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銀色のアイオリア  作者: 天羽八島
第六章「決戦の英雄姫」
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第百三十七話「フェルノール放棄戦略」

 至高の玉座に座る若き登極者。

 金髪の新皇帝は端正な眉を僅かに反応させた。


「フェルノール防衛を諦める!?」

「左様です、陛下」


 居並ぶ臣下達の注目を浴び、頷くセフィーナ。

 謁見の間に少なからず緊張が走った。

 セフィーナに対して、極めて友好的と見られている皇帝がやや険のある口調で意見具申に応じたのがその原因だ。


「先日、参謀本部が示した作戦計画に不満があるか?」

「……これは私なりの防衛作戦の意見具申のそれ以上でも以下でもございません、ただご一考してくだされば、と思ったまでです、陛下」


 セフィーナはあくまでも穏やかな表情で皇帝を見据える。

 帝国参謀本部が示し、皇帝カールの裁可を得た防衛作戦計画は極めて堅実でオーソドックスであった。

 帝国軍が東部戦線に動員可能な約八個師団の内、三個師団をカールが直接率いて、首都周辺の拠点の防衛に位置し、セフィーナの親衛遊撃軍四個師団は他の地域の遊撃的な防衛、そして一個師団を予備戦力として皇帝居城に位置させる。

 帝国軍参謀本部は連合軍の二個軍団のうち、一個軍団はフェルノールを直撃するルート、もう一個軍団は迂回して西からフェルノールを突くルートを予測しており、直撃するルートはカールが自ら、迂回するルートは親衛遊撃軍が各々防衛するという作戦計画が先日、高級将官には提示されていた。

 それを受けてセフィーナが意見具申の申し出をカールに行ったのである。


「詳しく話してもらおう」

「現在、連合軍の戦力は約十五個師団以上、その総兵力は三十万を軽く越えます、対する我々は約八個師団、防衛作戦とするならば十分と観る向きはわかりますが、その内容は新規補充兵も多く、師団定員を満たしていない師団もあり、総兵力は約十二万を越える程です、その中でも例えば親衛遊撃軍のほぼ三割以上の兵が新規補充か、実戦経験が一年未満という状態であります、敵軍の侵攻で仕方がない部分はありますが、大規模決戦では十全に力を発揮するのは難しいと考えます」

「我々の師団の実態はその数の通りには動けない、セフィーナはそう思うのだな? それでは決戦には不安が残ると?」

「はい、その通りです」


 久し振りにカールに名前を呼ばれたセフィーナはコクリと首を縦に振り、話を続ける。


「フェルノールを棄てる、私はそう申しましたが、それはもちろん敵軍に無抵抗で首都を委ねるという意味ではありません、ある程度の抵抗は示しつつ、我々の主力は温存したまま戦線を北方に吊り上げていくのです、南部諸州連合の最終目的はこの皇帝居城で我々に城下の盟を誓わせる事にあります、ならばこちらがその戦略を根底から変えてしまえば、連合軍の大規模兵力は輜重、指揮統率の両問題から大きな足枷となる筈、即ち皇帝居城を最終目的地ではなくしてしまえば良いのです、敵軍が如何に皇帝居城を占拠しようとも我等の主力と陛下が健在のまま、冬を迎えれば、南部の兵が北方に退いた我々を追撃するも、三十万の兵に補給を続けるのも困難となり、我々の反撃を受ければ皇帝居城を放棄して撤退せざる得ない状況となります」


 高い声が謁見の間に通っていく。

 誰もが帝都死守を考えていた時、セフィーナは帝都陥落までも組み込んだ戦略を思考していたのだ。

 そのあまりにも突拍子もない作戦に、居並ぶ臣下達からは感嘆というよりも驚きの声が上がる。


「冬季まで戦いを引き延ばす、そういう事か?」

「冬季戦ならば、南部の兵よりも我々の兵の方に慣れがあります、冬季装備なども我々の方が良質ですし、予め戦局を予想していれば用意もしておけます、これであらゆる点で我々が有利に運ぶでしょう、冬場のフェルノール周辺は我々にとっては厳寒とは呼びませんが、南部で最も冬の厳しいハッファ山地よりも平均気温は下り、雪も降るのですから」


 カールの問いにセフィーナは即答する。

 帝国兵のかなりの割合の者が厳寒を体験しているし、その中で生まれた冬季用装備も帝国軍の方が優れているのは当然だ。

 賛否を争う議論の予感がしたが、謁見の間に居並ぶ臣下達に見えるのは明らかな迷いだった。

 本来の両面迎撃作戦は皇帝カールと参謀本部との協議で決められた作戦である。

 如何に英雄姫と言われるセフィーナの案といえども、皇帝の決めた両面迎撃帝都死守作戦と真っ向に反する帝都放棄作戦を支持するというリスクを考える者もいるのだ。

 しかし……

 

「確かに……冬季戦を地の利のある領内で行えれば、例え三倍に近い敵軍であろうとも勝機があるのではないでしょうか? ゼライハ公の御意見は検討の価値が十二分にあると将官は考えます、皇帝陛下」


 セフィーナの案をその場の誰よりも早く支持したのは、近衛第一師団長であるハインリッヒ・ルーデル大将。

 田舎の熱血教師の雰囲気がある中肉中背の黒髪の青年将官は、過去の鉄槌遠征に第二軍所属の第十四師団長として参戦し、連合軍の罠を感知した当時准将のヨヘンを支持して、受け入れられずに生じた負け戦の中では味方を助けつつ、犠牲を負いながらも第二軍の全滅を防ぎ撤退を成功させた手腕を持つ。

 その後は派手な活躍は無かったが、カールが新皇帝となると、その負け戦に埋もれかけた手腕が注目され、大将に昇進して近衛第一師団長となっていたのである。


『彼がルーデル大将か……』


 直接の面識は無いが、ルーデル大将の事はセフィーナはヨヘンから聞いている。

 粘り強さのある適切な戦術をする彼を親衛遊撃軍に欲しいとも思った事もあるが、それはセフィーナ自身が親衛遊撃軍を離れてしまった事もあり実現しなかったが、そんな彼が近衛第一師団長という要職にあるのは適材適所ともいえるだろう。


「そうか、ルーデル大将もセフィーナの案に賛成か?」

「はい、ゼライハ公の言われます通り、我々の師団は訓練と定員不足が重なる師団があり、おそらく実質的には六個師団ほどの戦力と考えるのが妥当だと小官も考えます、ならば一時的なフェルノールの放棄も戦略として組み込み、物心共に連合軍の負担を強いて好機を観て反撃する作戦が良いかと、敵軍の一般兵達はこの戦いは少なくとも秋口には終わると考えているでしょう、もしそれが予想を反して冬季に入れば、物資も窮乏し高級将官はともかく一般兵の士気は大きく減退する可能性も高いのではないのでしょうか?」


 ルーデルがセフィーナの説明に自分なりの補足を加える。

 支持を受けた方としても文句は無かった。

 一般兵の士気もセフィーナの挙げた補給線や装備、練度にも匹敵する重要な用件だからだ。


「……士気か」


 親衛遊撃軍司令官と近衛第一師団長から出た意見。

 カールは玉座の肘掛けに頬杖を着き、群臣達を眺める。

 その中には参謀総長を務めるヴァンフォーレ上級大将も居た。

 今年で七十四歳の老将で軍の重鎮として各方面に顔が利き、堅実な手腕が評されての登用であるが、カールは敢えて彼に視線を向けなかった。

 ヴァンフォーレには軍掌握の助けには頼っても、総軍を率いて連合軍と戦うという事柄には頼る気がカールには無かったからである。


「小官にも意見をお許し下さいませんか? 殿下に申し上げたい事があります」


 カールの視線を受けて群臣から踏み出たのは、参謀次長であるパティ中将。

 褐色の肌に、灰色の短髪をした新進気鋭の女性将官だ。

 元々はカールの参謀であり、その才能は帝国を去ったシアに並ぶとも評する者もいる。

 参謀総長ヴァンフォーレ上級大将が参謀本部の顔役ならば、実質的な作戦立案には彼女の意見が大きく影響し、皇帝カールと二人だけで協議しているとの話もあった。

 彼女の言う殿下とはセフィーナの事だ。

 皇帝の娘から、妹という立場になり、多くの者が慣れ親しんだ皇女殿下という呼ばれ方は当然されなくなり、皇帝カールから与えられた公爵位と所領を合わせたゼライハ公と呼ばれたり、皇女を抜いた殿下と呼ばれたりしている。


「参謀次長、申してみよ」


 頷くカールからの許しを得ると、パティ中将は頭を下げてから、セフィーナに身体を向けた。


「殿下はフェルノールの失陥を戦略に組み込んだ作戦案を提示なされましたが、もしフェルノールが失陥した際に国民に動揺が走り、取り返しのつかない状況が訪れるとはお考えにはなりませんか? 開闢以来不落の帝国首都が陥落したとなれば、各地への影響は計り知れませんし、ルーデル大将の言われた士気に例えましても、前線の帝国軍の兵士たちのそれが低下してしまいます」

「それくらいなら考えた、私だって単なる陣地獲りの材料に帝国首都を見ている訳でもない」


 パティからの反論にセフィーナは即答した。

 パティとは連合からの脱出作戦でも面識があるが、ヨヘンやシアの様に個人的な友誼は無く、論戦を仕掛けられて手控える性格でもない。


「それを考えられて、何故殿下はそのような作戦を……」

「確かに言われる危険性はある、だが帝国最大の危急の際、ここまでの大規模な謀反や反乱にもなびかず、帝国に忠誠を見せてくれた者達を疑いながら戦う我等に果たして勝ち目があるだろうか、参謀次長?」


 パティの指摘は的を射ている。

 如何に戦略上とはいえ、帝国首都フェルノールが陥落してしまったら国民や貴族は動揺するだろう。

 セフィーナも以前、親衛遊撃軍幹部との会議で語った通り、首都陥落の動揺の懸念が無い訳ではないが、結局は国民や貴族に軍の最終的な勝利を信じてもらうしかないと結論を出すに至ったのだった。


「それは……」


 意地悪とも言える質問にパティが返答を纏める前にセフィーナは続ける。


「確かにフェルノール失陥は避けたい、だがフェルノールは南部との国境に近く、防衛に拘ると国土の広さを利用した戦略が採りづらく正面的な決戦になりやすい、もし我々の組織的戦力が壊滅したら本当に取り返しがつかない、奪われた土地は勝って回復も出来るかも知れないが、巨大戦力との不利な決戦で失われた兵士達は帰ってこないのだ、それこそ国民や貴族達が……」

「では殿下は陛下と参謀本部とが決めた迎撃作戦案では敗北すると申しますか!? 英雄姫セフィーナ様と皇帝陛下が自ら軍を進めて敗北すると申されますか?」

「私は不利だと言った、だからこうして意見具申をしておるだろうに!?」


 話を遮ったパティに対し、セフィーナは本来の激しい気性を隠さず、切れ長の瞳を褐色の肌の参謀次長に向ける。

 言い様がハッキリ言えば気に入らなかったからだ。

 その正面切った物言いに周囲はざわめき、皇帝カールの眉も僅かに反応する。


「フェルノール周辺地域を連合軍に渡してしまえば、大規模な掠奪が行われるかもしれません、国民を護る事が任務である我々がそれを看過するような戦略は国軍、ましてや皇帝陛下の恥となりませんか?」


 セフィーナの鋭い視線にもパティ中将の反論は止まない。

 懸念を更に告げるが……


「その様な幼稚な理屈で連合軍と戦場の駆け引きが出来るか、恥を忍んでの戦略的撤退は次の勝利のために有る、恥を避けての結局の敗戦は軍人にとっては既に罪である、そして私は敵の軍司令官を個人的に知っているが性格から大規模な掠奪は考えにくい、それでも占領下で我々の国民を不当に扱ったならば戦場での勝利の後に徹底的に調査し、後悔するほどの処断をくれてやる所存だが、所詮は勝たねば出来ぬ事だ、その点を理解できるか参謀次長?」


 いよいよセフィーナはパティ中将を睨みつける。

 積極的に嫌うほどではないが、何処か相容れない物をセフィーナはパティに感じてしまっていた。

 こうなると温厚な淑女の姫君ではなかった事が後世まで伝わってしまっている気性が後には退かない。


「……」


 パティ中将も明らかに唇を噛んだ。

 睨みはしないが、セフィーナを見据える。

 謁見の間に漂う異様な雰囲気。

 帝国の至宝たる英雄姫セフィーナと皇帝カールの副官として辣腕を振るい、いよいよ軍の中枢を実質的に動かす参謀次長となったパティ中将。

 この二人が感情を感じさせる対立を見せているのだ。


「セフィーナ、お前の意見具申もパティ中将のそれも嬉しいが、その決着をにらみ合いでせよ、とは私は言わなかったぞ?」


 そこに頬杖をついたまま、口を開いたのは最高権力者である皇帝カールであった。

 

「……陛下、私はそういうつもりでは」

「意見具申は御苦労であった、最終的な判断は余がして全部隊に通達する故、部隊に戻るとよい、セフィーナの案に賛成のルーデル大将もそれでいいな?」


 諭す口調のカール。

 私室で二人で話しているのなら例外もあろうが、謁見の間でカールにそう諭されてしまうと、これ以上の主張は出来ない。


「かしまこまりました」


 頭を下げるルーデル。


「愚考を御拝聴頂き感謝します、では失礼します」


 続いて綺麗な敬礼を見せ、踵を返して退室するセフィーナ。

 近衛兵が開けたドアを通って廊下に出る。


「どうだった?」


 そこに駆け寄ってきたのは謁見の間には入れず、廊下で待っていたメイヤ。

 早足で歩いていくセフィーナに続く。


「わかるであろ?」

「機嫌が悪くなると早足で歩くから解りやすいんだよね」

「ああ、兄上……いや陛下は正面迎撃作戦を変えないだろう、元々一旦は各将官に作戦を通達してもいるし、変更するつもりなら私に詳細を聞く為、部隊には帰さないだろうからな」

「え~、でもセフィーナの言った事だからかなり考えてくれるんじゃないかな? 普通の司令官が言った事ならともかく、セフィーナの言った事なんだよ、重さが違うよ、重さが」


 セフィーナの後ろを歩きながら両手を頭の後ろに回し、首を傾げるメイヤ。

 そんな幼なじみに、早足を止め……


「それはもうどうだろうな?」


 セフィーナはそう言いながら、肩をすくめて見せた。





 帝国軍各司令官に南部諸州連合軍に対し、改めて正面迎撃作戦が通達されたのはその二日後である。




続く


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