第百十九話「奪還決意」
皇帝居城。
アイオリア帝国は激しい内戦を終えたばかりであるが、その政府機能は休む事を許されず機能している。
勿論、その警備は厳重であり、近衛師団から選抜された近衛警備兵は普通の城の警備兵とは立場や階級も違う。
彼等は得体の知れない来訪者相手には偉そうで高圧的な態度も取るが、そんな彼等でも遠方から早馬に乗り、皇帝に情報を伝える伝令兵には身元を確かめると敬意を払う。
何時の時代も情報を早く伝えようとする者を蔑ろにする国はロクな目に会わない、少なくともアイオリア帝国はそこまで情報戦に疎い国では無かった。
本日も早馬に跨がり、数名の伝令兵が皇帝居城に到着する。
封のされた報告書を情報担当官に託すと、幾つかの中継地点を経ながらも長距離の任務を果たした伝令兵達は食事と別室を用意され、労いを受けた。
「またか、一体どういう事なのだ、それは!?」
執務室。
伝令兵からもたされた情報を伝えた報告官に、金髪の美しい顔を歪ませたのは、今や帝国の政治を殆ど父親のパウルから引き継ぎ始めた長男のカールであった。
「帝国大使館大使ステッセル公よりの報告に御座ります」
「昨日も軍の情報部から似たような報告があったな」
「はい、ほぼ同じ内容の物です」
「ならば事実という結論となるのか、全くどういう事だ、南部の奴等め!」
明らかに苛ついた態度を隠さず、右手の平を鼻左拳で叩きながら、
「クラウスを呼べ、大至急だ!」
カールはそう命令した。
***
「セフィーナを帰さないどころか、難癖を付けて謝罪させ、裁判にかけようとしているだって?」
「そうだ、戦没者遺族や軍人の一部が共和党のクルスチア議員と共謀しているらしく、議員や市民を巻き込んで、短期間の間に相当な人数になっているらしいのだ」
驚くクラウス、執務机に座ったカールは落ち着かない様子で両手を合わせていた。
「何だって、そんな権利は無いだろ?」
「去年の戦いの中で親衛遊撃軍が降伏した連合の兵を殺しただの、捕虜の扱いが非人道的だったと証言する者が複数いて、司令官であったセフィーナの責任を問う、という内容だ」
「そんな無茶な……」
大使館や軍の情報部からの報告書を放り出しながら、苦々しい舌打ちをするカールに、クラウスは唇を噛んだ。
アイオリア帝国と南部諸州連合は戦争はしているが、様々な戦争の取り決めは当然、存在する。
軍政下に入れた住民や降伏した捕虜の扱いなどがそうだ。
一昔前は南部諸州連合軍はアイオリア帝国の貴族を捕虜にすると、帝国政府ではなく、主家に身代金を要求するなどという山賊紛いの事もやっていたが、今では禁止になっている。
「セフィーナは軍規には人一倍うるさいんだ、部下なら貴族でも変な真似をしたら、一発で罷免も処断もするんだ、そんな証言はデタラメだろう」
「デタラメか、どうかは言わせている奴にとっては問題じゃない、何度も繰り返せば、そのうち一割、二割の人間はひょっとしたら本当だろうか、と思ってしまう物だ、卑怯な事実歪曲というのはそういう手段から始まる物だ」
妹を擁護するクラウスに、カールは整った二重の瞳を鋭くさせた。
セフィーナには初めから歓迎的であった南部諸州連合市民。
その雲行きは、セフィーナ自身が平和大使として積極的に動いている事によって概ね晴天であるが、視界の隅から見えた暗雲が急速に広がり始めた感である。
「クルスチア議員……やってくれたな」
「何とか止めさせられないのか? 議員とはお前が交渉ルートを持っていただろう?」
「うーん、なかなか難しいな、停戦条約の締結時に相手は僕に上手く嵌められたと思っているだろうし、セフィーナ自身が停戦条約の際に手柄があったと自負するクルスチア議員や共和党を特別に扱わなかったから、かなり逆恨みされているという話は聞いていた」
「ならば殺すか、後ろがバレない刺客を数人作り上げれは直ぐに出来るだろう、やるか?」
事も無げに呟くカール。
相手は議員であるが、そんな事はカールにとってはどうでも良い事に違いない。
相手が誰であろうと、そういう選択肢も躊躇しない。
セフィーナが関わっているのだ。
ことセフィーナの話になると、カールは何よりも彼女を優先してしまう子供の様な所があるのは、クラウスも十二分に知っていた事である。
「待ってくれよ、議員の暗殺なんて洒落にならない! それにクルスチア議員の動きが主流にはならないさ、セフィーナは向こうでも人気があるんだよ?」
「それは国民にだろう? 軍人や政治家は依然、セフィーナを危険視しているのだ、それを証拠にアイオリア大会議にセフィーナを出席させる様に言っているにも関わらず、奴等は返事すら寄越してこないではないか、今回のクルスチア議員の行動は、我々の内戦の時間稼ぎに利用された逆恨みだが、そんな彼女を利用しているヤツは確実に存在している」
楽観的な意見で、カールを落ち着かせようとするクラウスであったが、それは叶いそうに無かった。
カールは神妙な顔つきで顔を上げる。
セフィーナが関わると、やや不安定な感情が出てしまうカールだが、その意見はあながち滅茶苦茶とも断言できない。
帝国の英雄姫。
不世出の軍事的天才。
まだ十代の美少女がそんな活躍と称賛を受けて、帝国内だけでなく、彼女に大損害を受けている筈の南部諸州連合でも評価も人気も高い。
同じく評価を大きく上げた軍人と言えば、連合のゴットハルト・リンデマンであるが、評価はともかく、人気という点で言えば、セフィーナには相当水を開けられている。
有名人を描いた絵画等は南部でも、セフィーナを描いた物が飛ぶように売れているという状態だ。
そんな世間にも多大な影響力がある最重要人物を簡単に帝国に還す訳にはいかない、と南部諸州連合政府が謀略を仕掛けてくる可能性は低くないのだ。
「どにしろセフィーナが、大会議に間に合うのはもう難しいかもしれないかもね」
「大会議など、もうどうでも良いのだ、要はセフィーナが無事に帝国に帰還させる手をこちらも打たねば、相手の謀略が完成してからでは遅いのだ! 相手は失敗しても、一議員の政治生命が終わるだけだが、こちらは万が一があれば……セフィーナに害が及んでしまうのだぞ!」
「……」
執務机を右手で叩くカールに、流石のクラウスも返答に詰まってしまった。
自らが皇帝に譲位されるであろう大会議をどうでも良い、と断言してしまっている。
それほどにカールは、最愛の妹であるセフィーナに降りかかるかも知れない謀略に気をかけている。
いや、最愛の妹ではなく、最愛の異性という言い方が正しいのかもしれない。
「セフィーナに何らかの手を出される前に、何としても奪還作戦を練るべきだ、俺が指揮してもいい」
「待ってくれ、強行に奪還なんてしたら、相手に格好の停戦条約の破棄の理由を与えてしまう、内乱が終わって間もないのに再び開戦したら、不利は否めないよ」
「構わん、どにしろ再び戦いになるのは確実だとお前も見ているのだろう? 相手もこちらも、このまま和平とまでは考えていないのだ! その時、帝国はセフィーナ抜きで戦になるとお前は思っているのか?」
「それは……そうなんだけど」
カールの口にした強硬策に反論したクラウスだったが、更に強く返されると、反論を続けられない。
カールだって判っているのだ。
クルスチア議員は、復讐と自身の政治生命を再び活気のある物とする為、奮闘しているつもりなのだろうが、それを焚き付け、利用しようとしている者の存在が必ずいると。
そして、その者は滅茶苦茶な論理でも構わないから、とにかくクルスチア議員に復讐を遂げさせ、セフィーナを帝国に帰還させず、その行動の責任はクルスチア議員に押し付けてしまうつもりに違いないと。
「何よりもだ……」
カールは椅子から立ち上がる。
「何よりも、セフィーナだ、セフィーナを無事に帝国に帰還させる、他の事は二の次だ!」
拳を握り締める兄を見ながら、半分は相手がこういう手段に出てきたなら仕方ないと思いながらも、半分は最高権力者となりつつある男のセフィーナへの溺愛が、遂に連合の謀略に利用されようとしている事に、クラウスは不安を覚えざる得なかったのであった。
続く




