第百七十八話「英雄決戦 ―決闘―」
セフィーナはう~んと唸ってから、やっぱりそうだよな、と呟いて顔を上げた。
「やはり不毛だ、これは!」
弱冠十九歳でガイアヴァーナ大陸有数の天才戦術家と呼ばれる彼女は不満げに今の戦況を見渡す。
後に言うルイ・ラージュ機動。
敵味方が追い合いながら、半包囲V字陣形がグルグル周り続けているという不可思議な膠着。
これは互いに戦術的に上に行こうとゴットハルト・リンデマンとの戦術機動が入り乱れての結果で、もちろん意図した物ではなく、こうなってしまったのだ。
「だったら回るの止めりゃ良くね? なんかこれさハムスター回してるアレみたいだ」
「ハムスターね、良い表現かもな、しかし容易に止められたら苦労はしないさ、お互いな」
思ったままの意見を言うメイヤ。
セフィーナは小走りで頷く。
セフィーナだけではない周囲の部下達もだ。
親衛遊撃軍第一師団右翼部隊は連合軍第十六師団の背後を追いかけている。
これだけを観れば絶対有利な態勢であるが、自分達に背中を見せている連合軍第十六師団は親衛遊撃軍第一師団左翼部隊の背中を追いかけているのだ。
『やはり左翼部隊の攻撃がいった時、一時の不利を承知で攻撃を受けさせ、我々が後ろを突くまで我慢させるべきだったか?』
そんな後悔にもかられてしまう。
左翼を折りに相手が出てきた時にV字陣形を回さなければ……ひょっとして。
『ダメだ、ダメだ、リンデマンはわざわざ突破力の強い三角陣形を方陣から敷き直していたんだ、無理にリンデマンの突破を止めようと留まらせていたら、一撃で左翼部隊は突破破砕されて今頃は半数の右翼部隊の我々が一個師団のリンデマンに追いまくられていた可能性が高い、実際リンデマンがV字の中央突破でなく左翼部隊の突破を狙ったのも片翼を一撃でもいでしまうつもりだったからなんだからな』
仮定にブンブンと首を振るセフィーナ。
後悔しても意味がない。
前の戦況には戻らないのだから、これからを考えなくては。
「このままグルグル回ってたらさ、みんなバターになるんじゃね?」
「お前の言っている意味はわからんが私はバターにはなりたくはないな、なんだそのオチは!?」
意味のわからないメイヤの言葉に眉をしかめつつ、セフィーナは小走りを続けながら思考を続けた。
相手……リンデマンもこの消耗戦の不毛さは気づいている筈だ、いやこの機動を始めた時点で互いに承知の膠着だ。
ならば……
『仕切り直し、そのタイミングときっかけだ! だが……』
セフィーナは唇を噛む。
タイミングはともかく、問題はきっかけだ。
どっちがどのように切り出す?
変に戦線を動かしてしまうような動きはダメだ。
戦術上のミスをリンデマンは見逃さないだろう、藪蛇をつつきかねない。
こちらに事態収集の意図があると解っていても、隙があれば一気呵成に攻めてくる、そんな相手だ。
「どうする? このままではお互いに……」
何かを考えなくては……
焦りすら出始めたセフィーナであったが、数秒後にはその悩みは無くなった。
解決案が相手から示されたからだ。
メイド服の美少女。
この戦場において唯一無二の非武装。
黒と白のメイド服に身を包んだ黒髪ショートボブカットの美少女は親衛遊撃軍第一師団右翼部隊一万の目の前に、たった一人でスカートの両裾を軽く持ち上げ、深々と頭を下げながら立ちはだかったのである。
その少女に数秒、目を見張った後で……
「止まれっ、止まれっっ!! 左翼部隊にも伝えろっ、止まるんだっ、止まれ!」
リンデマンからの事態収集のきっかけだ!
セフィーナは右手を上げて大声を上げた。
「あのヤロー、一人に止まんの!?」
「なぜですか!?」
「良いから止まれっっ!! 聞かないヤツは斬り捨てるっ、投射も一切するなっ、命令違反は一族郎党斬り捨てる!」
メイヤとルーベンスが抗議してくるが、セフィーナが更に大声で怒鳴り散らしたので流石に聞かない訳にはいかない。
親衛遊撃軍第一師団は右翼、左翼ともに徐々にスピードを落としていく。
大軍である故にいきなりは止まれないが、そのタイミングに合わせ、連合軍第十六師団も止まり始め、やがて狂った時計のようにグルグル回っていた両軍は完全に動きを停めた。
まるでメイド少女を楔に止まった時計。
その間も美少女メイド、ヴェロニカは深々と頭を下げたまま、一切動いていない。
親衛遊撃軍第一師団右翼部隊一万は彼女の眼前と言っても良い、数十メートルの距離。
「セフィーナ様……いや、上級大将! 連合軍が一部がこちらに回頭してきますっ!」
ルーベンスがメイドの背後の連合軍の動きに慌てるが、セフィーナは軽く手を上げただけで、
「構うな、あれはもう左翼部隊を追いかける意志がない現れだ、ならば左翼部隊に再び回転運動を続行して、我々右翼部隊の後方に合流しろ、と伝えろ」
と、命令を下す。
「今、左翼を全回頭させれば、我々と共に敵軍を挟撃出来るのでは?」
若手の幕僚の一人が申し出るが、
「バカか? 貴様は!? 相手はこちらの様子を観ながら一部しか回頭させていない、リンデマンがそんな隙を作る物か! そんな事をさせたら事態収集どころか一気に左翼潰滅のチャンスを与えてしまう、私はヤツと戦術の腕を競うつもりはあるが、ペテンの掛け合いをするつもりはないんだ、却下!」
セフィーナに軽蔑の混じった冷たい視線を向けられてしまうと、若手参謀は後悔の表情を隠さずに下がっていく。
命を受けた左翼部隊が再び回転運動を再開するが、連合軍はもうそれを追わず、左翼部隊が離れていく度に右翼部隊に向けて回頭していく部隊を増やしていく。
簡単そうに見えても、訓練時の様に整然と並んでいた訳でもない部隊をタイミング良く回頭させていくのは楽ではない。
「上手い、上手い、部隊運用では私はリンデマンに遠く及ばないな、まぁこれは二十年の経験の差と思えば、多少の悔しさも紛れるから良いけど」
連合軍の部隊運動に本気で感心するセフィーナ。
右翼部隊は回転運動を止めているので、左翼部隊は自然と右翼部隊の後方に合流していく形となり、両軍の形は正常な横陣の対峙に戻っていく。
仕切り直しの再激突、もしくは一旦、両軍撤退。
どちらも可能な状態。
だが……どちらをするにせよ、両軍の間にはまだ戦場に似つかわしくない異質な存在があった。
メイド服の両裾をつまみ上げ、深々と頭を下げたままの美少女ヴェロニカである。
「これから戦うにしても退くにしても、兵に対するイベントが必要と言うことかな?」
麾下の師団の合流が完成した事を確認すると、セフィーナは口を真一文字に結び、ヴェロニカを数秒見据えた後で後ろに振り返った。
「よしきた! あの目立ちたがりを叩きのめしてくるぜ~!」
「お前じゃない!」
イマイチ気合いが感じられない抑揚のない口調で当然の如く、前に出ていこうとする幼馴染みをセフィーナは強く制した。
「え!? じゃあ……どうすんだよ!?」
止められるとは思わず、喰ってかかるメイヤ。
セフィーナの視線は彼女の背後にいた長く黒い三つ編みお下げ髪の少女に向けられた。
メイヤに続くセフィーナの護衛隊副隊長クレッサである。
「クレッサ、あのメイドを討ち取ってこい」
「な、な、なんでクレッサ!? アイツと闘うなら私だろ~、おかし~だろ~! クレッサ、今のは無し、行かなくて良いからなぁ、セフィーナの間違いだから!」
予想外のセフィーナの指定に驚き抗議し、傍らのクレッサを睨み付けるメイヤだったが、
「どいてください隊長、セフィーナ様からの命令です、これからあのメイドを討ち取ってきます」
普段から愛想が無いと言われる表情を変えずに、クレッサはメイヤの脇を抜けると、得物である腕の長さほどのブレードを手にして両軍対峙の中心に居る美少女メイドに歩いていく。
「…………」
頭を垂れていたヴェロニカの視線が己を排除しようという敵の接近に僅かに上がった。
続く




