第十九話「バービンシャー動乱 ー教授講義ー」
ホテルのロビー。
テーブルの上のケーキをフォークで切って口に運び、続いてティーカップの紅茶を含んだ男はあからさまに不機嫌な顔をした。
「どちらもあまり合わんな」
「かしこまりました、では私が厨房にいって新しく用意しましょう」
「待ちなさい、待ちなさい、ヴェロニカ」
テーブルにつく金髪の男の不満を即座に解消するのが当然と、側に立っていた黒髪のショートボブカットのメイドが頭を下げ、厨房に向かいかけるのを栗色の髪のソバージュを肩まで伸ばした女が止めた。
「何か、アリス少将?」
「どうした? なぜヴェロニカを止めるんだ、アリス?」
「どうもないわよ、リンデマン! 私達はホテル側の好意でここにいる訳、ケーキにも紅茶にも口の方を合わせなさい!」
素で不思議そうな顔を見せてくるゴッドハルト・リンデマン中将とそのメイド兼副官の特務少尉ヴェロニカことヴェロニカテローゼに、アリス・グリタニア少将は慌てて怒鳴る。
第八次エトナ会戦で勝利を収めたリンデマン率いる連合軍第十六師団。
南部諸州連合の首都的役割のアルファンス州エリーゼに凱旋となる筈が、バービンシャーで大規模な動乱の報を受け、統合本部よりラクシャーサ州の北部の中都市であるマーガレッタに駐留して戦況を伺うようにという指示でエリーゼでの凱旋は中止となった。
だが駐留地に過ぎないマーガレッタでも今回の勝利の報はつたわっており第十六師団は熱烈な歓迎を受け、市長から駐屯中は師団司令部は都市部中心の高級ホテル・マーガレッタへ是非にと招待されていたのである。
「相手がこちらを歓待したいと言っているんだぞ、下手な遠慮は却って失礼だろう」
「と、御主人様が仰せです」
「じゃあ上手な遠慮を覚えなさいよ、せめて紅茶やケーキの好みを伝える程度にしなさい」
「仕方がないな、じゃあヴェロニカ、そうしてくれ」
「かしこまりました、ではご主人様の好みを伝えて参ります」
抵抗を諦めたリンデマンに促され、厨房に歩いていくヴェロニカを見送ると、アリスは小さなため息をついた後、再びテーブルに乗せられた地図を指差す。
「ところで貴方はどう思うの? あなたが討伐軍の司令官なら何処から取りかかる?」
地図は帝国西部地方の物。
ファンタルク荒地を中心に西にバービンシャー、北にコモレビト、南にエトナ、東にコーセットという現在起きているバービンシャー動乱の図である。
「討伐軍はあのセフィーナ・ゼライハ・アイオリアが総司令官か、まさか君は私と彼女を比べるつもりかい?」
「いやいやぁ、実地であのリンデマン教授に戦略講義を受けられる機会を見逃さないだけよ」
あからさまな調子のいい演技をみせたアリスに、まぁいいと前置きをしたリンデマンは逆にアリスを顎で差す。
「ならまずは生徒の君が回答してみたまえ、採点してあげるから、君は士官学校首席らしいが、君に続き既に二十人近い士官学校首席が誕生してるんだ、後輩に追い抜かれぬよう張り切りたまえ」
「この……相変わらずね」
その手のやり合いでは敵わないと相手を睨み付けて、アリスは既に個人的にも師団副司令としても用意してあった答えを切り出した。
「まずは南のエトナ城からよ、唯一陥落していない味方だし、ここの膠着した戦線から味方を助け出すのが一義だわ、上手くいけば城の味方との効率的な挟み撃ちが出来るだろうし、おそらく東のコーセットや西のバービンシャーから援軍が駆けつけてくるだろうから、それが到着する前に電撃的に戦いを決めて味方を助けなきゃ」
「なるほどな、電撃的に勝負を決めたら?」
「今度は救援に駆けつけてくるバービンシャーからの援軍にこっちから向かっていく、反乱軍は四万から五万いるらしいけど、四ヶ所に分かれているから一ヶ所は一万を少し越えるくらいよね? セフィーナ・アイオリア率いる討伐軍は約二万らしいから、バービンシャーからの援軍は蹴散らせるわ、そうなればそのままバービンシャーに雪崩れ込んで決まりね、本拠地と半数の兵を喪っては私兵の反乱軍の士気は持たないわ」
「素晴らしい!」
アリスの説明にリンデマンは笑顔で拍手した。
いつの間にか厨房から帰ってきたヴェロニカも彼の後ろで主人に追従する笑顔だ。
「流石はアリス、敵の支配地拡大から生ずる兵力分散の愚をつき、なおかつ決まれば一戦で反乱軍を叩ける作戦だ、ヴェロニカも異存ないだろ?」
「もちろん異存などあろう筈もありませんが、私は戦の作戦については素人で、アリス少将と御主人様の話についていけないのです、申し訳ありません」
主人に訊かれたヴェロニカが笑顔のままで作戦を評価できる立場に無い事を詫びて頭を下げると、リンデマンはアリスに向き返る。
「確かによい作戦だ……ただし」
「ただし?」
「私が反乱軍側のエトナ方面指揮官だったら、セフィーナ率いる討伐軍が近づいてきたら攻略中の城には拘らず、離れて円陣なりの防御体制をとるがね、とにかく電撃的に負けなければ二方向からの援軍が駆けつけてくれるんだからな、まともに迎撃をしようとは考えないさ、また指揮官の判断云々ではなく、反乱軍の間で一方が優勢な敵に攻撃されたら味方が駆けつけるまで守りを固めるという姿勢が決まっていたらどうする?」
「それは……」
アリスは答えに詰まる。
奇襲ならともかく初めから守りだけに集中されたら、二万の兵でも一万の兵を電撃的には倒す事は難しい。
時間が過ぎれば東のコーセットや西のバービンシャーからの援軍が現れて、円陣を倍の兵力で包囲していたつもりが、いつの間にか三方から有力な兵力に叩きのめされ、更に時間が過ぎれば中央のファンタルク荒野を越えた北のコモレビトの敵軍まで現れて壊滅は必至。
「ヴェロニカも素人考えで構わんから意見を述べてもらえるか?」
リンデマンは今度はヴェロニカに話を振った、戦略には疎いであろう彼女は一瞬、躊躇の構えを見せるが、主人から素人考えで構わんと言われては答えない訳にはいかない。
「ではアリス少将の様に難しくは出来ませんが、何処の敵軍も相手せずにいきなり中央のファンタルク荒野を抜け、本家のあるバービンシャーを叩いては如何でしょうか? バービンシャーには候の親戚縁者も多い筈、攻撃されたら一番嫌な場所でしょう? 私兵達の出身も大部分がバービンシャーでしょうから、その心理を叩けば士気も落ちるかと」
「確かに上手くいけば良いけど、私の案よりもそれは難しいわね、何処に行くよりも苛烈な包囲攻撃がファンタルク荒野辺りで待ってるわよ」
「……ですよね」
自ら素人という相手に対抗心があった訳ではないが、アリスは素早く反論してしまった自分に少し後悔した。
だがヴェロニカは気にしていない風にスンナリとそれを受け入れる。
バービンシャー候領を直撃する案は各個撃破の際の有力な手の一つである。
一番有力な敵軍を一番始めに撃破するという手にはかなっているが、今回はそれが最も西、東から攻めるセフィーナには一番敵軍の奥地になってしまう。
もちろん高確率で相手の哨戒網にかかり、バービンシャーに辿り着く前のファンタルク荒野辺りで全方向からの包囲攻撃が待っているだろう。
「それはそうだな、しかしバービンシャー候が本拠地である自分の領地を攻撃されたくないというのは確かだ、セフィーナ・ゼライハ・アイオリアがそこを利用するかは知らないが、私だったらその心理を最大限に利用する、それにアリスのいう各個撃破も、この兵力差ならば、もちろん実行する」
アリスだけでなく、ヴェロニカの意見まで聞いてからリンデマンはいよいよ真打ちといった表情を全く隠さずに椅子から立ち上がり、両手を後ろに回して作戦図を見下す。
ホントにコイツは。
アリスも頭を抱えたくなるが、今は控える、それよりもリンデマンの回答を聞きたかった。
「私ならば……ここから攻勢をかける」
リンデマンが指を差した場所は四ヶ所の攻略候補の中からアリスがまず最初に候補から外した場所であった。
「そこ!?」
「ああ……私ならばまずはここに先制攻撃をかける……ただし!」
驚くアリスの態度を予知していたかの様にリンデマンは口元を歪めた。
続く




