第百四十話「黒と銀の輪舞曲 ―サンアラレルタ南方会戦―」
ラーク・ビスマルク准将。
ダークブラウンの髪にカイゼル髭をたくわえた四十二歳の彼は見た目は身体つきも大きく、戦場で躍動する猛将と見られがちであるが参謀畑を歩いてきた軍人だ。
一ヶ月前に首脳陣を一新するという南部諸州連合軍第五師団の総参謀長に任じられた時は、家庭でもようやく師団参謀長になる事が出来たと喜びを隠さなかった。
しかし、喜びは同意しながらも二つ年上の妻は神妙な顔で彼に言った。
「参謀がそう素直ではどうなのですか? こういう時こそ予想外の事に備えるつもりでいないと参謀長は勤まらないのではないですか? 世の中何があるかわかりませんよ!?」
「お前の言う通りだ」
その言葉に大いに思う所を感じて、気を引き締めてきたビスマルク准将であったが……
「ビスマルク准将ですね、宜しくお願いします、第五師団の師団長を拝命しましたシア・バイエルラインです」
新司令官として彼の前に現れたのが、連合軍将官の間でも話題になっている帝国よりの亡命中将、黒髪美麗のシア・バイエルライン。
それに対し驚愕は覚えつつも、どうにか彼が平静に敬礼を返す事が出来たのは、妻からの助言のお陰であった。
そして……第五師団の初陣が予定の帝国遠征作戦の開始よりも早く訪れようとしていた。
南のフォルディ・タイを奇襲攻撃した帝国の至宝セフィーナ・アイオリア率いる帝国軍の捕捉、撃滅任務が下ったのだ。
「フォルディ・タイを奇襲した帝国軍部隊の動きを掴まなければいけませんな、まずは偵察隊をフォルディ・タイ方面に出してはいかがでしょうか?」
まだ強い雨の降るサンアラレルタの郊外。
第五師団の野営する陣内の幕舎でシアを中心としての作戦会議が開かれた冒頭にビスマルクは提案する。
まずは南に回ったセフィーナ・アイオリア率いる帝国軍部隊の動向を観るのが定石だと考えたからだ。
「それよりも先に奇襲を受けたフォルディ・タイに緊急に向かうべきだ、如何に奇襲を受けたとはいえ四万の味方が全滅したとは考えにくい、我々が救援して第二、第六師団と協力すべきだ、偵察の暇はない!」
参謀副長のクルト大佐が強い口調で意見する。
フォルディ・タイ奇襲の報が持たされて間がない、深夜の今から進軍を急げば救援が間に合う。
そう考える者がいるのは当然である、彼の言う通り、四万の軍勢が奇襲を受けたからとはいえ、すぐさま全滅するとは考えにくいからである。
その意見を数人の幕僚が賛成する。
ゆっくりと会議をしている間はない、彼等は明らかな圧力をもって新司令官を見据えた。
シア・バイエルラインは顎に手を当て、数秒間の思考をすると顔を上げ、口を開く。
「いけません」
シアが放ったのはその一言。
ビスマルク准将を始めとする皆が黙り込む。
その次の言葉を聞こうとしたからだ。
「帝国軍の奇襲部隊はフォルディ・タイ攻撃にこれ以上は拘りません、必ず移動します、私達がフォルディ・タイに行っても帝国軍は居ません、もう今夜中にはフォルディ・タイに数日は作戦行動が不可能な程の打撃を与えて次の行動に移ります」
そう断言して幕僚達を見回すシア。
「次の行動とは?」
「もちろん、フォルディ・タイを救援に来た部隊を撃破する作戦です、サンアラレルタからフォルディ・タイに救援に来るならルートの想定は容易ですから、地形を利用した待ち伏せも奇襲も可能になります、セフィーナ上級大将の次の標的は救援部隊となった我々です」
ビスマルクの問いにシアが答えると、幕僚達は一気に色めき立ち、師団参謀のクルト大佐がシアに声を上げた。
「敵軍の目標はフォルディ・タイではないのか? フォルディ・タイの物資や予備兵力を叩くのが目的ではないのか!?」
「違います、それだけの為ならばセフィーナ・アイオリアの元には実行可能な将官がいます、自ら危険を犯してサンアラレルタの後方にまで回り込んだのはもっと大きな目的の為です」
帝国からの亡命中将で年下のシアに敬語を使わないクルト大佐であるが、シアは意に介した様子なく続ける。
「救援に駆けつけようとする我々を撃破、更に……サンアラレルタを南から突き、我々の遠征作戦自体を瓦解させる、そこまで彼女は考えていると思います」
「バカな……そんな事が出来るものか!」
声を上げたのはクルト大佐だったが、表現方法は異なれど、彼と同じ事を思った者は多かった。
この推測はリンデマンが師団長クラスを集めた会議での見解とほぼ同じであるが、各師団の幕僚クラスには初耳の事で当然、聞いた者は皆が驚く。
「このサンアラレルタは我々の遠征軍の本部、何個師団の部隊が駐留していると思っているのだ? 四万の味方がいるフォルディ・タイを奇襲攻撃している一個師団が、救援に駆けつけようとする我々すら撃破して、更に十個師団以上のサンアラレルタを攻撃するだと? 夢物語だ」
クルト大佐は明らかな呆れ声で周囲の者達に賛同を求める。
彼のような態度で明らかな追従をする者はいないにしても、クルト大佐に同意する仕草の者が何名かいた。
リンデマン大将の見解と言えば、大人しくなる可能性もあったがシアは敢えてそうはしない。
「もちろん、一個師団ではサンアラレルタに攻勢をかけるのは不可能です、しかし北には親衛遊撃軍の三個師団、更にフェルノール方面のベネトレーフには帝国皇帝率いる数個師団が動員されています、これら全てが連動してサンアラレルタに向かって動き出せば、我々は一大攻勢どころか逆に攻勢包囲されるという立場にもなり得ます」
シアは作戦図の帝国領の北西ラサ・ウォールと北東のフェルノール方面首尾拠点であるベネトレーフ、更に南のフォルディ・タイから矢印をサンアラレルタに向かって書き込んだ。
三方向からの包囲作戦。
図の上では理想的なそれは戦術の規模を遥かに越え、戦略的な包囲に達している。
「せ、攻めているのは我々だ……そんな大規模な包囲戦を帝国軍が行うなど……あり得ぬ!」
「この状況で良く攻めていると言えますね? それに大規模包囲戦を帝国軍がしないという根拠は何処にあります? そんな認識だからこそ、フォルディ・タイに奇襲を許してしまった事を忘れているんですか? 既にセフィーナ・アイオリアは圧倒的数量優勢な筈の我々から一本取っているんです、戦は勝つためならば、有り得ぬ手段など無いのです」
シアの切れ長の瞳には説得力があった。
圧倒的戦力を持ちながら、連合軍は後方支援地というアキレス腱を見事に突かれてしまった。
いや、圧倒的戦力を持っていたからこそ生じた、攻めるのは自分達という意識をまんまと利用されたのだ。
シアが初めからリンデマンの見解を口にしなかったには理由があった。
シアにはシアなりの意見を述べて、師団を手中にする必要があるからである。
「しかし……」
「セフィーナ・アイオリアの戦術、戦略を見誤って、連合軍の将兵が何万の命を失ったかは貴官も知っている筈です、それでも彼女と戦うのに貴官は無策で通じると思いますか?」
「それは……」
ここ数年の連合軍の戦争での損害の殆どがセフィーナとの戦いで生じているのは事実。
返答に詰まるクルト大佐を強い瞳で数秒間だけ見据え、もう話す事はないと彼から視線を切り、シアはビスマルクに向き直る。
「参謀長!」
「はっ!」
「このサンアラレルタから、真っ直ぐ南にフォルディ・タイに向かう途中、大規模な兵を伏せられる大きな森林、もしくは山地はありませんか?」
「……」
ビスマルク准将は作戦図を見つめ、サンアラレルタとフォルディ・タイのほぼ中間地点を指した。
「アラルティと呼ばれる森林があります、かなりの規模ですが小さな村がある程度です、他にも小規模の山地や森林もありますが万を越える部隊は隠せません」
「アラルティですか、伏兵するならばそこか……」
シアは切れ長の鋭い瞳を作戦図に落とす。
その視線は高級軍人特有の者があった。
戦場で敵兵と向かい合う一般兵ではなく、自らの知略と経験、決断力を比べ合う将官独特の物だ。
『シア・バイエルラインはセフィーナ・アイオリアとはヨヘン・ハルパーと共に友誼があり、亡命理由は政治的な策略に巻き込まれた物で彼女と袂を分かった訳でもないと聞いていたが……敵味方に別れた友誼には悲しみつつも、優れた将の救い難い性という奴か』
ビスマルク准将が自問自答した数秒後、顎に手を当てたままシアは視線を上げた。
「……全軍出撃します、可能な限りの行軍速度でフォルディ・タイ方面に真っ直ぐ南下します、急いでください!」
叩き付ける雨音に勝るシアの張りの声が幕舎に響く。
全く無策の南下である筈がない。
連合にもその手腕が聞こえる帝国の名将シア・バイエルラインが、南部諸州連合軍の軍服を着て、英雄姫セフィーナ・アイオリアに挑む。
「まさに、お前の言う通りだ、世の中何があるか全くもってわからんものだな」
ビスマルク准将は妻の言葉を頭の中で反芻させ、ポツリと呟くとシアの下命に対して、しっかりとした敬礼をした。
続く




