第百八十九話「決戦作戦、青の場合 ―青の正体―」
決断を下してからの行動の速さ。
これは歴史上の名将には欠かせない条件の一つであるが、ゴットハルト・リンデマンもそれを持っている。
戦いの気質から受身でスピードのある用兵を行うタイプには観られていないが求められた場面では素早い動きをこれまでも見せてきていた。
レ・メルヴェーユの戦線の放棄、攻勢に晒されているセルウィークへの南下転身を決めると、ブライアンに第十師団の半個師団を預けると、残る四個師団半を率いて、その日の夜中に陣を引き払って朝を待たず南下を始めたのだ。
レ・メルヴェーユの夜が明けていく。
大陸北部の夜明けは南部よりもかなり早い。
ブライアン中将は朝までに陣地を構築し、リンデマンの撤退に気づいて動き出すであろうセフィーナを迎え撃つ準備を十二分に整えて待つ。
「セフィーナ・アイオリア、一度は土を付けられた相手だが俺も只ではやられないぞ! 伊達にお前が中々勝てない先輩二人の薫陶を受けてきた訳じゃないんだ!」
気合いの入る褐色の青年将官。
倍数の相手だろうが守り戦の有利さを以て、自制を忘れずに戦えば勝算はある。
逆にセフィーナ・アイオリアは南に向けた味方の奇襲は成功したかも知れないが、各個撃破の危険があり、戦力差からも己の率いる一個師団が動かない訳にはいかない。
南下するリンデマンを追わない選択肢は無いのだ。
「その焦りは突ける!」
朝陽を受けて唇を結ぶブライアン。
「レ・メルヴェーユの前面にいた親衛遊撃軍第一師団が動き始めました!」
副官から報告が入る。
遠目でそれは視界にも捉えられた。
「来たか、借りを数倍にして返してやる、残念だが姫はここでしばらく俺と踊ってもらうぞ!! 皆も踏ん張り所だ、セフィーナ姫をここでくたびれるまで踊らせてやるんだ!」
指揮官の檄に周囲の兵士や幹部達もオオッと応えた。
動き出した親衛遊撃軍第一師団。
レ・メルヴェーユから南下し、ブライアンの守る陣に近づくのだが、その動きは不自然だった。
「遅い、なぜあんなに悠長な!?」
ブライアンは目を見張る。
親衛遊撃軍第一師団の行軍速度があまりにも遅い。
まるで子供の歩みだ。
「またセフィーナ・アイオリアの作戦か? この陣地の規模を観ればこちらの大半が退いているのはわかるだろうが!? こちらを焦らして陣から出させるつもりか?」
リンデマンの昨夜の南下はその規模はともかく、偵察をおこなっていない訳はなく判明しているだろう。
主力はいないと判断しているのは間違いない。
なのに……なぜ、あんなに悠長な進軍をする!?
ブライアンの疑問が解けたのは暫く後だった。
「ブライアン中将!! あれを見てくださいっ、レ・メルヴェーユの西側と東側です、見てくださいっ!!」
悲鳴に近い物見の兵の報告。
西と東!?
「何事だ? 敵軍は正面だけ……なっ!!」
ブライアンや周囲の幕僚達の顔面が蒼白となる。
何と……いたのだ。
レ・メルヴェーユの西側と東側からも一個師団ずつの帝国軍の軍勢が現れたのだ!
「ど、どういうことだ!?」
「戦力が合わんぞ!?」
「狼狽えるな!」
慌てる幕僚達に怒鳴るブライアン。
「あれは昨日、セフィーナの一個師団を見棄てて北に退避した二個師団が戻ってきただけだ! 囮に使われていた寄せ集めの貴族私兵、陣地攻撃など出来もしないし、却って敵軍の脚を引っ張るような雑魚だ、気にするな! 我々の守りを揺さぶる相手の作戦には乗るな!」
それなら合点がいく。
これまで一度も戦う事も出来なかった囮の師団が数だけを見せて揺さぶりに来たという事だ。
「なるほど、物の数でもない貴族の私兵か」
幕僚達はブライアンの推測に納得したが……その二個師団の到着を待っていたかの様に親衛遊撃軍第一師団は連合軍の陣地に迫り、残る二個師団もそれに加わったのである。
「私兵を使ってもとにかく数の厚みを持たせるつもりか! うまく連携などとれるものかっ、相手は数だけだ、寄せ集めで陣地突破が出来るものか、防ぐんだ!」
予想外の帝国軍の戦術にブライアンは意表を突かれたが、冷静に防衛を命じる。
実質的な敵はセフィーナの率いる一個師団だけ。
数の厚みは始めこそ効力を発揮するかもしれないが、損耗度外視の野戦ならばともかく構築陣地に向かっての攻勢作戦は素人には無謀だ。
そのうち正規軍の脚すら引っ張るだろう。
ブライアンの目論見は正しかった。
しかし、目論見自体が正しくとも、現実の認識が間違っていてはどうしようも無かった。
「第二大隊突破されました!」
「第四中隊全滅!」
「正面、第一大隊長レガーロ大佐戦死!」
「第六中隊全滅」
「防ぎ切れません! 敵軍の圧力が凄すぎます!」
戦端が開かれて僅か数時間。
次々と入ってくる報告にブライアン・パルトゥムは呆然として立ち尽くしていた。
バカな……ここまで一方的にやられるとは。
「閣下、敵軍は間違いなく三個師団とも正規兵です! 親衛遊撃軍三個師団が我々に襲いかかってきているのですっ!」
そう叫んだ参謀長は直後に数本の矢を受けて倒れる。
半個師団で三個師団と戦ってはひとたまりもない。
城ならともかく野戦陣地で六倍の戦力を受け止めるのはあまりにも無謀。
「まさか! これではまずい、俺がセフィーナ・アイオリアをここで数日は引き留めなければ! こんな短時間でやられては、リンデマン大将が撤退の後背をまともに突かれてしまう!」
自らも剣を抜き放ち、幕僚達と迫り来る帝国兵を斬り伏せるブライアン。
「させるかぁ!」
更に数人の帝国兵の命を奪った褐色の勇者であったが、遂には幕僚達も討たれ、十名以上の帝国兵に囲まれ突き出された槍衾に身体を貫かれて地面に斃れた。
連合軍中将まで昇り、リンデマンやアリスにとって頼りになる後輩であった名将はレ・メルヴェーユにて散った。
「連合軍の抵抗は殆ど無くなりました、我が軍の被害は軽微であります」
「……よし」
副官のルーベンスにセフィーナは馬上で頷く。
六倍の戦力で攻勢に出れば、陣地戦であろうとも余程の堅陣を築かれなければ勝ちは動かない。
相手の師団規模が半個師団であり、予想よりもこの場での勝利は圧倒的であった。
「この後はどうされますか?」
「この陣がここまでの短時間で陥落するとはリンデマンも思ってはないだろう、このまま進軍する、報せを受けたリンデマンに対策されては台無しだからな、急がせろ!」
「はっ!」
敬礼して命令を伝令に伝えるルーベンスから視線を南の地平線に移し、
「色々と張り巡らせたが……一番バレない策略というのは、やると言っておいてやらん策略だろう? こんな事まで私にさせるとはな、私の策もそろそろタネが尽きてきた、もう決着をつけようか、リンデマン」
セフィーナは不敵に笑った。
***
セルウィーク城下。
シアの援軍により帝国軍を撃退した連合軍の兵士達は大勝利の凱歌を上げて喜び合っていた。
「中将閣下!」
セルウィークを守り通したビスマルク少将が馬に跨がりシアの近くまでやって来ると、下馬してから片膝を地に着く。
「中将閣下の来援が予想よりも遥かに早く助かりました、敵軍の攻勢には手こずっていたのです」
「……」
来援の感謝を述べるビスマルク。
だがシアはその場で無言で立っている。
様子がおかしい。
それは傍らのルフィナもすぐに感じた。
「シア様、ご体調でも優れませんか?」
「大丈夫です、それよりもビスマルク少将……敵軍の包囲下の中での奮戦、ご苦労様でした、ただ一つ確認があります」
「はっ! 何なりと」
ゆっくりとした様子で口を開くシア。
やや不自然さを感じながらもビスマルクは頷く。
「貴方の報告ではセルウィークを包囲し、補給線攻勢に出てきている帝国軍を親衛遊撃軍と報告がありましたが、それを親衛遊撃軍としたのは何故ですか?」
「??」
シアの口調にはあまり感情が無かった。
何かに堪えているようにも見える彼女にビスマルクは戸惑いを感じながらも頭を下げる。
「はっ、それは偵察兵からの報告でも親衛遊撃軍の第三、第四師団の師団旗や第二師団の物も見たと言う報告や、このセルウィークを包囲した敵軍のそれも私が確認しました」
「実際には戦闘は?」
「敵軍のセルウィークへの攻勢は何度かありました、猛攻でしたが何とか撃退しました」
「野戦は?」
「……しておりません、敵軍は二個師団以上です、城を出ての野戦は分が悪いと判断し、シア中将や本隊からの来演を待つのが得策と考えました」
「わかりました、少しだけ待っていてください」
そこまで訊くと、シアはそのやり取りを黙って見ていたルフィナを呼び寄せて何事か告げる。
それを受けて走り去るルフィナ。
ビスマルク少将は嫌な予感を感じながらも、片膝を付いたままで待つ。
「お待たせしました、シア様!」
数分後にルフィナは帰ってきた。
一人ではない。
後ろ手に縛られたルフィナと同じ年くらいの少年兵を連れてきていた。
帝国軍の軽装鎧を着ている彼は言わずとも知れた今回の戦いで捉えられた捕虜であろう。
少女であるルフィナに連行されてきた彼は明らかに怯えてはいなかったが、己がこれからどうなるか不安げな瞳をしていた。
「シア中将……これは」
ビスマルクの質問が終わるよりも早くシアは腰に差した剣を抜き放った。
「…………!!」
シアの剣は少年の首筋に触れ、一筋の赤い物を伝わせる。
引き攣る少年。
「一度しか聞きません、嘘をつけば躊躇なく貴方を殺します、貴方の正式な所属部隊を答えなさい!」
「て、ていこく……し、しんえ、い……ゆ、」
グッ!
シアの顔が少年に近づく。
先程までの何処か捉えられないような様子ではない。
明らかな怒りを感じる表情。
「一度しか聞きません、そう言いましたよね!?」
「ひっ······」
少年は悲鳴を上げた。
そんな彼の首筋に剣を突き付けたままで、睨み続けるシア。
数秒の対峙で決着は付く。
少年兵は涙を浮かべ、
「す、すいません、ボクはラサウォール領主レーヌ子爵に雇われた私兵です! 帝国軍の正規兵ではありません、だ、だから許してください!」
と、大声で白状した。
「バカな······」
呆然とするビスマルク少将。
少年兵を捉えていたルフィナも同じ。
彼の着けている軽装鎧は帝国軍の正規兵のそれなのだ。
シアは少年兵の首筋から剣を離し、ビスマルクに向き直る。
「ビスマルク少将······わたしの率いてきた部隊は強行軍で移動など出来ない程に疲労しています、籠城戦をしていた貴官に預けた部隊を率いて私は北に戻ります」
「しかし······」
「猶予はありません、リンデマン大将が危険です」
首を振るシア。
ビスマルク少将は片膝を付いた状態から完全に地べたに崩れ落ちて、涙声で地面を叩く。
「も、申し訳ありませんっ! 私がもっと敵軍の様子を観ていれば! 攻城戦の稚拙さなど見破れる要素はあったものを! シア中将、その剣でこの不注意で未熟な部下をお斬り下さい! 決して恨みには思いませんっ、どうかっ!」
騙された!
悔しさにうなだれるビスマルク。
だが、シアは彼の背中に手をかけ、
「少将は良くこのセルウィークを守り徹してくれました、悪いのは下手な功名心から己の任務を忘れ、分派行動をしてしまった私なのです、師団旗や鎧などを用意していた辺りからもセフィーナ様はこの作戦をかなり前から準備してきたのでしょう、貴族私兵にも有能な顧問的立場の者を派遣したに違いありません、数倍の敵から必死に城を守る者にその稚拙さから師団旗と違う部隊であると見破れ、など無理な事ですよ、貴方に落ち度はありません、責任は全て私にあります」
と、優しく微笑む。
ルフィナはそれで解った。
シアの先程までの態度はビスマルク少将に向けられていたのではなく、不甲斐なさを感じた己に向けられていたのだ。
シアはビスマルクにここは頼みますよ、と告げてから、意を決した様子で立ち上がる。
「私は味方の危機を救いに行かなければいけません、ルフィナ、私はまた北に戻りますけど、貴女は城に残っても……」
「嫌です! 私はシア様についていきます!」
必死に訴えるルフィナ。
シアは微笑みを浮かべたまま頷くと、ルフィナの頭を撫でてから歩き出した。
続く




