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銀色のアイオリア  作者: 天羽八島
第四章「流浪の英雄姫」
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第百十三話「遠い記憶」

 山城に夜が訪れると、周囲は晩夏の虫達の鳴き声が主音となり、押し黙った者達の耳に入ってくる。


「離脱した者達はもちろんだけど、これまで北部の連絡を取っていた者達からも連絡が無くなったよ、このゼファーは包囲されかなっているから、できないだけかもしれないけど」

「わかった、連絡ができなかろうが、見限られようが、元々当てにはしてないさ」


 ゼファー城の広間。

 アルフレートの報告に上座に座ったアレキサンダーは静かに頷き、居並んだ数人の貴族達も俯く。


「……」


 誰も喋らない、いや喋れない。

 再び夜の虫達の鳴き声が勝るくらいの陰気さ。

 数ヵ月前、アレキサンダーが起った時は山城には入りきれない位の十数万の兵と、大小合わせれば五十にも達しようかという貴族達がここには集合した。

 それが既に兵は連日の脱走も響き、三万あまり。

 貴族に至っては、僅か六人という状態にまでなったのである。



 初めから不利な戦いではあった。

 サラセナ軍の助力を得て、ようやく勝率は三割くらいであろうと、自分達も覚悟はしていた。

 だが、ここまで完膚なきまで叩かれてしまうとは。

 帝国一の猛将アレキサンダーあり、彼の鍛え上げた屈強の兵あり……更に最大の強敵と思われた英雄姫セフィーナは此度の戦に参戦していないというのに。

 北部戦線の構築の失敗、サラセナ軍との連携も全く出来ず、局地的な戦いでは圧倒する場面もあったが、大局的な視線で見ればゼファー軍はフェルノール軍に完敗である。

 アレキサンダーの所領であるゼファーは、東からカール率いる約十万の正規軍、西からはヨヘン率いる一万五千の親衛遊撃軍に挟撃される形となっており、一両日もすれば両軍が、このゼファーの山城の麓に現れると見られていた。




「アルフレート」

「なんだい?」

「俺の首を持って降れ、そうすれば……」

「バカな事は言わないでくれ、アレキサンダー兄さん」


 ポツリと呟いたアレキサンダー、アルフレートは強く声を上げて歩み寄る。


「確かにカール兄さん達は大軍だ、でもまだ三万を越える味方がいるじゃないか!? 不幸中の幸いだけど、兵が減った分だけ兵糧や武器は行き渡っている、まだ戦えるよ」

「……お前が主戦論とは、珍しいな、俺とアベコベだ」

「茶化している場合かい? 暗く過ごしていても同じ時が過ぎるんだ、だったら少しは空元気でもあった方がいいよ、今からワインや酒を運ばせるから、皆で酌み交わそうよ、決戦前の誓いの宴だよ!」


 アルフレートの態度が、努めての物であるのはアレキサンダーには痛いほどわかった。

 普段は慎重派の弟が、ここまで楽天的な人格を演じるのも、周囲が沈みすぎているのをどうにかしようという責任感だ。


「そうだな……皆も俺達兄弟の愚痴に付き合ってはくれないだろうか? 今夜は無礼講にする、下手に物を残す事もあるまい、兵達にも酒保を開けてやろう!」


 アレキサンダーが上座から降り、広間の床に胡座をかいて座り込んでしまうと、六名の貴族達の表情もやや笑顔に変わり、


「お付き合いしましょうぞ、今夜だけでなく何処までも!」

「おおっ、そうだ、そうだ」

「今夜は帝国一の豪傑を酔い潰してご覧にいれまする」


 と、最後の宴が始まる。

 その夜、ゼファー城の男達は兵まで含め、皆が酔い潰れるまで呑み、語り、そして笑った。



            ―――



「ふぅ、もう誰も起きていないのかい?」


 アルフレートは赤ら顔で起き上がった、自分でもどれくらい飲んだか覚えていないが、窓の外はまだ暗い。


「だめだ、流石に呑みすぎた」


 立ち上がろうとしたアルフレート。

 だが予想以上に酒が入っていた様で、ふらついて近くの壁に背中をかけ、再び座り込む。


「アルフレート……」

「アレキサンダー兄さん? あれ、他の人は? まさかっ!」


 不意に呼ばれて振り返ったアルフレートは、ようやく広間に自分を呼んだアレキサンダーしかいない事に気がつき、まさかと真顔に戻った。


「焦るな、俺も今しがた起きた所だ、他の者は各々の世話役を呼んで部屋に連れていかせただけだ」

「はははっ、そうか、てっきり……」

「ここまで付き合った奴等が今更逃げるか、度胸が座っているのか、酒だけでなくロマンチシズムに酔っているかは俺にはわからんがな、そういう意味では頼もしい」


 アレキサンダーは立ち上がる、その足取りは確りしていて、壁に背中をかけて座り込むアルフレートの目の前に、ドッカリと胡座をかいた。


「流石は帝国一の豪傑、その類いの英雄はやっぱり酒に弱くちゃやってられないんだね、僕はもう無理だ」

「ふっ、酒盛りを誘ったのはそちらの癖に、ぬかせ」


 アレキサンダーは手に持った酒瓶を起きがけの迎え酒とばかりにあおり、飲み干してしまう。


「見事だなぁ」

「見事な物か、さっきお前は俺を帝国一の豪傑と言ってくれたが、負けぬから豪傑なのだ、負けた俺は只の無駄酒飲みよ」

「そんな事ないさ、戦の勝ち負けこそ当てにはならない、本当に強くても負けてしまうのが戦なのさ」

「戦下手を自認する割にはいうな、俺に意見するとはな」

「言われればその通りだ、アハハハハ」

「フッ」


 笑い合う兄弟。

 前にそんな顔をしあったのは何時だったか、遠すぎて覚えていない。

 元々、武闘派であるアレキサンダーは、何にしても慎重で小器用なアルフレートとは何かと疎遠であった。

 何かとアレキサンダーが厳しく接したセフィーナともアルフレートが仲が良かったのも一因だ。


「すまんな」

「何についてかはわからないけど、いいさ」

「セフィーナの事だ、このままではカールがセフィーナを妃にするだろうと、前にお前を脅かしただろう?」

「そんな事もあったね」

「無ければ、お前はこの戦には参加しなかった筈だ、カールに従うか、セフィーナと連絡を取り合って調整役に回っていただろうに?」

「それはないね、アレキサンダー兄さんと一緒に兵を挙げる事はしなかったかもしれないけど、後から似たような事はしたんじゃないかな?」


 首を振って、兄を見据えるアルフレート。


「だってカール兄さんは絶対にセフィーナを諦めなかっただろうからね、一人じゃなくて、アレキサンダー兄さんがいたから逆に助かったくらいさ」

「お前もセフィーナが欲しかったのか? それとも愛する妹を護るつもりだったのか?」


 行き過ぎた質問であるのは解る、しかし敢えて訊いたアレキサンダーにアルフレートは肩を竦めた。


「どうだろうね、カール兄さんのようにセフィーナが俺に相応しいとかは思わないよ、むしろ僕には小さな頃から眩しい女の子だったかな?」

「昔から利発で綺麗だったからな、特別な娘だった」

「そうだったね、でも今はもっと綺麗だけど、昔も可愛らしかったなぁ」


 兄弟の間に暫しの沈黙が流れた。 

 アルフレートは昔を思い出す様に天井を見上げ眼を瞑る。

 眠気もあるのだろう、少しすると寝息も聞こえ始める。

 アレキサンダーもそれを邪魔せず、


「フッ、寝物語で遠い記憶のセフィーナにでも会っているのか、幸せそうな顔だ」


 酒瓶に僅かに残った酒を呑む。

 夜が明け始めたのか、少しだけ外が明るくなり始めた。


「ああ……でも……やっぱり、やっぱり僕もセフィーナが……」


 睡魔に敗北し、ズルズルと崩れていくアルフレート。


「男がそこまで言わんでもいいさ……悪かったな」


 再び眠りに入っていく弟の肩を軽く叩き、アレキサンダーは立ち上がった。




 それから二日後の九月十七日。

 十万のカール率いる反乱討伐軍、一万五千の親衛遊撃軍はゼファー城の麓に到着し、その周囲を完全に包囲した。





続く

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