第百二十七話「セフィーナ脱出作戦 ―双方対峙―」
使命。
受けたからには必ず果たす。
館の窓から漏れてくる明かりを頼りに少女は奔る。
見破った。
あのセフィーナは偽物だ。
ならば影武者を用意する目的は何か!?
それこそ、帝国への脱出以外にあり得ようか!?
「そこっ、誰だっ!!」
ヴェロニカを呼び止める少女の声が庭先に響く。
セフィーナの護衛隊の少女の一人だろう、幾ら館内からの明かりが漏れているとはいえ、月夜も暗い夜だ。
相手の少女はヴェロニカを完全に侵入者とは決めつける事が出来なかった様で、目の前に立ち塞がりはしたが、
「シュッッゥ!」
鋭い掛け声と共に、闇から飛んできたハイキックを側頭部に受けて、糸の切れた人形の様にその場に崩れ去った。
「警備が甘い、警備中に予定にない動きの相手がいたなら、仲間とは考えず、警告なしの攻撃するべき」
倒れた少女に呟く。
よく見れば、まだ十代半ば、ヴェロニカよりも年下だ。
しかし倒れた少女に興味は無かった。
少女を起こして、緊急時の裏口の場所を無理矢理に吐かせる事も一瞬だけ頭をよぎったが、相手が素直に言うとは思えなかったし、隙を見て叫ばれる危険性もある。
ヴェロニカは再び走り出した。
急がなければ。
本物のセフィーナに逃げられてしまうというのもそうだが、ホールに居た偽物も、自分との不自然なやり取りをあの褐色肌の軍人に伝えているだろう。
そうなれば相手も動く。
『外観から……おそらくこっちだ!』
ある程度は勘に頼るのも仕方が無い。
だが……勘は当たった。
軽く数台は馬車を収められる大きな車庫が館の裏口に併設されていた、厩舎もあるかもしれない。
建物の裏側であり、広い裏庭の立ち木なども邪魔して外観から車庫は確認しにくい様になっている。
『見つけた!』
徒歩での逃亡は有り得ないし、姿を目撃される乗馬での脱出も考えられない。
馬車を使うしか無いだろう。
『……ここに違いない!』
両開きの大きめな木戸。
グッと力を込めて引くが、ビクともしないのを確認すると、ヴェロニカは全くの躊躇無く十数歩後ろに下り、思いっきり助走をつけて身体を宙に舞わせ、両足を揃えた飛び蹴りを木戸に放った。
―――
「どうしたのよ?」
「いや……」
周囲を気にする仕草を咎められたリンデマンは、アリスに首を振った。
ヴェロニカの不在。
パーティー会場はそれなりの人数がいる、その中でヴェロニカはいつも間にか居なくなっていた。
『何かを見つけたのか? いや、ならば私に報告をしないヴェロニカではあるまい、それとも……』
周囲を伺う視界に、セフィーナが褐色の肌の軍人に何かを伝えられて、廊下に向かって歩いていく姿が入り込んでくる。
『彼女はまだここにいる、だというのに……ヴェロニカは何をしているのか?』
廊下に出ていくセフィーナに目をやる。
彼女は主催であり、忙しい身だ。
廊下に出ていき、スタッフとパーティーの進行や催し物について確認される、という事は珍しく無い。
サプライズでセフィーナ自ら何かの演し物をして、客たちを飽きさせない演出を考えている等も有り得る。
「…………」
リンデマンは脚を止め、ホールを出ていくセフィーナをジッと見つめた。
帝国皇女は此処に居る。
何故か。
リンデマンの脳細胞は自問自答を始めた。
それならば何故、ヴェロニカが此処にいない!?
自分への報告なしの行動を許してはいる、許してはいるがそれは余程の場合であり、それは彼女も解っている筈。
緊急事態が起こったのだ。
『しかし……』
「ねぇ、リンデマン、ヴェロニカは外にでも出たのかしら? あなたからも言って気軽にパーティーを楽しませてあげたら?」
話しかけてきたのはアリス。
彼女の頬はアルコールの影響でほんのり紅い。
「ああ、そうだな、ヴェロニカを見たか?」
「さっき、皇女殿下に軽い挨拶をしたみたいだけど……」
「皇女殿下に挨拶を!?」
「そんなに驚くような事? 皇女がテーブルに来た時にヴェロニカは壁際に立っていたから挨拶してないんでしょ? アンタがベヨネッタ大佐と話していた間にしていたわよ」
「なっ……」
リンデマンの驚く。
確かにリンデマンは数少ない知己である軍の広報担当官であるベヨネッタ中佐と数分の立ち話をしていた。
その間にヴェロニカはセフィーナと接触し、何かしらのアクションを起こしたという事か。
「そんなに驚く事もないでしょ? ヴェロニカにも好きな事をさせてあげなきゃ」
アリスは何をそんなに驚く事があるのよ、とでも言わんばかりの紅い顔でため息つく。
「それにしても……大きい声では言えないけれど、お色直しした皇女殿下はいまいちね、あんなにメイクに頼んなくても良いのにねぇ、若いんだからねぇ」
「…………」
リンデマンは何も答えなかった。
グラスワインを手近のテーブルに置き、数秒間眼を瞑ると、
「私も何というバカな男だ」
そう舌打ちをしてから、足早にセフィーナの立ち去ったドアに向かって歩き出した。
―――
「……!!」
蹴破られた木戸。
勢いで地面に転がったヴェロニカだが、素早く片膝を付き身体を起こす。
館に繋がった大きめの馬車庫。
そこは灯りが点されて明るく、そこには二台の馬車が止められ数頭の馬が繋がれた室内厩舎もある。
「二台の馬車に、馬が四頭…………まだ馬車は出ていない?」
周囲の状況を観察して呟くヴェロニカ。
見当が違ったか?
ホールに居たのはメイクが濃かっただけで、本物のセフィーナであったか?
そんな考えが頭をよぎるが、
『いや、外見からは判断できなかったけど、あの態度と瞳の力の無さ、そしてネーベルシュタットのカードの事にあんな反応をするのは違う! あれは別人だ』
すぐに思い直し、ヴェロニカは馬車に近づく。
もちろん隙も作らず、足音も立てない歩みであったが、すぐに唇を噛み締め、脚を止めた。
「やはり気づいたか、その洞察力、それに一時間の間にここまで辿り着く行動力、流石だな」
少女の声と乾いた拍手が車庫内に響く。
馬車の影から姿を現したのは、数人の護衛を引き連れたセフィーナ。
帝国皇女の登場にもヴェロニカは眉一つ動かさない。
「やはり、あの女は影武者でしたか、一刻も早くお帰りになりたいのは解りますが、そんな策は皇女殿下にしては短兵急な策とは思いませんでしたか? 露見した以上はお諦め下さい、この場を上手く逃げれても追手がかかれば、ほんの数時間差では、このエリーゼから帝国国境までは逃げ切れません、主要街道くらいしか道を知らずに追手から逃げられますか?」
両手で手刀を作り構えるヴェロニカ。
確かに言う通りである。
エリーゼは南部諸州連合の中心部の街。
一日、二日の差があるならともかく、数時間の差では帝国国境まで逃げ切る前に、鈍重な馬車は追手の騎兵に容易に追いつかれてしまう可能性が高い、ましてセフィーナ達は南部の地理には詳しくないのである。
「確かに、でも策としては悪くなかった、しかし、お前の主人がやはり気にかかってな、策を立てた者には悪いが私も別の策を用意させてもらった」
そんな警告をセフィーナは鼻で笑う。
「別の策!?」
「そうだ、やはり気づいたか、と言ったろ? 私は実はお前が此処に来るのを待っていたんだ、よく来てくれたな、あと二十分待っても来なかったら、数千の追手に怯えながら、国境まで一台の馬車と数人の護衛で走らなければいけない所だった」
「!?」
不敵なセフィーナの笑み。
ヴェロニカの表情が強張る。
策を見抜いての逃亡を防ぐ為、ここに来たのだが……セフィーナはそれを見越していた、そう言ったのだ。
罠。
ヴェロニカの脳裏に浮かんだ単語はそれだった。
セフィーナ逃亡作戦はリンデマンにそれが見破られる事すら計算に入っていたと言うのか!?
「さぁ~、難しい話はここまでだぁ、今までの借りを含めて、大人しく掴まってもらうぜぇ~、アンタはアレキサンダー王子相手にも素手だったらしいな、私も素手でいってやるよ」
言葉に抑揚は無いが、鋭い殺気を放ちながら、歩み寄ってくるメイヤ。
他の護衛はかかってくる様子はないが、ヴェロニカの離脱を防ぐように周囲に位置する。
「ネーベルシュタットでみすみす皇女殿下を殺されかけた貴女に私が掴まえられますかね?」
「そんときの借りを四倍くらいにして返してやるよ」
二対の雌の肉食獣の対峙。
周囲の手練れの護衛やセフィーナでさえも、二人は素手だというのに、それに巻き込まれたら命が危ない事を予感させた。
―――
「皇女殿下!」
廊下に出て、セフィーナを呼び止めたリンデマンの前に急いで駆け寄ってくるのはパティ。
その背後にはクレッサを伴った着飾ったセフィーナの姿。
「あなたはゴットハルト・リンデマン大将ですね? 皇女殿下に御用がおありですか? しかし、ここから先は遠慮してホールにお戻り下さい、お話ならば戻られたら……」
「いや……申し訳無い、失礼は承知なのですが、さっきの挨拶が儀礼的過ぎた、何かと世話になっている皇女殿下にはもう少し誠意を持って挨拶を済ますべき、そう考えたのですよ、どうか」
廊下までセフィーナを追いかけてきたリンデマンに対し、やや怪訝な顔をしながらパティが対応すると、リンデマンは頭を下げて謝罪する。
「どういう事ですか?」
「それは、こういう事だよ」
「……ぐっ!?」
不意にリンデマンの拳がパティ少将の腹部を捉える、それでも一度は耐えたが、容赦の無い膝の追撃を更に腹部に受けると、パティ少将はその場に崩れ落ちる。
「ああああ……パティ少将!」
「二十年近く前になるが、私は士官学校の格闘戦はAはもらわなかったんだが、不意討ちは嫌いじゃなくてね、しかしここまで流れるように出来るとはな、それにしてもその様子、やはりヴェロニカは正しかったか、皇女殿下にはしたのだか、貴女には挨拶はまだだったな、私はゴットハルト・リンデマンといいます、以後お見知りおきを」
リンデマンの不意打ちに気を失い、床に転がるパティに姿に怯える少女。
そこに既に帝国皇女セフィーナはいなかった。
リンデマンはセフィーナ……否、エメラルダに向き直る。
明らかにエメラルダの顔がこわばり、歪んだ。
「貴女が誰かは知らないが、これから姿をくらまして計画成功では私も立つ瀬がない、一緒にパーティー会場に戻っていただく、これだけのギャラリーの眼を騙せれば、逃亡計画が上手くいくと思われたのだろうが、私のヴェロニカは皇女殿下を引きずってでも連れ戻ってくるだろうな、この会場に二人の皇女殿下を見せれば、今日のギャラリー達はつまらない余興よりも遥かに盛り上がってくれるだろう」
リンデマンは余裕の嘲笑を見せたが、クレッサがリンデマンとエメラルダの間に新たに立つ。
「出来ると思いますか、そんな事が? やれるならばやってみてください、ゴットハルト・リンデマン」
「そうだな、まだ偽の皇女殿下を護る少女がいるな」
「この方はセフィーナ皇女殿下です」
リンデマンに迫るクレッサ。
既に腰のブレードに手がかかっている。
セフィーナの護る為に鍛えに鍛えられた護衛のクレッサ。
「おそらく君は私よりも遥かに個人の戦闘力は上だろう、しかし私としても簡単にそこの偽皇女に逃げられる訳にはいかんのでね、今回はヴェロニカよりも出遅れたペナルティーとして、覚悟を決めよう」
リンデマンは足元に倒れるパティの腰から儀礼用の短刀を抜き放った。
続く




