第百四十九話「サンアラレルタ会戦 ―アリス動く―」
リンデマンなら、この展開はこうだろう。
セフィーナにそう言われているとはつゆとも知らず、リンデマンは第一軍左翼部隊の苦戦を黙って見つめていた。
大きくため息を吐き、顎に手を当てる。
命令外の第十一師団の包囲機動から、第九師団の中途半端な追従が起り、それをまるで予期していたかの様なセフィーナ師団の大胆な攻勢。
「必ずや誰かしらが我慢できずに動く、そう信じ、その初動を見逃す事なく結局は先手を取る、彼女らしい瞬発力のある用兵だ」
口ではセフィーナを褒めているが、第十一師団の独断専行に納得のいかない表情のリンデマン。
この場で総司令官を差し置いて指揮を取る自分が軍部内に味方が少ない事が遠因なのは何となくは理解できるが、起こってみてそこまでかと思うくらいで予想は出来なかった。
「それにしても第十一師団の動きが悪すぎるな、第九師団のそうだが……」
その答えはすぐに出た。
傷ついた少年の伝令兵がリンデマンの元に駆け込んできて、第十一師団長スコット中将の戦死の様子を告げたからである。
それを聞いたモンティー元帥や若手参謀達は驚くが、リンデマンの反応は違った。
首を振りながら右手を頭にやる。
外見こそは中将の戦死にショックを受けたように見えるが、出てきた言葉はまるで異なる内容だった。
「司令官たる者が敵の護衛兵と一騎討ちで討ち取られるとは……これで元帥昇進だが、やってる事は中隊長の少佐のレベルだ、第十一師団の将兵達も苦戦するはずだ」
リンデマンの物言いに反応しないのは後ろで控えるメイドぐらいであった。
「リンデマン大将、仮にも戦死したスコット中将にその言い方は無いのではないかっ!」
若手参謀のジョシュ中佐が声荒々しくリンデマンに踏み出すが、その進路をスッとヴェロニカの右腕が遮った。
「き……貴様!」
「……」
歯を喰い縛るジョシュ中佐に対し、ヴェロニカは無表情に近い視線を向けただけだ。
「ジョシュ中佐」
リンデマンがジョシュ中佐に振り返る。
「私もスコット中将の戦死に痛み入る所があるのは当然だし、亡くなった者に文句を言っても仕方がないのだが、独断専行して敵軍につけ込まれた上に一騎討ちを行い敗れ、味方の指揮系統を混乱させたのは事実だろう!? 初めの独断専行の部分だけでも十二分に軍法会議物だ、少しは愚痴りたくもなる、先手を取られたのなら彼は一騎討ちなどせず指揮能力により戦線維持を計るべきだったのだ、そうしていれば少なくとも第九師団の妨げになる様な事は無かっただろう」
「……くっ!」
言い方は酷くはあるが、リンデマンの言い分に間違いはない。
だがスコット中将は連合軍でも一、二を争う猛将。
自らの武勇に頼り、今までも大戦果を挙げてきた将なのだ。
「スコット中将ともなれば、自ら武勇で窮地を切り開こうとする事も理解できないのか!?」
「出来んね、現に彼は武勇に頼んだ一騎討ちで敗れて死んでしまい、味方や部下達をこれまで以上の窮地に追い込んでしまったのだが? 貴官はまず現状が理解できないかな?」
「…………!!」
反論の余地が無かった。
全ては現状が物語る。
感情に任せて余計な事を言ってしまい、リンデマンに手痛い返しを受けたジョシュ中佐は更に歯を喰い縛る。
その対峙を終わらせたのは第二の半包囲網を構成する第二軍からの使者であった。
第二軍総司令官アリスの副官であるヴィスパー中佐。
普通の伝令でなく、彼がやって来たという意味はアリスからの強い意志での意見具申を受けての事だろう。
「戦闘中にご苦労だな、ヴィスパー中佐」
「はっ、アリス大将からリンデマン大将への意見具申の伝達を仰せつかりました」
「ほぅ……アリスからの意見具申?」
「そうです」
「タイミング的には奇遇だな、私もヴェロニカをアリスに遣わして指示を伝えようとしていた所だ」
「え?」
リンデマンの切り出しに、ヴィスパー中佐は思わず小首を傾げて見せる。
二十代半ばだが、童顔で中性的な可愛らしさも持つ美青年ヴィスパー中佐の仕草。
それにフッと笑みを浮かべたリンデマン。
「アリスは第二軍の左翼部隊に苦戦中の第一軍の左翼部隊の救援に向かわせて欲しい、そう言ってきているんだろう?」
「あ……そ、そうです、その通りです! 既に第二軍左翼部隊のマリュッセル中将の第七師団が準備を終え、アリス大将の命があれば即座に動けます! セフィーナ師団を攻撃し、第十一、第九師団を一旦戦場から離脱させるというのがアリス大将のお考えであります!」
ヴィスパー中佐の顔色が明るくなる。
リンデマンがアリスの意図を事前に汲んでくれていたのならば話が早い。
アリスもリンデマンも大将、軍団長、更に士官学校の卒業年度も同じ立場であるが、今の指揮権はモンティー元帥から委託された形でリンデマンにあり、アリスも勝手には動けないからだ。
「よし……」
リンデマンは頷き、ヴィスパー中佐に視線を送る。
「では……アリス大将に伝えたまえ、私からの命が下るまで能動的な攻勢は禁ずる、受動的防衛に徹するように」
「えっ!?」
予想外のリンデマンの返答にヴィスパー中佐の顔色が一瞬にして凍りつく。
「そ、それでは……それでは第九師団と第十一師団は!?」
「劣勢の乱戦に収拾もつけられずに援軍を逐次投入などは出来ない、彼等が自己収拾をするまでは待機する」
「み、見捨てるのですか!? セフィーナ・アイオリアが自己収拾の隙など見せるとは小官は思いません!」
「見捨てるとは人聞きの悪い、私は三重遭難を防ごうと必死になっているだけだよ? まぁ、セフィーナ・アイオリアが自己収拾の隙を見せないという君の見解には同意するがね、ならば彼等の決着が着いた直後、新たな師団を投入してセフィーナ・アイオリアに連戦を強いるまで」
食らい付くヴィスパーに、リンデマンはいつもの笑み。
リンデマンにとっては不意を受けて苦戦する第九師団と第十一師団はもうセフィーナ迎撃には邪魔なのだ。
このまま放っておけば、両師団はおそらく五割かそれ以上の損害を出して壊滅四散してしまうだろう。
その後で新たな戦端を開こうとリンデマンは言うのだ。
「さぁ、ヴィスパー中佐、君は私の命を伝えるという任務を果たしたまえ」
反論は許されなかった。
しても無駄だろう。
それならば……
『アリス大将なら……どうにかしてくれる! ゴットハルト・リンデマンと違い、アリス大将はセフィーナ・アイオリアに実際に勝ってるんだ! 嫌味な駆け引きはリンデマン大将の方が上かもしれないけど、戦場での指揮はアリス大将の方が上に決まってるんだからな』
ヴィスパー中佐は己の信じる見解を強く思い出し、踵を返して総司令部を後にするのだった。
「そんな事考えてたのかっ!? アイツは!」
第二軍の中央部。
ヴィスパーの報告にアリスは右拳で左手を叩く。
「はいっ、それで第二軍には能動的な攻勢は禁ずる、リンデマン大将からの命令です」
「……まったく、第九、第十一両師団を壊滅させられたら、少なくとも一万は死傷者が出るのに!」
舌打ちするとアリスは顎に手を当て始めた。
第二軍の左翼部隊のマリュセル中将の第七師団をすぐにでもセフィーナ師団と第九、第十一師団の戦う戦場に投入する準備は出来ているが総司令のリンデマンから能動的な攻勢を禁じられては流石のアリスも動きは取れない。
ヴィスパーも個人的にはアリスにはここで黙っていては貰いたくはないが、軍規も関わる事である。
十数秒が経つ。
「犠牲覚悟の戦況整理、次に連戦を強いて消耗したセフィーナに勝つ、その為ならば戦場を混乱させてしまう恐れのある味方の二個師団の壊滅も見逃す、なるほどね……理解したけど、私には合わないわね」
顔を上げるアリス。
リンデマンの思考は理解したが、自分には合わない。
その言葉にヴィスパーはアリスに踏み出す。
「……アリス大将! 自分も如何にセフィーナ・アイオリアに勝てようとも、第九、第十一両師団を見捨てるというのは理解できません、苦戦しているのは味方なのです!」
今はアリスよりも上位であるリンデマンからの命令に対して異議を唱える。
ヴィスパーは副官としては到底失格な進言だと判りつつ、思い切って言ってしまう。
それに対し……
「私もよ、効率は悪いかもしれないけれど、あなたに賛成だわ」
アリスは肩をすくめて笑う。
その仕草に表情を明るくさせかけるヴィスパーだったが、まだ早いと、顔を引き締める。
「しかし……司令官であるリンデマン大将から、第二軍は能動的な攻勢が禁じられています、いくらアリス大将でも命令に反してマリュセル中将の第七師団を動かしたら……」
明確な命令違反。
アリスであろうとも軍法会議は免れないだろう。
他人を助ける為に自分を惜しまない気質のアリスであるから構わないかも知れないが、ヴィスパーとしてはそれはなるべく知恵を使って回避したかった。
「それは平気よ、リンデマンは第二軍の行動に対して能動的な攻勢は禁ずる、と言っただけだから」
ヴィスパーの深刻な心配を軽くいなしてアリスは答え、
「アイツがそういう嫌味な手段に出るなら、私だってなりの手を打たせてもらいましょ、ヴィスパー、またひとっ走り頼めるかしら? 私の信頼できる娘の所にね」
と、悪戯っぽく笑うのだった。
連合軍第一軍右翼二個師団の内の一つ、第十三師団。
その先頭に立つ一人の将。
地面に立てた得物のバトルアックス。
緑色の髪を右側に長く伸ばしたサイドテール。
連合軍アリス大将に続く期待の女性将官リキュエール・ダンセル中将である。
「……」
戦況を無言でみつめていた彼女であったが、かっての上司から緊急の要請があり、副官が遣わされてくるという報告を受けると数秒間、眼を瞑ってから再び開いて呟く。
「もしかしたらとは思ったけど、本当に来ちゃったな……ここに着いてからの編成換えで第一軍に換わったけど、やっぱり私はアリス大将の下の方が合うんじゃないかな?」
続く




