第百八十一話「英雄決戦 ―三列候マリアの無断借用―」
ベネトレーフ西側要衝部陥落。
近衛第一、第二師団にも相当な損害。
敗戦の報はもちろん帝国首都であるフェルノールにも衝撃を以て伝えられていた。
唯一の守備兵力として置かれているのは首都防備師団。
兵力は二万を数えるが、士官兵学校等の卒業年次を繰り上げたりして集められた兵達であり、装備はともかく練度に至っては約七割強が実戦未経験という状態だ。
率いるのはリチャード・アイオリア中将。
直系ではないアイオリアの一族であり、三十八歳。
これまで後方支援や各兵種訓練等を専門に軍務に務めてきており、容姿も黒髪の中肉中背に眼鏡をかけた軍人というよりは財務官僚を思わせる見かけはアイオリアを思わせない男であった。
「中将閣下、ベネトレーフの危機に際し、防衛師団の権限により市民からの動員を増やし、フェルノール城周辺の防備を強化する工事を行わせたいのですが……」
「不必要だと思うね」
フェルノール城での防衛対策会議の席。
師団幕僚からの意見具申にリチャードは首を振った。
「このフェルノールまで連合軍がやって来る事態になったら、もう勝ち目は無い、それに数年前から用意するならともかく、今から焦って用意する防御施設が有効とも私は思わない、それどころか不必要な動員は却って領民の不安を煽ってしまうだろう、今は我々に大して出来る事などないよ、ベネトレーフ守備軍と親衛遊撃軍の戦いに祈るくらいさ」
そう答えるとリチャード・アイオリアは椅子に身体を預ける。
直系ではないとはいえ、アイオリア一族の人間がこの首都が決戦場になったら勝ち目は無いと断言してしまったのだ。
幕僚達は顔を見合わせる。
「た、確かにこのフェルノールが戦場になる事態となれば不利は否めませんが、ベネトレーフの一部失陥も伝えられる中、こちらとしても何かをしませんと」
アイオリアが相手だけに五十代半ばのベテランである参謀長アレン少将が遠慮がちに進言するが、
「なら領民の避難計画をもう一度再考しようか、戦いで軍人が死ぬのはある程度は許容すべきだが、民が死ぬのは守る側の軍人としては不名誉極まりないからね、よし、それでいこう、とにかくここまで敵に来られたら我々一個師団に出来る事なんてそれくらいだと思わないかい?」
と、幕僚達を見渡すリチャード。
アイオリアの一族だというのに、それを普段から全く感じさせない珍しい上官の着任以降、掴みどころを見出だせないアレン少将を始めとする幕僚達は戸惑いを隠せなかった。
彼等としては領民を総動員してでも、フェルノールの防備を完璧とせよ! と、大声で言われた方がよっぽど迷わないで済むのである。
「会議中失礼します!」
そこにやって来たのは若い補給担当の将校。
彼は深々と頭を下げると、やや焦った顔つきでアレン参謀長に暫く耳打ちをした。
「な……」
青ざめるアレン参謀長。
またもやベネトレーフ方面からの凶報か!?
ざわつく幕僚達。
冷静に考えれば、ベネトレーフ方面からの報告なら補給担当将校ではなく、情報担当の将校がやって来なければおかしいのだが、不安からそれに気づく幕僚は居ない様だ。
「閣下……」
「どうした?」
参謀長はリチャードを見据える。
その瞳には先程の遠慮はない。
「補給担当者から、書類上はこのフェルノールの武器庫にある筈の首都防備用に配備された最新装備一式が実際には全て消えており、管理担当者をきつく詰問した所……閣下とマリナ列侯のサインのある指令書により、移動させたという事なのですが?」
「ああ……それ、それね」
バレたか。
リチャードの顔はそう言いたげだった。
「それね……マリア・リンが欲しがったから、ボクと彼女の名前で適当な指令書を作って補給担当者に見せて、彼女にあげちゃったんだよ」
「な……」
絶句するアレン参謀長。
対するリチャードは苦笑すら見せている。
「あげた、というのは?」
「そのままの意味さ、マリア・リン・マリナが持っていってしまった、という事だよ」
「い、いかに閣下と三列候であられるマリナ列侯であろうとも、そ、そんな事を軍規が……近衛師団にも、皇帝直轄軍にも配備せず、フェルノール防衛の為に配備された最新装備を勝手に!?」
「ああ、勝手にマリアに渡したよ」
「か、閣下はこれが軍規違反だとは理解できてますな? 勝手に指令書を作成して物資を他人に譲り渡すなど……」
装備品の横領は重大な軍規違反であり、軍規に照らせば確実に極刑が待っている。
だが糾弾する立場だというのに、アレン参謀長の声は震えが止まらなかった。
相手はアイオリアなのだ。
「確かに、これは重大な軍規違反だ……でも」
リチャードは周囲を見据えて笑う。
「陛下がベネトレーフから帰ってきたなら別だけど、ここにボクを裁ける人間がいるかい? 三列候家のマリア・リン・マリナを裁ける人間がいるかい? ボクとマリアで相談してそうした方が良いと判断したからそうしたんだよ、他の方法では面倒くさいし、簡単にはいかなそうだったからね」
誰もそれには返答できなかった。
普段はあっけらかんとして掴みどころが無かったリチャードもやはりアイオリアなのだ。
アレン参謀長はそう痛感した。
「青の場合」
セフィーナの予め決めていた作戦案の一つに従い、親衛遊撃軍は連合軍第一軍との決戦を回避して、更に北上していた。
その内容は機密漏洩の為、各正副司令官、参謀長クラスにしか知らされていない。
「青の場合かぁ~、青の場合だったかぁ~」
親衛遊撃軍第四師団長であるマリア・リン・マリナ少将は行軍する馬上で難しい顔をする。
「閣下、まだ南ではセフィーナ様の第一師団がリンデマンの連合軍第十六師団を完全には振り切れてない模様です、こちらも油断なされないように!」
「わかってますよぅ~」
参謀長のカナヘル大佐に注意されたマリアは五月蠅い教師に対する学生の様に片目をつぶった。
セフィーナがリンデマンと一個師団同士の決戦をおこなっている戦場の北に待機していたマリア・リン・マリナやクルサードの師団は更に北に退避するのは容易だが、セフィーナはベネトレーフの戦況を聞いて自らが決断したとはいえ、今まで戦っていたリンデマンを振り切らなければいけない。
「でも私達が適度な距離にいれば、リンデマンもセフィーナ様を深追いはせず、遠回りをしてきている連合軍第一軍の他の味方がやって来るのを待ちますから、大丈夫でしょう」
「まぁ……おそらく」
マリアの分析にカナヘルも同意する。
リンデマンがもし味方を待たずに北に退避するセフィーナを深追いし、セフィーナ救援の為にマリアとクルサードが南下した場合に数的に圧倒的不利になるからだ。
ベネトレーフの勝利を聞き、セフィーナの退却を見て、士気上がる連合軍であるが、リンデマンはその勢いだけを頼りに数の不利を承知で戦いを展開する人間ではない。
マリアもカナヘルもそう考えていた。
「それよりも閣下、あの首都防衛軍から持ってきてしまったアレですが……」
「え!?」
「え、では、ありません! 首都防衛軍から持ってきてしまったあの装備、リチャード伯と閣下の間では話がまとまってはいても、参謀本部も知らない話でしょう?」
「まさか話せませんよぉ~、アレをこっちにくれ、とか、だから持ってきちゃったんですぅ」
ペロと舌を出すマリア・リン・マリナ。
悪戯のバレた学生のような彼女に、カナヘル大佐は軽く首を何度か振る。
「一体……どういうおつもりか?」
その問いに肩をすくめて、
「もちろん私がここだ、という時に使うんですよぉ」
と、マリアは笑顔を返した。
続く




