第百十四話「手紙」
標高数百メートルの木々が生い茂る山の頂上近くの斜面に、ゼファー城はそびえ立つ。
その規模はさして大きくはないが、城の近くの山腹には支城の役目を果たす小規模な砦が五つあり、総合的な防衛能力は相当高いと見なければならない。
「らしい城だ、まさにヤツらしいな」
その堅城を攻略すべく陣を構えたカールは、参謀長のパティを従えて、嘲笑を見せた。
「それはこの城が、戦略性よりも戦術性を重視している点を言われていますか?」
「行儀良く言えばな」
カールはやや弾んだ調子で答える。
パティの見立ては正しい、というよりゼファー城を見れば軍人ならば、そこは戦略拠点ではなく、戦術拠点だと判断するのは至極、普通だと思われた。
「良いかパティ准将、不躾に言えば、ああいう城を山賊の根城というのだ、ああいう攻め込まれるのを前提としている城を本拠地に選ぶ辺りがヤツの限界だな」
「なるほど、カール皇子がおっしゃりたい事は私も解るつもりです、確かな戦略で事に当たれば、そもそも本拠地に敵を迎えるような背水の状態にはならないという事でしょうか?」
「その通りだ」
「しかし、お言葉ですが皇子、このゼファーはアレキサンダー様の所領に御座います、アレキサンダー皇子に本拠地の選択の余地は無かったのでは無いのでしょうか?」
出過ぎたとは思いつつ、パティはカールに問う。
滅多に無い珍しい場面に一瞬、カールは知的な議論に期待したように眉を動かすが、
「フフッ、その様な事を私に訊ねるのは、シア中将の後継者とも呼ばれる准将らしくもない迂闊さだな、ヤツは反乱をしているのだぞ!? 少しは考え直してみよ」
と、多少手厳しい言葉で、パティに向けて再考を促す。
「……あっ!」
瞬時に自分の間違いを悟るパティ。
「そうだ、何もアレキサンダーはこんな不便な地を本拠地に選ぶ必要など無いのだ、何の為かは知らぬが、反乱軍が皇帝から受領した所領に拘る必要がなぜ存在するか? ヤツは引きこもりの間に新たな戦略を練る時間は十分にあった筈、周囲にはゼファーよりは戦略的要地は幾らでも存在するのに、本拠地転換の検討も努力もせず、こんな山城に不適な十数万の大軍を集結させてしまったのだ、戦が始まった時、ゼファー軍とフェルノール軍となった時点でケリは半分ついた様な物だ」
「おっしゃる通りでした、申し訳ありません」
パティは素直に頭を下げた。
帝国の民衆にゼファーとフェルノール、どちらの勢力を支持するかと問えば判る。
帝国第二皇子の所領とはいえ、ゼファーは住民も少ない山地であり、フェルノールとは比べるのもおこがましい、小さな一地域に過ぎないのである。
他の皇族の事を考えれば、例え話にせよカールには口が裂けても言えないが、セフィーナがアレキサンダーと同じ立場であったら、所領である高原の保養地ゼライハを本拠地として構えるだろうか?
それは無いだろう、直ちに周辺の地域で最も戦略的な要所を攻略し、そこを本拠地にするに違いない。
その問題点を解決しようとしなかった、否、その問題点に十分な時間が有りながら、気づきもしなかったアレキサンダーの戦略眼に問題があるという指摘は、説明されれば当然の様に思えるが
、それに気づく事は誰でも出来る事ではない。
『流石は英雄姫セフィーナ様を自分に相応しいと宣言するだけはあるわ、自らもまたセフィーナ様に相応しくあろうとする、そして、この方がアイオリアの頂点に最も近づいている存在』
パティは自分より年下のこの青年が、近い将来に帝国唯一無二の至尊の座に就くであろう事、これからの戦いがそれを確定する戦であると強く意識した。
―――
帝国全土、そして皇室をも激しく揺るがせた内戦もいよいよ最後の時を迎えている。
南部諸州連合でも、その戦況は第一のニュースとして各新聞で伝えられている。
現在、エリーゼの帝国大使館を間借りしているセフィーナにも確度の高い情報が入ってきているが、その情報の殆どが反乱軍の鎮圧も間近と思わせる内容であった。
情報は毎日、昼頃に入ってくるが、報告官からそれを聞く時のセフィーナは、執務机の椅子に深く座り、眼を瞑り、ひたすら聞くだけだ。
兄弟同士の戦の報告を聞くというのに、眼を閉じたままで顔色一つ変えないし、質問もしなかった。
「九月二十二日の午前にはゼファー城周辺の砦は全て陥落、午後には城周辺の山地で激しい山岳戦が繰り広げられ、一進一退の状況との事です、今回の報告は以上です」
「ご苦労だった」
九月二十五日、昼。
報告官の報告を聞き終わると、セフィーナは瞳を開けて、何事も無かったかの様に執務に戻り、報告官は深々と頭を下げて退出していく。
「もう終わっているかな?」
「まださ、ゼファーの城は周囲の砦を落としたとしても、簡単には落とせない、もう少しかかるだろうな」
メイヤの呟きに答えるセフィーナ。
「セフィーナ」
「どうした?」
「ん、何でもない、お昼だよ?」
「いくか、今日はグレルラパンのハンバーガーサンドが食べたいな」
立ち上がるセフィーナ。
グレルラパンというのは、エリーゼ中心街の流行りのカフェで、オープンテラスでの昼食が売りである。
「食べたきゃ買ってくるから」
「行きたいんだ、あそこのオープンテラスで食べるのは気持ちがいいし、コーヒーも旨い」
「今の時期は暑いよ、前にどうしてもって、行った時に黒山の人集りを作って憲兵が来たのは覚えてるよね?」
メイヤの言う通り、前にセフィーナは雑誌で絶賛していたグレルラパンの記事を読んで、止めるメイヤを五分だけだからと説得してグレルラパンのオープンテラスで、雑誌の薦める通りにハンバーガーサンドとコーヒー飲むという事をしたのだが、あえなく周囲に気づかれ、憲兵が何事かと出動してきて、新聞に書かれてしまうという事をしているのだ。
メイヤが一番心配するのは警備面だが、いくら悪い事をした訳ではないにしても、下手な新聞沙汰はなるべく避けたい。
「また外務省の人に迷惑かけたいなら……」
「もう、わかった、わかった、今日はここで済ませよう」
セフィーナが珍しくメイヤに折れた時である、宜しいでしょうか、とドアをノックする音が聞こえた、声の主は警備副隊長のクレッサである。
「セフィーナ様、大使館の警備員より、是非ともセフィーナ様に会いたいと申している者が訪れているそうです」
「ばかクレッサ、そんなの追い返せ!」
セフィーナが答えるよりも早く、メイヤがドアも開けずにクレッサに言い放つ。
そんなの論外でセフィーナの耳に入れる必要も無い事だ、それでも副隊長か!? メイヤの口調はそう言っている。
だが……
「私も初めはそう警備員に伝えましたが、その者が名前をトマス・カリュッセオと名乗っていると言われたので、無視も出来ませんでした」
クレッサの迷うような返答を聞くと、セフィーナとメイヤは久しぶりに聞く名前に顔を合わせてしまう。
トマス・カリュッセオ。
それはアルフレートに幼い頃より仕えている最も古株の侍従で、教育係も務めた男の名前であった。
「お久しぶりでございます、セフィーナ様」
セフィーナの執務室。
六十の半ばを迎えた白髪の老紳士は背筋もまだキチンと伸び、見かけから品が良い。
「そうだな、カリュッセオ、元気そうで何よりだ」
頭を下げる彼をセフィーナは椅子から立ち上がって出迎え、メイヤは軽く会釈した。
セフィーナとメイヤはカリュッセオは幼い頃からよく知っていた、アルフレート、セフィーナ、メイヤの三人の子供とよく遊んでくれた思い出がある。
それにアルフレートだけでなく、セフィーナとメイヤの幼少の勉学も見てくれたりもした男だ。
ここ二、三年はアルフレートの所領のゼインにいる事も多く、会ってはいなかったが、それくらいで忘れてはしまわない相手である事は確かだ。
「で? カリュッセオ、はるばる会いに来てくれたのは嬉しいのだが、今は互いの立場がある、率直に用件を話してもらおう」
執務机に座り彼を見上げるセフィーナ。
彼はゼファー軍の副盟主であるアルフレートの側の者なのである、懐かしむ感情を抑えて接しなければならない。
「いえ、立場と申されても私は先日、アルフレート様からお暇を出されましてな、いわゆる首ですな」
「なんだと?」
予想外の返答を笑顔でしてきたカリュッセオに、セフィーナは口ではそう出てしまったが、その理由は何気なく解した。
既に老境の彼を戦場に巻き込みたくないアルフレートが彼を解雇したのだろう。
「私は戦にはお役に立てませんからな、余生を無事に過ごさせてくれようと慈悲をかけられたのです、ゼファー城に残ると言っても聞いてはくれませんでした」
「そうだったか」
やはり思った通りだ。
「それで最後の使命……いや、願いを託され、皇女殿下に会いに来たのです」
「願い?」
「セフィーナ様に託されました、お受け取りください」
それは白い封筒に入れられ、蝋で封がされた手紙だった。
差出人は書かれていないが、そんな事は聞かずも判る。
「この内戦が終わったら読んでほしい、そう伺っております」
「そうか、それで遥々南部まで来てくれたのか、最後にカリュッセオに無理を言ったのだな、ご苦労だった」
「いえいえ、これくらいは当然の事、セフィーナ様にお労い頂くなど過ぎた扱いです」
手紙を受け取り、労うセフィーナに頭を下げると、老紳士は立ち上がる。
「解雇されたとはいえ、私のような者と会っていたという話になれば、セフィーナ様にも都合がお悪いでしょう、私はこれで失礼させて頂きます」
「これからどうするのだ? ここまで来るのにも苦労が行ったろう? 帰りは通行証を取らせよう」
「お気遣い無用でございます、私は元とはいえ反乱軍の一味でごさいますからな、あらぬ疑いの種をセフィーナ様にかけたとなればアルフレート様に申し訳が立ちませぬ」
セフィーナの申し出に、カリュッセオは冗談めかして笑いながらもそれを固辞する。
「そうか」
それ以上はセフィーナは言わなかった。
セフィーナが手に持つ手紙を託す事こそ、最後の使命と感じたからこそ彼はアルフレートの解雇に応じたのだろう。
そういう男であった。
「ではお元気で、もうこの老人にセフィーナ様が会うことはありますまい、会えて嬉しゅうございました」
丁寧に頭を下げるカリュッセオ。
「ああ……堅固でな」
「お気遣いありがとうございます」
セフィーナが微笑み、メイヤが頭を下げると、カリュッセオは最後に深々と頭を下げ、部屋を出ていく。
執務室には再びセフィーナとメイヤだけとなった。
「こんな世の中だから仕方がないと覚悟もするが、色々な人間達が目の前から去っていくのは慣れないな」
寂しげにセフィーナはメイヤに振り返る。
「私は平気だよ、産まれてすぐから一緒にいたでしょ?」
「うん」
「落ち込んじゃってもう、セフィーナは淋しがり屋だからなぁ、仕方ないから慰めに今日のお昼はグレルラパンのオープンテラスでいいよ」
わざとらしいため息を付きながら告げるメイヤに、
「気遣いが下手なヤツだな、さっき、お前にどうせ暑いと言われた時から、どうせ行く気がなくなっていたんだ、今日はここで二人で済まそう」
そう苦笑いと浮かべてみせながら、セフィーナはを手に持っていた手紙を自分の懐にしまった。
続く




