第百六十一話「アイオリア帝国侵攻作戦 ―クルサード中将の憂鬱―」
その扉に感情があるとしたら、八つ当りに近い行為に激しい抗議をしたに違いない。
必要以上の勢いで開け放たれた扉は勢いで蝶番一ヶ所が壊れて、ガクリと擦れた。
蒼白の表情で部屋を飛び出すセフィーナ。
「なぜヨヘンが!?」
「流れ矢です、左胸に当たり撤退中も依然として意識が不明のままです」
伝令の情報将校を押し退けサクラウォール城の廊下を走るセフィーナ。
司令官の不意の重体にヨヘン師団はアンフルールを撤退し、サクラウォールへの帰途についている。
「連合軍の追撃はなかったのか!?」
「ありませんでした、連合軍第五師団は我々の撤退を見届けるとサンアラレルタ方面に去っていった模様です」
「ヨヘンだけでも早くこの城に帰せなかったのか!? それくらいの知恵も回らないのか!?」
「かなりの出血もありました、振動が身体に触りますので馬車ではなく担架で兵士にはこばせている位なのです、それは無理と言うものです」
「……」
焦りから出た言葉を情報将校に返され、セフィーナは返答が出来ず更に足の運びを早めた。
いつの間にかメイヤもそれに続いてくる。
「どうするの、迎えに行くの?」
「行きたいがそれよりもこちらで万全の治療の準備を整えていた方が賢明だな、野戦の陣では出来ない治療も出来る、医者を揃えて待たせてくれ」
「うん」
指示に頷くと、駆け足で離れていくメイヤ。
実を言えば、治療の万全を期して待つのならば、自身がこんなに慌てる必要は皆無であるのだが、最も信頼の置ける同志の重体という事態に落ち着いて廊下を歩ける程、セフィーナは達観した少女ではなかった。
ヨヘン師団がサクラウォール城についたのは深夜であったが、すぐに待機していた医師団が治療に当たり、セフィーナも休まず自室で治療の終了を待つ。
「セフィーナ……」
ベッドに座るセフィーナにカップを差し出すメイヤ。
それを受け取り、少し口に運ぶ。
「やはり私が行くべきだったか」
瞳をカップの中のコーヒーに落としながら呟く親友の隣にメイヤは座る。
「それは私にはわかんないけどさ、シアが出てきたならヨヘンは何を言っても行ったよ、そうさせてあげたのは間違ってなかったと思うけどな」
「……」
「それにセフィーナが行ってたらマシな結果になってたとは限らないよ、シアにケチョンケチョンに負けたかも知れないしさ、思い上がりかも」
「……それもそうだな」
遠慮のない幼馴染みにセフィーナは僅かに口元を緩めた。
ヨヘン・ハルパーという己よりも経験豊富な名将が望み、行かせた戦場だ。
自分が行ってたらマシな結果になってたと思うのは些か、高慢であり、メイヤの言う様に負けたかもしれないのだ。
「とにかく待つか」
大きく息を吐くセフィーナ。
ヨヘンの治療が終わったと、セフィーナが医師から呼ばれたのはそれから更に二時間後の事であった。
「親衛遊撃軍の再編をする」
翌朝、親衛遊撃軍の高級幹部クラス十数名を集めた会議でセフィーナはそう宣言する。
「ヨヘン大将の容態は良くないのですか?」
「うん」
マリア・リン・マリナの問いにセフィーナは首を縦に振る。
「面談はしたが意識も戻っていない、戦場になるかもしれないこのサクラウォール城には置いておけないし、私の所領であるゼライハに医者を付けて後送する事にする」
「そりゃ参ったなぁ、これから手強いリンデマンの第一軍と戦うのによ、俺達が大変になりそうだ、やっぱシアちゃん戻ってきてくんないかぁ」
椅子に背をかけて、ぼやくクルサード。
デリケートな話題を遠慮なく口にする彼に、マリアなどは咳ばらいをして注意を促すが、セフィーナはそんな彼に数瞬だけ視線を送ると、また幹部達に向き直る。
「ヨヘンの師団は約一万八千程の戦力、この戦力のうち六千を私とクルサード、マリアの師団に分けて配置して、残る一万二千は我々の後方の後詰めにする」
「……後方ですか?」
驚く何人かの参謀達の意見を代弁するマリア。
「相手の連合軍第一軍は十五万を越えてるんだぜ? 七万そこらの俺達が前線兵力を減らすのはどうですかね?」
クルサードの抗議に近い口調に周囲の幹部達も反論しない。
ヨヘン・ハルパーを欠いた上、不利な前線戦力を更に減らしてどうするのかいう至極当然の意見だからだ。
「クルサードの意見はわかるが、本格的に連合軍の侵攻が始まったら各地の治安がやはり気になる、帝国国土の広大さを利用した戦略を取ろうにも後方を攪乱される戦術をリンデマンに打たれたらやりにくいんだ、その為の後詰めだ」
セフィーナはそう答え、
「今からヨヘン師団を預けられる者も思い付かない、師団を引き継いで前線に出るのならば、ヨヘン並の動きをしてもらわなければ困る、誰かいるか?」
と、幹部達を見渡す。
意地の悪すぎる質問だ。
この大陸で五指に入るともされる用兵家のヨヘンの代わりが出来るとここで挙手できる者がいる訳がない。
「だろ!? 私とクルサード、マリアがあまり大きな戦力を率いるのも限度があるし、だったら後詰めで背中の不安を無くしてもらった方が賢明だろう」
セフィーナは黙り込む幹部達から手元に置かれたコーヒーカップに視線を移し、それをユックリと口に運んだ。
「どう思う?」
「へ?」
会議の終了後。
廊下をその肥満した体躯を揺らしながら歩くクルサードは後ろに続くマリアに聞く。
「へ? じゃねぇよ? 姫様、なんで前線から一万を越える戦力を後ろに回しちまうんだ?」
「それはセフィーナ様が自分で説明したでしょう?」
「素直に信じるタチか? お前はそこまで性格のいい娘じゃねぇだろうが?」
帝国貴族の最高峰である三列候家の出身であるマリア・リン・マリナにもクルサードの口は別け隔てない。
ソバカス眼鏡の冴えない女子大学生、要領の悪そうな女子伝令ともその姿を揶揄されるマリアは、ん~と間を置いてから、
「ヨヘン大将の復帰を期待されてるのではないでしょうかね?」
と、答えた。
「無理だろ? まだ意識も戻ってないんだぜ?」
「それは今でしょう?」
反論に即答するマリアの瞳が普段とは違う光沢を帯びた。
気鋭の戦術家として注目されている彼女の普段とは違う一面である。
「十数万を越える連合軍、それもゴットハルト・リンデマン率いる相手に半数の戦力で決戦を挑むのは如何に英雄姫と言えども勝算は薄いとはセフィーナ様も解っていられる筈、ならばこの帝国領土の広大さを活かした抵抗後退戦術を取り、戦場を徐々に北に持っていき、秋季、冬季戦に引きずり込むという戦略が頭にあるでしょうからね」
「その頃に復帰してくれれば充分と?」
「そうです、そうなれば連合軍も相当焦っている、そこにヨヘン・ハルパーが一万二千の戦力を率いての復帰となれば……」
「俺達にとってはハッピー、だな」
「そうです、そうなれば相手がゴットハルト・リンデマンと言えども半数以下の我々を簡単には排除できなくなります」
クルサードは歩く脚を止め、マリアに振り返る。
「だが、それには問題が幾つか、いや……幾つもある」
「例えば?」
「秋季、冬季までを視野に入れた持久作戦はいい、確かにこっちは守り戦だし、兵もこちらの方が冬季戦には慣れてるだろう……しかしあのゴットハルト・リンデマンがそれを読めていない訳はないだろう、早期決戦を強いる戦略を立ててくるだろうという事と……」
「それと?」
「戦うのは俺達だけじゃねぇ、リンデマンと同じくらい油断ならねぇアリス率いる連合軍第二軍がベネトレーフの皇帝陛下を破って、フェルノールを落としちまったら、こっちが持久戦態勢に持っていけても関係ねぇ、って事だよ」
「その通りです、流石はクルサード中将、私もそれは心配していたんですよねぇ、セフィーナ様も後詰めを配されたとはいえリンデマン大将が何かを仕掛けてくるのも、フェルノール方面も心配ですよね、でもお味方と考えが共有できているのは嬉しいです」
不安と言いながらも、戦略の読みが共有できているニッコリと笑うマリア・リン・マリナ。
クルサードはフゥとため息を付き、
「不安が共有できても仕方がねぇだろ、まったく……最近は戦場に変な女が増えたぜ」
と、ぼやいて頭をボリボリかきながら、再び廊下を歩き出したのであった。
続く




