第十四話「決着」
「やったぞ!」
「勝った、勝った!」
「ゴッドハルト・リンデマン様のご帰還だっ、帝国軍恐れるに足らず!」
「巷で噂のセフィーナ皇女、来てみられよっ! 我らが教授が敗北をお教えする!」
カーリアン騎士団を見事に打ち破った第十六師団の士気は大いに上がり、兵達は興奮状態のまま口々に勝利を叫ぶ。
「やったわね!」
「ああ……しかし、まだだよ」
司令部で喜びを顔に出すアリスであったが、リンデマンは頷きつつ、緑の瞳を鋭くする。
「戦闘時間自体が短かったせいで、退却した敵残存兵力の疲労は高くない、無事エトナ城まで戻せばまた戦力となって我々に向かってくる公算がある、落とせる敵は徹底的に落としておこう、追撃を行う」
「なるほど、了解したわ、どのくらいの編成で追いかけたらいいかしら?」
「全軍だ」
「全軍ですって?」
アリスは驚く。
一敗地にまみれたカーリアン騎士団のまだ約半数以上は生き残っていて、戦場を逃げ出していると見られている。
数字だけを聞けば七千近い立派な兵力だが、そう捉えるのは間違いだ。
半数に近い味方と指揮統率を失っての逃亡である、七千の集団が一定以上の統率をもっての後退ならば、十二分に反撃を警戒すべきなのだが、その七千は集団でもなくバラバラであり、一万の兵が追撃するのは大がかり過ぎる。
「リンデマン、相手は騎兵なんだから歩兵主体の私達で追撃しても追いつかないわよ、こちらも騎兵主体の追撃部隊を編成しましょう、三、四千はどうにか出来るわ」
「いや、敵軍の脚は鈍っているし、相手を足止めする策はある、必ず敵軍は捕捉できるよ、ヴェロニカ……例の物を用意してくれ」
アリスは機動力に優る相手に対する追撃策を提案したが、それを却下してリンデマンはヴェロニカに振り返った。
敗残の兵ほど惨めな物は無い。
帝国最強の騎兵師団としての実績と歴史、そして誇りを持っている筈の騎士達は、敵軍にロクな損害も与えられず痛手を負い、統率の取れない小集団に別れて戦場を逃げ出していた。
この様な状態になってしまうと、いかに訓練された軍隊であっても再集結は難しい。
大抵はそうなる前に、勝利の勢いに乗る敵軍の追撃に各個に殲滅されて、直接戦闘以上の損害をこうむってしまう。
戦死者の多くは撤退時に出るのだ。
敗残の帝国軍の殆どの兵が本拠地であるエトナ城を真っ直ぐに目指したが、その中で違う動きをした一団がいた。
「まっすぐ北上してもエトナ城には辿り着けない、騎兵の特性を活かそう」
それはヨヘン・ハルパー大佐。
会戦の寸前にユーリックに解任されたが彼を含め、師団司令部の多くが失われた今は彼女は残った兵達の中での階級は最上位に近い。
敗北の混乱の中、ヨヘンは各部隊を苦戦しながらも器用に纏め上げ、千五百程の集団を再編成する事に成功した。
そして騎兵には最低限の武装以外は棄てさせから、馬を失った者や支援歩兵達を一緒に乗せ、部隊全体に機動力を持たせると真っ直ぐに北のエトナ城には向かわず、一旦東に大きく膨らむように迂回してエトナ城への帰路を取った。
「迂回などしていたら敵軍が機動力中心の編成の追撃隊を出してきたら城につく前に追いつかれてしまう、今は一刻でも早くエトナ城に帰るのが先決ではないのか?」
誰だってこういう時は少しでも早く城に帰って一息つきたい、兵の中には新任大佐に意見する者もいたが、彼女は頑として曲げなかった。
「敵軍から狼煙が上がっております、香料で色をつけた物が何本かです!」
迂回ルートを進み始めてすぐ、連合軍主力の狼煙を上げる行動に周囲の兵達が気づくと、
「やっぱり……そう来るよね、そうなると他の味方は厳しいかもしれない」
そう呟き表情を曇らせたヨヘン。
ヨヘン自身はそんな様子であったが、その判断と行動の選択は正しい事は皮肉な形で、すぐに実証される。
ヨヘン達とは別に真っ直ぐに北上し敗走した帝国軍約五千は、リンデマンからの狼煙の合図により城の包囲を止め南下し、撤退路を塞ぐように現れたグァンチァーレ大佐率いる約五千の連合軍の足止めを受けてしまったのである。
同数の戦い。
普段ならば得意のカーリアン騎兵突撃で活路を切り開く事など造作もない所だ。
しかし敗走中で士気が落ち、ヨヘンの様に統率を取れる者もおらず、バラバラではまともな戦闘行動など望めず、戸惑う間にリンデマン率いる主力部隊にも追い付かれて挟撃されてしまう。
中枢神経が麻痺していた五千の帝国軍騎兵隊はロクな戦闘も逃亡を試みる事も出来ず、一部の者はカーリアン騎士団の誇りを持って奮戦の後、見事に討ち取られ、大部分の者は馬から降りて降伏を願い出た。
結局、エトナ城を勇躍出撃した一万二千の騎兵師団で、帰ってきたのはヨヘン率いる千五百あまりという帝国軍には悲惨な結果であった。
***
「ご苦労であったが……これからはどうしたら良い? 騎士団も父も失い、城や街を蹂躙から救うにはもう連合軍に降るしかないのか?」
疲れた身体で帰ったヨヘンを出迎えたのは、今は亡きユーリック・カーリアン上級大将の息子であるランカード・カーリアン少将だ。
年齢は二十四歳、豪快な印象の父とは違い、理知的でカーリアン騎士団の師団長の跡取りというのに、あまり戦を好まぬ性格から父からはあまり信頼されてはいなかった様だが、穏和な気性で悪い噂は聞かない人物だ。
「大丈夫です」
疲れてはいる、しかしヨヘンは笑顔を年下の少将に向け、まず即答してから、
「確かにゴッドハルト・リンデマン率いる連合軍は狡猾で強かったです、しかし相手は歩兵主体の一個師団である事はまったく何も変わりないのです、帰ってきた我々千五百とランカード少将の率いる守備兵が三千、合わせれば五千近くはいますのでおよそ一万五千の一個師団相手に城を守っての籠城戦には十分すぎます、近隣のバービンシャーやコモレビドの各城に援軍要請の使いを出して、堅く護っていれば敵軍は長くは居られないハズです」
と、続けて説明と提案をする。
「うむ……そうか」
聞き終えたランカード少将は少し考えた後、ヨヘンを見据えてくる。
「君のいう通りにしよう、もう父上達や幕僚の大部分が居なくってしまった、ヨヘン・ハルパー大佐には参謀次長から臨時に総参謀長になってもらって城の守りを補佐してくれまいか?」
「少将……」
突然の申し出に元々、丸い目を更に丸くするヨヘン。
「頼む、私には自信がないのだ、実質的な指揮は私には無理だ、もし大佐が引き受けてくれない時は私がゴッドハルト・リンデマンと戦うなどという無謀な試みで兵達を苦しめたくはないので降伏をする」
ランカード少将とは個人的な交流はほとんど無かった。
この申し出は能力や人柄を信用している訳でなく、単に自分に自信がないという言葉が額面通りな上、跡取りとはいうのに父に遠ざけられていた彼には頼れる者がロクにいないという事だと理解し......
「わかりました、ではまずさっき提案させて頂いたバービンシャーとコモレビドへの援軍要請、これをまずご実行ください」
ヨヘンはそう告げて、あと二時間で良いので仮眠をさせてくださいと、ランカードの前から脚を重そうに引き摺って自室に戻るのだった。
それから二日後。
リンデマン率いる連合軍はエトナ城に迫り、四日に渡る二度の猛攻を加えてきたが、ヨヘンを中心としたエトナ城の守りが堅いと判ると、騎兵の追撃をすら許さない鮮やかで素早い撤収をみせてエトナ平原からも撤退した。
こうして第八次エトナ会戦からの一連の戦いは幕を閉じた。
非常にしつこく弱点を突いてくるリンデマンの城攻めを神経を磨り減らしながらも、エトナ城の防衛力の高さも手伝い、守りきったヨヘンはようやく息をついたが……
まさかエトナ城を巡る戦火が、意外な形ですぐに上がろうとは思ってもいなかった。
続く




