第百九十四話「決着 ―最終決戦④―」
「こうなればリンデマンは流石に退くだろう、我々のこの防御陣を打ち破るには時間がかかる、そうすれば北上してきたクルサード、マリア両中将に背後を突かれる可能性が高い」
「奇襲である反転攻勢をセフィーナ様に看破された状態での各個撃破の強行はありえないな、今ならすぐに南に再撤退すればクルサード、マリア師団を上手く躱して、セルウィークに退ける可能性もある」
帝国新鋭遊撃軍セフィーナ師団の幕僚達は自分達の敷いた防御陣を前に動きを止めた連合軍第一軍を見つめて呟き合う。
連合軍第一軍は二倍以上の戦力を有してはいるがセフィーナ師団は簡易であるが陣地を構築している。
少しでも手こずれば、アルトゥラで再編成中の連合軍第九、第三師団を撃破したクルサード、マリア・リン・マリナ師団が背後に襲いかかってくるのだ。
この場での戦闘は無いだろう。
そんな予測が支配的であった中、一人だけそれに異を唱えた者がいた。
「アイツ、絶対に来るぞ、臨戦態勢を崩すな」
それは腕を組み、鋭い瞳で彼等を睨んだのはセフィーナであった。
愛馬の背の上、メイド服の少女を自分の前に乗せた男は静かに目を閉じた。
二代続いて高級軍人を輩出した家に産まれ、古代、近代の英雄達の戦い振りに憧れて本や資料を読み漁った少年の日。
英雄達の様に輝く為、迷いなく士官学校に進んだ日。
決して多くはなかったが気の合う同期や後輩たちと戦略、戦術の研究に明け暮れた日。
学生の身ながらに現役の参謀相手に演習で完勝した日。
軍務生活を始め、現実と理想の違いに苦悩した日。
やがて頭角を現し、軍功を幾つも上げた日。
しかし、軍功が上げれば上げるほどに増えていく周囲からの嫉妬に舌打ちをした日。
美しくも人ではなく物として扱われていた少女に会った日。
親しい者達の努力にも関わらず軍を追放された日。
軍に復帰、再び軍功を上げ、復活を噛み締めた日。
そして······己の軍事的才覚を越えようかという天才が目の前に立ちはだかった事を認めざる得なかった日。
「御主人様······」
愛馬に一緒に跨がるヴェロニカが振り返るとリンデマンは目を開けた。
主人が心の平静を乱さないような小声だった。
少女はいつもよりも一層、自分に気を遣っている。
理由は明白。
ゴットハルト・リンデマンの軍務経験において、ここまで己の打つ作戦が裏目を引く結果になる事は無かった。
完全に手の内を読まれている状態であったからだった。
「これから······どうなさいますか?」
連合軍第一軍が置かれた危機的状況。
彼女はそんな事は主人は解っているだろうが、敢えて決断を促す様に言ったのだろう。
全面退却を偽装して急反転、追撃してきたセフィーナの師団を各個撃破の標的にするという作戦は読まれていた。
たが作戦が終了した訳でない、不利な状況だからと言って参ったと止められるのは盤上の遊戯だけだ。
実際の軍司令官は例えどのような不利であろうと次の行動を決断し続けなければならない。
「なに、ものの見事に私の策が読まれているが、まだ私は敗戦はしていない、各個撃破成功の可能性はまだある、負けたと自分が認めた瞬間に敗者に決定するのだ、私はまだ諦めていない、ヴェロニカも力を貸してくれ」
そう静かに笑いかけ、ヴェロニカのショートボブカットの黒髪に軽く頬を当て、数秒の後にそれを離すと、リンデマンは周囲の味方を見渡して拳を振り上げた。
「全軍突撃せよ、敵軍の援軍が到着する前に必ずや相手の防衛陣を突き破る、そうすればセフィーナ・アイオリアを虜にし、我々の勝利が確定するのだ!」
「連合軍は退却しません! こちらに突撃してきます、クルサード師団やマリア・リン・マリナ師団の到着する前に我々を殲滅するつもりです!」
二個師団以上の連合軍の突撃が開始されると、セフィーナ師団の幕僚達は騒然とした。
彼等の予想は外れた。
瞳を閉じたまま、だろうな、と呟き、セフィーナは顔を上げて眼を開く。
「諸君らの思う通りリンデマンは慎重派だ、戦場での離脱は躊躇ない、しかし不利な状況でも逆転に一縷の望みがあるのならば、我々の敷いた防衛陣に向かって全軍突撃して、己の戦術的手腕で一分の確率から勝利を獲ようとする諦めの悪い男だ、そんなヤツに勝利を諦めさせるのだから一苦労だ、こちらも覚悟を決めろよ!」
稀代の戦略家が不利を覆すべく全力で突撃してくる。
味方を待てばいい防衛戦という有利な立場であるにも関わらず不安な顔立ちの幕僚もいる。
だがセフィーナの表情には不安や恐れは無い。
いよいよ近い決着にその瞳は普段よりも高揚して見えた。
「お前も必死だな、だが······リンデマン、私も私なりにお前に勝とうとこれまで必死だった、それが実ろうという時だ、私も私なりに精一杯やらせてもらうからな、全員配置につけっ!」
セフィーナの響く切れの良い指示。
幕僚達も敵軍の名将を恐れるよりも、まだ二十歳にもならないが祖国を何度も救ってきた少女を信じるのが賢明と悟り、ハッと一斉に敬礼をして各々の持ち場に走り出した。
攻めるリンデマン二個師団超の約三万五千。
守るセフィーナ一個師団約一万五千。
各々の編成はここまでの戦いもあり定員編成ではないが、その兵力差は優に二倍を越える。
だが帝国軍は簡易であるが陣地構築もしている守り戦、そう遠くない後に援軍も駆けつけるという状況も考えれば、どちらが有利かと問われれば七割の者が帝国軍の優勢と答えるだろう。
しかし、決して逆転不可能な差ではない。
リンデマンの指揮がセフィーナを上回り、ほんの少しの幸運にでも恵まれれば、セフィーナ本隊を援軍が駆けつける前に打倒できる可能性は皆無ではない。
それがセフィーナ・アイオリアとゴットハルト・リンデマンの事実上の最終決戦であるステラブロッサム会戦開始時の状況であった。
リンデマンが直接率いる連合軍第十六師団の突撃。
「近づけさせるな!」
セフィーナの号令一下。
帝国軍の陣地から第十六師団の接近にまるで人に近づかれた巣からの蜂の襲来の如く降り注ぐ矢嵐。
たちまち百を越える連合軍兵士が矢に倒れるが、
「怯むな、止まるな、前進を続けよ!」
馬上で剣を抜き、前進を指示するリンデマン。
更なる矢嵐が降り注ぐが、二万近い第十六師団の前進を止めるには至らない。
十数人の護衛隊の少女と共にセフィーナの横についたメイヤがアックスを構える。
「くるね······」
「うん、これくらいじゃアイツは退かないさ、引き付けてもう一斉射、後は白兵戦だ······でも出過ぎるな、相手を追い返せば良いのだ、あとルーベンス、各指揮官にはこちらの指示に細心の注意を払って、迅速に動けるようにと念を押して伝えておけ!」
メイヤに頷くと、セフィーナは傍らの副官のルーベンスに振り向いて命令を下す。
「了解しました、伝えます!」
敬礼して伝令を走らせるルーベンス。
セフィーナは再び視線を前に見据えた。
更に迫り来る連合軍。
「放て!」
帝国軍陣地からの再三の矢の雨が降り注ぐ。
何百かの兵士が倒れるが、遂に連合軍第十六師団はセフィーナ師団の陣地にたどり着く。
「敵陣は簡易陣地だ、正面から突破せよっ!」
馬上のリンデマンが叫び、連合軍第十六師団の兵士たちは更に大きな鬨の声を上げて突撃する。
用意された柵を大槌で打ち倒す者、それをさせじと弓を射る者、柵の間をすり抜け帝国軍兵士と格闘戦に突入する者、前線では乱戦が始まった。
親衛遊撃軍セフィーナ師団と連合軍第十六師団。
どちらもここ数年の働き著しい歴戦の師団のぶつかり合い。
言わば両軍の一番の功績師団同士の最強決定戦とも一見は見えるが······
「少し押されてるな、相手が流石に強い」
セフィーナは眉をしかめた。
まだ表面化するほどの劣勢ではないが、セフィーナ師団は僅かであるが押されているのを肌で感じた。
守り戦のお陰でどうにか五分だろうか。
「仕方ないよ、こっちは五月には補充された新兵が二割以上いたんだから、それでもここまでで結構立派にはなったよ、相手はあのリンデマンが鍛えてる連合軍の最精鋭なんだからさ」
「うん」
メイヤに頷くセフィーナ。
言っている通りだ。
親衛遊撃軍にはこの連合軍の侵攻作戦を受けて補充された新兵がかなりいた。
新兵達もここまでの戦闘で逞しくなってきてはいるが、まだ戦闘経験は足りず、対してリンデマンが育て上げた連合軍第十六師団の動きには高い練度が観てとれる。
おそらく普段の調練からして良く考えられたカリキュラムをしてきているに違いない。
「そういう軍を育てる手腕にしてもリンデマンは見事だな、私はまだまだ未熟だ、もう数ヵ月も私の麾下で戦わしているというのに一人前に育て上げられてない」
「昔から軍人やってるヤツに経験が必要な事で敵うかよ? せめてどうにかでも勝てるところだけ見つけて勝つしかないよ」
「全くもってメイヤの言うとおり、反論不可能、敵う所を見つけて勝つしか······ないか」
メイヤの答えに再び納得して頷き、セフィーナは両軍がぶつかり合う戦場を睨み付ける。
「でもさセフィーナの立てた作戦はいつも大抵は上手くいってるのにさ、なぜ毎回どこかで苦戦するかな? もしかしたら運が悪いのかな?」
「そんなの慣れっこさ、運なんて戦場じゃ皆平等、自分の思ったことが全部が上手くいくヤツなんて戦場にはいないよ、皆が何よりも大切な命を懸けてるんだからな」
メイヤのぼやきにセフィーナは目線を戦場から外さず、口元を緩める。
上手くいかない。
思うようにはならない。
戦場などそんな物だ。
初めて従軍してから五年以上が経つ。
その間の功績はガイアヴァーナ大陸に並ぶものがいないとまで言われるセフィーナであったが、戦記小説や過去の戦記伝記の英雄たちがそう書かれていたように、
「神のように戦場全体を支配する」
など、出来た試しが無かった。
上手くいった筈が実は思った以上の損害を出していた。
想像以上に相手に粘られた。
勝ち戦でもそんな事ばかりだった。
相手の意図を精一杯読み切ったつもりだったが、予想外の事が起きてしまう。
何百、何千、何万もの人々が関わり合う戦場の全てを思う通りに動かす。
薄ら笑いを浮かべながら己だけが戦場の全てを制する。
「そんな事出来てたまるか! 皆が必死になってるんだぞ!? その中で全てが自分の思い通りになんてなるか!」
強くそう思う。
だからこそ······余計な事など考えず、少しだけでも勝つために全身全霊をかけて必死になるのだ。
少しだけでもいい。
相手よりも必死に考え、相手を上回るのだ。
「連合軍が押してきます! 小部隊ですが司令部に近づく敵もいます、司令部を少し下げませんと······」
「ダメだ! 死守しろ、後方の第四大隊を投入して追いかえせっ! この司令部に近づくヤツは······メイヤ、蹴散らしてこい!」
連合軍の凄まじいまでの圧力。
師団司令部の近くまで連合軍の兵士が迫り、ルーベンスが退避を促して来るが、セフィーナはそれを拒否、後方の第四大隊を投入する命令を下し、メイヤに対して司令部に近づいてきた連合軍の小集団を指差す。
「わかった! クレッサ、しばらくここは任せた!」
メイヤは馬に跨がり、セフィーナの護衛をクレッサに任せると数十人の兵士を従え司令部に近づく連合軍部隊に切り込む。
「オラオラ、セフィーナにちかづくんじゃねぇ!」
抑揚の無い叫びを上げつつ、メイヤは連合軍の小部隊の兵士たちに容赦なく得物のアックスを叩きつける。
メイヤの武勇に恐れをなしたか、司令部に近づいていた小部隊は下がっていき、押されていた前線も後方の第四大隊を投入した事により帝国軍が押し返す。
帝国軍の危機は去ったかと思われたが······
「よし、ようやく後方の戦力を動かしたな、今だ!」
それに鋭く反応したのはリンデマン。
第十六師団の攻勢に押されていたセフィーナが陣地の後方を守る部隊を動かすのを待っていたのだ。
「シェルヴァルト中将の第十四師団に連絡、予定通りに迂回機動でセフィーナ師団の後方に全速力で回り込み、攻勢を開始するようにと伝えろ! 手薄になった後方から敵を崩すんだ!」
リンデマンは攻勢開始から動かしていなかった味方のシェルヴァルト中将の第十四師団に命令を下す。
第十六師団司令部から大きな旗が連合軍後方に控えていた第十四師団に振られる、予め決めていた動きをするように合図をするならこれで十分な命令伝達方法だ。
「了解した! 全軍全速力で帝国軍の後方に回り込んで、セフィーナ姫の尻を思いっきり叩くぞ!」
シェルヴァルト中将が力強く部下達に下命すると、第十四師団の兵士達はオオッと声を上げて動き出す。
「指示どおりシェルヴァルト中将が動き出しました!」
幕僚の報告にリンデマンは小さな相槌を打ち、
「よし、我々は一旦退いて陣形を再編成、鶴翼に開いてから再び全面攻勢開始! 全面的な圧力を前からかけ、そこをシェルヴァルト中将に後方から防御陣地を完全に崩させるんだ!」
と、抜き放った剣を前方に振った。
「敵軍後方に待機していた連合軍第十四師団が大きく迂回しながら我々の後方に回り込むように機動を開始!」
親衛遊撃軍司令部にルーベンスの声が響く。
「前方の第十六師団の攻勢が止みました! 一旦下がる様です!」
それに合わせ、前方のリンデマンの第十六師団が攻勢を一旦止めて下がり出す。
「どうするつもりだ!?」
「············」
騒然とするセフィーナ師団の幕僚達。
セフィーナは直立で腕を組み眼をつぶった。
与えられたのはおそらく短い時間、その間にこちらも次の動きを決めなければならない。
「セフィーナ様、我々の後背に敵軍のもう一個師団が回り込みつつあります、前方の守りに回した第四大隊を再び後方に回しませんと後方の守りが薄くなります、危険です」
「前方の敵が攻勢を止めている間に済ませましょう、おそらく前方の敵は後背に回ったもう一軍に合わせて陣形を替えるつもりです、こちらも第四大隊を後方に回し、改めて防御陣を組めば味方の来援まで支えきれる筈です!」
彼等からの意見具申が告げられる。
当然の極めて常識的な判断。
だが······セフィーナはそれに反応せず、数秒間の沈黙の後で眼を開いて呟く。
「今だ、全軍突撃の準備をせよ······」
「えっ!?」
小さな声だったが、問題は音量よりも内容だ。
薄く整ったセフィーナの唇の呟きから出たのはあまりにも予想外の単語であった。
幕僚達やメイヤ達護衛隊の少女達も唖然としてセフィーナを見つめてしまう。
「セフィーナ、なんて言った?」
困惑の者達を代表したメイヤ。
セフィーナは彼女を睨むように向き直る。
「突撃だ、突撃、ようやくリンデマンに勝てるぞ! 全軍、前に向かって突撃! 馬を用意しろ、私に続けっ!」
今度は先程の呟きを補完するかの如くの大声。
「早くしろっ!」
そう叫ぶと銀髪の英雄姫は爛々とした表情で護衛の少女が牽いてきた愛馬に跨がり、
「急げっ! こんな単純な命令を私に何回言わせるつもりだっ、全軍突撃だ、全軍突撃!!」
と、まだ命令が信じられないといった様子の周囲の者達を一喝したのである。
響き渡る鬨の声。
「ご主人様!!」
異変に気づいたヴェロニカの声に顔を上げたリンデマンの視界に飛び込んできたのは己を守っていた陣地をかなぐり捨て、自分達に突撃してくる帝国軍。
「······なに!?」
リンデマンは大きく眼を見開く。
ここで攻勢に出てくるのか!?
防御戦に徹していれば来援が来るのに!?
現実に対して思考が問う。
セフィーナ・アイオリアという将が機動攻勢の色の強い将であることは解っている。
相手に合わせて戦術を決めるというより、自分の動きから先手を取り続け勝利を手にする。
だからと言って常にそうではない。
ここは守るべき場面。
その判断がつかない将ではない筈だ。
なぜだ!?
我々の動きを観て防御戦を棄てた?
いや······違う。
そうだ······セフィーナ・アイオリアが大規模戦闘で初めて名を響かせた戦い。
第四次ヴァルタ会戦。
「あれと同じだ······」
リンデマンは呟く。
二個師団の連合軍に対して半個師団という戦力。
来援する二個師団の味方を古城で籠城して待つと見せかけ、古城自体を巨大な炎の罠に変えての攻勢。
守ると見せかけて牙を磨いでいた。
守るのではなく、己が勝つつもりだった。
それと同じなのだ。
「······陣形を戻せっ、このままでは突破される! 開いた両翼を戻させるんだ!」
叫ぶリンデマン。
幕僚の誰も答えない、いや答えられなかった。
薄く鶴翼に開きかけた第十六師団の中央部にセフィーナ師団が既に紡錘陣形突撃で達したのだ。
阿鼻叫喚の怒号と剣戟がたちまち周囲を支配する。
「両翼から相手を挟み込ませ、中央は退くんだ、縦深を付けて敵軍の攻勢を受け止めろっ!」
突撃に対して柔軟性を以て対処を試みるリンデマン。
だが······
「おそいっっ! 強引に突き破れっ!」
師団の先頭に立つセフィーナは馬上で剣を振るいながら、躊躇無く更なる進軍を指示する。
訓練された連合軍第十六師団の動きは早かった。
鶴翼から両翼は閉じ、中央は突撃に対して下がる。
攻勢を受けながらも指示通りに動いたが間に合わなかった。
これがリンデマンが初めからセフィーナの突撃を予想してたならば、見事な縦深包囲となったのだろうがそうではない。
一見すると半狂乱的とも取れるセフィーナ師団の突撃が奇襲的な速度において訓練された第十六師団を上回った。
「ご主人様、突破されます! 降ります、降りて奴らを止めてごらんに入れます! セフィーナ自身を止めれば進軍は鈍るに違いありません!」
敵味方入り乱れる中、ヴェロニカはリンデマンの馬から降りようとするが、
「これだけの乱戦ではセフィーナ自身など探せない! それにもう無理だ、このままではいかん!」
額に流れる汗を感じながら、どうにか対応策を講じなければいけない状況に周囲を見回しながらもリンデマンが出来た事はヴェロニカの腕を掴むだけだった。
それから数分の後、激戦の中で遂にセフィーナ師団は第十六師団の中央突破に成功した。
「セフィーナ! 中央突破出来そうだ!」
「よしっ、今度は右だ、右旋回だっ! このままの勢いでリンデマンの左翼の背後に喰らいつけっ! 絶対にこちらの方が速い!」
一騎当千と暴れながら叫ぶメイヤ。
セフィーナも連合軍兵士を愛馬を踏み倒して、命令というより怒鳴りつける。
中央部を突破したセフィーナ師団は勢いのままに右に大きく旋回しつつ、第十六師団の左翼の後背を突こうとする。
鶴翼を閉じようとしていた第十六師団の左翼もこの動きに慌てて中央からの命令を待たず、反転して迎撃対応をしようとしたが、両軍のスピードには差があった。
大回りをするがスピードに乗った外線運動をするセフィーナ師団に対し、鶴翼を閉じようとした動きから後背に対する内線運動は到底間に合わない。
「いかんっ! 対応しては間に合わん! 左翼部隊にはそのままセフィーナ師団に背中を見せたまま、離脱を図らせるんだ!」
左翼部隊の動きに叫ぶがリンデマンの指事は届かない。
突破を許した師団中央部は兵力はかなり残っていたが、もう両翼に指示を伝える指揮の繋がりが欠損していた。
「突破せよ!」
十分な指示が届かず、対処も間に合わなかった第十六師団左翼の崩れた後背に飛び込むセフィーナ師団。
もちろんセフィーナ師団の隊列も世辞にも綺麗な紡錘陣形では無かったが、その破壊力は十分であった。
後背からの突撃にたちまち崩れる第十六師団左翼。
「こうなればセフィーナ・アイオリアだけでも巻き添えにしてくれるっ!」
左翼を率いていたリモンディー中将は崩れた味方から数十名の兵士を引き連れ、セフィーナ師団の司令部めがけて突き進む。
確率の低い賭けであったが周囲の兵士達の奮闘とセフィーナが常に己を師団の先頭に置く気質から、リモンディー中将は銀髪の英雄姫を視界に捉える。
「私は連合軍第十六師団リモンディー中将である! セフィーナ・アイオリア、我の刃を受けてみよ!」
馬上で堂々と名乗り上げるリモンディー。
それはセフィーナの視界にも入っていた。
「望むところだ、セフィーナ・アイオリア上級大将! 名乗り受けて逃げるものかっ!」
「やめっ······」
剣を抜き放ち応じるセフィーナ。
一騎討ちとは何事か、これまでも何度かあったようにメイヤがそれを止めようとするがセフィーナは馬に鞭をくれ、それを振り切ってしまう。
「いくぞっ!」
「こいっ!」
両将の剣が煌めき騎馬が交差する。
己の胸にめがけて突き出される敵将の刃。
セフィーナの剣はそれを全力で上空に弾き飛ばす。
「うおっ!?」
その動きの切れと重さにリモンディー中将は思わず剣を手放してしまう。
舞い上がった剣は地面に堕ちた。
「決まったな、覚悟せよっ!」
武器を失った敵将に馬を翻し向き直ろうとするセフィーナ。
だがリモンディー中将は武器は失っても、闘志は失っていなかった。
「まだまだぁ!」
「!?」
リモンディー中将は馬から飛び、素手でセフィーナに飛びかかったのだ。
そこを刺す時間はあったがセフィーナはリモンディーの闘志に圧された。
馬から揉んどり堕ち、リモンディー中将にのし掛かられてしまう。
「し、しまった!」
「英雄姫、お命頂く!」
たちまち首にかかる両腕。
「ぐ······あっ!」
苦悶するセフィーナ。
更にかかる圧力。
剣で刺そうにも距離が近すぎる。
「しねぇ!」
「あぅぅぅぅ······うぶっ!」
鬼の形相の敵将。
強すぎる圧迫。
薄くなる意識。
その中で······膝が最後の力を振り絞って大きく動いた。
ドゴォ。
「······!!」
股間への強烈な膝蹴り。
声にもならぬ呻きと共に鬼の形相の敵将の顔が歪み、一瞬だけ気道への圧力が弱まった。
相手の左手を強く引き、己の身は右に回転させる。
メイヤに教わっていた寝技。
リモンディーとセフィーナの身体の上下は入れ替わり、セフィーナが敵将に馬乗りになる。
「······!!」
無論、躊躇は無い。
リモンディーの反抗の動きよりも遥かに速く、セフィーナの右手に持たれていた剣が彼の首に突き立つ。
吹き上がる血飛沫。
呼吸を血液に阻害されパクパクと泡をふくリモンディー。
「はぁ、はぁはぁ······はぁ」
返り血を拭いながら立ち上がるセフィーナ。
数十秒にも満たない敵将との闘い。
「こ、これも······い、戦だな、わ、忘れんぞ!」
セフィーナはリモンディーを一瞥してから、慌てて駆け付けるメイヤやルーベンスに向かい、
「構うな、今度は敵軍右翼に正面から飛び込む! 第十四師団も対応してくるだろうが、構わずに戦え! もうこの戦場は我々親衛遊撃軍の物だ!」
と、大声で告げた。
この戦場は我々の物。
そのセフィーナの言葉は正しかった。
中央突破、左翼部隊の壊滅を受けて、リンデマンは第十六師団右翼を率いて無傷の第十四師団と合流、セフィーナ師団の更なる突撃を受け止める形となった。
倍の戦力を要していた筈の状況からの苦戦と思わぬ攻守の入れ替わりに士気は下がり、数的にはまだ劣勢の筈のセフィーナ師団の正面攻撃に連合軍は想像以上に圧され続け······それから数時間後、遂にクルサード、マリア・リン・マリナの両師団が戦場に迫るという報告にゴットハルト・リンデマンは全面撤退という決を下す他に無くなったのである。
続く




