第百七十一話「英雄決戦 ―英雄姫の副官―」
篝火の焚かれた陣中。
リンデマンは幕舎を訪ねてきていた第十師団長のブライアンを誘い、ヴェロニカの給仕で夕食を採っていた。
「しかし大将閣下、流石はセフィーナ・アイオリア、隘路を形成する山裾まで陣地化させて防御に役立ててましたね、それを繰り出してくるタイミングも絶妙でした」
「そうだな、これからは隘路の突破をしようとしても側面からの弓矢の掃射を防ぎながら進まなければいけないと考えると頭が痛いな、あの山裾にああいう戦力を置くのは巧い手だ」
セフィーナの戦いぶりを誉めるブライアンにリンデマンは同意しながら、テーブルに出されたラムチョップをナイフで切り分けて口に運ぶ。
「ガブリエル中将も素早く隘路を通過し、更に相手の動きの不統一を突いたのですが……残念です」
「ガブリエル中将は失策もなく良く戦った、相手の準備が周到で指揮の乱れがリカバリーされただけだよ」
「帝国軍は戦力不足を兵士官学校などの卒業の繰り上げ等で補っていると聞きます、最精鋭である筈の親衛遊撃軍に指揮系統の乱れが出たのはそういう所が影響しているのでしょうか?」
「間違いないな、情報によれば今回の防衛作戦に参加しているという帝国軍の二割から三割に実戦経験一年未満の者が参加しているという事だからな」
「セフィーナ姫もまだ若いのに大変だ、苦労しますね」
ブライアンは複雑な表情で笑った。
大なり小なりの集団を率いる指揮官が必ず頭を悩ませるのが新兵教育である。
彼等を一人前にするには当たり前だが、戦場で経験を積ませつつ殺されないようにしないといけないのだ。
帝国軍、連合軍には各々に経験者の意見がふんだんに取り入れられ、考え抜かれた育成カリキュラムがあるのだが、それを修了しようとも兵士、士官ともに即戦力には程遠い。
一人前になるには実戦が必要なのだ。
「私も少し同情したよ、しかし我々も相手にいつまでも同情していられる程に余裕もない」
「確かに……このセントトリオールを我々が突破しなければ帝国攻略の片翼が失われてしまいますからね」
「そういう事だ」
ブライアンのコーヒーカップが空になる。
司令官によっては対陣中の夕食にも酒を呑む者がいるし、リンデマンすらワインを少量呑むが、ブライアンは普段から酒をあまり嗜まずにコーヒー党だ。
ヴェロニカが彼のカップにコーヒーを注ぐ。
その労に軽く頭を下げ、コーヒーを一口飲み、ブライアンはリンデマンに向き直った。
「どうでしょう、今日の様にまた攻めかけても山裾からの弓の掃射を浴びます、一個大隊程を投入して山裾の帝国軍をまずは駆逐して、側面からの弓の攻撃を防ぐのはどうでしょう? 更にそこを獲れれば大部隊の通過は不可能でも、隘路の反対側の帝国軍には十分なプレッシャーにもなります」
「それは長くなる……」
リンデマンはフォークの動きを止めて、ブライアンの提案に短い返事をした。
「は?」
「わからないか? 目の前のカラキア山は単なる丘陵地帯ではない、我々が伏兵の存在に気づけない程の緑の多い山林だ、相手に地の利がある山林を要塞化されていたとしたら、相手が千程度の集団だとしても決着には長くかかってしまうだろう、そして山裾とはいえ、千を越える部隊が入ってしまったら退くのもやりづらい、すなわち長期化するという事だ」
「なるほど……獲ろうとすれば長期戦に引きずり込まれる恐れがあるという訳ですか」
「山裾を獲るメリットはこちらからも魅力的に映るからな、多少の苦戦に目をつぶっている内に抜けられなくなる」
リンデマンのフォークが再び動き出し、クリームシチューの中の人参を刺す。
「では山裾の敵には下手な手出しは出来ないという事ですか、それとも火矢で山裾を火事にしてやりますか?」
「それも手ではあるが我々が布陣しているのは麓の草原地帯だ、風向きによっては薮蛇がこちらに出て、相手は大して損害を受けないかもしれない、私があの山中に入った指揮官だったら防火の備えは十分に進めておく、何せ山を降りてすぐにメルベイア川があるのだから防火用水等の準備は容易い」
「……それもそうですな、慣れない土地での火計は難しいかもしれません、なかなか難しいですね」
直接攻略に代わりに火計も提案したブライアンだが、リンデマンの答えに却下もやむ無しと頷く。
次の策を提案しようとブライアンが思案を巡らせていると、リンデマンはグラスのワインに軽く口をつけ、
「苦戦した時は前提を疑うのだ、何は出来ない、何はしなくてはいけない、無意識の内に作戦の中に勝手に組み込まれている前提を疑う事を始めるのだ、まぁ任せろ、数日内にあの隘路と山裾の戦術的価値を無くしてみせる」
と、いつもの口調と笑みを見せる。
彼を良く思わない者はその態度は嫌味以外の何物も感じないが、学生時代からリンデマンを知るブライアンにはゴットハルト・リンデマンの理詰めの逆襲が開始される事への期待感が産まれ始めていたのだった。
翌日の朝。
変わらず隘路に向い半包囲陣を敷く状態の親衛遊撃軍第一師団司令部にカラキア山内の陣地から伝令が駆け込む。
その内容は……
「連合軍の陣形が変わり、隘路を挟んだ反対側に親衛遊撃軍第一師団に相対するように半包囲陣を敷いている」
と、いう物であった。
「昨日の防衛態勢を観て、長期対陣に作戦を切り替えたのでしょうか?」
「思わぬ苦戦に補給路守備に残したシア中将に駆けつけてもらう事にして待機しているのでは?」
「案外にこちらが堅固なので、とりあえずの様子見の可能性もある、東部戦線に期待しているのかも」
様々な参謀達の意見が述べられる中でセフィーナは暫く何かを考えていた様子だったが、ここで唸っていてもわからんか、と呟いて立ち上がった。
「メイヤ、ついてこい! カラキア山に登るぞ、山からの方がリンデマンの様子が良くわかるからな!」
最高司令官の突然の物言いに周囲の者は当然慌てる。
しかし、呼ばれたメイヤは自分さえ連れていってくれたら問題は無いとばかりにアッサリとわかった、と同意した。
山中にも少数ですが連合軍の斥候が入り込んでいるのは間違いない、少なくとも中隊規模の兵を率いてください。
何名かの幹部から頼まれたセフィーナであったが、中隊なんて引き連れていたら却って目立つ、とメイヤと副官のルーベンスだけを連れ、留守兵力の指揮は第一連隊長のテリッシャーノ准将に任せる、とにかく防いでいれば良いからと告げ、登山の準備を整えるとさっさとカラキア山に入ってしまった。
セフィーナ達三人は山裾の自軍陣地よりも更にカラキア山の高台を目指して登る。
山裾の陣地からでも連合軍の陣を張るセントトリオール草原は見下ろせるが、緑の多い山だけに見通しが悪いのをセフィーナが嫌がった為だ。
緑の多い山林は外から観ている分には美しいが、登るのならば禿げた岩山の方が遥かに容易い。
夏山の繁った木々を掻き分け、滝のような汗をかきながら、暑さに文句を言いながらもセフィーナ一行は昼過ぎにはカラキア山中腹の高台に到着する。
「ふぅ~」
額の汗を拭って大きく息をつきながら、よし、向こうだなとカラキア山から南のセントトリオール草原に陣を敷く連合軍を見渡し、満足げな笑顔を見せるセフィーナ。
「うん、よく見える!」
カラキア山中腹から連合軍の陣地まで距離があるので、陣地の細かな所まで見える訳ではないが、連合軍の陣容を大きな視点で確実に掴める場所であった。
陣地内を移動する集団なども確認できる。
「上級大将、飲み物は平気ですか?」
「飲みたい、あと何か食べ物もくれ」
「はい、この暑さの道中で悪くならない様に少し強めにスパイスや塩を効かせた鶏肉のサンドイッチです、辛めなのでお気をつけください」
ルーベンスからスパイスチキンのサンドイッチと水筒を受け取って、交互に口にしながらもセフィーナの瞳は鋭さを増し、連合軍陣地を睨み付けている。
「メイヤ曹……」
メイヤにもサンドイッチと水を勧めようとしたルーベンスであったが、言葉が止まる。
メイヤは既に剣を抜いて周囲の巡回を始めていた。
まるで狩りに山林に分け入ってきた獣。
そんな殺気だった。
周囲を警戒し、不審な相手がやって来たら問答無用で腰の剣を抜き放って飛びかかるに違いない。
思えば登山の道中もメイヤは妙に大人しかった。
このカラキア山は山裾に連合軍の陣地も築かれているが、幾らでも斥候の忍び込む余地はある。
確実に幾らかの偵察兵は入り込んで、反対側の尾根では今の自分達の様に親衛遊撃軍の陣を見張る者もいるだろう。
この山中はいわば競合地域。
コンテストエリアなのだ。
互いに少数であるから確率は知れたものだが、偶然に出くわせば只では済まない。
だからこそメイヤには遊びが無いのだ。
「周囲の警戒はメイヤに任せておけ、それよりも今の第一軍の総数はまだ十万を越えている筈だよな?」
メイヤの仕事を理解しているセフィーナは彼女を信頼し、連合軍の偵察に集中している。
己もセフィーナのサポートという副官の任を果たさねば。
襟を正したルーベンスはセフィーナに頷く。
「はい、補給路確保にシア中将の第五師団を抜いていたとして連合軍第一軍は五個師団と予備兵力、輜重部隊もいる筈ですからおそらく十二万は越えているかと」
「そうか……」
セフィーナの頬を伝う汗。
美しい横顔。
ルーベンスは素直にそう思ってしまうが、今は連合軍の陣地を己も観察しなければ。
セフィーナの様な閃きは無くとも何か気づけるかもしれない。
それがセフィーナへの助けになるかもしれないのだ。
「十二万か……やはり陣地も広いし、幕舎も多い」
スパイスチキンサンドイッチを食べながら、セフィーナはポツリと呟く。
十二万の兵士達が駐屯するとなると、もう大規模都市が現れたと言っても過言ではない。
彼らに娯楽を提供する商人もいる。
連合軍兵士達相手に商売をしようという帝国商人。
もちろん明るみになれば帝国の法によって裁かれるが、戦闘が無い時は暇と給料をもて余し、周囲に娯楽施設のない陣地にいる兵士は国籍を問わず良い商売相手なのである。
「商人のキャラバンも見えます……」
「そうだな、まったく商魂たくましいというか」
セフィーナの口調に彼らを罰してやろうという意思は感じない、商魂に呆れているのだ。
「流石はゴットハルト・リンデマンだな、陣地設営という点では私が隙を見つけるどころか、ヤツの嫌みたらしい態度を我慢しても授業を受けたいくらいだ」
同感であった。
副官という立場上、補給や陣地設営についてもセフィーナを補佐する事が多いルーベンスもセントトリオール草原に広がる連合軍陣地の構成の見事さは理解できた。
もちろん口には出さないが、言う通りゴットハルト・リンデマンから授業が受けられるならば、セフィーナは相当な対価を支払ってもそれを受ける価値があるだろう。
流石はゴットハルト・リンデマン。
そんな思いを強くしかけたルーベンスだったが……
「ん……」
少しだけ感じる違和感に唇を少しだけ歪ませた。
足りなくないか?
足りない気がする。
輜重部隊やキャラバンの配置まで考えられた完璧なリンデマンの陣地構築だからこそ、完璧な中の不足が違和感に捕捉されたと言えた。
「どうした?」
ルーベンスの表情に怪訝そうにセフィーナが訪ねてきた。
「いえ、気のせいかもしれませんが……」
補給、輜重についてはその軍務経験の少なさから、どうしても他人任せになりがちなセフィーナ。
それを長く支えてきたルーベンスだからこそ、そこに気がついたのかも知れなかった
「本当か、本当におかしく見えるか?」
「はい、少なすぎます、あの数は十二万には全く合っていないように見えます」
ルーベンスの説明を受けたセフィーナは神妙な顔つきで立ちあがり、顎に手を当てる。
「そうか……そうか、だからこそ我々と相対する陣形を取ったという訳か! わかったぞ!」
頭脳でピースが答えに繋がった。
セフィーナは唇を噛んで顔を上げた。
「これを見逃していたら本当に危ないところだった、よくぞ気づいてくれたな、ルーベンス、助かったぞ!」
「お役に立てて光栄です」
普段何かと厳しい上司から感謝の意を示され、少なからず感情が込み上げてくるが、
「早く、早く、山を降りるぞ、あの金髪キザ男め、また私をバカにしようとしおって! さぁ、早く帰るぞ!」
「了解しました」
そうリンデマンを罵倒して怒鳴り散らし、半日かけて登ってきた高台を三十分も経たず、去ろうと歩き出すセフィーナとその幼馴染みの後を二人の荷物も背負いながら大人しくついていくのだった。
続く




