第百五十六話「アイオリア帝国遠征作戦 ―ヨヘン出撃―」
アリス大将率いる連合軍第二軍がベネトレーフに迫りつつある六月中旬、セフィーナ率いる親衛遊撃軍はサンアラレルタから北西の国境近くのサクラウォールに駐留していた。
サンアラレルタのリンデマンの連合軍第一軍と睨み合う形になってはいるが、実はまだ両軍ともに前回の戦いからの戦力の編成、補給という戦闘準備が整っていないという内情。
その中でも第二軍の先行出撃を受け、セフィーナは直轄師団の出撃準備を進めた。
「どうしてセフィーナ様は出撃準備をするんだ? 連合軍第一軍はおそらく第二軍を優先して出撃準備をさせたという有力情報から七月までは出てこれないだろう? いくらゴットハルト・リンデマンでも補給や編成を他に優先して早める工夫は出来ても、更に自分達の出撃まで早める事は出来まい」
若手参謀達が司令官の行動の意味を図りかねた翌日の朝、ヨヘンは士官食堂でメイヤと並んで朝食を摂るセフィーナの元に自分の朝食を乗せたトレイを持って歩み寄る。
「セフィーナ様、一緒に宜しいですか?」
「ああ……ヨヘンか、構わないぞ」
「ありがとうございます」
目玉焼きの黄身を潰し、それがかかったベーコンをフォークで口に運びながら頷くセフィーナ。
ヨヘンはまるで姉妹の様に同じ食事を摂るセフィーナとメイヤの正面に座った。
「大切な話? どこうか?」
「作戦上の話をするけどセフィーナ様が気にしないなら構わないわ」
「気を使わずそのまま食べてろ」
「はぁい」
気を使うメイヤだが、ヨヘンとセフィーナからの許しが出るとそのままコーンスープを口に運ぶ。
士官食堂で他の将官達と同じように食事を摂るセフィーナであるが、彼女と同じテーブルにつくのはヨヘンか出自が大貴族のマリア・リン・マリナくらいである。
「作戦上の話か、どうした?」
「はい、せっかく準備させている直轄師団ですが……」
「必要ない、お前もそう思うか?」
セフィーナは食事の手を止めて顔を上げた。
相変わらずの童顔ながら神妙な顔つきに変わったヨヘンは首を縦に振った。
「はい、御察しの通り、ベネトレーフからセフィーナ様への援軍要請は無いと思います」
「であろうな、おそらくベネトレーフの作戦指揮はパティ中将に委ねられているからな」
セフィーナの言い方には棘は無かったが、表情には何処か複雑な感情がある。
「では……セフィーナ様はなぜ出撃準備を?」
「リンデマンの奴にベネトレーフが我々を頼るつもりがないと感づかれたくない、ヤツは我々とベネトレーフの協調の無さを薄々感じ取ったからこそ、我々が上手く連携すれば各個撃破の危険性があるのに自分達はサンアラレルタに残り、攻略時間の確保を最優先して第二軍の出撃を優先させたんだ」
「薄々の協調の無さ? リンデマンはそれをどこから感じ取ったのですか?」
「先程の会戦だ、サンアラレルタを我々が四方から包囲する可能性もあったにもかかわらずベネトレーフは支援攻勢にも動かなかった、ヤツならばそれくらいから勘づく、だからこそ私はここでベネトレーフの支援に向かうように偽装出撃をするつもりだ」
「ベネトレーフとの協調が有るように見せるわけですね」
「ああ……ただ要請もないのにベネトレーフには向かえないから、リンデマンが援軍阻止の為に繰り出して来るだろう敵師団と戦ってから結果はどうにせよ退かなくてはならない」
「なるほど……」
セフィーナに頷きながらも、ヨヘンは二人の火花は戦いの合間にも散り続けている事に驚きを覚える。
連合軍としてはベネトレーフの帝国軍と親衛遊撃軍の間に正確な連携が在るとすれば様々な対策を取らざる得ないが、実際にはそれは無く、セフィーナとしては在りもしない連携を在るように振る舞わなくてはいけないというのは辛い所だ。
「それなら自分の師団が動きますか? セフィーナ様が動かれる必要はありません、もし可能ならばリンデマンの繰り出した相手を撃破してしまっても構わないのですし、予想外の大軍が出てきたら逃げてしまえば良いのです、逃げ足には私は自信があるんですよ?」
偽装出撃を自ら願い出るヨヘン。
直轄師団の出撃を準備したセフィーナはそれを自分でやるつもりだったのだろうが、ヨヘンとしてはセフィーナにかかりすぎる負担を少しでも減らしたかったのである。
ただセフィーナは難しい顔をする。
「……ヨヘンが行くまでもない、それならマリア・リンでも平気だろう、お前に行かせるならマリア・リンに行かせる、適当に相手をあしらって帰ってくるならアイツで充分だろう」
「……」
嘘はすぐ判る。
セフィーナは戦場ではともかく実生活では嘘が下手な娘だ。
少なくとも彼女より両手の指くらい上の年齢のヨヘンにとっては見抜けない物ではない。
「私に行かせたくないんですね?」
「お前には私の元にいてもらいたい、参謀代わりに何かと助言もしてもらいたいからな」
また嘘だ。
セフィーナは実戦では殆ど参謀役を必要としない。
稀代の戦術家である英雄姫セフィーナに誰が戦術面で助言が出来るというのか。
セフィーナが必要とする幕僚からの助言はもっぱら補給や編成が関わってくる部隊運用面であり、それはヨヘンの専門分野では無い。
それにここからはヨヘンの私見であるが、ヨヘンとセフィーナの得意戦術には何処か似ている部分がある。
機動による先手攻勢。
優劣は語らないにしても、基本が似かよっているならば参謀としての出番もない。
ハッキリと言えばヨヘンはセフィーナの参謀には合わなく、今まで親衛遊撃軍の人事としてもヨヘンはセフィーナの参謀役には配された事が無いのだ。
なぜセフィーナが嘘を重ねたのか、それは……
「我々からベネトレーフに援軍を出すとなれば、リンデマンが確実に阻止する為にシアを出してくる、そうなれば牽制出撃であっても相当に困難でマリア・リンやクルサード中将でも危ない、だからこそ自分で出なければいけないと直轄師団を準備させたのでしょう?」
「……」
沈黙は肯定の意。
セフィーナは綺麗な形の眉を僅かにしかめた。
「そこまで勘繰るな、こちらの連携が無いのを誤魔化すだけの勝敗も拘るつもりが無い前哨戦だ」
「それならば私に行かせてください、セフィーナ様を前哨戦で前には出せません」
「ヨヘン」
食事の手を止めて顔を上げ、ヨヘンと瞳を交差させるセフィーナ。
ヨヘンもそれを逸らさない。
「私を困らせないでくれ……私はヨヘンとシアの戦いなんて」
「セフィーナ様!」
絞り出すようなで本意をようやく告げたセフィーナに対し、ヨヘンはテーブルから身を乗り出して顔を近づける。
「……」
「セフィーナ様!」
返事をしないセフィーナは隣のメイヤに一瞬視線を送ったが、ヨヘンはメイヤの存在を無視した。
ヨヘンがセフィーナに向けた行為が暴力であるなら、いかようにも阻止できる幼馴染みも今回のそれには上手い対処方法が浮かばなく、スプーンをくわえたままだ。
渋々、セフィーナは視線をヨヘンに戻す。
「セフィーナ様!」
「な……なんだ?」
ようやく返事をしたセフィーナにヨヘンは更に顔を近づけた。
「私はあの娘の尻を思いっきり泣くまでひっぱたいて、なんで最後までセフィーナを信じて頼れなかったのか、と叱りつけたくて仕方ないんです! やらせてくれますよね!?」
「……」
あまりにもごく私的な動機の吐露。
セフィーナは息を呑んで、またもや黙ってしまったが、数秒間の勝ち目の無いにらみ合いの末、困り果てた様子でポツリとこう言った。
「絶対に帰ってくるんだぞ、絶対に……もう嫌だからな」
しおらしくなった英雄姫セフィーナに対し、テーブルに乗り出していた小さな身体を戻し、ヨヘン・ハルパーは立ち上がり、申し訳なさげに微笑む。
「泣きべそかいたあの娘も引き摺って帰ってきますから、その時は私に免じて色々と許してあげてくださいな」
その二日後の六月十八日。
ヨヘン・ハルパー大将率いる一個師団約二万は進路を東のベネトレーフに向けて出撃したのだった。
続く




