第百四十八話「サンアラレルタ会戦 ―英雄姫躍動―」
十倍の戦力差の連合軍が構築した二重の半包囲網。
そこにゆっくりと近づく親衛遊撃軍セフィーナ師団。
『……』
一段目の半包囲網の中心部に置かれた総司令部でリンデマンは無謀にしか見えない前進を止めない親衛遊撃軍セフィーナ師団を見据える。
初めモンティー元帥は総司令部は二段目の中央部に置こうと提案してきたが、最前線の把握と指揮にタイムラグを生じさせるのを嫌ったリンデマンが反対し、総司令官モンティーの意見を却下してしまった。
二段目の中央部距離的には変わりないが、数万の味方が前にいて、セフィーナの動きを完全に察知する事が出来ない。
モンティー元帥に中央突破されたら、一撃目で総司令部が蹴散らされて指揮系統に致命的な打撃を受ける、と更に警告されたのだが、
「もちろん、もしそうなれば万が一の大逆転勝利にセフィーナ・アイオリアは半歩ほど近づけますが、私は十分の一の戦力差の相手に中央突破を許すような屈辱的な指揮をするつもりはありませんよ、それにそれがなったとしても二段目の中央部にはアリス大将の第十七師団を置いておりますから、閣下は焦らず後ろに下がって彼女の元に駆け込んでください」
と、リンデマンは苦笑と皮肉を交えた返しを総司令官に投げ返していた。
二重の半包囲網にセフィーナ師団は更に前進を続ける。
普段の合戦ならば、互いに鬨の声を上げて突撃を開始していても不自然ではない距離だ。
サンアラレルタの平原の緊張は既に臨界に近い。
「リンデマン大将、良いのか? いくら十分の一の敵とはいえ、ここまで近づけても良いのか?」
「…………」
異常事態に狼狽えを隠さないモンティー元帥。
腕を組みながら前方から迫る帝国軍をリンデマンは無言で睨み続け、自らの思案を反芻する。
おそらくセフィーナが狙っているのはこの非常識な対峙から産み出される大軍ゆえの隙。
見極めを誤り、下手に動けばセフィーナはそこを少数を活かした機動戦で突いてくる。
ならば……敢えて全く動かず、帝国軍の接触を大軍を以てユックリと受け止めてしまえばいい。
劇的な奇策、良策は要らない。
互いの戦術、判断力を競い合う様な真似はしなければ、良いのである。
「稀代の戦術家の貴官は私をつまらぬ男だと笑うだろうが、この手しかあるまいよ、これで負けようはないのだからな」
リンデマンはいつものそれと変わらない相手を苛立たせる薄笑いを浮かべた。
「上級大将!」
「黙ってろ、私の合図だけを見てるんだ!」
異様な戦場の緊張感に堪えきれないルーベンスにセフィーナは真っ直ぐに連合軍の大軍を見据え、馬上で右手を挙げたまま怒鳴り返す。
前進を止めないセフィーナ師団。
怒鳴られたルーベンスだが、彼はむしろ大半の兵達の言葉を代弁したと言える。
十倍の敵軍に行進していくのも、十分の一の敵軍が正面から向かってくるのにも関わらず動かないのも味方の理解をほとんど得ていないのだ。
「この期に及んでもそのリアリストを貫ける……十倍の戦力を漏ってしてもそれを頼りには動かんとは! こんなに私が苦労しているのに、あの鉄面皮が!」
舌打ちして唇を噛むセフィーナ。
明らかな苛立ちの小さな声だった。
聞こえたのは馬の傍を歩くメイヤだけ。
「セフィーナ……」
「なんだ?」
幼馴染みの小さな音量の呼びかけ。
セフィーナも答えはしたが小さな声で、右手を挙げ、視線も正面のままだ。
「昔、似てる遊びしたねぇ、一人が向こうを向いてて、振り返った時にもう一人が動いてたら負けなヤツ、また向こう向いてる間に近づかれてタッチされると負けだから、動くまで結構しつこく見てたっけな」
「似てるとは思わんが、やったな」
「似てない?」
「似てないな、それにあの遊びは本来ならば二人でやらないものらしいぞ? もっと人数がいないと面白くないらしい」
「へぇ~、そうなんだ、私はセフィーナと二人でも面白かったけどねぇ~、へぇ~」
いつもの抑揚の無い返事をすると、メイヤは再び正面を向く。
彼女がしたかったのはただそれだけの会話。
この状況で……よくまぁ。
そうは思ったが、幼馴染みの変わらぬ態度と目の前の連合軍の様子にふとセフィーナは口元を緩める。
何も状況は変わってはいない。
変わってはいないのだが……
「いや、辛抱比べという意味では似てるかもな、戦も所詮は子供の遊びの延長戦だな」
今度はセフィーナは笑った。
はっきりと感じる。
動く、必ず動く。
目の前の連合軍は一切動きを見せていないが、セフィーナには確信に近い感覚が芽生えていた。
「ゴットハルト・リンデマン……相変わらず、お前は勝つ為ならば戦に華も色も求めぬ、この戦がお前と私だけの物だったら、このまま我々はゆっくりと貴様の半包囲陣に呑み込まれる様に溶けてなくなるだろう……しかし!」
そこだっ。
セフィーナの瞳が煌めき、挙げられた右手が真横に振り下ろされた。
「この戦、貴公にはいささか心通じぬ連れが多すぎたなっ! 今だっ、全速右転進! あの連合軍左翼部隊を突けっ!」
遂に下された英雄姫セフィーナからの下命。
親衛遊撃軍セフィーナ師団の兵達は鬨の声を上げ、ほぼ直角に右方向に転進し突撃を開始する。
半包囲網に対する際、その機動は本来ならば正面衝突を避ける逃避的な方向転換であるが、そうはならなかった。
セフィーナの指示とほぼ同時に、連合軍左翼部隊に位置していたウィリアム・スコット中将率いる第十一師団が真っ直ぐに前進を開始しており、セフィーナ師団はその第十一師団の先頭集団を前進直後に真横から急襲した形になったのである。
「な、なにいっ!?」
驚愕するスコット中将。
連合軍でも一、二を争う猛将として名を馳せる彼の前進はもちろんリンデマンからの指示ではなく、自身で決断した独断専行であった。
しかし、独断専行ではあるが圧倒的な戦力優勢の半包囲状態から左翼に位置した第十一師団が隊列を伸ばし、セフィーナ師団の後方を断つように完全包囲を狙うという機動は少なくともリンデマンの行っていた十分の一の敵軍をひたすら待つという戦術よりは常識的であった。
動かぬと見せた状態から素早い機動で後方遮断に成功すれば、スコット中将おこなった機動は英雄姫セフィーナの息の根を止めた戦史に残る物となった筈だったのだが……
それは完璧なタイミングでの方向転換即突撃というセフィーナの機動で最悪な形で出鼻を挫かれたのである。
「俺の機動を完全に読まれた……ありえん、どうしてだ!?」
「閣下!! 敵軍が!!」
猛将として師団の先頭に立つスコット中将。
先頭集団が急襲を許すという事は第十一師団司令部に帝国軍が殺到するという事。
悲鳴を上げた副官が指差す先には、セフィーナを先頭に混乱する連合軍兵士を蹴散らす帝国軍が迫る。
「怯むなっ! 英雄姫セフィーナを俺が討ち取れば話が早いではないかっ!」
スコット中将は混乱する連合軍兵士、迫る帝国軍兵士の両方に聞こえる様な声で吼えた。
退避など考えず、己の武勇を以てして活路を拓く。
馬の腹を蹴り、帝国軍に自分から立ち向かう。
「俺は連合軍第十一師団長ウィリアム・スコット中将だ! 英雄姫セフィーナ、出てこい! 剣の稽古をつけてやる!」
剣を抜き放ち、帝国軍に怒鳴り散らす。
第一線の猛将の放つ迫力。
帝国軍の兵士も思わず勢いが鈍り、帝国軍の先頭集団にいたセフィーナは舌打ちした。
「味方を鼓舞し、我々の速攻を止めるのに、戦術的手腕でなく自らの剛毅でおこなうとはな、ああも堂々と挑まれたのならば仕方がない!」
馬の鼻をスコットに向けようとするセフィーナ。
味方の勢い、何よりもスピードを殺そうとする敵将をどうにかしなければ。
それにスコット中将を討ち取れれば、第十一師団の指揮系統に致命的な打撃を与える事が出来る。
「おうよっ! 私がセフィーナだ、貴公のような名の知れた将から剣の稽古とはありがたい、いくぞっ!」
スコットに応え、馬を走らせようとしたセフィーナであったが……それは馬の手綱を抑えられ頓挫した。
「ダメ!」
メイヤだった。
予想は出来た。
メイヤはスコットを討ち取る戦術的な価値とセフィーナの危険を天秤にかける事すらしていない。
「頼む、メイヤ……アイツを討ち取らないと、只でさえ針の穴を通すような勝算が成り立たないんだ!」
「ダメ」
「メイヤ! アイツを打ち取らないと……」
「だったら降りてろっ!」
「うわぁぁっ!?」
眼を見開き、メイヤを睨んだセフィーナだったが、不意に左腕を掴まれて馬から引きずり下ろされ、代わりにメイヤが鞍に飛び乗り馬上の人となる。
「セフィーナじゃ勝てない、アタシがやってくる!」
「何が勝てないだ、降りろっ、降りろっ、メイヤ!」
「セフィーナ様! ここは隊長にお任せください」
クレッサを初めとする周囲の護衛兵達がセフィーナを保護するが、主人を馬上から引きずり降ろしたメイヤを諌める者はいなかった。
誰もが百戦練磨の猛将として知られるスコットとの一騎討ちをセフィーナには求めていない。
少女達の瞳がセフィーナにハッキリと訴える。
闘えば負けてしまいます。
「……お前ら……本当に失礼な奴等だ」
セフィーナは罰の悪そうな顔で言うと、メイヤに必ず討ち取って来るんだぞ? と、言い聞かせた。
「おまたせ、スコット中将」
「セフィーナ皇女は出てこんか? しかし、お前は何者だ!? 俺は大将同士の一騎討ちを望んだのだそ!? 雑兵が出てくるのでは釣り合わん!」
まるで知り合いの待ち合わせの様にスコットに自分の乗馬を近づけるメイヤ。
同じく馬上のスコット中将が声を荒げる。
「私はメイヤ・メスナー、セフィーナの親衛隊隊長でセフィーナの幼馴染み、釣り合いを言ったら只の中将風情が皇族で上級大将のセフィーナを呼ぶんじゃねぇよ!? セフィーナとやりたきゃワタシを倒せ!」
メイヤの得物はいつもの巨大なアックス。
それを彼女は右手だけで持ち上げ、鋭い肉食獣の様な鋭い眼光をスコット中将に向けた。
「ふん……ならばセフィーナ公には幼馴染みの仇討ちに出てきてもらうかっ! いくぞっ!」
メイヤの啖呵は十二分に猛将を刺激した。
スコットは馬の腹を蹴ると、槍を構えメイヤに向かって疾走させる。
「ノリが良くて助かるよっ!」
メイヤも馬の腹を蹴り、手綱をグイと引いてから馬を走らせ、右手でアックスを振り上げた。
疾走させた騎馬の正面衝突の打ち合い。
混乱した戦線であるが、周囲の兵士の注目が集まる。
「いくぞぉぉぉぉっ!」
「こっちこそっ!!」
スコット中将の鋭い突き。
煌めく槍の穂先。
赤い血が宙を飛ぶ。
だが槍は穂先はギリギリを見切ったメイヤの頬をかすめるに留まった。
槍の間合いすら切り、接触寸前の騎馬同士。
今度はこちらの番だ。
メイヤは戦斧を振りかぶる。
「この程度で……」
「なっ……」
「セフィーナを殺させるかぁぁぁ!」
メイヤの膂力で降り下ろされた戦斧はスコットの左の肩口から入り、胸板までめり込む。
噴き出す鮮血。
絶命の一撃。
スコットは馬から落ち、メイヤは頬から流れる血を得意気な顔でペロリと舐めた。
「スコット中将が!!」
「やったぞ、メイヤ隊長、流石!」
「伊達にセフィーナ様の護衛は勤めてないぜ!」
大将を討たれて狼狽する連合軍兵士と沸き上がる帝国軍兵士。
「良くやったぞ、メイヤ!」
メイヤと目を合わせて頷くと、セフィーナはクレッサが用意した別の馬に飛び乗り、
「急げっ、次はあそこだ、私に続け!」
と、抜いた剣で進行方向を差して馬を走らせる。
メイヤの一騎討ちのあっという間の勝利に沸き上がったのも、ほんの一瞬。
セフィーナ師団はそのまま連合軍第十一師団の先頭集団を蹴散らし突破する。
形としては一段目の半包囲網の伸びてきた左翼を突き抜けた形で、このまま戦場離脱を試みる手もあるが、セフィーナ師団はブーメランの様に急旋回し、第十一師団と共に一段目の半包囲網左翼を編成していたガブリエル・マース中将率いる第九師団に襲いかかったのだ。
「狙われたぞ、応戦しろっ!」
ガブリエル中将は焦りを隠せない。
彼は第十一師団のスコット中将が動いた時、自分も左翼部隊としてセフィーナ包囲の一角を担うか迷ったのだが、命令とも違うので、それをせず第十一師団の後ろに着く形で師団を動かしただけであった。
しかし、スコットがセフィーナにまさかの先手を取られて苦戦しているのを見て、左翼全体を崩されてはならぬと判断し、自らの判断で第十一師団に続こうと師団を急速に前進させたのだが……これが見事に裏目に出てしまう。
一撃でセフィーナ師団により師団長を初めとする司令部が崩壊させられてしまった為、統率と指揮を失い、急に動きが停滞した第十一師団にぶつかり、二次的事故の様な形で第九師団の隊列が大きく乱れてしまっていたのだ。
これはガブリエル中将の中途半端な指揮が招いた明らかな失策であったが、まさか勇将スコット中将が率いる第十一師団が一撃で不随になってしまう事態があり、ガブリエル中将ばかり責めるのは酷である。
しかし……
「そこだっ、いけっ!」
それをセフィーナは見逃さない。
狙いは戦力こそは健在であれ指揮系統に致命的な欠陥が生じた第十一師団と第九師団が接触し、陣形が崩れた地点。
そこを邪魔のされない直撃を狙うからこそ、一度、第十一師団を突破した後で大きく弧を描くような進軍をしたのだ。
「撃退しろっ! 味方はまだ幾らでもいるんだ! すぐに後ろに控える第二軍でも、リンデマンの中央部隊でも応援が駆け付けるのだ、奴等も俺達を集中しては攻撃できない!」
ガブリエル中将は必死に部下達に激を飛ばす。
もちろん個々には連合軍兵士達は奮戦すが、混乱した第九師団と指揮中枢を失った第十一師団はセフィーナ師団の勢いを止める事が出来ない。
「叩けっ、速攻だ」
セフィーナ師団の再強襲。
第九師団と第十一師団は算を乱す。
二個師団からなる連合軍の半包囲網第一軍の左翼部隊は完全にイニシアティブをセフィーナに握られ苦戦している。
「セフィーナ様、引き際を! 連合軍には第二軍の左翼部隊もおります、急行されたら数的に不利です、適当な所で戦場離脱をお考えください!」
敵軍師団長の動きを完璧に読みつつ、相手のミスも見逃さずにすかさずの速攻の連続。
ここまでは圧倒的な戦いを繰り広げるセフィーナ。
しかし、ルーベンス中佐はセフィーナに自重を勧める。
二個師団を完璧に叩きつつあると言っても、このサンアラレルタに布陣する連合軍は十個師団。
まだ無傷の八個師団が目の前にいるのだ。
第一軍左翼部隊の崩壊をゴットハルト・リンデマンが大人しく見過ごしている訳が無い。
だが……自らも剣を振るい、連合軍兵士を斬りつてからセフィーナはルーベンスに振り返った。
「余計な事は考えるな、今は目の前の敵を倒せ! 駆け引きは私がどうにかする! まだ敵は動かんっ!」
「り、了解しました!」
セフィーナの勢いに圧され、それ以上の進言は避けたルーベンス中佐。
一個師団の敵が二個師団の味方を叩いているというのに、ゴットハルト・リンデマンがそれをただ傍観しているだけ。
そんな事が有り得るだろうか?
当然の疑問を持ちながら、親衛隊と共にセフィーナに近づく連合軍兵士と闘う。
その間もセフィーナ師団は連合軍第十一師団と第九師団に打撃を与え続けている。
だが……連合軍八個師団はまだ動き出さない。
『どういう事だ!? 何故、八個師団もいる残りの連合軍は動かないんだ?』
ふと視線を控える連合軍に送った時、ルーベンス中佐の死角から剣を持った連合軍兵士が迫る。
気づくのが遅れた。
「……!!」
剣を振り上げた連合軍兵士。
身体が反応せず、ルーベンスは目を見張ってしまう。
だが次の瞬間、苦悶の表情を浮かべ倒れたのは連合軍兵士の方であった。
「余所見している副官がいるか、バカっ!」
連合軍兵士を突き刺し、彼を怒鳴ったのはセフィーナ。
「も、申し訳ありません、どうしても……」
「だから気にするなと言ったろ! 白兵戦で死んだら意味がないだろうが!」
「す、すいません」
司令官に助けられるとは副官として失格だ、ルーベンスは頭を下げるしかなかった。
メイヤ達の奮闘もあり、司令部周辺に連合軍兵士の姿がひとまず無くなると、セフィーナは額に流れる汗を拭いながら、
「相手の司令官がリンデマンでなく、アリスだったら違う展開を考慮しなければいけなかったかも知れないが……リンデマンはこの展開はこうだろうからな」
と、ふぅ~と大きく息を吐きながら呟く。
両軍の激戦はまだ続いていた。
続く




