第百五十三話「アイオリア帝国遠征作戦 ―サンアラレルタ発進―」
サンアラレルタの後方支援地であるフォルディ・タイを奇襲。
基地機能や物資に多大な損害を与え、駐留していた二個師団を撃破。
北上したアラルティの森でシア・バイエルラインを新師団長に迎えた第五師団を退け、十個師団の待つサンアラレルタに躊躇無く進撃。
正面決戦と見せて、多数の高級指揮官に率いられた大軍である連合軍の隙を突いた用兵で第十一師団長を急襲、師団長のウィリアム・スコット中将を討ち取り、更に対応に迷いを見せた第九師団にすかさず突撃して先手を獲り、打撃を与える。
第九、第十一師団を見捨てまいと、アリスが手を回して動き出したのはリキュエール中将の第十三師団。
混戦の味方も巻き込んででもセフィーナを痛撃しようと突撃を敢行したが、その意図は読まれており、急速後退からのV字陣形からの包囲という見事な切り返しを受けて、リキュエール中将に含めての三個師団が一個師団に包囲されての集中攻撃を受けてしまう。
死傷者が急加速で増していく三個師団を救ったのはアラルティの森で一度は退けられ、フォルディ・タイ方面に撤退していたシア・バイエルライン中将であった。
フォルディ・タイで大損害を受けた連合軍部隊を手早く救援すると、損害を受けたままの師団で再びセフィーナを追うように北上したシアはV字陣形のセフィーナの虚を突いて、味方の三個師団を救いつつ、セフィーナへの一撃を狙う。
シアの追撃すら予想していたセフィーナはその一撃をかわしたがシアの攻勢は執拗で、セフィーナは遂に東に向けての撤退を開始する。
時間は既に夜を迎えたが追撃を企図するシア。
だが、そこに現れたのが東方からの大量の灯火と北からヨヘン・ハルパーの出現。
奮戦する妹セフィーナを救う為、北からは名将ヨヘン・ハルパー、ヨヘンベネトレーフからの皇帝カール率いる援軍の登場となれば帝国軍の反撃必至と構えた連合軍。
実はベネトレーフからの援軍は予め用意されたセフィーナの偽装作戦であり、防御を固めた連合軍の隙を突き、セフィーナは戦場を離脱して損害無く北に撤退したのだった。
「……まったく参ったわね」
「戦争をしたのだから気にする事もあるまい、君がした意見具申は何も罪でないのだからな」
「それが通らなかったから私がリキュエールを焚き付けたせいで、戦場が更に混沌としてしまったのよ」
「正式にリキュエール中将に攻撃命令を下した訳でもないだろう? だいたいあの時点でリキュエール中将は私の第一軍に編成替えになっていて、彼女は君の命令で動く立場では無かったのだからな」
サンアラレルタの高級ホテルのレストラン。
ため息をつくアリスの正面でリンデマンは新聞を広げ、コーヒーを口に運ぶ。
ホテルはまるごと高級軍人用に借り切られているので、周囲に見えるのは入口に立つ警備兵と何人かの高級士官だけだ。
本日は六月四日。
本来ならばアリスとリンデマンに別れて率いられた連合軍の大軍が帝国領になだれ込み、幾つかの国境線の街や拠点を占領していなければいけないスケジュールだった。
それを狂わせたのは前述のセフィーナの躍動にあるが、躍動を許してしまったのは連合軍各指揮官の動きにも原因があり、アリスはその中の一人だと自分を認識していたのである。
連合軍の兵達の中には今回のセフィーナの動きを許した原因を追求する声が上り、それが軍の士気に影響し始めているという報告も上がってきていたのだ。
「でもそれじゃ、責任の所在がハッキリしないじゃない!? 自分でも嫌だけど処罰は覚悟しているわ」
「時間がない、現場の不満はわかるが戦場で生じた不満は戦場でしか根本的な解決は獲られない、戦場で勝てばその手の不満は一夜で馬鹿馬鹿しいくらいに消え去る、今は一日経てばそれだけで帝国軍の陣地は強化され、彼等の救世主であり、我々には悪魔になるであろう冬が近づいてくるのだ」
「冬!?」
新聞を置き、真顔のリンデマンの口から出た季節にアリスは唖然とした。
まだ六月の初旬。
少しは暑くなり始めているが夏すら本格的には訪れていないのである。
だが……アリスはそれで理解した。
「なるほどね、アンタは皆が必死に目の前の戦況を追っている時に半年以上も先の事を考えていたのね」
「銀髪のお姫様も同じだ、彼女は親衛遊撃軍が半壊しても時を稼げれば良いというくらいに積極的に戦闘をした、そこまで覚悟の動きだからこそ私は彼女の狙いを外す事に拘った、たとえ我々がセフィーナ・アイオリアと親衛遊撃軍を撃破出来たとしても侵攻を数ヵ月単位で遅れさせられたら、今回の帝国打倒のチャンスが数年、いや数十年伸びる怖れすらあるのだからな」
「…………」
アリスは同意の沈黙を返す。
リンデマンの言う冬が訪れるまで戦線を引き伸ばされ、連合軍の大遠征が失敗に終わったとしたら、戦力的な被害はどうであれ来年またやりますとは簡単にはいかない。
三十万の大軍を動かすにはそれだけで国家的な規模で物心両面の消耗が伴う。
帝国打倒のチャンスが続いていたとしても、膨大な消耗の連続を両院議会や各企業が嫌うだろうし、何よりも家族や大切な者達を戦場に送り出す市民が黙ってないのだ。
それこそ再びの帝国との停戦という軍部にしては歯軋りする世論が鎌首をもたげかねない。
数十年伸びるという例えは決して誇張ではないのだ。
それを沈黙で返したのは、自分を含む皆が目の前の戦況を必至で追いかけていた時に、セフィーナ・アイオリアとゴットハルト・リンデマンという二人は違う次元で凌ぎを削っていたという事実にアリス・グリタニアという将が明らかに嫉妬の感情を覚えたからである。
「参ったわね……」
先に言った言葉を繰り返したアリスだったが、意味は全く異なっていた。
今回、アリスは何度かリンデマンの用兵の消極さに焦れた。
なぜリンデマンはセフィーナと用兵の手腕を比べ合おうとしないのか、なぜ大軍を持ちながら動かないのか。
そう思い、自分の指揮下から移動させたリキュエールすら動かしたりしたのだが……リンデマンは最小限以外は動かぬ事でセフィーナと戦い、彼女の目的達成を阻み、連合軍の大遠征作戦成功の可能性をキチンと守り抜いたのだ。
「参ってもらっては困るよ」
椅子の背もたれに身体を預けるリンデマン。
相手がどう受け取っても好意的な印象を得るのが難しいであろういつもの薄笑い。
「どういう事よ?」
「どういう事も何も、君の率いる第二軍がベネトレーフのカール皇帝の直轄軍を打ち破り、君には帝国首都フェルノールに入城してアイオリア帝国を滅ぼした将となってもらわなければいけないのだからな」
「殊勝じゃない? 遠回りになるとはいえ防御拠点群を相手にしなくていいアンタの第一軍が先にフェルノールに入城してもらったって構わないわよ?」
珍しいリンデマンの言い様にアリスは肩をすくめた。
リンデマンの第一軍とアリスの第二軍の進撃予定路は既に決まっている。
第一軍はサンアラレルタより北上し、帝国中東部の各地を攻略しつつ大きく東にカーブを描いて、東部海岸線のフェルノールに迫るという迂回ルート。
第二軍はサンアラレルタより、一旦連合軍領を東に進み、東部海岸線上を北上してフェルノールに向かうという直撃ルート。
距離的には第二軍のルートが圧倒的に短いが、もちろんフェルノールを守る為、帝国軍が長い年月を経て築き上げてきた防御拠点が多数存在し、新帝国皇帝カールが自ら直轄軍を率いて守っている。
第一軍のルートは逆に距離は遠回りだが、親衛遊撃軍を撃破さえ出来てしまえば、防御拠点を幾つも攻略しなければ進めないという事がなく、どちらがフェルノール入城に有利かという問われれば答えは分かれるだろう。
「いや……今回は私は君とフェルノール一番乗りを比べ合うつもりは毛頭ない、後方支援地であるフォルディ・タイを荒らされた分だけ作戦開始の準備が遅れそうだ、物資の分配や編成を第二軍優先に回して、第二軍の進撃開始を早める、これなら君の第二軍は一週間後には出発できる、既に総司令にも具申して裁可も得ているよ」
「揃って出撃しないという訳ね」
「そうだ」
「功績を譲ってくれる、なんて虫の良い事するゴットハルト・リンデマンじゃないわよね?」
「どう受け取ろうとも君の勝手だが、功績は君が自身で手にする物だろう? 私は作戦全体に時間を与えたかっただけだ」
「了解したわ、無駄にはしないわ」
アリスは神妙な顔で応じた。
ゴットハルト・リンデマンは戦場での功績争いには他の将よりも無頓着である事は彼女も解っている。
最終的な勝者の側に立つ為ならば、その手の欲は禁物であるという事を過去の様々な事例から理解しているのだ。
「宜しい、その後の我々第二軍の出発は七月初旬になるだろう、だが我々も状況に応じ、多少の準備不足は承知で臨機応変に動く、例えば……」
「先に動いた私の第一軍をセフィーナ・アイオリアがベネトレーフに駆けつけて帝国軍全軍で撃破しようとする動きを見せた時とか?」
「その通りだ、二ヶ所からの同時侵攻が無くなれば戦力的劣勢の帝国軍が実現したいのは各個撃破だからな、我々が別個に出てくるとなればまず考えるだろう、もちろん私もそうさせないつもりではいるが……」
アリスの返答に頷くリンデマン。
しかし、と言葉を挟み……
「皇帝直轄軍と親衛遊撃軍の間にはそこまで連携が取れる状況では無い可能性がある」
と、アリスを見据える。
リンデマンは以前から親衛遊撃軍と皇帝直轄軍の意思疏通阻害を感じていた様子だった。
「かもしれないわね、カール皇帝がセフィーナの策に完全に同意していたならば、サンアラレルタに現れた沢山の灯火は本物であった筈だものね」
「ああ……詳しい内情までの情報はわからんが、セフィーナ・アイオリアが后妃になっていないという所に理由があるのかも知れないな」
「……論外よ、いくら大好きで自分が皇帝だからって、可愛い妹をお嫁さんにしたいなんてね」
アリスは椅子から立ち上がる。
皇帝に溺愛されているという噂はセフィーナには付いて回る話であり、連合の市民すら冗談のネタに使うくらいだが、少なくともセフィーナと面識のあるアリスとしては彼女がそれを望んでいるようには見えなかった。
可愛さ余って、憎いとまではいかないが互いに気まずくなる位はアイオリアだろうが、普通にあるだろうとアリスは思う。
「とにかく話はわかったわ、第二軍が先発するなら手配とか色々と急ぐから失礼するわね」
「ああ……あと」
「何?」
「リキュエール中将を君の元に戻す、あそこまでお転婆は君が指揮した方が良さそうだ、私には言うことをよく聞くブライアンの方が合う」
「ありがと、あの娘は私の一派だからね」
笑顔を見せるアリス。
リキュエールを第一軍に回してしまった事を正直後悔していただけに予想外の処置であった。
「では……頼む」
別段、リンデマンに感情がこもっていたとも思わない。
軍人ならば何度かは言われる言葉だ。
しかし、その言葉にアリスは口元を引き締め、軽くであるが敬礼を返す。
「ええ……フェルノールは私が落とすわ」
それから八日後の六月十二日早朝。
アリス・グリタニア大将率いる帝国遠征第二軍が最終目的地フェルノールを目指しサンアラレルタを進発する。
それは遠征軍の片翼であるにも関わらず、その陣容は六個師団からならなり、支援部隊も含めれば十五万になろうかという大軍であった。
続く




