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銀色のアイオリア  作者: 天羽八島
第六章「決戦の英雄姫」
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第百四十一話「黒と銀の輪舞曲 ―アラルティの炎―」

 雨雲は薄くなり、雨の勢いはかなり弱まったが、まだ夜は明けていない。

 数時間後には昇る太陽の代わりに周囲を照らしているのは、雨足の衰えとは反比例して、膨大な物資や連合軍兵士、野営陣地を灰にしながら燃え上がる炎。

 フォルディ・タイの後方支援地に陣取った連合軍二個師団はセフィーナ率いる親衛遊撃軍第一部隊二万の完全な奇襲攻撃の前に四万の兵を擁しながら兵士、物資ともに大損害を受け、混乱の極みからまだ抜け出せずにいた。


「上級大将閣下、深夜にて正確な戦果は計りかねますが、敵軍はいまだにまともな組織的な抵抗も出来ていません、戦果拡大の機会だと思われます、攻撃を続行しますか?」


 副官であるルーベンス少佐が告げるが、馬上のセフィーナは大量の物資を納めたまま燃え盛る幾つもの倉庫を見つめながら首を横に振った。


「いや、いい……クレッサが敵軍の師団長を討ち取った上、これだけ叩けば一両日中に作戦行動は不可能に違いない、まだ夜が明けぬうちに次の行動に移る、各部隊は予定通りにフォルディ・タイの北に集結せよ」


 完全な奇襲攻撃の成功。

 倍に達する敵軍相手に圧勝している最中であるが、セフィーナは攻撃を拡大しない。

 参謀の一人が進み出た。


「宜しいのですか? 今日の昼頃までかければ、この支援地を徹底的に潰滅も出来ましょうが? そうすれば連合軍の遠征作戦に重大な支障を生じさせられます」

「宜しくも宜しくないもない、後方支援地のこれだけの混乱を楽観視する相手ではない、必ずや連合軍は手強い一軍をこちらに回してくるだろう、早くしないとこちらが危ない」


 セフィーナは強い口調で参謀に即答する。

 見事な奇襲攻撃の成功だ。

 リンデマンやアリスを相手に完全に虚を突けた機会を最大限に活かしたいという事はセフィーナも考えたが、それは自制して思い留まっている。


「もうここは良い! 全軍集合だ、分師団長のクルーズ中将に私の元に至急来るように伝えるんだ! 次の目標はここより北方のアラルティの森だ、急げ!」


 迅速、大胆。

 戦い振りを後の歴史研究者からこう評されるセフィーナも人間である、予想以上の戦果を拡大すべきか迷いもするが、それを振り切るように首を振り、大声で怒鳴った。



            ***



 シア率いる連合軍第五師団は兵数約一万八千。

 サンアラレルタを出立した夜明け前には空はまるで昨日までの雷雨が嘘の様に晴れ渡り、太陽が出て温度が上がると水分をたっぷり含んだ地面から陽炎が立つ程であった。

 

「ふぅ」


 師団長として、馬に揺られるシアも思わず息をつく。

 彼女の知っている6月の温度ではない。

 北部出身の彼女にはこの湿度、温度ともに高い状態が非常に不快な物に感じたが、何度か軽く首を振って自ら進軍していく街道を見据えた。


『セフィーナ様も同じ、同じなのだから……』


 心情の中、セフィーナへの友誼の心や畏敬の念は全くと言って良い程に損なわれてはいない。

 その美しき容姿。

 底を見せない軍事的才能。

 波乱に満ちた運命。

 これからの人類史においても稀有な存在として後々に語られるべき存在。

 認めている。

 そうだというのに彼女と対峙する立場になったのは何故か?


 帝国の内乱。



 それさえなければシアはまだセフィーナの部下として、盟友のヨヘンと一緒に彼女を支えていたのは疑いない。

 そこは自ら断言できる。

 しかし反乱軍の工作によって行き場を無くし、連合軍への亡命を決めたシアであったが……他にやりようはなかったか?

 迷惑をかけるのを承知でヨヘンにすがり、一時期は疑われようとも状況を好転させる事は出来なかったか?

 連合にセフィーナを頼ってきた際も、政治的な態度を明らかにせず、反乱軍に味方する可能性を報じられたセフィーナに絶望して連合への亡命を決めたが、もう少し待って冷静に対処できなかったか?

 結局はセフィーナは正規軍支持を打ち出したのだから、短兵急な決断と言われても仕方がない。

 やりようはあったのだ。

 しかしそれをしなかったのだ。


『自分は……嫌な女だ、セフィーナ様にあんなに良くしてもらっていたと言うのに、セフィーナ様を戦場で打倒しようとしているんだ』


 自分の中にセフィーナを知った時から抱いた想い。

 才能を認めつつも、許せない感情。

 どう表現していいかは判らない。

 対抗心なのだろうか、それとも嫉妬心だろうか。

 単独ではない沢山の感情が入り乱れた結果だろうか。


「司令官閣下、偵察兵からの報せによるとアラルティの森に帝国軍らしき兵達の姿がある様子です、もっと偵察兵の数を増やせば詳しい様子も知れるかもしれません」


 ビスマルク准将から声をかけられ、シアはハッと我に返った。

 南に向けて放っていた偵察兵からの報告が届いたのだ。


「偵察はもう良いです、帝国軍には我々が偵察も疎かにして南のフォルディ・タイの味方を助けに行っている考えてもらいたいのです、帝国軍はアラルティの森まで詳しく偵察されていると知ったら伏兵を止めてしまうでしょう、我々はアラルティの森など無視して南下している様に見せかけて、突然に急速転進してアラルティの森を突くのです」

「敵軍の伏兵を途中までは気づかぬ振りをして、いきなり全力行軍して、敵軍の潜む森を急襲するという事ですな?」


 シアの説明にビスマルクは策を理解した。

 奇襲を受けたフォルディ・タイを助けに行くと見せかけて、アラルティの森で伏兵している帝国軍には気づいていないと油断させ、引っ掛かる寸前に伏兵を逆に急襲するという策だ。

 頷くシア。


「ええ、おそらく帝国軍の伏兵は我々がアラルティの森を通り過ぎてから後背を襲うつもりでしょう、気づかぬ振りで通常行軍をしていた我々がいきなり進軍速度を上げて方向転換し、森に襲いかかれば半数は森からは出られないでしょう、そのまま森を半包囲して火を放てば、半数は火の海の森に残った状態で我々が圧倒的有利になるのは確実です、もし素早い対応で森から全軍出撃出来たとしても森を後背に背負って我々と戦うという状態になり、これでも我々が森に曲射で火矢でも放ってしまえば、燃える森を背中に半包囲網と戦うという不利を帝国軍に強いる事が出来るんです」

「なるほど」


 馬を並べていた何人かの幕僚が感嘆の声を上げた。

 ビスマルク准将も異論は無かった、普通ならば帝国軍の兵がいる訳もないアラルティの森に帝国兵達の姿が見えたという偵察兵からの報告が伏兵の存在を裏付けている、そこまでシアの読み通りなのだ。

 だが、シアの戦術的思考はそれで良しとしなかった。


「……相手が相手だけに念を入れます」


 そう言うと、シアはビスマルク准将に手招きをした。




            ***



 サンアラレルタとフォルディ・タイを結ぶ街道を南下する連合軍第五師団がアラルティの森付近に近づいたのは夕刻。

 進軍速度は通常行軍よりもやや速い程度、各兵士の顔にまだ緊張感が無いのは士官クラス以上がアラルティ急襲を知るのみであるからである。

 士官クラスまで命令を達しておけば十二分に素早い動きも期待できるし、兵まで目標を知らせてしまえば直前でも情報の漏洩が有り得る上、ベテランの斥候などは兵士の緊張感を表情や会話から鋭く感じ取る者もいるからだ。


「そろそろアラルティです、おそらく帝国軍は既に我々がここまで来ている事を知っている筈です」

「ええ……」


 馬をさりげなく近づけてきたビスマルク准将。

 シアはやや緊張気味に頷く。

 いよいよセフィーナと戦うのだ。

 いまだに敬愛するセフィーナと……


「アラルティの森が見えました」

「よし! 全速行軍、アラルティの森を半包囲せよ」


 ビスマルクが告げると、シアは意を決して命令する。

 兵士達は突然の命令に面喰らうが、士官クラスがスムーズに命令を理解し実行すれば、彼等はついてくる。

 連合軍第五師団の行軍は突如として突進速度に切り替わり、アラルティの森に近づく。

 アラルティの森に迫る鬨の声。

 鳥が羽ばたき、木々が揺れる程の大音量。

 それはアラルティの森だけでなく、周囲の小さな森や林にも響き渡る。

 アラルティの森から何百かの矢が斉射されるが、それは騎馬のシアを先頭とする第五師団の突進を止める物ではない。


「各隊、隊列を崩すなっ! 第二連隊、予定通り南に開けっ、第一連隊は北へ、まだ待てっ、師団長合図を待てっ!」


 斉射をもろともせず、アラルティの森に急接近を果たしたシアは素早い命令を下す。

 アラルティの森からの抵抗斉射を見計り、続けて命ずる。


「第一連隊よし! 展開開始!」


 目標までの急接近、半包囲展開。

 それはまるで演習でも見ているかのような見事なまでの完成度であった。

 ホンの僅かな間に街道を通常行軍していた万を遥かに越える兵が街道から逸れた森に急接近し、半包囲展開を済ましたのだ。

 

「火矢放てっ!」


 上げた手をシアが振り下ろすと、アラルティの森に向けて何百もの火矢が放たれ、たちまち巨大な森のそこらじゅうで火の手が上がり始める。


「見事です!」


 ビスマルク准将はシア・バイエルラインの指揮の華麗さに思わず唸る。

 操兵のタイミング、速度、正確さ、全てが申し分無かった。

 アラルティの帝国軍は迎撃に森から出る事も出来ない。

 行ったのは規模からすれば、非力な抵抗斉射だけだ。


「敵軍はあまりに面喰らった様で、森から出てもこれませ……」


 自らの将を讃えようと声をかけたビスマルクだったが、シアの浮かべていた表情は予想外であった。

 何かに気がついた様に真っ青だったのだ。 


「何故森から全く出てもこない? セフィーナ様がそんな反応の鈍い用兵をする訳が……ああっ」


 シアは叫んだ。





「うん! 見事で華麗な用兵、私は改めて惚れ直した……だがしかし……!」


 銀髪の英雄姫の顔が不敵に笑い、手を上げた。


「負けてはいられない、合図だ! 予定通りに展開、大隊規模で集結を終えた部隊から敵陣への攻撃を許可する!」




 連合軍兵士達が上げていた鬨の声とは別のそれが今度は周辺に響き渡った。

 アラルティの森に向かって半包囲態勢を完成させていた連合軍第五師団の背後に、大規模な伏兵には適さぬと無視していた周辺の小さな森や林から次々と、それも連合軍を上回る速度で帝国軍は集結し、森へ向けられた連合軍の半包囲陣の後背を攻撃し始めたのである。


「……ば、馬鹿な、何という展開速度だ!? 小さな森や林に分散していたと言うのに?」

「違います、帝国軍はわかっていたのです、初めから私達の展開位置も陣形も、目標地点が初めからわかっていて、私達という目印が出来れば出来ます」


 驚くビスマルクにシアは唇を噛んだ。

 読まれていた。

 伏兵に適したアラルティの森を囮に、シアの策を完全に逆手に取られた。

 偵察兵にアラルティの森に多数の兵が展開している見せたのも、一部の兵を割いて突進に斉射をしてきたのもアラルティに主力がいると最後までシアに信じさせる為の罠だったのだ。

 帝国軍の攻撃は更に激しさを増した。

 前に炎が上がる森、後背に敵軍を背負った連合軍の兵士達の死傷率はうなぎ登りに上がっていく。


「司令官閣下、こうなっては森への半包囲態勢をすぐさまにでも解いて、反転反撃を!」

「いけません!」


 狼狽えた幕僚の一人を制するシア。

 半包囲陣形から後背に攻撃を受けつつの反転反撃となれば、万を遥かに越える師団単位ではシアの手腕をもってしても混乱は避けられない。

 ましてや連合軍の目の前には火の手が広がりつつあるアラルティの森があるのである。

 無傷の旋回などセフィーナが許す訳がない。

 そこを突かれて全軍が切り崩されてしまう。


「反転時の師団規模の混乱を見逃すセフィーナ・アイオリアではありません、中隊、大隊規模から少しずつ反転していくしか手段はありません」


 裏をかかれてしまった。

 アラルティの森の存在自体を罠に使われてしまった。

 英雄姫セフィーナは長い用兵のブランクを物ともせず、軍事的才能を発揮している。

 だが……


「まだ……戦える、私は完全に負けたわけじゃない!」


 降り注ぐ矢嵐、混乱の阿鼻叫喚の中、シアは帝国軍……否、セフィーナに向け切れ長の黒い瞳を鋭くさせるのだった。




続く


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