第百二十三話「セフィーナ脱出作戦 ―阻止指令―」
帝国大使館での脱出計画。
セフィーナの案を聞いたパティ少将は神妙な顔つきで、口元に手を当てた。
「この大使館でパーティーを催すのですか?」
「そうだ、そこでギリギリまで私が出席して挨拶や招待客の相手を済ましてしまう、そして宴の途中でエメラルダ伍長と入れ替わる、パーティーに良くあるメイクと衣装変えをすれば、まず私が入れ替わったとは解らないだろう、我々のテリトリーである大使館内ならば、脱出の準備もしておけるし、もし気づかれても連合軍憲兵が乗り込んでくる事もない、もしもがあってもエメラルダ伍長をこちらで保護してしまえば、証拠になってしまう彼女を抑えられる事も有り得ない」
セフィーナの流れるような説明。
パティ少将は数秒間、瞳を閉じて思案して顔を上げた。
「しかし……パーティーを開くような口実がありませんが? 帝国大使館に南部人を呼ぶのです、余程の祝いの席でもありませんと却って疑われます」
「案ずるな、そこは考えてある、そこについては下手な嘘よりも正直になった方が相手も騙されやすい、パーティーの口実はこれまでの南部での外交生活で世話になった政治家や軍人、マスコミの方々に私からの感謝のパーティーという事にする」
「感謝のパーティー!? それだけにしては大使館まで開放してのパーティーは派手すぎませんか? 何かあると逆に勘繰られるのでは?」
「お前もそう思うだろ? 私も同じだ、ならば……その裏というか考えてしまうのが、政治家や軍人、マスコミという物の性だろう、むしろ勘ぐらせるんだ」
「その裏……あっ」
不敵にも見える笑みを見せたセフィーナの振りに、パティはすぐに反応した。
「そう、このパーティーの意図はクルスチア議員から向けられた疑惑のせいで、一時の帰国申請も受け入れられず、政治的にも追い詰められた私が親交のある南部の者達を頼り、どうにか立場を回復し、尚且つ一時帰国を実現させようとする外交的な努力と取るに違いない、まさか、その真っ最中に……」
「脱出計画を謀っているとは考えない」
「その通り……疑惑の立場の回復という私の偽りの真意を汲み取った者ほど、その答えに満足して、脱出計画など思いもよらないだろうさ」
「確かに、しかし……」
確かにセフィーナの計画案は魅力的で当初、パティの考えていた案よりも確実かもしれない。
だか……引っ掛かる箇所があった。
安易には同意はしない。
「しかし……どうした?」
「良いのですか? 今回の計画は今まで皇女殿下を支持してくれた南部の者達を裏切る行為にはなりませんか? これまでの外交努力が無為に期してしまうのでは?」
「脱出の迎えに来ておいて、良く言うな」
パティの示した懸念に、セフィーナはため息を見せてソファーの背もたれに背中をかけた。
「申し訳ありません」
「ああ……だが案ずるな、もちろん気には咎めるが、帝国へ帰るのは私の意志でもあるからな、私も白黒つけねばならぬ決着があるのだ、それに帰還が帝国よりの命令とあらば、私の名誉よりも命令が優先なのは当然の事でパティ少将が謝る事は何もない」
「白黒をつける相手と言うのはゴットハルト・リンデマン大将でありますか?」
「そうだ、私としても彼としても、互いを打倒せねば母国に勝利をもたらす事が出来ぬという認識がある、もちろん負けるつもりは毛頭ない」
隠さず自信満々の顔を見せるセフィーナ。
何かの予感を感じたパティは帝国皇女を見据えた。
「まさか今回のパーティーには、そのゴットハルト・リンデマン大将を呼ばれるおつもりでは?」
「……ああ、もちろん、こんなのは勝負のうちに入れるつもりもないが、彼はパーティーに呼ぶ」
「危険ではありませんか? ゴットハルト・リンデマン大将の頭脳明晰な事は帝国にも聞こえております、パーティーに呼んで脱出計画を感知される可能性を皇女殿下は考えられませんか? 出席者を選ぶ事により、そういった危険性を初めから排除できるのも今回の計画の利点なのではないですか?」
問いに当然の様に頷くセフィーナにパティは進言する。
パティの言う利点と言うのは、パーティーの主催は招待する客を選べる点。
敢えてゴットハルト・リンデマンを招待する必要性など全く無いという考えに至るのは、当然であろう。
「確かに……しかしな、ゴットハルト・リンデマンは頭脳明晰なのと同じくらいに物事に敏感で繊細、そして疑り深いのだ、彼はパーティーの本当の目的を突き止めようとする可能性がある、招待しなかった場合は裏で動かれてしまい、それこそ面倒だ、目の届く所に居てもらった方がいい」
「やはり油断ならぬ相手のようですね、彼を良く知る皇女殿下がそう仰られるならば」
それ以上の意見具申は控えるパティ。
パーティーに出席しているならば、さりげなくリンデマンを見張る事は出来るし、リンデマンについてはセフィーナの方が詳しいので言う通りかもしれない。
ひょっとすると、セフィーナはリンデマンの前から見事に脱出を成功させて、溜飲を下げるつもりなのかも知れないかとも思い付いたが、無論それを口にはしない。
「ではこの計画でどうだろうか? パティ少将、警備状況も誰がいるかもわからない相手のフィールドに私の癖や仕草も覚えていないような伍長を放り込むより、こちらの方が余程成功率が高いと思わないか?」
自らの案の最終的な賛否を訊ね、パティを見据えてくるセフィーナ。
成功率というのは自身の脱出だけではない、パティが任務の為に犠牲の可能性も覚悟していたエメラルダ伍長の生還の確率も考えての事なのである。
『これが弱冠十八歳にして、ガイアヴァーナ大陸の運命すら左右する英雄姫、これがセフィーナ・ゼライハ・アイオリア』
不敵にも見える自信が宿る切れ長の視線に、パティは了解しました、私も皇女殿下の案に賛成です、と敬礼するのだった。
***
基本的には夜には予定が無い男である、間違っても社交的とは言えない上、軍の同じような立場にある者が躍起になっている政治家のパーティーに出たり、会食するという付き合いをゴットハルト・リンデマンは嫌ってもいたからだ。
しかし今回のセフィーナ・ゼライハ・アイオリアからの急と言っても良い四日後というパーティーの招待に対し、リンデマンは素直に応じ、出席の旨を帝国大使館に返答した。
「ご主人様、しかしセフィーナ皇女殿下はすぐにでも帝国に帰還してアイオリア大会議に出なければいけないのではないですか? なぜパーティーなど開くのでしょう? それも前もってからの予定ではなく、かなり急ですし、どうなされたのでしょう?」
「そうだな……クルスチア議員にやられているネガティブキャンペーンに対しての対抗策と見るか……」
リンデマンの自宅の居間。
パーティー用の礼服の上着を着せながらのヴェロニカの疑問にリンデマンは袖を通し、ボタンを止め答えた。
「そうでなければ今、議会に求めているアイオリア大会議出席の支持を得る為の物であろうと見るのが普通だな」
「もう半年以上もこちらにいるのに、一時的に帝国に帰るのすら許されないとは、あの賢明な皇女殿下も苦しいのですね?」
ヴェロニカの言葉には険が無かった。
素直に苦しい立場にあるセフィーナを気の毒に思い、同情すら見せるような口調と表情だった。
「簡単には帰せんさ、サラセナが力を失い、アイオリアの内紛が片付いた今、帝国に彼女を帰らせるのは軍部としては許容出来ない事だろうからな」
「ではパーティーを開いても支持は獲られないと?」
「可能性はゼロではない、何せあのセフィーナ・ゼライハ・アイオリアだからな、彼女との直接会談で帝国に対しての徹底抗戦の意見を覆すまでは至らずとも、軟化させた議員は相当な数がいると聞いている、今回もそれがあるかも知れん」
「美しく、英邁闊達でございますからね、ご主人様、そろそろ迎えの馬車が来る頃です」
「ああ……」
ヴェロニカに真っ直ぐネクタイを締められると、自分で僅かにそれを緩めリンデマンは歩き出す。
玄関を出ると、既にそこには馬車が停車していた。
リンデマンのアパートは大して広くは無いが、エリーゼの街のメインストリートに近く交通の便は良い。
頭を下げる馭者に手を上げ、リンデマンはヴェロニカを供に馬車に乗り込む。
「では、参ります」
馭者から声が掛かり、石畳の路面を動き出す馬車。
「確かに……」
「なにか?」
いきなり、リンデマンが呟いたので、ヴェロニカはその意味を解すことが出来なかった。
「いや、さっきお前はセフィーナ皇女を美しく英邁闊達、そう言っただろう?」
「はい」
「確かに彼女が周囲を惹き付ける魅力としては、そういう面や出自が大きいだろう、だが私は彼女の別の魅力的な部分が今回、顔を出すのではないかと視ているのだ」
広くはない車内。
向かい合わせに座るヴェロニカに、リンデマンは何処か愉しげな顔を見せた。
「別の魅力的な部分……ですか?」
「ああ……私は彼女のそこが気に入っているからな、容姿や出自など、そこからしたら実に私からしたら下らないさ」
「お訊ねしても宜しいでしょうか?」
「ああ、それを聞いてもらわなければ、今回、お前を一緒に連れていく意味の半分が無くなる」
リンデマンは頷くと、少しの間をわざとらしく取り、メイド服に身を包んだ黒髪の美少女を見据えた。
「大胆不敵さ、それがセフィーナ・ゼライハ・アイオリアの大きな魅力的な部分だ」
「大胆……不敵? その魅力と今回のパーティーがどう繋がっていくのでしょうか?」
「自らが主催したパーティーでマスコミ、反対勢力の眼を引き付けて、政治的な努力を継続すると思わせ、我々の囲いからの強行脱出を謀るとするならば、十二分に大胆不敵だ」
「えっ!?」
滅多に主人の考えに驚きもせず、使命のように肯定するヴェロニカであるが、リンデマンの発した言葉に流石に反応する。
「あくまでも私の中にある可能性だ、確証も無ければ、成功の確率はそうは高いとは思えない……ただ、どのような計画であろうとも帝国大使館ならば事前の露見の可能性は低く、更に失敗したとしても拘禁などの最悪を免れるし、セフィーナ皇女が計画を立てたならもしもが有り得る」
「かしこまりました……では、私はそのような計画があれば察知し、阻止する為に同行すると?」
「そうだ、ただ無いところを叩けば相手のテリトリーでの失敗は問題になる、私もお前も慎重に判断しなければならない、そこは忘れては駄目だ」
コクリと頷くヴェロニカ。
もうリンデマンの推察が当たっているか、当たっていないかは問題では無くなっている。
それを問うのは己の役目では無い、間違っていようが指示通りに動くのが最重要項目となっていた。
「おかしな動きが無いか、特に警戒します」
「頼む、そういう観察力は私よりもお前の方がある、異常があれば報告してほしいが、緊急時の判断と行動は任せる」
「かしこまりました」
馬車に乗り込んだ時とは違う使命を帯びた者の顔に黒髪ショートボブの美少女は変わった、だが大使館に着いたらその雰囲気を消して、いつものメイドの顔を表に出さなければならないのも承知である。
「ご主人様、あと宜しいでしょうか?」
「どうした?」
「先ほど私を連れていく意味の半分と仰いました、半分はそのような計画があれば察知し、阻止する事であるならば、もう半分の意味とは何でしょうか?」
「それか……」
リンデマンはフッと表情を緩めた。
「私が思うより皇女殿下が大胆不敵で無かった場合は、たまにはパーティーを楽しむのも良いだろう」
意外な答えだった。
ヴェロニカは表情を緩めた主人に倣い、
「はい、その時はお気遣いに甘えさせて頂きます」
と、微笑んだのであった。
続く




