······その姿は大きく磨り減らされ、痛めつけられ、兵士達は皆が大小の差はあれ傷つき俯いていた。
五個師団十数万を数えたリンデマン率いる第一軍本隊はいまや二万を大きく割り込んだ一個師団と変わらない戦力まで落ち込んだ敗走軍である。
「左手本隊、すれ違います」
「エルゲイラ准将の三千の部隊が我々に合流しました」
南に撤退していくリンデマン本隊と北に敵を迎え撃つシアの第五師団がすれ違う際、比較的負傷や疲労が少ない者が本隊から第五師団に加わる。
「行軍のまま敬礼!」
シアの指示に従い、敗軍の味方を励ますかの様に第五師団の将兵が行軍のまま敬礼する。
本隊の将兵達もそれに返礼するが、中には疲労や負傷で手を上げるのがやっとの者、それすら出来ない者までいた。
「······リンデマン大将」
敬礼のまま満身創痍の敗走軍の殿にリンデマンを見つけるシア。
愛馬に同乗したヴェロニカと一緒にリンデマンもこちらに敬礼をしている。
遠目であるが互いに交わす視線。
その表情まで詳しく観察できた訳でもないのに、ゴットハルト・リンデマンが現在の敗軍の将という立場を自分なりに必死に勤めようとしているようにも見え、シアは胸の奥から沸き上がる複雑な想いに唇を噛み締めたのだった。
一方、敗走するリンデマン本隊を追っていたマリア・リン・マリナに率いる親衛遊撃軍第四師団に連合軍第五師団の援軍が知らされたのは比較的早い段階だった。
連合軍により占領、通過や補給などを許していたとはいえ、その実態は依然として帝国領内であった各地の帝国軍情報網は活きており、その報せを副官であるカナヘル大佐に伝えられたマリア・リン・マリナはこの段階で救援がくるかなぁ、とにかく早いなぁ、とため息をついた。
「そうですね、流石はシア中将という所です、それではどうなさいますか?」
「へ?」
「へ? ではありません、我々とほぼ同数のシア・バイエルライン中将の率いる部隊が敵軍主力と我々の間に割り入ろうとしているのです、後方のセフィーナ様の主力を待つなり、このまま進むなりと対応を考えませんと」
「ああ······ああ、そう、そうですよねぇ」
素っ頓狂な返事に焦れた様子を隠さなくなったカナヘルにマリアはコクコクと頷き、
「じゃあ、このまま進んで早くシア中将をどうにかしてから、改めてリンデマン大将を追いかけ続けましょうねぇ」
と、眼鏡をクイと上げながら笑顔を見せた。
シア・バイエルライン中将率いる連合軍第五師団とマリア・リン・マリナ少将率いる帝国親衛遊撃軍第四師団が合間見えたのは数時間後、ビスマルク准将の想定どおり先日、セフィーナとリンデマンが激戦を繰り広げたルイ・ラージュであった。
「突撃開始!」
先頭に立つシア・バイエルラインの号令に鬨の声を上げ、足元の草花を蹴散らして進む連合軍第五師団の将兵達。
先手を取る。
これがシアの選択肢。
互いに衝突不可避。
迎撃体制を取りながらリンデマンの本隊を南に退避させる時間を稼ぐという手もあるが、それは同時に北にいるセフィーナやクルサードの来襲を待つと同義になってしまう。
ならばこの状況からの逆転勝利を手にする条件であるマリア・リン・マリナの親衛遊撃軍第四師団を早期に撃退するには先手を取り続けて、この戦場で圧倒するという考えに至ったのだ。
「来ました! 敵軍は全面攻勢です!」
カナヘル大佐の報告にマリア・リン・マリナは頷き、横陣に並べた将兵達の真ん中に立つ。
迫る連合軍第五師団。
マリア・リン・マリナはユックリ手を上げた。
「正面······角度水平そのまま······」
「正面角度水平そのまま」
カナヘルがマリアの言葉を緊張気味に復唱する。
両軍部隊の距離は縮まり、弓での撃ち合いが始まるがマリアの手はまだ挙げられたまま。
彼女の両脇に控える数百の兵士達も筒状の物を構えたまま、動かない。
「······!?」
「あれは?」
突進の先頭に立つシアと参謀長のビスマルク准将は馬上で帝国軍中央の異変に気づく。
だが······遅かった。
マリアの腕が振り下ろされる。
「撃ち方はじーめっ!」
「撃ち方始めっ!!」
マリアとカナヘルの合図と共に戦場に響き渡ったのな誰もが聞いたことも無いような雷音であった。
「なっ······!?!?」
稲妻が落ちたかのような轟音の連発。
帝国軍中央に灰色の煙が立ち上ったかと思うと、鋭く風を切る音と共にシアの横にいたビスマルク准将が疾走する馬上から後方に吹き飛ばされた。
「ビスマルク准将!!」
轟音に驚いた馬が鳴き声を上げ立ち止まってしまう。
どうにか手綱を引いて落馬を防ぎ、ビスマルクの方を振り返るシア。
音に驚いた馬に振り落とされたと思ったのだが······そうではなかった。
ビスマルク准将の鎧の胸板は大きく破れ、鮮血が赤く染め、息も絶え絶えであった。
「こ、これは······」
周囲を見回す。
予想外の轟音に驚き突撃の脚が止まる兵士。
混乱して前進を拒否する馬。
そして······弓よりも遥かに速い何かに右腕を吹き飛ばされ地面にのたうち回る兵士。
それを見て唖然とする周囲の者達。
「次! アプシーセン!!」
またマリア・リン・マリナか腕を振り下ろすと、戦場に再び雷音が落ち、煙が舞う。
「!!」
風切り音。
何かが命中した馬が血まみれで騎乗者を振り落とし、顔面にそれを受けた兵士の首が吹き飛ぶ。
馬は訓練された軍馬でも音には敏感で、更に聞いたこともない轟音ともなれば尚更だ。
シアの馬も例外ではない。
「ああっ!」
必死に落ちまいとしたがシアの馬も正気を失い、彼女を無理矢理に振り落とす。
草原に投げ出され転がり、土まみれになる。
「くううぅ!!」
落下の衝撃に顔面を歪めながらシアは四つん這いで周囲を見渡し、思考を巡らす。
『そういえば噂では聞いた事がある、皇帝直轄軍に配備され始めているという新兵器······これなの?』
帝国軍の将官の一部で話題になっていた。
恐るべし威力を誇るが製造技術がまだ追いつかない為に量産が出来ない上、その使用に必要な薬物が少量しか採れず実用化はかなり先だろうと言われていた新兵器があると。
まさか······これが。
耳に残る轟音の反響が止む前に再びそれが響き渡った。
突撃どころでなく大混乱する連合軍第五師団。
マリア・リン・マリナは手を挙げてそれを見据える。
「閣下! ブリッツ部隊からは一斉射撃が出来るのはあと二回だと言ってきてます! 炸裂薬という弾を撃ち出す薬かもう無いそうです」
「じゃあ、ここで全部撃っちゃいましょう! どうせ後に取っておいても仕方がないんでぇ、ではアプシーセン!!」
振り下ろされた合図に再びの雷鳴。
「スゴい威力ですな!」
ブリッツという秘匿名が付けられたそれの威力に思わずカナヘルは感嘆する。
筒状の本体から炸裂薬物と呼ばれる薬物を爆発させ、人の拳大の鉛弾を撃ち出す新兵器。
本来ならば帝国首都フェルノールの防衛の為、かなりの突貫作業と無理をして用意されたそれをマリア・リン・マリナが首都防衛司令官であるリチャード・アイオリアに交渉し、全て持ち出してきてきた代物である。
その数は八百。
撃ち出す鉛弾はともかく、爆発に耐える本体と射撃装置の生産、そして炸裂薬物の精製が難しく現在の段階では量産は不可能とされている秘密兵器だ。
「確かに威力はスゴいですけど、重いから持ち運びは大変だったし、もう弾もありませぇん······それに音がスゴいし初めて見るものだから敵軍も大のつく混乱してますけど、実際に弾に直接当たってやられてる相手はそんなにいなそうですよぉ、凄いビックリしてるだけで」
マリアはそう言いながら目を凝らして大混乱に陥る連合軍第五師団を見据えた。
「確かに······まだ数が必要ですがブリッツが量産されれば帝国の戦況打開のきっかけになるに違いありません」
「あ~、そりゃ無理ですねぇ、私達だけがこの兵器の恩恵を受けられるのは精々今回までですよぉ」
新兵器ブリッツの威力に心酔した様子のカナヘルだったがマリア・リン・マリナは苦笑して首を振る。
「帝国がこれを完全に物にした時はきっと連合軍も似たような物を悪くても半数は持ってますし対策も互いにします、連合でもこれに似たような物は既に研究段階にでも筈ですよ、所詮、兵器は兵器、一回の戦いを左右できても歴史までは左右······はねぇ、それが出来るとしたら使ったら全員死んじゃうような悪魔の作ったような武器だけですよぉ」
「そ、そんなものですか?」
何か確信めいた上官の態度に戸惑うカナヘル大佐。
そんな彼にマリア・リン・マリナはにっこり笑い、
「そんなものですよぉ······とりあえず今はこれのお陰でシア中将とマトモにやり合う事をしなくて良かった事に感謝するくらいですよぉ······とりあえずはこの勝機を逃さず、もう一斉射の後で全軍突撃をよろしくお願いします」
と、この第二次ルイ・ラージュ会戦を呆気なく終わらせる為の指示を命じた。
続く




