第百二十四話「セフィーナ脱出作戦 ―察知―」
帝国大使館のホール。
普段は着なれないパーティドレスに身を包み、部下のリキュエール少将を連れたアリス・グリタニアは、メイドを引き連れた礼服の男を見つけると軽く手を上げる。
「リンデマン」
「ああ、アリスか」
呼びかけに振り返るリンデマン。
ヴェロニカはアリスとリキュエールにペコリと頭を下げた。
「初めて入ったけど、なかなか立派な大使館じゃない」
「そうだな、今は皇女殿下の滞在先にもなっているらしいな」
「どうりで警備がキツいわけだ、今日はヴェロニカも一緒なのね?」
「はい、副官の随伴も可能だと聞きましたので」
微笑むヴェロニカ。
ホールには既に沢山の客で賑い、幾つものテーブルの上には立食の為の料理が並べられていた。
セフィーナ個人の招待という事で催されたパーティであり、堅苦しい雰囲気は一切感じない。
ホールの一角に設けられた舞台にはピアノが置かれて、男性のピアニストが穏やかな音楽を提供していたが、まだ主催であるセフィーナは姿を見せていない。
「しかし、皇女殿下も世話になった人達にパーティを開きたい、というのもいきなりですよね?」
緑色の長いサイドテールを垂らし、アリスと同じくパーティドレスの周囲を見回すリキュエール。
戦場では大型の戦斧を振り回す将の彼女も、この場では周囲の政治家達の妻や娘という淑女達と何ら変わらない。
「そこはそれ、皇女殿下としても最近はネガティブキャンペーン張られているからね、歓迎ばかりじゃなくなってきているし、アイオリア大会議に出席するにも少しでも政治的な味方が欲しい、と言った所かしら?」
「そうですよね、皇女殿下もトンデモな方に目をつけられて、お辛いですね」
アリスに頷くリキュエール。
もちろん最近の騒動とは、最近のセフィーナへのネガティブキャンペーンの事であり、トンデモな方とは帝国との休戦の先頭に立った立場を忘れて、今はセフィーナを責め立てるクルスチア議員の事だ。
リキュエールはあまり政治には関心が無い軍人であるが、その事情くらいは理解して、大雑把には自分の意見も持っていた。
「でも、軍を率いて戦場をいけば、大なり小なり問題は起こる物ですよ、政治家にそこを重箱の隅をつつかれたら、疑惑くらいはどの部隊でも出るでしょう? それに親衛遊撃軍は軍規は厳しいと聞いています、クルスチア議員は戦場を知りませんよ」
リキュエールの表情は自らが戦う相手である筈の帝国皇女に同情的だ。
自らの才能ではなく、才能のある相手を貶め、自らの栄達を望むクルスチア議員のやり方が、リキュエールには生理的に相容れないのである。
「しかし今日はいつもの抗議行動も静かになっているじゃないか、流石のクルスチア議員も共和党の重鎮数人をパーティーに呼ばれてしまっては、外からがなり立てる訳にはいかんようだな、その辺りはセフィーナ皇女もしたたかだな」
自分よりもかなり若いリキュエールの言に、リンデマンは給仕から受け取ったグラスワインを口に運ぶ。
リンデマンの視線の先には、共和党の重鎮の老議員三人がワインを片手に談笑している。
「セフィーナ皇女を責め立てているクルスチア議員の親分が、何でノコノコとパーティーにお呼ばれしているのかしら?」
「そこはそれ、バランスという奴だ、さっき皇女殿下をしたたかと言ったが、政権奪取はうまくいかない癖にそういう才能は褒めるべき彼等だ、クルスチア議員には皇女を攻撃させつつ、セフィーナ皇女とのチャンネルは共和党の幹部としては関係を切らせない、完全に旗色を見せない生き残りを考えた動きだ」
「十八の娘を女を使って政治的に追い立てておいて、自分は知らん顔してパーティーにお呼ばれするなんて、私のお酒が不味くなる連中だわ」
リンデマンの解説にアリスは吐き捨てる様に言い放つ。
この手の感情はアリスに限った事ではなく、戦場で手柄を立て、立身出世した軍人の多くが、政治の世界を上手く世渡りしてきた者と馬が合わないのは珍しい事ではない。
その対立が国を揺るがした事すら、かなりの数の国家で見られる現象なのだ。
「ノコノコと、少し陳腐な表現だと思うがね、アリス」
「悪い? アイツらにもっと難しい言葉を使う必要ある?」
「いや」
アリスがジッと睨むと、リンデマンはいつもの薄笑いを浮かべながら首を振った。
「彼等にはそれくらいの表現が丁度いい、しかしだ、彼等を侮蔑するのは構わないが、もう一方の真実も見なければならない」
「もう一方の真実?」
「ああ……それはセフィーナ皇女が本来ならば敵視しても良い、クルスチア議員と繋がる共和党の幹部をこの席に招いた、という真実だよ」
「…………確かに」
数秒の沈黙の後、アリスはリンデマンの提示に同意する。
この席は南部に来てからのセフィーナが何回も出席してきたパーティーとは性格が違う。
パーティーに華を持たせる為、政治的なアピールの為、自らの故郷を少しでも護る為。
そうして過密なスケジュールを縫って出席してきたパーティーとは違い、セフィーナはゲストではなく、ホストという立場なのである。
「当然、政治的に意味のない奴は呼ばなくていい」
「その通り」
「単純に言えば、嫌いな人も呼ばなくても良いですよね?」
「それもそうだ、誰も嫌な奴を自分の家のパーティーにはなるべく呼びたくないからな、だが今回の場合は好き嫌いよりも政治的な配慮が有り得る」
アリスとリンデマンの会話に割り込む形になったリキュエールにもリンデマンは頷く。
「与党系の政治家にはアイオリア大会議の出席を許してもらう為、共和党の幹部にはクルスチア議員の行動を抑えてもらう為なんじゃないの? この席でそれを要請とまではいかなくとも考えてもらいたいのでは無いかしら?」
「皇女殿下がただパーティーがしたくなったのでなければ、その考え方が妥当だな、では我々はどうなんだ?」
「政治的ではなくて、楽しみたい部分もあって顔見知りを呼んだのではないでしょうか? 私とアリス中将は南部に皇女殿下が入った時、師団で護衛して知己になれましたし、リンデマン大将は皇女殿下とは色々とお付き合いがあるのでは?」
「色々とお付き合いか、少なくとも……」
そこまでリンデマンが話した時である、ピアノの演奏がピタリと止み、ホールに集められた者達がざわついた。
何が起こったかは容易に検討がつく。
今回のパーティーの主役であり、ホストの登場だ。
特設舞台にセフィーナ・ゼライハ・アイオリアがドレス姿で現れたのである。
ホールに広がるため息のような感嘆。
美しい、と言葉に出してしまう者までいる。
白のドレスに身を包んだ銀髪の帝国皇女は、それくらいに美しかった。
「皆さま、こんばんわ、今日は普段からお世話になっている方々に私から少しでも楽しい時間を返せれば、とパーティーを開かせて頂きました、堅苦しい席にするつもりはありませんので、大使館自慢の料理人の帝国の料理を味わいながら、ご自由にお楽しみください、なお私が上がっています舞台でも演し物などがありますのでご鑑賞ください」
セフィーナの張りのある声がホールに響くと、客たちからは好意的な拍手が巻き起こる。
それに対して軽く頭を下ると、セフィーナは舞台から降り立ち、ピアノの演奏が再開され、パーティーが開始された。
***
「いや皇女殿下はいつ見てもお美しい、もし貴女が南部の被選挙権を持っていたら一大派閥をすぐに造れますな」
「まぁ、議員もお口が巧いのですね」
「あながち冗談でもありません、どうですかな?」
「ふふっ、せっかくのお誘いですがそればかりは、他のお誘いならば私も前向きに考えますから」
後ろにクレッサを連れ、招待された客達のテーブルに出向くセフィーナ。
その姿はすっかりパーティー外交に慣れた様子で、民主共和関係なく、父のパウルと同年代の議員達や財界の有力者などと愛想よく談笑していた。
銀髪、絶世の美少女は帝国ばかりでなく、既に南部諸州連合でも政界、財界、民衆に至るまで高い人気を誇る。
どのような席であってもセフィーナは常に主役であり、それは現在の一部のマスコミやクルスチア議員を初めとするセフィーナ反対派に叩かれていても変わらない。
「想像以上なのね……手ほどきはしたけど、あの振る舞いはエメラルダには難しかったです、皇女殿下が初めは自分が出てフォローするというのは正しかったです」
各テーブルを回るセフィーナに会場の隅で驚くパティ少将。
「あんなのはまだ優しい方だよ」
傍にいるメイヤが呟く。
「優しい?」
「うん、南部でのパーティーは今までは相手の主催だったからね、挨拶はもちろん、誰と誰には顔を通しておくとか、誰かとは何について話を必ずしておく、とかを相手の決めた時間の制約でやらなきゃいけなかったからね、前日からテーブル表とにらめっこ、セフィーナはああ見えても人の名前や経歴を覚えたりは得意じゃなくてね、いつも文句を言いながらやっていたよ、昨日の夜もそうだったけどね」
「そうですか……」
パティはやや複雑な表情でセフィーナを見つめ直す。
まだ十代の少女が帝国の運命を背負い、長年の敵国でたった一人の外交戦をしている。
おもむろにパティは思う。
セフィーナ・ゼライハ・アイオリア。
将来、どのような運命になろうとも彼女は本になり、歌劇になり、語られる存在となるであろう。
『その物語の中で、今日の逃亡劇は一体どういう扱いになり、私はどういう人物として描かれるのだろう、いや只の一将官が関の山かな?』
そんな想いをもちろん口には出さず、パティは再びセフィーナに視線を向けた。
「どうした?」
リンデマンは壁際に寄って直立するヴェロニカに歩み寄る。
メイド服の彼女はまるで主催者側の給仕。
物静かにしてはいるが、誰が見てもパーティーを楽しんでいる招待客には見えない。
「楽しめる状況ではない、そう判断したのか?」
「そこまで確信が持てた訳ではありませんが、何故か違和感を感じています」
「ほぅ」
ヴェロニカの返答にリンデマンは各テーブルを回っているセフィーナをチラリと見た。
そのうちリンデマンのいるテーブルにもやって来るだろう。
「セフィーナ皇女の様子がおかしいと感じたのか?」
「違います」
「なら……」
「メイヤ・メスナーが護衛に居ません、皇女殿下の護衛にいるのは、このパーティーの初めから別の女子です」
「毎回、彼女じゃないだろう……いや、もちろんメインはそうだろうが交代する時もあるんじゃないのか? それにここは帝国の大使館で客は帝国側が選んだ客だ、警戒のレベルを下げている可能性もないか?」
「はい、仰る通りです、理屈はそれでいいのですが……」
指摘はもっともで、ヴェロニカも反論は無い。
「しかし、お前は違和感を感じている」
ほんの僅かだが、目付きを険しくするリンデマン。
ヴェロニカは首を縦に振る。
「はい、ほんの少しの違和感です、その上、確証が無いので……」
「構わん」
ヴェロニカの言葉を遮り、彼女の耳元に口を近づけると、
「その方向で私達は行こう……どうやら、楽しいパーティーは次に持ち越しだな」
リンデマンはそう告げ、手に持ったグラスのワインをグッと飲み干した。
続く




