第百三十六話「サンアラレルタ連合軍作戦本部」
ヴァイオレット州サンアラレルタ。
荒野が広がるヴァイオレット州北部は帝国との国境が近いという面もあり、規模の大きな都市は存在しない。
東に行った海岸沿いにならば、漁業や船での運搬などの産業が根付いた幾つかの中規模都市が並ぶが、ヴァイオレット州内陸北部は痩せた土地が殆どで基幹産業が育ちにくい。
そんな地理的な条件もあり、小と中の間と言うのが妥当なサンアラレルタの街であったが、ここ数週間でまるで別の街の様になっていた。
原因は南部諸州連合軍による対帝国大規模遠征作戦の総司令部に選ばれ、十五個師団、三十万を軽く越える遠征軍の最終集結地となったからである。
街の郊外には膨大な物資を置き、兵士達が休む幕舎が数え切れないくらい立てられ、総司令部は街で一番大きなホテルが借り切られた。
郊外の沢山の兵士達。
もちろん街の食堂やバー、女性のいる店を営む者達などはこのビジネスチャンスを逃すまいとしたが、街の人口の数十倍にもなる兵士達を相手に商売を出来る規模では無かった。
そこに集まってきたのが、各地の商人達だ。
キャラバンを組んでやって来た彼等はサンアラレルタの街の郊外、または街の広場などに屋台を出したり、大きなテントを張り巡らせた店舗を出すなどして、サンアラレルタの街は今や南部有数の大都市の祭の様な賑わいを見せている。
兵士達は激戦の前の休養を楽しむが、司令官達はそうはいかなかった。
「どういう事よ!?」
総司令部の食堂。
涼しげな顔でコーヒーを口に運ぶリンデマン。
目の前のハンバーグステーキをナイフとフォークで口に運んでいたアリスは眉間に皺を寄せ、彼を睨みつけた。
「ハッキリとした発音をした筈だがな」
「もう一度言ってもらえないかしら?」
予想通り睨みが効かないリンデマンに対し、ナイフとフォークをテーブルに置き、アリスはテーブルに身を乗り出す。
南部諸州連合最大の侵攻作戦の片翼を担う新任大将の剣幕に周囲の士官達の視線が向く。
「ならばもう一度言おう、互いの軍団編成を変えたい、リキュエール中将を第一軍団に欲しい、もちろんこちらからも一個師団をそちらに回す、いわゆる交換だ、君が了承すれば私から総司令官には許可をもらう」
「互いの六個師団の編成は決まっているでしょ? いきなり何でよ?」
「第一の理由は将同士の相性の問題だ」
「相性ですって!?」
アリスがようやく周囲の視線に気づき、声を低くして椅子にかけ直すと、士官達は注目を止め、新任大将の剣幕を見ていなかったかのように食事を続ける。
「ああ、おそらく親衛遊撃軍の相手は君の第二軍団ではない、私の第一軍団になるだろう、それならばリキュエール中将はこちらに欲しい、代わりにこちらの軍団に編成されているブライアンの第十師団をそちらに回す」
「……セフィーナ相手に敗北したブライアンよりも、一泡吹かせたリキュエールを頼りにするわけね」
「対セフィーナという面に関してはね、ブライアンも十二分に一線級の将官だが、今回は相手が相手だ、ブライアンに苦手意識がある可能性も、リキュエールに対するセフィーナの苦手意識でも引き出せる可能性もある」
ブライアン・パルトゥム中将は一昨年、ダイ・ガナショー中将と共にセフィーナ率いる親衛遊撃軍に敗北を喫している。
彼の率いる連合軍第十師団も壊滅的な損害を受けたが、補充と再訓練を経て戦線に復帰し、今回の作戦にリンデマンの第一軍団に配置されている。
対して第二軍団に配置されたリキュエール中将が率いるのは第十三師団。
元々は別の司令官がいたのだが、今回の作戦に合わせ、その司令官を異動させてリキュエールを司令官に据えている。
もちろん、その異動はリキュエールの能力を買っているリンデマンやアリスの両大将の意向が大きく及んだ結果だ。
「…………」
普段ならば検討の余地も無い。
鉄槌遠征迎撃の際からアリスが目を付けていた将であり、自らの師団の副師団長にも抜擢した過去があるリキュエールを帝国軍との決戦で、自らの率いる事となった軍団からリンデマンの軍団に配するなど論外である。
しかし、リンデマンの言う通り……彼が戦う相手がセフィーナ・ゼライハ・アイオリアならば。
南部諸州連合がアイオリア帝国に勝利するには、その過程で英雄姫と帝国国民の希望となっている彼女の打倒は何の形にしても必要不可欠だとアリスは強く感じている。
「ブライアンなのよね?」
「ああ」
リキュエールが手元からいなくなるのは惜しいが、ブライアンも士官学校の一期後輩であらゆる意味でコンタクトの取りやすい相手でもあり、戦場を一撃で変えてしまう派手な用兵はないが、攻守ともに信頼できる将だ。
アリスの確認にリンデマンは頷く。
「こっちにセフィーナが出てきたら返してもらうわよ」
「もちろんだ、それはないと思うがね」
「それにしても珍しいじゃない、リキュエールが手元に欲しかったら編成の時にごねりゃ良いのに……」
「珍しく私の予想が外れたんだ」
頬杖をつくアリス。
リンデマンはコーヒーをひと口飲み……
「私はセフィーナ・ゼライハ・アイオリアが帝国軍総司令官として帝国総軍を率いて我々の前に立ちふさがるという想定をしていたんだ、それが一軍四個師団程度の指揮権しか与えられなかった、予想外だったんたよ」
と、アリスを見据える。
「なっ!?」
驚いて見返すアリスだったが、リンデマンにはそれが冗談というような雰囲気は無かった。
アリスも統合作戦本部での会議の際、セフィーナが連合軍迎撃の総司令官になるために帰国したと発言したが、それはあくまでも連合軍迎撃の指揮をとる防衛司令官という意味であり、帝国軍の全体を掌握する立場という訳ではない。
「アンタも知っているでしょ!? 帝国では慣例で帝国皇帝が帝国軍の総司令官なのよ? セフィーナ皇女がいくらカール皇帝の信頼が厚くとも参謀総長が良いところ……」
「それはあくまでも慣例だ、確度の高い情報でセフィーナを妹としてでなく、后妃として迎えるとまで言われていたカール皇帝が慣例を気にするだろうか? たとえ少しは気にしたとするとしても君のいう通り参謀総長にも任じられていない、確かに四個師団は今の帝国では極めて重要な戦力だが、私ならば彼女をもっと戦略的に能力が発揮できる地位に置くがな」
驚いたあまり、現在の立場とは異なる皇女という呼び慣れたセフィーナの呼び方をしてしまったアリスだったが、リンデマンは気に止める様子なくセフィーナの人事の不自然さを指摘する。
「……本人が望んだ可能性は? 親衛遊撃軍は彼女が創設したのよ、愛着はあるだろうし」
「どうかな? ここまで来てセフィーナ自身がそこまで親衛遊撃軍に拘るとは私は思わないがね、しかし彼女が戦略的な指揮を取らないのならば、これで私が一番面倒になると思っていた戦略を取られる危険性は減ったとみていいな」
そこまで言い、リンデマンは椅子に深々と背をかける。
「一番面倒な戦略……なによ?」
「わからないかい? 我々が帝国を攻める上で最も恐ろしい敵とは何だね?」
「そりゃあ……ここまで私達を苦しめてるセフィーナという一人の天才でしょうよ?」
「それでは不正解だ」
「じゃあ、正解を聞きましょうか、教授?」
口角がいやらしく曲がるリンデマン。
引っ掛かったか、と舌打ちしたアリスに見据えられると、リンデマンはゆっくりと顔を上げた。
「それは寒さだ……南部の我々が知ってはいようとも、実際に感じた者は殆どいない、この大陸の北の寒さだよ」
「寒さぁ!? アンタねぇ、今が何月だと思っているのよ? 作戦開始は六月なのよ? いくら何でもフェルノールを落とせるか落とせないかの決着がそこまでかかる訳がないわよ!」
勿体ぶった答えがそんなのか。
予想外の答えにテーブルに両手をつくアリス。
だが、アリスの反論を予想していたかの様にリンデマンは口元を緩めたまま、
「フェルノールが落ちたら、戦争が南部諸州連合の勝利で終わる、それはこちらが勝手に決めた事だろう? 帝国がそれでも戦力を温存し続けて、抵抗を諦めなかったらどうなる?」
そう言って、テーブルの上のコーヒーを口に運んだが、やや冷めていたそれに眉をしかめた。
帝国首都フェルノール皇帝居城。
両開きの鉄扉を護る二人の近衛兵の前に、軍服姿の銀髪の美少女セフィーナが立つ。
訓練され、大臣たちや高官を見慣れた筈の彼らでも皇帝に次ぐ帝国の最重要人物の参上には緊張は隠せない。
「皇帝陛下への意見具申の許可は下りている筈だ、話は聞いているか?」
セフィーナに訊ねられ、ハッと短い返事と共に鋭い敬礼をして近衛兵二人は謁見の間に向かう両開きの扉を開く。
「御苦労」
近衛兵達に返礼すると、セフィーナは切れ長の瞳を鋭くさせ、皇帝カールの待つ謁見の間にゆっくりと歩みを進めるのだった。
続く




