第百五十二話「サンアラレルタ会戦 ―決着、今は眠れ英雄姫―」
「ベネトレーフからの帝国軍援軍と思われる灯火が多数、セフィーナ師団が退却する東の彼方に見える、それに呼応しセフィーナ師団が反転反撃を開始、我々第五師団はサンアラレルタに向けて後退中」
シアからの報告に緊張が走る連合軍総司令部。
だが更に第二軍のアリスから報告が舞い込む。
「北方より急速に接近する集団あり、判別は困難であるが帝国軍親衛遊撃軍の一部と判断し、至急迎撃態勢を整える」
東と北からの新たな帝国軍。
セフィーナの反転。
開戦前は一個師団のみだった筈の帝国軍の総反撃の構えにサンアラレルタ連合軍総司令部の各幕僚達は焦りを隠せない。
司令部の人間の視線が一人に集中する。
総司令官モンティー元帥にではない。
緊迫する戦況の中で一人相変わらず腕を組みながら、それらの報告にも顔色ひとつ変えない臨時司令官にであった。
「リンデマン大将!」
「何か?」
「何かではない、敵軍の総反撃だ! 北からも東からもこのサンアラレルタに向けての反撃だ、我々が一個師団に手こずっていた隙に北ではパウエル将軍がヨヘン・ハルパーに突破され、東からはベネトレーフのカール皇帝が妹を助けに来たのだ、これは一大事だぞ!? 早急に対応策を!」
素っ気なく見えたリンデマンの返事に対応策を急かすモンティー元帥の声が早口になる。
だが……それに対するゴットハルト・リンデマンの表情はいかにも彼らしく、嘲笑を浮かべただけであった。
「まぁまぁ、元帥……そう焦らずとも宜しいでしょう? 帝国軍が決戦を望むのならばそれはそれで良いではありませんか、セフィーナ師団に掻き回されていた各師団を定位置に戻し、落ち着いて様子を見ましょう、敵軍が勢揃いしても我々の方が戦力では遥かに勝るのですよ」
様子を見る。
あまりにも予想外のリンデマンの対応策に、モンティー元帥だけでなく、総司令部の幕僚たちも唖然とする。
まさに決戦の時ではないのか!?
一個師団のセフィーナ・アイオリアを倒せなかったクセに戦力を当てにしてどうするのだ。
そう遠慮なく口にする若手幕僚もいる。
「元帥閣下、リンデマン大将に委託された指揮権をそろそろ元帥閣下に戻されて指揮をすべきでは?」
そこにすかさず若手参謀のジョシュ中佐がモンティー元帥に提案した。
今のリンデマンの指揮権はあくまでもモンティー元帥の特別措置による借り物だ。
元帥がその気になればいつでも取り戻せる物なのだが……
「それも一つの手であるが……」
モンティー元帥の歯切れは悪い。
余計な提案をしてきた目立ちたがり屋の若手参謀とはモンティー元帥は違う。
自分の得手不得手を心得ており、不得手な部分で今後に関わるような大勝負をするような人間ではないのだ。
総司令官として、大遠征の手配手筈は滞りなく準備し、戦の中身はリンデマンとアリスに任せるつもりである。
ジョシュ中佐は、リンデマンのこれ以上の助長を制し、総司令部における元帥と自分ら若手参謀の発言力を取り戻す為の進言なのだが、元帥の中では空気の読めない若い参謀への評価はかなりの下降線を描いている。
『こんな所で指揮権を取り戻すくらいなら、初めから私が指揮をしておるわ』
そんなモンティー元帥の心中を見透かした顔でリンデマンが元帥に嘲笑を続けた。
「先程までのセフィーナ・アイオリアの奇抜な戦に冷静さを喪っておられたジョシュ中佐も回復された様で何よりだ、モンティー元帥、彼の言われる通りに指揮権を元帥閣下にお返し致しましょうか? そうなれば私は閣下の責任ある指示に従い、連合軍と戦いますが!?」
「……あ、いや……」
もちろん額面通りにリンデマンの言葉を取る程に元帥はお人好しではないが、帝国軍の英雄姫セフィーナとは絶対に戦いたくないという心中を見透かされては分が悪い。
セフィーナの予想外の戦い振りに冷静さを喪った事を指摘されたジョシュ中佐はリンデマンに対して、鋭い瞳で抵抗したが元帥は対応策を急かした勢いを失い、
「こ、この戦場は君に任せる事になっている、引き続き指揮をとりたまえ」
と、咳払いをして告げてしまう。
「了解しました……という訳だ、ジョシュ中佐、ここは私の指揮にもう少しお付き合い願おうかな?」
嘲笑いを止めないリンデマン。
それを向けられたジョシュ中佐や若手参謀達は歯軋りするがどうにもならない。
全将兵、戦場の責任を背負い、セフィーナ・アイオリアと正面から対峙できる司令官など連合軍だけでなく、このガイアヴァーナ大陸にも数人もいないのだ。
薄ら笑いのまま、リンデマンは東から迫る大量の灯火に向き直り告げた。
「第二軍は北からの、第一軍は東からの敵部隊の接近に注意し守備重視の陣形を組むのだ、こちらから撃って出る必要はない、敵軍が攻撃してきた時のみ応戦せよ!」
サンアラレルタへの撤退行動を移った連合軍第五師団の動きは素早かった。
援軍を得て撤退から逆襲に転じたセフィーナ師団だが、その脚は思いの外遅く、追撃は上手くいっていない形。
激戦続きのセフィーナ師団の将兵の疲労が脚を鈍らせているのだと連合軍第五師団の兵士達は胸を撫で下ろして、サンアラレルタへの撤退行を急いだが、その真実は違う。
「全力で追うな、休み休みだ、遅くてもいい」
セフィーナは全将兵に休み休みで進むように制していた。
全力で追えば第五師団の背後を襲える可能性もあるがそうはせず、とにかく兵士達に更なる疲労を与えないようにセフィーナは勤めていた。
「そうだ、そうだ、さっさとサンアラレルタに帰れ……お前だけ私の元に帰ってきてくれるなら歓迎するが、そうでないならそのままサンアラレルタに帰れ」
馬上でセフィーナはシアの率いる第五師団との距離が遠くなっていくのに神妙な顔で呟く。
そして、師団の東方に広がる大量の灯火に振り返り、
「あんなの援軍でもなんでもない、只の灯りなんだからな、短い間だったが、エリアン中将が上手く用意してくれたな」
そう安堵の息をつくセフィーナ。
その言葉の通り、東方から突如として現れた大量の灯火の援軍は連合軍の怖れていたベネトレーフからのカール率いる帝国軍などではなかった。
セフィーナが決戦に挑むにあたり、シアをアラルティの森で撃破した直後から、副師団長のエリアン中将に千五百の兵を与え、密かに東に向かわせ用意させた大量の灯火の偽兵。
エリアン中将が一人の兵士が何本もの松明を持たせたり、馬の背などに松明をくくりつける等と苦労して、数万の大兵力に見せかけ、セフィーナと打ち合わせたタイミングで東からサンアラレルタに近づいた物なのだ。
もちろん夜の灯火であるから可能な策であり、その為にセフィーナは十個師団に向かって自ら進み出たと言っても良い。
自ら出なければ開戦の時を戦いが夜に差し掛かるであろう夕刻に設定できない。
迎え撃ったのでは開戦の時を選べないからだ。
「リンデマンにバレないかな?」
馬上のセフィーナの横にメイヤが徒歩で並んでくる。
やや緊張の面持ち。
東からの援軍が偽兵だと、バレてしまったら第五師団は再びセフィーナ師団にかかってくるだろうし、サンアラレルタの大戦力も攻勢に転ずるだろうとは用兵に疎いメイヤすらも考える事だからだ。
ましてや相手はゴットハルト・リンデマン。
並の相手ではない。
「まずダメだろうな、簡単には騙されてはくれない」
「じゃあ……やられる?」
「そうとも限らん、十中八九援軍の灯火が疑わしいと思っても、リンデマンは動かないかもしれない、アイツはある意味自分の意見が徹底しているからな」
「動かない方がいいんでしょ?」
セフィーナの言い様の矛盾を突っ込むメイヤ。
偽兵の目的は大軍の来襲に見せかけてサンアラレルタの連合軍の動きを牽制しての夜に紛れての撤退。
それなのにリンデマンの動かないという選択が望ましくない様にセフィーナが発言したのが気になったのである。
「まぁ……相手が動かないのならば、我々としても北から支援に来てくれた味方と上手く連携して帝国領への撤退をするのだが……」
「それでいいんでしょ?」
「それもそうだが、私としてはもう少し暴れたい気がある」
まだ戦うつもりのセフィーナに、戦については意見を滅多に言わないメイヤの瞳が見開く。
「もう帰ろうよ、みんな疲れてんだぞ!? 上手く撤退するためにエリアン中将達にも頑張らせたんだから!」
「そう、そうだな、確かにそれもそうだ……サンアラレルタに動きがなければ撤退を優先する、それに今回は部下達をこき使いし過ぎたものな」
予想外の戦闘継続の意欲に師団兵士を代表して毒づくメイヤにセフィーナは多少の未練を残しつつも素直に謝罪して頷いたのだった。
味方の二個師団を残し、どうにかパウエル、ブライアン両師団を通過して北からサンアラレルタの連合軍に迫ったヨヘン・ハルパー率いる帝国軍一万八千の軍勢。
夕闇に紛れての突撃を画策したが、アリス率いる連合軍第二軍の各師団がまるで襲来を予知した様に北に備え、軍を向けていたので攻勢の成功の見込み無しと強行突入を控えた。
目的は敵中に孤立していたセフィーナの撤退の支援なのだ。
夜の闇と自慢の機動力を活かした奇襲攻撃が成功すれば、その助けになるだろうが、備えをされていて当てが外れたヨヘンは東からの援軍を思わせる大量の灯火にとりあえずは様子を見る事に決めたのである。
「ひょっとして、ベネトレーフが動いたのですか、やはりセフィーナ様の身を案じられた皇帝陛下が駆けつけてくれたのだ、セフィーナ様の反撃に乗じるべきでは!?」
「違うよ」
東からの大量の灯火に興奮した幕僚の提案をヨヘンはアッサリと却下して、セフィーナ師団の物と思われる灯火を見つめる。
「ベネトレーフはハッキリと援軍も拒否し、期日まで決めて帝国領まで下がるように命じてきたんだからね、皇帝陛下も流石に軍規までは曲げては戦は出来ない、アレはおそらくセフィーナ様の苦肉の策だと思う、援軍に見える灯火は偽装だ」
ヨヘンはそう判断して、
「私達は北を向いた連合軍第二軍をこのまま牽制する、きっとセフィーナ様はこのままサンアラレルタには向かわずに何処かで北上する筈、セフィーナ様の師団はきっと連戦で疲れているから私達がどうにかして必ず北に逃がす」
と、自らの師団に指示を出した。
サンアラレルタ会戦と呼ばれるこの戦いは十個師団に一個師団が攻勢に出るという常識外れな幕開けであったが、エンディングの演出は地味であった。
援軍を獲て、サンアラレルタに反撃に向かうかと思われたセフィーナ師団はヨヘンの予想通りに急に進路を北に変えて戦場離脱を計る。
だがサンアラレルタの連合軍はそれを追うような行動は見せず、続いて撤退していくヨヘンの師団すら見逃し、戦いを終えたのである。
その翌日の夕刻。
ヨヘンの師団と合流したセフィーナ師団はサンアラレルタの北方で連合軍のパウエル、ブライアン両中将の師団と対峙していたクルサード、マリア・リン・マリナの両師団とも合流を果たす。
パウエル、ブライアンの両師団はそれを無理に妨害する様な動きを見せなかった。
四個師団となった親衛遊撃軍の幕僚の一部からはパウエル、ブライアン両師団を倍の戦力で撃破すべきだという意見も出たが、セフィーナは首を横に振った。
「確かに目の前の戦力差は有利だが、老練なパウエル将軍に足首でも捕まれて逃げられなくなった所にサンアラレルタから増援が来たら敗北必至だ、相手がこちらの行動を強く妨害してこないのならば大人しく下がろう」
やや消極的にも映る言動だが、親衛遊撃軍は四個師団と言っても敵地での戦で物資も心もとなくなっているし、全師団がそれなりに損害を受けている。
「私ももう無理をする戦場ではないと考えます」
ヨヘンもセフィーナの撤退案を支持し、親衛遊撃軍はパウエル、ブライアン両師団を振り切る様に更に北上して、帝国領であるサクラウォールに帰還したのであった。
フォルディ・タイ奇襲から始まり、アラルティの森でのシアとの戦い、そして二個軍団相手のサンアラレルタ会戦。
独断専行から生じた連合軍への攻勢は後の戦史書などからは一個師団のセフィーナが帝国侵攻直前の連合軍の大軍に挑み、大戦果を挙げて、尚且つ師団の半数も損なわなかったという英雄姫セフィーナの天才戦術家としての真骨頂を発揮した戦とされ、後世での劇作品でも主人公セフィーナを輝かせる場面として時間を割いて描かれる所となる。
逆にこの一連の戦でのゴットハルト・リンデマンへの後世の評価は低く、セフィーナの機動に対して防御を固めるばかりで十倍の戦力を以てしてもセフィーナを撃破すら出来なかった、という扱いをされ、セフィーナの勝利と断じる向きが多いのだが……真骨頂を発揮したとされるセフィーナ本人の評価は大きくそれらとは食い違っていたのである。
サクラウォール城の一室。
セフィーナはベッドに寝転がり、天井を見つめていた。
サクラウォールに帰還して数日は親衛遊撃軍は身動きが取れなかった。
兵士達があまりにも疲労していたからだ。
特に敵地に深く侵入し、強敵との連戦を繰り返したセフィーナの直轄師団の疲労は極まっており、直轄師団兵士達の殆どが数日の完全休養が必要であった。
それは師団を率いていたセフィーナも同じで、サクラウォールに帰還してから三日は食べて湯浴みをして、寝ていただけで、ようやく四日目の昼に疲労感から自然に寝てしまう催眠術から解放されたばかりなのだ。
一人、舌打ちする。
「こんなに疲れるくらいに暴れまくったのに、結局は連合軍にして今回の侵攻作戦を大幅に遅れされるまでの損害は与えてはいないのだろうな、今回の損害で出来れば三ヶ月は侵攻作戦を遅延させたかった、そうすれば我々には相当な猶予が出来たかもしれないのに……リンデマンめ、相変わらず付き合いの悪い奴だ」
予想外の親衛遊撃軍からの攻勢。
後の世にも語られるセフィーナの躍動は確かに三十万を越える連合軍侵攻部隊に損害を与えた。
今日は六月三日。
国境近いこのサクラウォールでも連合軍の侵攻開始の報は無いという事は五月初旬に得た六月一日という連合軍の侵攻作戦開始はもちろん延期をしたのだろう。
だが問題はどれくらいの遅延したかだ。
セフィーナとしては三ヶ月は延期をさせたかった。
もし侵攻作戦開始が九月を迎えてしまえば、連合軍は非常にシビアな時間的な制約を受ける筈。
大陸北部には南部人が体験した事がない気候があるのだ。
早ければ十一月にも雪が降り出し、三十万を越える大軍の進軍を大きく阻む効果が期待できる。
もちろん防御側の帝国軍も制約は受けるが、それは攻撃の側よりも遥かに対策は立てやすく、何よりも帝国の人間は寒さに対する培ってきた経験値や装備が違うのだ。
雪道で滞る補給線を狙えば、数十万の本隊が氷点下にもなる屋外で燃料も無く過ごす事にもなる。
そうなれば攻撃どころではなく、連合軍はただ寒さを耐えるだけとなってしまう。
その事態となれば撤退すら難しく、帝国軍のやりようによっては連合軍に鉄鎚遠征の意趣返しすら出来る。
「リンデマンやアリス相手にそこまで上手くいくとは私だって思わないが……」
だが相当な損害を与える戦いが可能。
二人の卓越した指揮能力で損害を最小限に抑えたとしても、再侵攻は万難を排した最短でも来年の初夏を越え、帝国軍にはかなりの時間的な猶予が与えられるのだ。
戦力の動員、防御網の強化も進み、連合軍の再侵攻の難易度は上がり、連合軍も二度目の国家的な動員は諦める可能性も高くなってくる。
今回のセフィーナの一連の戦はその時間を獲ようとした戦いであった。
その為ならば親衛遊撃軍の半数以上を失っても構わなかった。
だからこそセフィーナは撤退できるタイミングであっても、決戦に拘った。
しかしリンデマンはセフィーナの決戦の誘いにはまるで乗って来なかったのだ。
「ヤツは私の狙いが解っていたんだ、好き勝手に暴れまわる私相手に次のスケジュールの為に損害を出さずに退かせる、そこに徹していたのだ」
わかっていても簡単な事ではない。
大軍を擁する自軍の周りを寡兵の宿敵が好き放題に暴れているのだ、大軍を利用して虜にするという魅力を感じない者がいるだろうか?
例えば逆の立場だとしたら、セフィーナは寡兵のリンデマンをそこまで徹底して受け流す選択が採れたか?
周囲の声や目の前の状況に動かないという決断を選び続ける事が出来るか?
性格的な問題もあるだろうが、セフィーナはそこまで動かないという戦略を採れる自信が無かった。
「それが出来るという所が……ゴットハルト・リンデマンという男という事か」
おそらく連合軍のスケジュールの遅延は一ヶ月程だろう。
七月には名将リンデマンとアリスが三十万を越える大戦力で帝国領に殺到してくる。
アイオリア帝国建国以来最大の危機。
間違いなくそうだろう。
何が出来るだろうか?
何かが出来たとしてもその先に何があるのだろう。
終わらない戦いが続くのか?
僅かな間の平和が訪れるのか?
「いや……」
考えるのを止めた。
己はアイオリア帝国に産まれたアイオリアの皇族。
幼い頃からアイオリア国民に慕われ、アイオリア国民を愛してきた。
セフィーナ・アイオリアはアイオリア国民と国を護る。
当たり前の決断を採択すると、銀髪の少女は意識に訪れた睡魔という客を素直に受け入れて眼を閉じた。
続く




