第百四十五話「サンアラレルタ北方突破作戦 ―単純な老将―」
対陣二日目の深夜。
第八師団と第十師団とが張る連合軍陣地に帝国軍が動き出したという報告が舞い込む。
「帝国軍の大軍が陣地を出撃して移動を開始しました! 夜ゆえにその数は不明ですが、万は軽く越える相当数の模様、進路を北東に進んでいます!」
「ご苦労だった、偵察隊には引き続き敵部隊の動きを逃さぬように伝えておいてくれ」
司令官、幕僚の揃った司令部の幕舎内。
緊縛した様子の伝令に頷くと、パウエルは第十師団長のブライアンに視線を向けた。
「いよいよ動きだしな、ヨヘン・ハルパーが」
「ええ……出撃した部隊の進路は北東に進んでいるとの事、陣に残した部隊に我々を牽制させて、残りが迂回して先に進むつもりでしょうか?」
「有り得るな、何せ今はセフィーナ姫が勝ち戦を続けているとはいえ敵中、といっても我々なのだが、その中に孤立した状態なのだからな、攻勢を続けるにせよ、切り上げるにせよ支援する部隊がいなくては限界を迎えてしまうだろうからな」
ブライアンと初めの見解を交わしたパウエルは腕を組む。
二人の司令官はどちらも中将であるが、年齢や軍での経歴などを考慮しても指揮はパウエルが主導する事になる。
同列の中将が二人でというのは、主導権が不明確になり作戦に支障をきたす場合もあるが、ブライアンは真面目で目上を立てる事も、意見をキチンと擦り合わせる事も出来る性格と能力の持ち主であり、二人を北方に回したリンデマンもその辺りは心配はしていなかった。
「貴官はどう見る? ブライアン中将」
「はっ、先程も申しましたが陣に残した味方に我々を牽制させて、残る部隊でサンアラレルタを目指すつもりではないでしょうか? ヨヘン大将としては前衛の守備部隊に当たる我々を相手に消耗する愚は犯したくないかと思います、一部の戦力をここに張り付けてでも残りはサンアラレルタに着くつもりでしょう」
パウエルの問いにブライアンはまるで上官に答えるように丁寧な口調で答えた。
そこには階級では同格であっても、国民的な人気を持つ老将への尊敬の念があり、その辺りの人間的な評価はブライアンは士官学校の先輩であるリンデマンよりも遥かに高い。
「どう対処すべきかな」
「目の前の帝国軍陣地が沈黙を保っている状況でこちらも迂闊には動きにくいですが、動き出した部隊を放っておけません、その通過を許せば、ベネトレーフから帝国皇帝が撃って出た場合、セフィーナ・アイオリア、帝国皇帝、ヨヘン・ハルパーという油断ならない戦巧者達にサンアラレルタが各方向から包囲される危険性があるからです」
「そうじゃな、サンアラレルタにはリンデマンやアリスが居て、なおかつ大軍が控えているとはいえ、もしもがあり得るかもしれん」
パウエルは強い眼差しのままで同意する。
当然であるが、二人は親衛遊撃軍の動きがセフィーナの独自の行動であり、ベネトレーフの帝国軍の出撃要請が却下された事も
知る由もない。
帝国軍の作戦全体がどんな形であれ、統一された動きをしていると考えていた。
その判断についてパウエル、ブライアンを責める事は出来ない、与えられていた情報では帝国軍の内情まで推測するのは困難であり、サンアラレルタの連合軍司令部もベネトレーフの帝国軍の連動出撃を警戒していたからである。
「そこで私がこの陣地に第十師団の第一連隊を率いて残り、敵陣の動きを警戒しますので、閣下が麾下の第八師団師団と第十師団の第二連隊を引き連れ、迂回していく敵軍を追うという形にしてはどうでしょうか? 残った敵陣の兵力が一個師団だとするなら移動をしたのは二個師団、敵陣の兵力が私に仕掛けてきたとしても守り戦ならば一個連隊で私は対応します、閣下の方も二個師団と一個師団と一個連隊、それならば閣下の手腕ならば十二分な対応が可能かと私は思います」
「ふむ……悪くないどころか、この老将の手腕に世辞まで貰って感謝したいところだな」
ブライアンの提案にパウエルは表情を緩める。
ブライアン中将はまだ三十代の若手の将官であるが、中々の見所が在りそうだと老将は思う。
対する帝国軍は三個師団、率いるのはヨヘン・ハルパーという帝国軍の名将である。
凡将ともなれば、こういう時には手元に一兵でも多くの戦力を置いておきたいというのが偽らざる希望であるが、ブライアンは一個師団の麾下の半数に当たる一個連隊をパウエルの指揮下に入れるという提案を自らしてきているのだ。
相互支援。
戦場の味方同士ならば、平時には当然と思われる行動であるが実際の戦場ではそうは上手くいかない。
特に数的に不利な戦では顕著で、戦史の中にもすぐ隣の陣地を護る味方が大軍で攻撃されているのを保身に走った自戦力保持の為に支援せず、続いて自分達も各個撃破されるという端から見れば滑稽な戦いも見られる位なのだ。
突き詰めれば、誰もが自分の身が可愛い。
そんな戦場を嫌というほど経験してきた老将にとっては、ブライアンという褐色の肌を持つ青年の実直さに好感を抱いていた。
「結論を出す前に少し外に出るかね、ブライアン中将」
「え? はぁ、ではついていきます」
椅子から腰を上げるパウエル。
やや唐突な誘いだがブライアンも続くと、
「じゃあ、他の者は待っていてくれ、数分だから」
パウエルは幕僚達に告げて外に歩き出した。
外は月明かりも弱い深夜。
陣地内は所々に篝火が焚かれ、各幕舎の間を数十名の警戒の兵士達が歩き回っていた。
西に見えるのが相対する帝国軍の陣地。
大量の篝火の灯りが見えるそれをパウエルは見据えた。
ブライアンもそれに並ぶ
「帝国軍も色々と必死になっておるからな、互いに夜も寝る暇がないな」
「ええ……早く遠征を成功させて戦争を終わらせないといけないと考えています」
「ふっ、しかし不思議な物だな、帝国打倒という目的が果たされたら我々は失職してしまうかも知れないのに、それを目指すというのも」
「なに、帝国軍を打倒しても軍隊は国家には必要ですよ、少なくとも閣下のような将軍が失職は有り得ないでしょう……取り敢えずは今回の作戦です、敵軍は動いています、早く決断をしませんと……」
パウエルと話す事に抵抗はないが、今は時間がなく、幕舎では幕僚達が司令官の決断を待っている。
ブライアンが促すと、更に数秒間、灯りだけが見える夜の帝国陣地を睨み付けた後、パウエルは珍しく笑顔で口を開く。
「ブライアン中将、君の作戦も良いが、どうだね? たまにはこの老骨に付き合って単純な戦をしてみんかね?」
***
「連合軍陣地に動きあり、どうやら我々を追いかけてくる部隊が動き出した模様です、総数は不明ですが一万は越えているとの事です!」
「……やはり来るね、放ってくれる訳がないもんね」
伝令兵の報告に馬上のヨヘンは遠くで動く大量の松明の灯りを見つめる。
夜明けまではそう長くはない。
「よし! 敵軍に追いつかれない様に速度を上げ、東に向かって進め!」
陣から出撃した連合軍から逃げるように帝国軍は東に更に進んでいく。
速度を上げて大量に移動していく帝国軍の松明の灯り。
もちろん連合軍のそれも帝国軍を逃がすまいと動く。
大量の灯りの追いかけっこ。
機動戦で今まで勝利を勝ち取った事も多く、軍の素早い移動指揮には定評があるが、
「あんまり振り切らないでね、引き返されても面倒だから」
ヨヘンは連合軍を振り切らない様に努めた。
わざとらしく引き付ける様にならず自然に、かといっても逃げ切りもせず、追い付かれもせず。
連合軍は諦めず東に向かう帝国軍を追いかけてくる。
いつしか両軍は互いの張った陣地から遥か東にまで距離を縮めたり、広げたりを繰り返して到達していた。
「そろそろ夜も明けるし、陣地からも離れたね……そろそろ逃げるのは止めと行こうか?」
ヨヘンは明るくなり始めた空を見上げて不敵に笑う。
仕掛けてきた罠を披露する時だ。
「クルサード中将、マリア少将に連絡! 全軍回頭、追撃してきた連合軍を全力で叩く! 夜は明ける、灯りを持っていた兵士はそれを投棄してよし!」
ヨヘンの大声の指示を受け、親衛遊撃軍三個師団は全ての部隊が一斉に回頭して、追いかけてくる連合軍を待ち受ける様に攻撃態勢を整えた。
周囲が僅かだが明るくなり始める。
「連合軍の速度が落ちました、我々が回頭したので合わせて態勢を整えるようです!」
「構わない、相手が止まろうが引き返し始めようが、とにかく夜が明けたらこちらから攻勢を開始する! さぁ……パウエル中将、いくよっ!」
副官の報告に答え、馬上で腰の剣を抜き放って気合いを入れたヨヘンだったが、連合軍の陣容が見えてくると……
「き、きづかれてたかぁ!」
と、目を見張り、甲高い大声を張り上げたのだった。
「うむ、見事……ヨヘン・ハルパー大将、陣にはほぼ兵士を残してこず三個師団全軍で移動していたか、更に混戦の恐れのある夜戦を避け、素直に数で圧倒できる夜明けまで絶妙な移動速度で我々をここまで引き付けた、それにここまで来れば我々の陣地から援軍も駆けつけるには間がある、策としては合格点だな」
急速回頭し、陣容を整えつつある帝国軍の全容が太陽の明かりに照らされていく。
馬上で顎に手を当てるパウエル。
目の前の帝国軍は三個師団全軍。
帝国軍は対峙していた陣はほぼ空っぽにしてきたのだ。
それを知らぬ連合軍が二個師団の内、一個連隊でも帝国軍陣地への牽制に残してきていれば、二倍の兵力差が生じる。
残してきたのが一個師団をならば、この戦場の戦力差は三倍。
牽制兵力を残してのサンアラレルタへの強行突破作戦と見せかけた行動は実は連合軍を分散させて、各個撃破する為の罠だったのだ。
「彼女やシア中将はまだ三十くらいの女子だろう? 戦場での差配はアリスが一番器用だと思っていたが、年下のヨヘン大将にここまで見事にやられてはアリスもウカウカしてられんな」
「確かに……策としては合格点ですし、実行力も優れていました……しかし閣下の経験の前には無駄足だったようですね、私の策を採用していたら、閣下を危険に晒す所でした」
ヨヘンの作戦行動力に感心するパウエルに申し訳なさげな表情で馬を並べてきたのはブライアンである。
「いやいや、今回は偶々だ……我々は元々、陣地にこだわる必要なんて無いんだからな、只でさえ師団数で三対二の不利な状況で味方と別れる必要は無いと単純な思考をしたまでだよ」
「そんな事はありません、ヨヘン大将の策に閣下は見事に対応されました」
ブライアンは肩をすくめるパウエルに感服したと頭を下げてから、目の前で展開する帝国軍に剣を抜く。
「貴様らと同じく我々も陣地は空陣地だ! ここは正面勝負だ、ヨヘン・ハルパー大将!」
「あららぁ~、引っ掛かりませんでしたぁ、残念賞! パウエル中将はやっぱり伊達に私の人生の二倍の軍経験があるだけありますねぇ~」
帝国軍親衛遊撃軍第四部隊。
まるでカードゲームの引っ掛けが失敗した位の様子で自分の頭をコツンとしたのはマリア・リン・マリナである。
今回の作戦は彼女の立案だ。
目的はサンアラレルタへの強行突破に見せかけた第八師団と第十師団の撃滅。
牽制の陣地戦を続けながらの強行突破を匂わせる事によって、二個師団の敵軍に分散配置を誘い、各個撃破する策だったのだが……それは見事に見破られた。
「はぁぁぁ……ダメな、わたしぃ~」
「確かに……策は見破られましたが、まだ戦力差が変わった訳ではなく、三個師団の我々が有利なのは変わりません、二個師団の敵軍を叩けば良いだけです!」
ヘナヘナと首を傾げるマリアを師団参謀長を務めるカナヘル准将が諭すが、彼女は困ったなぁといった顔を浮かべ……
「もちろん、それはそうなんですけどぉ~、ここは敵地ですしねぇ、パウエル中将は我々を撃破できずとも突破させなければ良い訳ですからぁ、それを考えれば地の利やその他の条件は我々より有利なんですよぉ~……それに、これでセフィーナ様は……十個師団近くのサンアラレルタの敵軍と単独で戦わなきゃいけないかも……」
と、呟く。
「セフィーナ様が……十個師団相手に一個師団で……」
自分達はともかく……
セフィーナが置かれつつある絶望的な状況にカナヘル准将も思わず息を呑んでしまうのだった。
続く




