第百十話「ただ、ただ泣く」
ヨヘンに続いて驚いた顔を見せたのはクルサードだ。
キョロキョロとわざとらしく周囲を伺う。
「お前が居るのに皇女殿下は居られねぇのかよ? 俺はまたひょっこり出てくるかと思って背筋が震えたぜ」
「セフィーナは居ない、来たがっていたけど来られないから」
クルサードに答えながらメイヤは疲れた、疲れたと連呼しながら背中に背負ったリュックを床に降ろす。
「彼女はメイヤ軍曹、セフィーナ皇女殿下の幼馴染みで護衛隊隊長を務めているんだ」
ヨヘンが彼女を知らない参謀達に紹介すると、彼らは立ち上がって背筋を伸ばして敬礼する。
彼らは全員佐官以上であり、普段ならば軍曹に敬礼など考えられないが帝国皇室の最重要人物の一人であるセフィーナの幼馴染みというだけで敬礼に値するらしかった。
「いやぁ、南部は暑いのなんの、あそこは人間が住む場所じゃないね、戦争に勝っても占領しなくていいよ、それに比べたらここの涼しいこと!」
「そりゃ、ご苦労様」
ヨヘンの顔が先程とはうって変わり和らぐ。
クルサードもこんな表情のヨヘンを見るのは久しかった。
「ところで今日はあのデケェ斧は無いのかよ?」
「置いてきた、自分を護るだけならサーベルがあれば大丈夫」
「あの斧は皇女殿下の護衛用かよ? 過剰防衛だな」
「カンケー無いね、セフィーナを傷つけるヤツは殺すんだからさ、過剰も何も無いよ」
クルサードとそんな物騒な会話を交わしながらメイヤは今日の用事はこれだよ、と、コルクの封をされたガラス瓶に入っていた手紙を取り出す。
「それは……」
問いながらもヨヘンには答えがもちろん判る。
国家間の人質同然の扱いを受け、南部諸州連合から離れる事が出来ないセフィーナからの物に間違いない。
「これはセフィーナからヨヘンに。 どうしても余計な人間を介したくないとかワガママ言ったから私が持ってくる羽目に」
「それでこの距離を? 全く忠臣ね、口は悪いけど」
「ここで読んで、読んだのを確認してセフィーナに言わないといけないから」
「はいはい」
ヨヘンは手紙を受け取るとその場で開いて読み出す。
その間にもメイヤはゴソゴソと帰り支度をして、リュックを背中に背負い、ヨヘンが手紙を読み終わるのを待ち始めた。
それを確認したら帰りそうな感じだ。
「おいおい、はるばる南部から来たんだ、一晩くらいは休んでいったらどうなんだよ? 飯ぐらい出るぜ?」
「早くかえりて~んだよ」
「お前、散々疲れただの、暑いだの言ってたろ?」
「帰りたくないとは言ってね~な」
クルサードに細目を向けるメイヤ。
セフィーナの元を一時も離れたくなかったのだ。
セフィーナの頼みとはいえ、今はそれが出来ない状態であるから、彼女は一刻も早く還りたいのだ。
「まったく勝手にしろや、相変わらずの忠犬だぜ」
「ワンワン」
頬杖を付くクルサードにメイヤが乗っかった。
その様子にメイヤを知る親衛遊撃軍創設からの幕僚達は愉快に笑い、その場の雰囲気も数分前とガラリと変わった。
「で、そろそろ読み終わったかい? 忠犬ちゃんがもう帰りたいらしいぜ」
「え、ええ……読んだよ、皇女殿下には手紙の内容は了解しました、ありがとうごさいました、私も同じ意見ですと伝えてくれないかな?」
クルサードに振られると素早く席を立つヨヘン。
その口調もどこか早口だ。
「どうしたい?」
「な、なんでもありません、改めて親衛遊撃軍司令官として下命します、発令したサラセナ進行作戦は様々な事情を鑑みて中止します、明日以降に新たな作戦準備にかかる予定ですのでそれまでサラセナ軍残党の反撃を警戒しつつ、各部隊を休ませてください」
そう幕僚達に告げると、メイヤにご苦労様とだけ声をかけヨヘンは足早に会議室を出ていってしまう。
これだけ強行しようとしていたサラセナ侵攻をアッサリと中止するという命令に一堂は耳を疑う。
「なんだありゃ?」
クルサードの言葉に同意し、呆然とする幕僚達だったが、
「じゃあ、またね」
メイヤはそんな事は関係ないと、ヨヘンに続き会議室を出ていくのだった。
足早のまま要塞司令官室のドアを閉めた途端、ヨヘンは我慢できずにその場に座り込んで顔を手で覆う。
セフィーナからの手紙。
そこには冒頭から自らの優柔不断さが原因で、シアをサラセナの謀略から護れなかった事を親友のヨヘンに詫び、そして必ずやシアの名誉回復を帝国皇女として果たすから、今は未熟な私を憎むだけで許してほしいと、まるで仲違いした級友に宛てた不器用な手紙のような纏まらない文章で書かれていた。
続いて書かれていたのはセフィーナの親衛遊撃軍司令官を継いで活躍した事への労いと礼。
そこは割と落ち着いた精神状態で書いたのが判る簡潔で解りやすい内容だった。
そして、次はヨヘンにあくまでも助言という形で、サラセナへの進攻の制止とそれの理由を個条書きしていた。
一、ラヘア山脈要塞さえ押さえていれば、サラセナの兵力回復速度は帝国の数分の一以下であり、軍事作戦を展開できるレベルに兵力が回復するのには早くても数年は待たなければいけない、こちらが無理して侵攻を焦る必要はどこにもない。
二、今回の失策でユージィ王女は強力な求心力は失った筈で、もし侵攻を行えば、取り敢えずは彼女を立てて抵抗するしかないという空気を作る外的要因となり、逆にユージィ王女の政治的生命を助ける結果となるであろう。
三、この度の戦で親衛遊撃軍は少なからず損害を受けているであろう、近年の戦の連続で国内の精鋭兵力は激減している現在、帝国軍最精鋭軍団である親衛遊撃軍を磨り減らす作戦は将来の敵を利するだけである。
四、作戦自由行動権によりサラセナを侵攻した場合、サラセナはそれに武力でなく、住民扇動と謀略を以て対抗してくるだろう、一般市民の損害はこちらの意思では避けづらく、同時に親衛遊撃軍と帝国首脳部を謀略により切り離しにかかるだろう、その場合に作戦自由行動権によりサラセナ侵攻を決定した事自体を疑惑の対象とされる危険が大きい。
ヨヘンは改めてセフィーナ・ゼライハ・アイオリアという少女の軍事戦略的才能を目の当たりにする。
遠く南部諸州連合にいながらにしてこれだけの状況判断をしていたのだ。
それに加えて自由行動権を行使して、続く作戦についてもセフィーナはあくまでもヨヘンに一考してほしいとしながら作戦を提案してきており、その内容にもヨヘンは納得する所があり、サラセナ侵攻作戦を取り下げたのである。
そして、文章の最後はこう締められていた。
「私の大切な戦友であり、人生の先輩でもあるヨヘン・ハルパーへ、頼りにならないかも知れないが、いつでも貴女にはセフィーナ・ゼライハ・アイオリアがついていると頭の片隅にでも留めておいて貰えれば嬉しい」
「セフィーナ様、セフィーナ様っっ!」
ドアに背をかけて座ったまま泣いていた。
感情の分析は上手くいかない。
何の涙だか正確に理解できない。
セフィーナへの敬愛か、自分への叱責か、早まった親友への叱咤か、それとも全てか。
「シアのバカッ、こんなに素直で不器用なセフィーナ様をどうしてあなたは見限れたのよっ!! こんなに、こんなに、セフィーナ様を傷つけて、今度会ったら必ずひっぱたくっ!」
涙声でただ、ただ叫ぶヨヘンであった。
続く




