第百十八話「謀略会議」
南部諸州連合軍統合作戦本部。
すっかり周囲にも馴染みとなったメイド服の特務少尉ヴェロニカが執務室に入ると、部屋の主人であるリンデマンは椅子に深く腰かけて眼をつぶっていた。
「御主人様」
「……どうした?」
声をかけるとリンデマンは眼を開けた。。
眠っていたのか、何かの思案に暮れていたのかは判らないが、ヴェロニカにはどちらでも良かった。
「本日の午後二時より、第二会議室で特別臨時会議が執り行われますので、必ず出席されますようにと、統合作戦本部室のクレマレー少佐より連絡を受けました」
「特別臨時会議か、議題は聞いたか?」
「いいえ、クレマレー少佐も知らないそうです」
「そうか」
リンデマンは右手の親指と人さし指で両目を軽く揉む。
普段の会議の召集ならば、呼ばれた方にも準備というものがあり、少なくとも数日前には議題が決まってくる。
今回のような当日に議題も知らされず、召集されるのは非常に稀であった。
「どのような会議でしょうか? 議題が決まらなければ資料も用意できません」
「おそらく後ろめたい議題を記録に残しておきたくないのだ、徒手空拳で向かえばいいだろう」
「後ろめたい議題?」
「軍部からの条件で人質に取った少女が、新皇帝が決まる会議に里帰りを希望しているがどうしようか、そんな所だ」
「……なるほど、そうですか」
ヴェロニカは説明に納得する。
そんな議題は議事録など残せる訳が無い、南部諸州連合の外交に軍部が口を出すのは形式的には控えるべき事であり、その証拠になってしまうからだ。
「軍部としては、セフィーナ皇女のアイオリア大会議の為の里帰りには反対なのでしょうか?」
「だろうな、終わったばかりとはいえ、帝国は内戦は解決したのだ、もしアイオリア帝国との停戦が終わるような事があれば、セフィーナ皇女は我々の最大の障害となるのはわかりきっているからな、近い将来に決闘をするかもしれない相手に、切れ味抜群の名剣を渡してやるのは誰だって躊躇するだろう」
「という事はアイオリア大会議に出席したら、皇女殿下はもう帰ってはこない、と? そんな不義理な事をあの方がするのでしょうか?」
ヴェロニカは素直な疑問を口にする。
セフィーナは南部諸州連合にやって来て、自らが人質という立場を思わせる様な態度は取っていない。
あくまでも停戦の平和大使として振る舞っており、各州を精力的に回って、連合国民の多くは平和大使セフィーナに好意的になってきている。
少しずつ得てきた信頼を自ら棄てるような真似をセフィーナが果たしてするだろうか、とヴェロニカは考えた。
「本人の気持ちじゃない、帝国の最高権力者となった人物がセフィーナ皇女を再び我々に人質に差し出すかの問題なのだ」
「帝国の最高権力者、新たな皇帝という事ですか?」
「ああ……大方の見方通り、カール皇子が新たな皇帝になったとしたら、セフィーナ皇女を再び帝国から外に出すだろうか? 彼女を后妃として迎えてしまえば、とても人質には出すまい」
「……」
ヴェロニカの沈黙は肯定の意味だ。
カール皇子が妹であるセフィーナを溺愛しているのは、情報として南部諸州連合軍部でも知られている。
皇帝になった暁には、血の繋がりという常識を皇帝の特権で乗り越えようとするのではないか、そう噂すらされていた。
「セフィーナ皇女が納得するでしょうか? 如何に皇帝であろうとも、兄に自分を許すなど有り得るのでしょうか?」
血の繋がった妹を后妃に迎える。
珍しく、ヴェロニカの言い様に感情が籠っていた。
両脇を抱え、薄ら寒さを覚えた仕草を見せた。
「それは……私にも判らん、全てはセフィーナ皇女本人の感情も関わってくるが、許すも許さないはともかく、私が皇帝であったら、感情は抜きに帰ってきたセフィーナ皇女をまず我々には帰さないだろうな」
背もたれに身体を預けるリンデマン。
「それでは停戦条約の規約に反してしまいますが?」
「構わんさ、帝国としては国内の懸念事項はアレキサンダー皇子、サラセナともに片付けたのだ、我々に戦の口実を与えてでもセフィーナ皇女を取り戻さないといけない」
「しかし、まだ帝国国内の状況が落ち着いていないのでは? せめて内戦の傷が癒えるまで、出来るだけ停戦状態を続けておきたいのではないでしょうか?」
「ヴェロニカ……」
リンデマンは立ち上がり、部屋の隅に架けられていた軍服の上着を手にとって、
「南部諸州連合の政治家達もそこまでは決して甘くはない、前回はクルスチア議員や共和党が帝国につけ込まれ、相手の大規模内戦という千載一遇のチャンスを逃した訳だが、今回はその停戦状態を利用し、帝国をなるべく弱体化させた状態で戦争を再開させたいと思っている、まだ十代の少女の身すらも互いの謀略の対象となる、戦争というものは人間がする行為の中でも、最も下劣な策がまかり通る状態なのだ、その中で我々は日々、更にその下劣を上回る手段を探しあっている、今回の会議はそんな下衆な話し合いだよ」
そう言いながら、上着を羽織った。
***
会議の出席者は連合軍統合作戦本部長であるモンティー元帥、総参謀長であるマンフレート大将、そしてリンデマンの三人。
「さて……外務省からも、議会からもセフィーナ皇女を迎え入れる条件を出したのは軍部なのだから、今回の件について意見が欲しい、と言われてしまったのだ、その提案者としてリンデマン大将の意見が聞きたいのだが、どうかな?」
モンティー元帥の隠し事なしの切り出しに、リンデマンは思わず嘲笑に近い苦笑をしてしまう。
誰もが決断の匙を投げた。
それでセフィーナを停戦の条件として、帝国軍の脅威を取り去るという提案をしたリンデマンに話が戻ってきたのだ。
それだけセフィーナを帝国に帰すか、帰さないか、という話は責任の重い話になっているのだ。
「私の意見の前に、軍の現場指揮官の最高位であるモンティー元帥のお考えをお聞きしたいのですが宜しいですか?」
「何かね?」
「まず、これから帝国と我々は再び戦争を行うつもりなのかをお聞きしたい」
「……」
モンティー元帥はリンデマンの問いに数秒黙り込むが、
「勿論だ、我々と帝国はあくまでも停戦条約を結んだに過ぎない、軍事的な決着はまだ付いていない、議会が呑んでしまった停戦条約だが、こちらとしては反対だったのだ」
強い口調でそう答えた。
「私も同じ意見だ」
マンフレート参謀長も同意した様に頷く。
それを確認すると、リンデマンはマンフレート参謀長に向き直った。
「わかりました、ならば私もそのつもりで考えを巡らせます、では総参謀長は今回の件には提案がおありですか?」
「私としては、特例措置として帝国に帰すべきだ、大会議が終わったら、再び平和大使としての任に戻ればいいし、帰ってこないのならば、停戦条約の条件不履行を帝国に問い、開戦に持ち込めるのだ、私はそう考えている」
南部諸州連合軍の総参謀長という要職のマンフレート大将は五十歳、細身の理知的な印象を与える男である。
派手な武勲こそないが、堅実な手腕、政治的にも与党野党のどちらにもなびかない点が評価されていた。
熱心な民主党支持者であるモンティー元帥とは、いかにも上手く行きそうにないが、組織的にはバランスが取れていると言えば聞こえは良い。
「だが、帰ってこないのならば問題だそ、みすみす敵に最高の駒を返してやるのだからな、私としては皇女が平和大使として連合に居るのが条件なのだ、と帝国政府とセフィーナ皇女に念を押してはどうかと思う」
モンティー元帥も意見を述べた。
いかにもそれは困ると言いたげであるが、リンデマンとしても気持ちは十分に解る。
二人の意見には相違が見えるが、まだ議論は始まらない。
リンデマンの意見を待っている。
「なるほど……お二人の意見はどちらもごもっともですな」
「そろそろリンデマン大将の意見が聞きたいのだが!?」
先に意見を言わせておいて、どちらもごもっとも、と涼しい顔をしているリンデマンに、モンティー元帥が少し焦れた。
「わかりました……その前にお二人の意見は、おそらくどちらを採用しても妥当な線です、しかしマンフレート大将の案ではセフィーナ皇女が帰ってこないのならば、こちらとしては堂々と停戦条約破棄を申し渡し、帝国がまだ痛手から立ち上がれぬ内に戦端が開けますが、敵軍にはセフィーナ皇女が現れてしまう、またセフィーナ皇女がアイオリア大会議から素直に帰ってきたら、開戦は当然出来ない」
「まぁ、そうなってしまうな」
リンデマンの指摘は、モンティーが口にした懸念と同じ事であった、マンフレート大将は難しい顔で首を縦に振る。
「続いてのモンティー元帥の案では、セフィーナ皇女を帝国には戻さずに済みますが、帝国が暴発せず、臥薪嘗胆を誓い、更に堪え忍ぶ選択をしてしまえば、せっかく相手が敗戦や内戦で弱りかけているというのに、その回復をする時間を与えてしまう事になってしまいますし、もしこちらが開戦を切り出せば、一方的な条約破棄な上にセフィーナ皇女を手元に置いたままの再びの宣戦布告は、世論から支持されるとは思えませぬ」
「うむ……」
今度はモンティー元帥が唸り声を出した。
大まかに考えれば二人の意見のどちらかが採用されるだろう。
どちらにも利点と欠点がある。
リンデマンは二人を交互に見据えた。
「……ならば謀略の類いを仕掛けるしかありませんな」
「謀略!?」
「謀略により帝国の方から、こちらとの条約破棄の口実を与えさせるのです」
「出来るのか、リンデマン大将、帝国はこちらに対し、弱味を見せぬように慎重になっているぞ」
「そうだ、簡単にはボロは出さんだろう、新たな皇帝になるであろうカール皇子は、おそらく父のパウルより上手だ」
謀略により条約破棄の口実を生み出すという案に、敏感な反応示すモンティーとマンフレートであったが、リンデマンは口元に不敵な笑みをたたえ、
「次期皇帝がカール皇子だからこそ、通じる策という物もありますからな」
と、答えた。
続く




