第百四十四話「新皇帝の決断」
親衛遊撃軍の即時撤退と帝国が誇る英雄姫セフィーナへの抗命罪の適用。
帝国軍参謀次長パティ中将の提案は周囲を凍り付かせるのに十二分な物であった。
その中でもやや慌てた様子ながらも、口を開いたのはルーデル大将であった。
「待ってくれ、パティ中将! ゼライハ公は親衛遊撃軍司令官だ、作戦行動については皇帝陛下や参謀本部からの指示がない限りは自由裁量権があるのは知っているだろう?」
「それは知っています、しかし親衛遊撃軍司令官の自由裁量権は帝国領内での作戦行動とあります、セフィーナ上級大将の今回の行動は周知の通り帝国領内ではなく、連合軍領内への攻勢作戦に及び、我々の立案した防衛作戦に支障をきたしております、明らかに自由裁量権を逸脱しています」
「連合軍領内への攻勢作戦と卿は言ったが、国境線を越えたのは僅かな範囲だ、むしろ目の前で侵攻作戦準備を整えつつある敵軍に対する隙を見つけたからこその防衛的側面を持った先制攻撃作戦であるのは明確だろう、防衛が目的の攻勢に打って出て抗命罪は有り得ない、現にゼライハ公の判断が正しいのはここまでの攻撃成功の結果で出ているのだ」
「結果が伴えば独断的な行動が許されるとは小官は考えません、それではこれからの軍の組織的統率の妨げとなるでしょう、防衛的な攻勢を認めればこれから対陣時に抜け駆けの出撃が幾らでも起こってしまいます、僅かでも国境線を越えての防衛的攻勢など認められる訳がありません」
「それは理屈だ、ならば卿は賊が我が家に火を着ける準備を路上でこちらに背中を向けてしていたとしても、火を着けるまでは只の路上の他人と放っておくか? 俺ならば背後を殴り倒すだろうし、家人がそれをしていたら俺は納屋から縄かハンマーを持って駆け付けるだろう、卿ならば火を投げ込まれるか、賊が家に侵入してくるまで待っているか!?」
「答える必要を認めません、こちらはあくまでも定められた防衛作戦に支障をきたしているセフィーナ上級大将の行動を問題視しているのです、何度も言いますが戦果が上がれば過程で何をしても良いというのでは無いのです」
「ほぅ、では卿はこの帝国存亡の危機においても結果よりも過程を重要視するのか、私も長く軍籍についているがそのようなドクトリンは知らないな」
広間に響く二人の声。
セフィーナの擁護に回るルーデルとその非を問うパティの口調は意見をぶつけ合う度に鋭くなっていく。
『参謀本部は彼女の仕切りというのは本当なのだな、この女には上司がいないのだ』
議論の合間にルーデルはヴァンフォーレ上級大将を見る。
七十歳を越える老将は参謀本部の顔役としてだけの大物人事の配置であり、実質的な作戦計画はパティ中将が皇帝であるカールとの調整により成り立っているのはルーデルも承知している。
近衛師団長の自分と部下である参謀次長が言い争いになっているにも関わらず、総参謀長が口を出してこないのは参謀本部の案がとパティ中将の意志と同一の物になっているからだろう。
誰もが二人に口を挟めない。
例外はたった一人。
「二人とも待て、少し白熱しすぎている、これから余が結論を出すから、これ以上は控えよ」
この議論に絶対的な決定権で裁決を下す力を持つ玉座の若き皇帝が制止を示すように手の平をパティとルーデルに向けた。
皇帝の言葉にパティとルーデルも論戦を続けている訳にもいかず、口を閉じて一礼する。
「親衛遊撃軍を創設したのはまだ参謀本部に籍を置いていた頃の余である、その運用と権限については注意したつもりだったが、初代の司令官が余の身内であるセフィーナであった事もあって自由裁量権を広く与えすぎた感はある、理由は何よりも今もそうだが当時から帝国はセフィーナの軍事的な才能に頼る部分が大きく、それを阻害したくなかったからだ」
カールは素直に親衛遊撃軍という組織の成り立ちに反省の意を示し、その理由を説明する。
既存の軍組織からセフィーナを自由にして、その才能を十二分に発揮させようとしたのだ。
その判断の是非は問うまでもない。
親衛遊撃軍はこれまでのアイオリア帝国の歴史上で最も戦果を上げていると言っても良い。
「確かにセフィーナは戦果を上げている、だが過剰な独自の行動で軍の作戦全体が変更を余儀なくされるような事はあってはならないと余は思う、確かにルーデル大将の理屈もわかるが、セフィーナはあくまでも軍の統制下にある将の一人である、国境線を越えての作戦行動は親衛遊撃軍司令官の権利を越えた行為として私は認識する」
淀みなくカールの口から出た判断に周囲がざわめく。
カールがセフィーナの行動を問題視するパティの意見に同意を示したのだ。
この場にいるような立場の者は皆がカールがセフィーナをどう扱ってきたかは知っている者達であり、まさかセフィーナをカールが非難するとは思わなかったからである。
「しかし越権行為はあるにせよ、セフィーナは防衛作戦の為、攻勢に出ているというルーデル大将の意見には余も賛同する、越権行為という問題はあるにせよ、パティ中将の言う抗命罪の行為は無いと余は考えている」
続くカールの言葉にざわめきがやや収まった。
ひょっとしたらセフィーナに抗命罪が適用される、という事態は避けられる様子が伺えたからである。
「そこで……余としては抗命罪は問わないが、これ以上の戦域展開は許可しない、セフィーナからの攻勢要請は却下し、緊急に戦線を収め、帝国領内での防衛作戦任務に戻るようにセフィーナに通達する」
「……皇帝陛下、それでは親衛遊撃軍が敵中に孤立してしまいます、せめて近衛師団だけでも戦線収拾の支援に出させては頂けないでしょうか?」
片膝を付きカールに出撃を乞うルーデル。
そんな彼にカールは目を細めた。
「それは認めぬ、セフィーナとて自らの力での戦線収拾を考えず我々の出撃を前提に出撃した訳ではあるまい、それに余には卿とその戦力が重要なのだ、きっと卿は何としてでもセフィーナを助けてくれようとするだろうからな、それでは認められんのだ」
支援攻勢がならぬのなら、せめてルーデルは自分の師団だけでもセフィーナの戦線収拾支援にと進み出ようとするが、皇帝に予想外の穏やかな表情で答えられてしまうとそれ以上は言えなくなってしまうのだった。
***
支援攻勢要請の却下と戦線収拾命令。
サンアラレルタ北部の陣。
ベネトレーフからの使者の報せを受けたヨヘンは机の上に広げていた作戦図を握り締めた。
「なぜ? なぜベネトレーフは動かない? 敵軍を包囲できるチャンスなのに!?」
歯を喰い縛るヨヘン。
答える事が出来る筈もない初老の使者は俯くだけだ。
「命令が出たんだ、撤退するか? 俺達は敵軍の追撃を振り切ればいいが、姫様は敵中に入り込んでるんだぜ? 下手すりゃ囚われの姫になっちまう」
「それは良くないですよねぇ」
ため息をつくクルサードと危機感の感じられないマリア。
クルサードの言う通り、ヨヘン達は国境線に向けて北上すれば撤退できる上、目の前にいるパウエルとブライアンの二個師団を振り切ればいいが、セフィーナは違う。
北にはサンアラレルタ、南にはフォルディ・タイという場所まで入り込んでいるのだ。
セフィーナ率いるのは約一万八千。
サンアラレルタとフォルディ・タイの連合軍は十個師団、約三十万を越える大軍なのである。
常識で考えれば話にならない。
「でも……これで、パウエル中将の陣を突破する作戦は無駄になりますかねぇ?」
ぼやくマリア。
口を真一文字に結んだまま、作戦図を握りしめ続けていたヨヘンであったが……
「いや、無駄じゃない、撤退命令は出たけど味方の撤退を支援しちゃいけないという命令はない、やるよ! 絶対に私達がセフィーナ様を助けてみせる」
そう答えて、似合わない鋭い瞳で顔を上げた。
続く




