第百三十八話「帰ってきた少女」
サクラウォールはヴァイオレット州の国境に近い、つい最近まで帝国と連合との停戦継続交渉が行われていた街である。
そこに連合軍迎撃の為に親衛遊撃軍が進出してくると住民達はこの間までは話し合いをしていたくせに結局は戦争か、とぼやきながらも戦いを前に財布が緩い兵士達相手に商売を始め、前線の街の住民らしい慣れた様子を見せ、軍を率いるのが最近司令官に復帰したセフィーナと知ると、大部分の者が素直に帝国の英雄姫に対しての歓迎の意を示していた。
「総司令部であるサンアラレルタに連合軍は約三十三万から三十六万、さらに南のフォルディ・タイの街に後方支援本部の四万から八万、総数はおそらく四十万を下らないだろう南部諸州連合軍が我々の国境を睨み集結しつつあります、参謀本部からの情報によりますと、連合軍はゴットハルト・リンデマン大将率いる第一軍が北西に進んで我々の東部地方に、アリス・グリタニア大将率いる第二軍が北東に進みフェルノールを直撃する進路を取り、各々に侵攻してくるとの予想です」
街で一番のホテルを借りきった前線司令部の会議室。
セフィーナの副官であるルーベンス少佐が壁に掛けられた作戦図を前に説明すると、遊撃軍幹部達は作戦図に配置された連合軍の師団を示す駒の多さに各々の反応をして見せた。
「相手の作戦は姫様の予想通りだな、アリスがフェルノール直撃部隊で、リンデマンが大迂回部隊という訳か、それにしても戦力が普通じゃねえな」
クルサードが半ば呆れた声を上げた。
帝国軍のほぼ半数であり、第一軍の迎撃任務を帯びている親衛遊撃軍が七万であるから、どれだけ両軍の戦力差が離れているかは歴然である。
「敵軍の作戦開始は十日後の六月一日という情報でほぼ確定とみられます、それまでサンアラレルタで最終的な編成や休養をするのでしょう、それはいいとしてセフィーナ様……質問しても良いでしょうか?」
副軍団長のヨヘンが上座のセフィーナに手を挙げる。
「遠慮は要らないぞ、私がお前の意見具申を聞きもしなかったことは無かったろ?」
「では……」
セフィーナの許可を得て、ヨヘンは立ち上り、作戦図のサクラウォールとサンアラレルタを間を指でなぞる。
「連合軍第二軍の迎撃任務を帯びた我々ですが、国境線に近いこのサクラウォールにこのまま親衛遊撃軍が布陣するのは反対です、これまでは敵軍の動向を探る為に必要でしたが、連合軍の作戦が開始されてからもサクラウォールに留まるのは大変危険だと小官は考えます」
「確かに」
ヨヘンの指摘に作戦図に身を乗り出すクルサード。
連合ヴァイオレット州のサンアラレルタと帝国国境近いサクラウォールは目と鼻の先であり、標準的な行軍速度で一日半余り、急行すれば一日ほどの距離である。
対陣とまではいかないが充分に近い距離だ。
「これだけ近くに親衛遊撃軍がいたら、連合軍が先ずは俺達を叩きのめせ、って、全軍で攻めてくる事が有り得るぜ、作戦云々を抜きにしてな」
クルサードがセフィーナに向くと、ヨヘンは頷く。
「リンデマン大将とアリス大将の間に臨機応変な連携がとれた場合、作戦変更して二人が指揮する十数個師団の兵力と我々四個師団の親衛遊撃軍が正面から衝突する可能性があります、それでなくとも二人はセフィーナ様の才能を知っています」
「それは辛いですねぇ、第一軍相手だけでも私達の方が少ないのに、連合軍全軍が来たらやってらんないですよねぇ~、いくら姫様でも」
各軍団は約六個師団という報告を受けているので、二個軍で十二個師団。
セフィーナと言えども……
マリア・リン・マリナが苦笑する。
だかセフィーナの反応は意外な物だった。
「ダメかな? 私がリンデマンの第一軍を引き受けるのは当たり前として、アリス大将の第二軍にも打撃を与えておけば、フェルノール防衛をする皇帝陛下の負担が減ると思うのだが……そうは思わんか?」
腕を組むセフィーナ。
会議室の空気に薄ら寒さが走った。
セフィーナ・ゼライハ・アイオリアは連合軍が誇る二人の智将、勇将が率いる十二個師団相手に四個師団を以て対抗しようとしていたのか。
流石のヨヘンも慌てる。
「セフィーナ様! それは……」
「無謀か? 私はヴァルタで八千の戦力で五万の連合軍を撃破した事があるぞ!? それに国内での防衛行動については親衛遊撃軍司令官の権限があり、何処を根拠地にしようが、迎撃の地点に定めようが自由な筈だ、それは相手も知っている事だろう」
「それはそうですが……相手が違います、どうかお考え直しください、セフィーナ様!」
童顔なりに必死な表情のヨヘン。
彼女と数秒目を合わせると、いきなりセフィーナは真顔から悪戯っぽく口元を緩めた。
「冗談だ、私もあの二人相手に無条件に正面から衝突して、勝ちを獲れるとまでは自惚れていないよ、まともに二個軍団と私も戦うつもりはない」
それを聞き、ヨヘンの顔に安堵が戻る。
「そうでしたか……では、もう少し後方にラサウォールの街があります、そちらの方が相手が動き出したら、距離的には適当で様々な対応は容易いかと思います」
「うん、そうだな、ヨヘンの言う通りだ、親衛遊撃軍はこれからラサウォールに司令部を移そう」
セフィーナはヨヘンの意見具申をあっさりと受け入れ、司令部の移動を命令する。
「やれやれ、街の連中からは文句が出るぜ、一体何しに来やがったんだ、ってさ」
「情報を素早く得る為です、戦略的な転進は仕方がないですよ、国境の街の方々は何もしなければ連合軍が市民に危害を加えないどころか、出ていった私達の代わりの客になることを知ってます、さぁ転進の準備を始めましょう」
遠慮の無い愚痴を言って肥満体を揺らして歩き出すクルサードに、マリナは彼にそう言いながら立ち上がるが……セフィーナにクルリと向き直る。
「でも……殿下はただ単に敵軍の状況視察の為にサクラウォールに進出されたのではないでしょう? きっと何かされるつもりでしょう?」
「私もそう思っているのですが? セフィーナ様」
ヨヘンも同じくセフィーナに視線を向ける。
「うわぁ、やっぱりかぁ~、敵軍いちいち近づいて、ただ下がる姫様じゃねぇもんなぁ!」
このまま立ち去れれば良かったのに、とばかりに舌打ちして、クルサードは頭に手をやる。
情報収集の為のサクラウォールへの進出。
連合軍作戦開始に備えての後方ラサウォールへの転進。
別段、軍事行動として不審な点は無い。
だが、親衛遊撃軍の幹部達はセフィーナがそれだけの為にサクラウォールにやって来たとは考えなかった。
「理解があって助かった」
三人の視線にセフィーナは満足げに首を縦に振る。
「その通りだ、それでは腰を浮かせた所で悪いが席に戻ってくれ、お前達の言う何かをするつもりの作戦を説明する」
三人の幹部が神妙な顔つきで再び着席すると、
「なぁに、簡単な作戦だ、広く知られている通り、私は皇帝陛下より国内での親衛遊撃軍の作戦行動について自由権を持つ、今回はそこを利用させてもらうだけだよ」
不敵な笑みを見せるセフィーナ。
その表情には明らかに何かを楽しむ高揚が伺え……そして、次元を越えた美しさすら感じさせた。
『ああ、やはり……この人は戦場の姫だ』
久しぶりに戦場でのセフィーナを見るヨヘン・ハルパーは僅かに息を呑んだ。
続く




