第百三十四話「決戦会議」
三月も終わりに近づくと、南部アルファンス州は雪などの心配も無くなる。
帰国から数ヵ月、南部諸州連合とアイオリア帝国のセフィーナ再着任を巡っての交渉の難航が各々のマスコミから報じられ、街の人々はうららかな春の訪れに感謝しながらも、再びの国家間戦争も一緒に近づきつつあるのも感じ始めていた。
エリーゼ郊外にある連合軍統合作戦本部の大会議室には軍の中枢を担う高級軍人達が数十名。
「諸君は承知しているだろうが、帝国と我々の政府との停戦条約交渉が暗礁に乗り上げており、来月末を持って進展が無ければ条約が破棄となる公算が高い……その際は戦争の再開となり、我々としても帝国の軍事力が回復する前に攻勢作戦が必要である、良案があれば軍部からの意見として議会に提案をしたいと思い会議を召集した、諸君らに忌憚ない意見を出してもらいたい」
議長役を務める統合作戦本部長モンティー・オーソン元帥が切り出す。
軍部からの攻勢作戦の提案。
通常規模では無いのは各師団長クラスまで集めての会議を行い、更に議会にまで提案するという事で明白だ。
限定的な戦力での攻勢ならば、上層部の提案者数人で決まってしまう。
「各師団長や参謀、そしてお偉方まで集めての作戦会議ともなれば単なるピクニックでは済まなそうだが……想定する作戦規模は大きいのでしょうな?」
口火を切ったのは連合軍の宿将とも呼べる第八師団長のグラン・パウエル中将。
白髪頭であるが、軍服に身を包んだ細身の身体は戦場で磨かれた強さを感じさせ、齢六十を越えながらも長年の前線指揮に自他共に不安を唱える者はいない。
「パウエル将軍、それは勿論です」
議長役のモンティー元帥すら、年齢、軍歴が上であるパウエル中将を粗雑には扱う事は無い。
「帝国はまだ一昨年から激しさを増した我々との戦いや、アレキサンダー皇子の反乱をピークとする相継ぐ内乱で戦力が回復していない、もちろん我々も各所の戦で損害は受けているが、敵軍の方が遥かに苦しい立場にいる、この攻勢は規模としては一昨年の帝国の遠征規模にも負けぬ戦力での実施を考えている」
「それで積極攻勢という訳ですか、この私個人としては反対するつもりはありませんが、惜しむらくはタイミングが随分と遅かったかな? そこは停戦条約を締結した議員方に埋め合わせを願うか、しかし来てくれても戦場の何処で使い物になるのか悩むところだな、検討の余地がありますかな? 統合作戦本部長」
モンティーの説明にパウエルが嫌味タップリに腕を組むと、各師団長などからはドッと笑いが起こる。
前線部隊指揮官からすれば、内乱を起こした相手に停戦条約のせいで手出し出来なく、切歯扼腕した思いがある。
最終的には停戦条約に条件を付けながらも、賛成の意を示した軍の上層部にも向けられているので、モンティー元帥などには笑えない冗談でもあるのだ。
「動員規模や時期は作戦の内容によって変わる、今日は基本的な作戦案について諸君らの遠慮の無い討論を期待する、もちろん細部には拘らない、草案でも構わない」
咳払いをして、モンティー元帥は周囲を見回す。
こういう会議は初めは誰もが発言しにくい物だが、揃ったのは連合軍を代表する高級軍人。
早速、手が上がり、周囲の視線が集まる。
「スコット中将、どうぞ」
モンティーの横に座る作戦課長のベルレッツ中将に促されると、身長180㎝は越えた金色短髪の巨漢の男が立ち上がる。
ウィリアム・スコット中将。
性格は豪快奔放。
鉄槌遠征の迎撃の際にも、麾下の第十一師団を率いて、アリスと共に第三軍を蹴散らすのに活躍した勇将だ。
「弱った相手とはいえ、相手はアイオリア帝国軍だ、下手な小細工は打たずに国内守備の師団を幾つか残して、ヴァイオレット州国境からさして遠くない相手国の首都であるフェルノール目指し、大軍で正面侵攻するのが良いと思う、それこそが兵力が足りなくなっている帝国軍が怖れている事態だろう」
身体の大きさに比例する声量で意見すると、スコット中将はドカリと着席する。
「確かに……小細工は逆に弱った帝国軍に付け込む隙を与えてしまうかも知れないな」
「最短距離でフェルノールを突くのは、ヴァイオレット州からも近く、こちらも補給の負担が少ないからな、やり易い」
「去年までならヴァイオレット州を出撃根拠地にするのは不安があったが、もう鉄槌遠征の際の被害は回復しているだろう」
帝国首都フェルノール直撃作戦。
単純明快な作戦であるが、賛成意見を何人かの参謀や師団長が口にする。
帝国軍の迎撃戦力が万全ではない状態ならば、回りくどい手段は必要ない。
連合国境のヴァイオレット州から近い東海岸沿の帝国首都フェルノールは守備拠点も多く配置されているが、それは逆にその単純な戦略を怖れている表れでもある。
政治や経済的な観点から、寒冷地に首都を置くわけにはいかなかったとはいえ、ヴァイオレット州国境から近すぎるフェルノールの戦略的な位置は常に言われている帝国のアキレス腱。
「しかし……フェルノール周辺の守備は堅いぞ、かなりの戦力が必要だ」
「それは前からわかりきった事、相手が弱体化した今こそ決戦を怖れていては好機を逸するぞ」
「そうだ、おそらく我々が優勢に戦えば、帝国各地の貴族達も離反する可能性がある、皇帝が替わったばかりではまだ統制が取れているとは思えない」
「いや、それは希望的な見方だ、離反するような貴族は既に今までの反乱で出きっただろう、元にアレキサンダー皇子の反乱の際も予想より反乱に加わった貴族は少なかった、新たな皇帝カールはやり手だ、舐めない方が良い」
スコット中将の意見から、各人の議論が始まる。
それから暫しの間、直撃作戦のについての議論が交わされるが、メリットとデメリットを唱える各々の者を納得させられる様な策は出てこない。
フェルノール直撃作戦は確かに軍事力の弱った帝国軍を倒す為には魅力的であるが、以前から当然、帝国軍はその危険性を十分に認識している筈で、そこに仕掛けるのは多分に投機的なのだ。
「うむ、ではスコット中将からのフェルノール直撃作戦は案の一つとして、また別の思案が無いか?」
このままでは埒があかない。
モンティー元帥が一段落を付けて、新たな案を求めた。
数人の視線が上座の一角に座る男に向く。
ゴットハルト・リンデマン大将。
戦略作戦立案に関して、南部諸州連合でも随一の大家と自他共に認める男が全く発言していない。
「リンデマン、皆が見ているわよ」
横に座るアリスに促されるが、リンデマンは腕を組んだまま、両目を閉じていた。
「リンデマン、あなた聞いてないの!?」
「聞いているよ、君の声もこれまでの会議の経過もね、私に意見を求めるのも良いが、南部諸州連合軍初の女性大将の意見も皆が聞きたがっているのじゃないのかね?」
「いや、それは……」
片目を開けたリンデマンに、そう振られるとアリスは複雑な表情を見せた。
連合軍初の女性大将。
アリスは三月の初旬に昇進を受けていた。
強く推挙したのがリンデマンであるが、アリスのこれまでの功績を考えれば妥当性のある話であり、特に帝国の英雄姫セフィーナを撃退した(連合ではそう判断されている)、第十次エトナ会戦の功績が高く評価された形だ。
本人に言わせれば、あの戦いではセフィーナは自分の半数の軍勢しか連れてきていなかった、私の方が圧倒的に有利な状況にあったんだから昇進の決め手にはならないわよ、と周囲には言っていたのだが、相手がセフィーナであったという事とリンデマンの推挙もあり、アリスは南部諸州連合では初、ガイアヴァーナ大陸の有史上では二番目の女性の大将という地位を獲たのだ。
「アリス大将の意見はどうかね?」
連合軍総参謀長であるシェーア大将に意見を求められると、アリスはだんまりを決め込んだ様子のリンデマンを睨みつつ、立ち上がった。
「これはあくまでも私の推測の域を出ないのですが、帝国が何故ここまで強硬な態度でセフィーナ・ゼライハ・アイオリアの平和大使再着任を拒むのかを考えると……おそらく帝国皇帝はセフィーナ皇……いや、セフィーナ大将を迎撃軍の総司令としての国防を考えているからでしょう、そうなれば我々にとっては油断は出来ない事態となります、フェルノール直撃作戦は確かに我々にとっても補給運用などで利のある作戦ですが、逆にフェルノール防衛は帝国からすれば長年備え、準備しているのです、そこに今や大陸で知らない者がいないセフィーナ大将の軍事的才能が加われば、一昨年の帝国の鉄槌遠征の意趣返しを受けてしまう可能性すら考えなければいけません、まず立ちはだかるであろう彼女の存在については諸将はどうお考えか? 私は敵軍が容易にこちらの意図を理解できる作戦には危惧を覚えます」
アリスが自分の意見を述べると、うむと首を縦に振りつつも、
「では、アリス大将はどのような作戦案を考えるか?」
シェーア大将はフェルノール直撃作戦への意見だけでなく、アリス自身の私案も求める。
『やっぱり代案を出さないと逃がしてはくれないかぁ』
心中で舌打ちするアリス。
五十代前半のシェーア大将が一回り近く年下で、さらに女性であるアリスの大将昇進に思う所があるのかも知れないと、邪推もするが、表面上は素直にシェーアに向き直る。
「あくまでも小官の考えを述べますが、作戦が投機的になるのは今回の出兵計画で帝国を絶命させようとする目標からであり、まずは帝国の戦力を削いでいくという戦略思想を採用すれば、投機的な作戦は避けられる筈です、その成否をもって次の作戦を定めれば良いと思います」
「ほう、具体的には?」
アリスの言い様に興味を示すシェーア大将。
「はい、西部でも中部でも構いません、三ないし四個師団ほどの大戦力でもって進攻し、東部フェルノール方面の帝国軍戦力を拠出させなければいけない状況にするのです……守備頑強なフェルノール攻勢に出るよりも戦はやり易い筈で、迎撃してきた敵軍を撃破すれば更に帝国軍の戦力を削げます、その経過を観て次の作戦を定めれば良いかと思います」
「無視されたらどうする? 敵軍は戦力が少ないんだぞ!? フェルノールから戦力を転用しないかもしれない」
声を上げたのはフェルノール直撃作戦を意見したスコット中将である。
既にアリスは大将であるが、元々年上で性格が剛毅なスコット中将はあまり気にしている様子はない。
「それは有り得ない」
答えたのはアリスではなかった。
即答したのはアリスの横で腕を組んだままで着席するリンデマンだった。
「帝国は中部も西部も見棄てる戦略は取れない、只でさえ大規模反乱の後だ、我々から全力で護る態度を見せなければ、新皇帝への信用が失墜してしまう、必ず迎撃してくる筈」
アリスが答えようとした事を正確に口にするリンデマン。
不満もあるが、アリスは一応の助け舟のつもりもあるのだろうと、リンデマンに一瞬の細目を向けるに留めた。
「なるほどな、そこで帝国軍の主力を撃破する方がフェルノール方面で戦うよりも我々に障害は少なくなる、攻め戦の不利はあろうが、中部や西部には少なくともフェルノール程に幾重にも築かれた砦や陣地など無いのだからな」
「投機的な危険性は減るな、鉄槌遠征に匹敵する規模の遠征は退くに退けない事があるが、それくらいならば不利になれば退くという、選択肢も十分に可能だ」
「相手は何せ英雄姫セフィーナだ、下手にフェルノール方面で決戦を挑んで大敗などさせられたら、戦略的な優勢を一気に挽回されるかもしれんのだからな」
「確かに言われる通りかもしれない」
「うむ、帝国の戦力をもう少し削らなければ、フェルノール攻略は覚束無い、焦らず前哨作戦の必要はあるだろう」
フェルノール直撃作戦に難色を示していた者達がアリスの挙げた案に好意的な反応をすると、スコット中将の強硬案に賛成をしていた者達も流され始める。
『私の案が特別優れて聞こえた訳じゃない……皆がセフィーナを怖れているのよ、類い稀なる才能を持った彼女と存亡を賭けた決戦をするのが怖いのよ』
アリスは理解していた。
確かにアイオリア帝国という鷹は脚を怪我して、鋭い爪は割れたかも知れない。
だが鷹の両目はまだ光を帯び、鋭い嘴も、空を舞う翼もまだ持っている。
決して油断は出来ない。
何よりも開戦の口実すら与えるのを承知でセフィーナという一人の少女を取り返した帝国が、彼女の軍事的才能を最大限に発揮させようとしてくるのは明白だ。
「う~む……セフィーナ・ゼライハ・アイオリアか、たった一人の娘に我々はここまで苦しめられるのか」
腕を組んで唸るモンティー元帥。
帝国の鉄槌遠征を撃退した直後、フェルノール直接攻略を子飼いのベルレッツ中将を通じて計画した事もあった彼だが、その頃よりセフィーナの実績、名声は格段に上がっており、スコット中将の挙げた案に難色を見せている。
「アリス大将の案ではないが、西部のエトナ方面の攻勢には、セフィーナ大将を差し向けてはこれないだろう? 彼女はフェルノール方面防衛の切り札にされる筈だからな、そこで西部制圧と帝国軍の戦力撃退の作戦はどうだろうか?」
第九師団長のガブリエル中将が意見すると、周囲の者達からオオッと声が漏れた。
特に気を惹いたのはフェルノールが脅かされる可能性もある状態ではセフィーナは出てこない、という所だろう。
「それは絶妙な戦略だな」
「出てくるなら、せいぜいヨヘン・ハルパーだろう、機動用兵は優れているらしいが、戦力的には我々が有利だ」
「セフィーナが出てくるよりはいいな」
ガブリエル中将の提案に数人の者達が賛成の意を示す。
「投機的な危険性も無く、帝国軍の戦力を削っていくには妥当な戦略かもしれないな、ガブリエル中将の推測通りセフィーナ・ゼライハ・アイオリアは今さら西部防衛には出せんだろう、彼女が出てこないのはやり易い」
モンティー元帥がそう頷くと、セフィーナという立ちはだかる存在に重苦しくなりかけた会議室の雰囲気が変わったが、
「その作戦案はともかく、ヨヘン・ハルパー中将を単なる機動用兵巧者という認識は危険だと私は思います、彼女もセフィーナ大将と同等、いや与えられた戦場によってはそれ以上の驚異的な働きが出来る将です、油断は禁物と考えます」
そう発言したのは、中将クラスの将官の席に座る黒髪麗しい新任中将であるシアだ。
ガブリエルの提案からの一連の発言には、ヨヘンはセフィーナ程の脅威ではないという意が感じられ、シアは言ったのだが、
「そうか、そうか、シア中将はヨヘン・ハルパーと親しいのだったな、これは失礼した、君が祖国を捨てても親友が優秀という事を信じたいのかもしれないが、これで我々もそれなりには軍を扱えるのだ、だいたいそうでなくては今の有利な状況は出来ていないのだからな」
四十半ばの准将参謀が薄ら笑いを浮かべて、シアに告げると何人か冷笑が続く。
シアは僅かにその整った眉を動かすが、反論はしない。
覚悟していた事だ。
敵国から亡命して、才を買われたとはいえ中将待遇に扱われれば、その座にある者、その座を目指す者の中には不快をハッキリと態度に出す者くらいいるのは当然だ。
「な、なによっ……あれ」
「……ふっ」
シアへの外様の扱いにアリスが反応しかけるが、それよりも早く、あからさまな冷笑を浮かべたのは隣のリンデマンだった。
「なるほどな、今の有利な状況は我々が優秀だから発生したという認識なのか、それはそれはめでたい事だ」
「リンデマン大将、めでたいとは、どういう意味ですかな!?」
准将参謀がリンデマンに向き直り、周囲が注目する。
リンデマンは嘲笑をその参謀に向けた。
「めでたいとはそのままの意味だ、自分達も優秀と言うならば貴官に訊ねるが、誰かこの中にヨヘン・ハルパー中将を戦場で下した者がいられるかな? 我々は鉄槌遠征という敵軍の失策を利用して勝利はしたが、帝国の軍事的な不利が確定したのは、サラセナが糸を引いたであろう度重なる内乱による物で、決して我々がその後の戦場で帝国軍を打倒したからではない、それどころか内乱の間にも我々は撃退されている場面もあるくらいだ、それだというのに有利な状況は自分達が造り出したと勘違いしている者が参謀を勤めているのだから、めでたくなくて何なのだ!?」
「……」
准将参謀は言い返せない。
第十次エトナ会戦でアリスがセフィーナを撃退する場面もあったが、あくまでも互いに与えあった損害のレベルは同じな上、五千にも満たない戦果の話である。
それどころか、それに先立つ会戦では、セフィーナの前に二個師団が万単位の損害を受けて大敗してもいるのだ。
「作戦案を出すべき参謀がその認識では埒があかない、この辺りで私も意見して宜しいですかな?」
立ち上がるリンデマン。
戦略教授と称される彼はどのような策があるのか?
周囲の注目が集まる。
「戦略会議などという物は多人数で重ねれば重ねる程、最後は安全策に走り、集団の決意のある作戦設定などは出来ない、今日の会議とて例外ではない、結局はセフィーナ・ゼライハ・アイオリアとの対決は先送りにし、帝国軍を叩く好機を逃そうとしている、私は今こそ帝国との決戦の時だと考える」
「それではリンデマン大将はフェルノールを直撃すべきだと考えているのか?」
決戦案を標榜するリンデマンは、シェーア大将の問いに首を横に振る。
「いや、その作戦では勝率は五分ないでしょうな、セフィーナ・ゼライハ・アイオリアが防衛の司令官に任命されたら、おそらく我々はフェルノール周辺の強力な防御網も手伝い、手痛い損害を受けるだけの徒労に終わるでしょう」
「ならばどうするのだ? アリス大将やガブリエル中将の提案の様に他方面で攻勢に出るのか!?」
「いえ、そんなつもりはありません、他方面での戦いは結局は帝国を多少、弱らせる事は出来ても、フェルノールを中心とする帝国の中枢政治基盤を覆す事は出来ません、迎撃はしなければいけませんが実は帝国にとっての脅威度は低いでしょう」
「ならば……どうするのだ? 一体、大将はどのような考えている」
リンデマン独特の物言いに焦れるモンティーと周囲の者達。
リンデマンはそんな彼等に一瞥をくれ、
「では、これから私の策を聞いて頂きましょうか」
と、いつもの嘲笑を向けるのだった。
続く




