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銀色のアイオリア  作者: 天羽八島
第四章「流浪の英雄姫」
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第百十五話「風のメルヘン」

 真夜中の山林。

 金属同士の衝突音、人々の呻き声。

 周囲の砦を落とし城に迫るフェルノール軍と、最後の抵抗を試みるゼファー軍の戦いには、眠りという休息など無かった。

 後はゼファー城に取り付き、陥落させるというのがフェルノール軍の取る戦術なのだが、そこに至ってもまだ地獄の血の池を勝利の女神は欲する。

 アレキサンダー直属部隊との山林での白兵戦、フェルノール軍はおよそ五対一という損害率を出しながら三回の突入は尽く失敗に終わり、四度目のそれも同じ結果に終わろうとしていた。


「ケマル准将が戦死されました、第七連隊の死傷者は三割を越えたという事です」

「苦戦中と言った所だな」


 パティ准将の報告にカールは舌打ちした。

 周囲の砦を落として三日。

 フェルノール軍は連帯規模の戦力を間断なくゼファー城周囲の山林に投入して、アレキサンダーとその精鋭部隊の疲労を誘った筈なのだが、各々が無視できぬ損害を出し撃退され、尚もアレキサンダー率いる直属部隊は健在という割に合わぬ戦いをしていたのである。


「敵軍の残りはどれぐらいだろうか?」

「敵捕虜からの話などを総合しますと、ゼファー城にはまだ一万を越える戦力が残っているかと」

「まだ粘られる可能性が高いな」

「はい」


 パティは素直に頷く。

 ここまで親衛遊撃軍を合わせて、十万を越える戦力でゼファー城を攻め続けているが、周囲の砦を落とす間にフェルノール軍も万を越える死傷者を出している。

 更に戦局がここに至っても、ゼファー軍は士気を維持して奮闘し、フェルノール軍に血を流させ続けているのだ。


「宜しいでしょうか、カール皇子」

「構わぬ」

「一旦撤退し、山に火を放つべきです」


 単純且つ、有効な戦術であった。

 ゼファー城の守備力を支えているのは城本体ではない、その立地に寄る点が大きい。

 周囲の山林が普段からそこで訓練し、罠などを仕掛ける事も出来る守備側を著しく有利にさせているのだ。

 そこにアレキサンダーの武勇と直属部隊の練度が作用して、フェルノール軍兵士の血の海は出来上がっていた。


「……」


 パティの提案にカールは沈黙した。

 もちろん、それが思い付かなかった訳ではないのはパティも理解しているつもりだ。

 カールはあえて火計を選択肢から外していたのだろう、火は誰も彼も関係なく、全てを焼き尽くしてしまう恐れがあるから。

 だが、しかしパティは参謀長として、損害がここに至ってはそれを口にしない訳にはいかぬと判断したのだ。


「どうでしょうか? これ以上の損害の増加は万が一を呼びかねません」

「……」


 返事を催促するパティをカールは無言で一瞥するが、彼女も顔を逸らしたりはしない。

 この場では最も良しとする案。

 カールに他の思案があろうとも、参謀長としての意見は通す、パティの瞳は真剣だ。


「よかろう、俺もそう思う……だが余計な延焼には気を付けろ、あそこで戦う兵達は全員がアイオリア帝国の人民だ、山林を排除してゼファー城の防御機能を奪うことが主眼だ」

「かしこまりました、しかし多少なりは、全てがこちらの思う通りにはいかないと思いますが?」


 カールの承認と指示に、複雑な表情を見せたパティ。

 言うことは最もであるが、ゼファー城の防御機能だけを都合良く奪う器用な火計は難易度が高く、ゼファー側から消火活動などをされると更にそれは上がってしまう。


「手加減しろとは言っていない、余計な延焼までさせるな、と言っただけだ、加減は提案者の准将に任せる」

「ありがとうございます……了解しました、ではその間は司令部を離れます、明日の朝に兵を退いて準備を始めます」


 カールの口調は何処か苛立ちを感じさせたが、作戦の実行までを委ねられたパティは深々と頭を下げて、カールの前から退出した。




             ***



「兄さん、敵軍が退いた!」


 アルフレートが怒鳴ると、周囲のゼファー軍兵士達は一斉にオオッと喜びの声を上げる。

 退けた。

 一時の安堵感であるのはもちろん知ってはいるが、その感情には誰も逆らえなかった。


「そうだな、しかしすぐに次が来るかもしれん、城から見張りを出させてから一旦、城へ行こう!」


 白兵戦直後。

 激しい息を整えながら、アレキサンダーは城内から見張りの兵を出すように指示する。

 山林からゼファー城に引き上げていく兵士達。

 その誰もが無傷ではない。


「アルフレート、肩に矢を受けたか?」

「兄さんこそ、右腕の刀傷を早く治療しないと」

「こんなのかすり傷だ、簡単な処置で治る」


 傷は二皇子にしても例外ではない、アルフレートは左肩に矢を受けて、矢は刺さったままになっているし、アレキサンダーは右の二の腕をザックリと斬られていた。

 二人は兵達を従えて、ゼファー城に向かう。


「生き残りはまだいそうだね」

「ああ、でも殆どが俺の直属部隊の奴等だろう、お前の兵はパラパラとしか居なくなってしまったな」


 アレキサンダーの言う通りだ。

 生き残りの殆どが精鋭のアレキサンダーの兵達ばかりであった、アルフレートの兵や貴族の私兵は生き残り全体の数分の一以下になっていおり、二皇子と最後の宴を開いた六人の貴族も四人が戦死している。


「もう、ここまで来たら誰の兵も関係ないよ」

「……それもそうだな」


 アルフレートの言い様に、アレキサンダーは納得した様に首を縦に振った後で、


「アルフレート、少し相談がある」


 と、弟の肩に手をやった。




             ―――



「なぜですかっ!? なぜここで自決などと!?」

「そうです、まだ戦える!」

「敵軍は追い返してみせます!」

「我々が信用出来ないのですか!?」


 ゼファー城の中庭に集められた兵士達は、一斉にアレキサンダーに向かい糾弾する。


「これ以上の戦は無益だ、俺達に勝ち目はないが、十二分にカールに俺達の意地は見せた、敗戦はもう回避できぬ、しかし縄目を受けるわけには俺はいかんのだ、全員にここからは脱走も降伏も赦す、いや赦すどころか、ここまで一緒に戦ってくれた事を感謝する、誰が去ろうとも俺は誰も恨まん!」


 アレキサンダーは再び宣言する。


「そんなっ、死ぬのならば戦で死にましょう!」

「そうだ、そうだ!」


 滅多に主君に逆らわぬ直属兵が声を上げたが、


「いかんっ! 俺とてカールを討ちたいが、元は帝国の仲間である他の兵士を討ちたいとは思わんのだ、それともお前達は先日までの味方を喜んで討ちたいか? 勝敗の決した戦で己の自己満足に巻き込みたいのかっ!?」


 アレキサンダーの怒号が響くと、兵達は勢いを失う。

 これは内戦なのだ。

 アレキサンダーに忠誠を誓った者にも、故郷には家族や友人がいるのである。


「去る者は安心しろ、カールは冷血漢だが計算は立つ、只てさえ優秀な兵が不足しているのだ、お前達を再び帝国軍に復活させるだろう、その時は帝国を護る兵として立派に戦え! これが俺の最後の命令である!」

「そんなっ! そのような命令はお取り消し願います」

「そんな事を言わないでください、我々に死に場所を!」

「俺と戦って、死ねと命じてください!」

「自決されるなら俺たちも死にます!」


 最後の命令に、アレキサンダーの直属部隊の兵達は涙を流して懇願するが、


「駄目だ、男が自決に供など連れ行けるか! これはもう決定した事だ、明日の正午に全員がマック少将と共に山を降りて降伏し、引け目など感じる事なく堂々と帝国に復帰せよ! 以上だ!」


 アレキサンダーはそう告げると、踵を返して彼等に背を向けて城の奥に歩き去っていった。



             ***



 前線で火計の準備を進めていたパティ准将は、ゼファー軍から約一万の降伏者が山を降りてきたという予想外な展開に驚き、戸惑いながらも、降伏兵達を武装解除してから隔離し、その代表者であるアレキサンダーの腹心マック少将を司令部のカールの元に連行していた。


「マック少将か、久しいな」

「お久しぶりでごさいます、カール皇子」


 挨拶を交わすカールと老将マック少将。

 繋がれてはいないが、マック少将の両脇にはパティが手配した手練れ二人がいる、おかしな事は起こせないだろう。


「ここに来て、一万のもの兵に見限られる程にアレキサンダーはどうしようもない指揮官では無かったろう? 事情を詳しく説明せよ」

「見限られたのは我々でございます、アレキサンダー様はあなたの虜になるのを嫌い、しかもこれ以上の無益な帝国人同士の戦いを避ける為、我々に降伏を命じました」

「アルフレートは?」

「アレキサンダー様と運命を供にすると」

「城を枕に最後の戦をするとでも言うのか?」

「いえ、それならば我々は降伏いたしませんでした、アレキサンダー様は自決する、それには供は要らぬと我々を下さらせたのでございます」


 マック少将の態度は堂々としていた。

 降将としてカールに媚びる様子は微塵も感じられない。


「残った兵は要るのか?」

「梃子でも城を出なかった兵が数百……」

「そうか」


 椅子に座り、顎に手を当てたカール。

 

「では……」


 マック少将はその場に座り込む。

 パティと手配した護衛兵が反応したが、マック少将はカールに近づいた訳ではない、その場に座り込んだだけだ。

 しかし……手練れの兵の腰から見事に護衛用の短刀を奪い取っていた。


「カール皇子!!」


 パティが彼とカールの間に割って入るが、老将はニヤリとパティに笑った。


「若いの、大丈夫だ、こんな老将が頼める立場ではないが、私は降伏した一万余の兵士の代表としての責任を果たさねばならぬのだ、カール皇子を害するつもりはない」

「マック少将、止めなさいっ!」


 何をするか気づいたパティが叫ぶが遅かった、彼は短刀で自らの胸を深々と突いたのだ。


「……カール皇子、この白髪頭の老将一人で……兵達には御慈悲をいただき……たい!」


 彼の口から赤い液体が溢れる。

 たが、その目はまだ死んでいない。


「マック少将!」

「どけっ! 触れるなっ!」


 パティや護衛兵がマック少将に駆け寄ろうとするが、カールが一喝する。


「……」

「……」


 今にもこの世を去らんとする老将と、最も帝国の至高の座に近づきつつある若者の視線が交差する。


「大義であった、赦す!」


 カールの凛とした声がゼファーの山の麓に響き渡ると、老将はほんの一瞬だけ笑みを浮かべ、前のめりに倒れた。



 運ばれていくマック少将の遺体。


「カール皇子……」

「パティ、火計は中止せよ、出撃の用意だ、俺が直属部隊を率いるから、他の部隊は下げろ」

「えっ!?」


 カールからの突然の命令に唖然とするパティ。

 彼女をもってしても、カールの命令を理解するには数十秒の時間が必要だったのである。




            ***



「こんなに残りおって! バカ者どもめ!」

「仕方がないな」


 中庭に残った兵士達にアレキサンダーが毒づくと、隣のアルフレートは苦笑する。


「俺たちも自決します!」

「お願いします!」

「一緒に死なせてください!」

「アレキサンダー様にしか我々は仕えません!」


 口々に嘆願する者達。

 涙ながらの者も多く、まるで信仰にすがるかのような瞳をアレキサンダーに向けてくる。


「……生きて帝国に役に立つには不器用な奴等ばかりだな」


 その者達を見渡し、鼻で笑うと、


「よし、仕方がない! お前達に褒美をやる、自決は止めだ! 冥土の土産にこのアレキサンダー・ゼファー・アイオリアの戦をもう一度見せてやろう、それを見たら大人しく……死ねっ!!」


 アレキサンダーは山全体を揺るがすような大声で告げる。

 一瞬の沈黙の後、兵士達は歓喜に沸き返った。


「やったぁ! やったぁ!」

「アレキサンダー様の雄姿を刻んで死にます!」

「特別のご高配感謝いたします!」

「アレキサンダー様、万歳! アルフレート様、万歳!」


「済まんな……不器用でな」

「僕もさ」


 興奮しきりの兵士達を見つめながら、そう口にしたアレキサンダーにアルフレートは肩をすくめた。






「行くぞっ!!」


 愛馬に跨がり、得物の槍を手にアレキサンダーは最期の出撃をする。

 従うはアルフレートと数百の者達。

 ゼファー城に残るのは僅かな文官のみだ。


「火に気を付けろ!」


 山林を駆け降りる。

 周囲の砦が陥落させられた時点で、ゼファー城を火計により炙り殺しにされては敵わない。

 アレキサンダーはこうなる事を覚悟していた。

 ただ、供が数百多いのが誤算だったが。


「火計がない! 兄さん、降りられるね」

「手配が間に合わなかったのかもな、どにしろ好都合だ!」


 罠かも知れない。

 アルフレートにそう答えようかとも思ったが、そんな細かい事はどうでも良くなっていた。

 アレキサンダーを先頭に、ゼファー軍最後の精鋭が山を駆け降り麓に降り立つ。



「おおっ!?」



 アレキサンダーは唸った。

 そこには堂々と迎撃陣を組んだ一万余のフェルノール軍が待ち構えていたのだ。


「城から降りてこようとした時は陣なんて組んでいなかったのに、読まれていたね? 参ったな」


 アルフレートは頬を掻く。

 その通りだ。

 城から麓を伺った時はこんな見事な陣など敷かれていなかった、包囲陣が山を囲んでいただけであった。

 

「わかっていたようだな、しかし……」


 アレキサンダーは迎撃陣を敷く部隊の旗を見据える。

 数百に対して、一万余の兵力が万全の迎撃態勢を敷いていた。

 たなびくはアイオリア黄金の鷹の旗。



「済まんな……カール、最期の最期に気を遣わせたな」



 ポツリと呟いてから、アレキサンダーは大きく振り上げた槍を前方に振り下ろす。


「ゆけっ!」


 突撃する数百の兵に大量の矢嵐が降り注いだ。





            ***




 大陸東海岸。

 波が終わる事なく打ち付け、夏の陽射しが注ぐ岬。

 白のドレスと美しい銀髪が海風になびいていた。

 南部諸州連合ヴァイオレット州シャルコーズ海岸。

 十日ほどの外交予定で、囚われの帝国皇女は東海岸にやって来ていた。



 海風に混じり、遠くから自分の名前を呼ぶ幼馴染の声がいつもとは様子の違う事に気づく。

 宿泊先から走ってきた様で息を切らしながら、幼馴染のダークグレーの髪の少女は、飛び込んできた報せを告げた。

 静かに頷き、珍しい願いを彼女にする。



 三十分でいいから一人にしてくれ。



 幼馴染の少女は悲しげな顔を浮かべたが、素直に従い、歩き去っていく。



「……」



 相変わらず岬に打ち付ける波。

 晴れ渡った青空。

 海風に翼を広げる海鳥。



 景色の全てがボヤけて歪む。

 


 懐から封のされたままの手紙を取り出して、引き裂く。

 縦に、横に、縦に、横に。

 細切れになった紙きれは強い海風に拐われていく。



 それを見上げ、銀髪の少女は白のドレスであるにも関わらず、その場に両膝をついて崩れた。



 溢れる涙。

 漏れる嗚咽。

 止まらなかった。

 止めるつもりもなかった。

 精一杯泣き。

 海風と波の音が隠してくれるのを良い事に、思いっきり、思いっきり叫び……





 そして再び、立ち上がる。





第四章「流浪の英雄姫」完


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