第百七十三話「英雄決戦 ―反撃作戦―」
飛び交う矢。
怒号と呻き声。
剣戟。
誰もが面識も恨みもない他人を殺そうとしている。
国家が決めた敵であるからだ。
そこは紛れもない人が人の都合で作り出した戦場という地獄であった。
「第十一師団のモレイラ中将からの連絡、西側城壁に取りつくも攻勢に進展なし、かなりの死傷者出始めている為、撤退を進言します」
「パウエル中将より正面城門への攻撃を敢行するも、突破の公算は少なく攻勢を中断するとのことです」
「東側城壁、第七師団マリュッセル中将より城壁に取り付き、一部は城内に入るも反撃が激しく後退す、続いての指示を乞う」
総司令部に入ってくる情報はひっきり無しだ。
情報参謀達は部下を叱咤しながら駆けずり回り、最新の情報を
伝えてくる。
この様子を見れば素人でも目の前の戦場が激戦である事は理解できる。
「こちらの攻勢も相手を圧してますが、帝国軍の守りも必死であります、なかなか攻勢が進展しません」
「うん……やっぱり相手も必死だわ」
副官のヴィスパーの説明にアリスは腕を組んで戦場を見つめたままで頷く。
「第七師団のマリュッセル中将の攻める東側城壁が比較的攻勢が進展しています、どうでしょうか? そこに今回は温存しているリキュエール中将の第十三師団を投入しては?」
作戦参謀の一人が進言するが、アリスはソバージュヘアに一旦掻き上げながら、ん~と声を上げてから、
「いや、止めとくわ……それよりも現在攻勢中の各師団に攻勢を強める様に、と伝えて」
と、参謀の意見は却下して更なる攻勢を指示する。
だが結局、この日の連合軍の大攻勢すら帝国軍は凌ぎ、連合軍は攻勢に出た四個師団を後退させ、編成と休養の為、連合軍陣地よりも更に南の後方に下げる様に命じたのであった。
「よし、良くやったぞ、みんな! 立ち上がっての敬礼など必要ない、ゆっくりと休んでくれ、すぐに食事も運ばせる」
帝国軍近衛第一師団長であるルーデル大将は副官を連れて、城の各所で激戦に勝ち抜いた兵士達を励まして回っていた。
各所で城壁、防衛施設は傷つき、それ以上に兵士達は疲れ果て傷ついていた。
如何に堅牢を誇ってもベネトレーフとて限度があるが、それよりも兵士達の疲労と負傷がルーデルは心配だった。
崩れたり、ヒビが入った城壁は直せばいいが、大怪我を負った兵士は後送しなくてはならない。
それに各所からは怪我はまだ戦える程度であるが、あまりの激戦に精神を病んでしまった兵士がいるとの報告もある。
「攻勢を仕掛けている連合軍も相当な負担であろうが、要塞に依って守っているからと言ってもこちらも辛いな、気を病んでしまった兵士も多く出ているらしい」
副官にポツリと漏らすルーデル。
「気を病んでしまったり、大怪我をした兵士はフェルノールに後送して、予備兵を手配しなければいけませんね、このベネトレーフは幸い物資の貯蔵は相当ありますから心配は要りませんが、先に兵士が参ったら話になりませんね」
「その通りだ、戦争は結局は人間がやってるんだからな、物資があっても人間が参ったら終わりだ」
副官の答えにルーデルは同意する。
精神的に参ったら肉体が持とうとも関係ないのだ。
肉体の負担を精神が支える事が出来るのは解るが、その逆は有り得ないからだ。
「とにかく精神的にもケアをさせよう、少しでも支障がある者を見逃さない様に、と各中級指揮官には伝えるんだ」
「はい、気をつけさせます、後送の手配も進めます」
敬礼してルーデルの前を去る副官。
彼と入れ替わる様にルーデルの前に現れたのは参謀本部の作戦担当部員であった。
「ルーデル大将閣下」
「どうした?」
「参謀副長より、各高級指揮官を緊急に召集したいとの事です、よろしくお願いいたします」
「パティ中将からか」
必至の防戦が終わったというのに。
本音はそれだった、彼も兵士達の見回りが終わったら短いながらも仮眠を取るつもりだったのだ。
たが、参謀本部からの呼び出しならば仕方がない。
「わかった、至急向かう」
ルーデルはそう答えると、近くで壁に背中をつけて座ったままで眠る少年兵の体からずれた薄い毛布をキチンとかけ直した。
「奇襲攻勢だと!?」
「そうです」
「いつと言った!?」
「今夜、と説明しました、正確には数時間後の夜明け前です」
十数分後の作戦室。
ルーデルの怒号とパティの返答が交わる。
至急、集められた作戦会議に出席しているのは参謀本部長のヴァンフォーレ上級大将をトップに各師団長や参謀達。
「ついさっきまであれだけの攻勢に対処していたんだぞ!? 今夜、全力で戦える訳がないだろう! 貴官は疲れ果てた味方の兵士を見ていないのかっ?」
「きっと相手もそう考えます、だからこそ奇襲するのです、疲れているのはわかりますが、相手の戦力を削がねば連合軍の攻勢は終わりません」
テーブルから身を乗り出さんばかりのルーデルにパティは平然とした態度で応ずる。
「今日の攻勢の敵軍は全軍ではない、おそらく二個師団は戦わずに温存していた、比べてこちらは数に余裕がなく戦わずに済んでいる師団などない、奇襲が成功したとしても攻勢の勢いはすぐに衰えてしまうのではないでしょうか?」
ルーデルに助け船を出したのはゾンデルク少将。
現在は近衛第二師団の副師団長を務めており、ルーデルとは特に親しい仲ではないが士官学校の同期だ。
「同じ事を言いますが相手もそう考えるからこそです、このままではアリス大将の強行策に押し切られる危険性すら出てきました、ここで連合軍の攻撃を防ぐだけでなく打撃を与えていかなければ戦況の好転は望めません、相手にはまだ後方から予備戦力を注ぎ込む余裕があります、このまま防戦のみで現状を打破出来るでしょうか? ゾンデルク少将は保証できますか?」
「……」
パティからの問いにゾンデルクは答えに窮する。
確かにアリス率いる連合軍の攻勢は予想を超えた強襲であり、想定された以上の損害を兵士、防衛施設共に受けていたのだ。
このままでは押し切られる。
パティの言う危惧もあながち言い過ぎでも無いのだ。
ルーデルがパティに手のひらを向ける。
「待ってくれパティ中将、確かに相手の攻勢は苛烈だが戦況が連合軍に傾いた訳でもない、焦りすぎではないか? それにセフィーナ公が連合軍の第一軍を打ち破れば状況は変わる」
「それこそ何処に保証がありますか!? 相手はゴットハルト・リンデマンなのです、その期待が逆になってしまう可能性すらあるではないですか! そうなった場合、こちらの戦況が有利になっていなければゴットハルト・リンデマンの大迂回によって、フェルノールは殆ど防御陣地や施設のない北側から攻撃される事になってしまいます!」
パティの口調には明らかに怒気が含まれていた。
それに対するルーデルの口調にも力が籠る。
「セフィーナ公にこれまで我々は何度、助けられてきたのだ!? それを信じずに早急な奇襲作戦の成功を信じると言うのは小官には理解がし難いのだが!」
「それを他力本願というのです! セフィーナ公はセフィーナ公で目の前の戦線をどうにかしようと懸命でしょう、ならば我々も我々でこの戦場を好転させなければいけないのです!」
睨み合うパティとルーデル。
周囲の幹部達は口を開かない。
参謀本部を実質的に仕切るパティとカールの関係は薄々周囲が気づいており、彼女が単なる一中将という扱いでないのは誰もが知っているのだ。
同期のルーデルの抵抗が無駄であるかそうではないかを確かめる為、ゾンデルク少将が再び口を開く。
「パティ中将、この奇襲案は既に皇帝陛下はお知りになられているのか?」
この質問に周囲の空気が緊張する。
皆の注目を集めたパティは作戦図を差す為の指揮棒で自らの左の手のひらを軽く叩いて、
「もちろんです」
と、だけ答えたのだった。
続く




