第十一話「偽装作戦」
「大丈夫です、カーリアン騎士団はエトナ平原を出る事の出来ない軍隊です、我々は何度でもここに進出します、いや出来るようになったのです」
南エトナ村の村長カノスによる招待。
丸太造りの屋敷で、村の有力者十数人相手の会食で上座に通されたリンデマンは、上機嫌でワインを飲み、肉を食べながら言い放つ。
「ほぅ、何度でも?」
「ええ、何度でも来ますよ、エトナ平原でしか戦が出来ない相手には不利になれば、一時の恥を忍んで逃げてしまえばいい、絶対に滅ぼされない」
カノス村長からワインを注がれながらの問いをリンデマンは上機嫌で受ける。
屋敷に来たのは十名にも満たない兵士とリンデマン、アリス、ヴェロニカ。
一個師団を郊外に留めた師団長が占領先の村を訪れるにはあまりにも少ない。
他の参謀からはせめて三桁の護衛を、と進言されたリンデマンだったがそれには及ばぬと断った。
その真意が何処にあるのかを理解し得ぬままで、アリスは村で造ったというワインで鶏料理を酔わない程度に流し込んでいた。
『……何度でも進出!? それが出来るようになった? 何なの……それ?』
すぐにでも、キザったらしく後ろに流した金髪を引っ張って言葉の真意を質したい位だが、それを我慢しながら村長から振ってくる話題に対して、丁寧かつ適当に応対する。
相変わらずヴェロニカは上座のリンデマンの斜め後ろのマイポジションで、メイドとしての仕事を全うしているようで涼しい顔をしていた。
「我々、南エトナ村は解放軍である南部諸州連合の皆様に出来る限りの協力を致します、何でも仰ってください」
「それはそれは感謝します、そのうち頼み事が出来ますからその時はお願いします……態勢が整えば南エトナ村は数倍に発展しますぞ!」
ワインのせいで顔を紅潮させながらリンデマンは、カノスの申し出に調子よく答えていた。
結局、その日はリンデマンはカノスと大した話もせずにワインを痛飲していただけだった。
***
「リンデマン!」
「どうした? 自分の幕舎に帰らないのか」
「帰るわよ、帰るけど聞きたい事があるのよ」
郊外の師団の幕舎に帰ると、アリスはリンデマンに詰め寄った。
互いに酔っ払いではないが、ワインをかなり飲んでいたので頬は赤い。
幕舎の中にいるのはリンデマンとアリス、そして一杯のワインも一切れの肉も晩餐では一切口にせず、すました顔で主人のベッドの毛布を用意するヴェロニカだけだ。
「カノス村長と仲良くするのは良いわよ、でも話している事が全く解らなかったわよ、何度で進出するとか、協力をすれば村を発展させるとか、一体なんなのよ!?」
「ああ……わからないかね?」
「わからないから聞いてるのよ!」
椅子に座るリンデマンの前にアリスは腰に手を当て、声量を上げた。
「大きな声は酔った頭に響くな、宜しい、教えてやるから耳をかしたまえ」
「ええ」
座っている相手に中腰になり、顔を横に耳を向けるアリス。
リンデマンは小さな声で言った。
「もちろん……嘘だ、君もいい加減にバカだな」
「…………」
確認するまでもなく、気づくべきだった。
アリスは同期の性悪男より、自らの不覚を呪うのだった。
それから二週間が経ったがエトナ平原を挟んだ状態で北のエトナ城に拠る帝国カーリアン騎士団も、南エトナ村に駐留する第十六師団も軍事的な展開を一切、起こさなかった。
カーリアン騎士団としては、エトナ城に拠って相手が出てくれば、地の利があるエトナ平原で戦うだけであるからワザワザ出ていく事はないが、対する第十六師団としては、敵地で補給も効かない小さな人口の村にいつまでも駐留している理由がない筈だ。
ただリンデマンは部隊を動かさず、エトナ平原にかなりの数の偵察隊を出してはいるが、夜な夜な少ない護衛とヴェロニカを連れては、村長宅を訪れている。
初めの日以外は村長宅には行かずに部隊に残って、カーリアン騎士団の動向を伺っていたアリスだったが、実は敵軍よりも自らの司令官の動きの方が気になるくらいだ。
「何度も通えば、幾らか協力的になってくれるのは理解できるけど……アイツがそんな事を本気でやっているわけは」
味方への疑心暗鬼になぜか捕らわれる中、アリスとしては寝耳に水の出来事が起こる。
南エトナ村はザトランド山脈の帝国側の麓に当たる訳だが、そこに山脈を越えて南部諸州連合側から膨大な量の補給物資が届いたのだ。
後方の味方から補給が届くのは戦争中は当然と言えば当然だが、副師団長の自分はそれを知らなかったし、その膨大な物資の約二割は南エトナ村への供給分というのだ。
「リンデマン! 貴方は一体何をやっているのよ、まさかもうこの村を完全に掌握したつもりじゃないでしょうね! まだ部隊にも村にもあそこまでの補給は必要ないわ!」
幕舎に駆け込み、怒鳴るアリス。
当のリンデマンは椅子に座りヴェロニカの煎れた朝の紅茶を楽しんでいた。
「思っていないよ、カノス村長はそんな単純な男じゃない、そんな男が敵味方が入り乱れる国境の村の有力者などやっていられる者か」
「じゃあ……なんで、まだカーリアン騎士団を殲滅していない状態で、大して疲弊した訳でもない村に物資を供給しても無駄だわ、表向きでは感謝されても騎士団が帰ってくれば、元の帝国国民よ、物資すら敵軍に渡しかねないわ」
「だろうね、形勢がまだわからないうちは力ない彼等が日和見なのは当然の行為だな」
喰ってかかるアリスに、リンデマンは至って普通に紅茶を口にすると、
「ヴェロニカ……私がここ数日、彼等の元に通って何を話したか教えてあげなさい」
後ろに立つヴェロニカにそう指示する。
「わかりました、御主人様」
ヴェロニカは黒のショートボブカットを僅かに揺らして頭を下げアリスを見据えた。
「アリス少将、御主人様は何日もカノス村長に同じ事をさりげなく繰り返されています……そして、昨日はザトランド山脈の南部諸州連合側の麓に間もなく、一大補給基地が出来上がるので、山脈を挟んで反対側の南エトナ村には物資の受け入れ拠点として重要な価値があると、かなり酔った振りをして仰られました」
まるで台本を用意していたかの様に流れるように説明したヴェロニカ。
「まさか……あなた」
「失礼します、リンデマン中将、物資の輸送は全て完了しました」
そこに幕舎に入ってきて敬礼したのは第十六師団の補給工兵担当のヴィスパー大尉。
二十六歳のエリート青年大尉なのだが、性格は温厚で顔立ちが幼いせいか、いじられ男子として女性士官からは人気が高い。
「ヴィスパー大尉か、ご苦労だった」
「はい……あと申し付けられていた件はほぼ完了しました、では……」
「ちょっと!」
アリスが報告を終えて踵を返しかけるヴィスパー大尉の腕を掴むと、彼は焦った様子で振り返った。
「ど、どうしました、アリス少将?」
「申し付けられていた件って何よ? 最近見なかったけど何処に行ってたのよ!?」
「ええっ……と」
アリスに睨まれ、ヴィスパー大尉はリンデマンを助けを求めるように視線を送る。
もちろん助けを出すような殊勝さはないリンデマンだが、仕方がないとばかりに構わないよ、と彼に告げた。
「自分は工兵隊を率いて、ザトランド山脈の連合側の麓に補給基地を築いてました」
「そんな事できる訳がないでしょ!? この師団の工兵隊の数じゃ……」
「も、もちろん見かけだけです、張りボテみたいな物ですが……外身はかなりの規模の前線補給基地に見えると思います」
年上の上司の迫力に圧され、苦笑で白状するヴィスパー。
「まさか運んできた補給物資は村人への供給分以外は偽装じゃないでしょうね!?」
「それがわかるとは流石だね、アリス」
「リンデマン……」
アリスの頭脳の中で敵味方を入り混ぜたピースが組まれていくが、まだ未完成だ。
その完成形を持つであろう首謀者にひとまずの推測の正解を誉められ振り返る。
「では役者も揃ったし時も来た……そろそろ相手も出てくるだろう、作戦を開始しようか」
そこにはいつもの薄笑いを浮かべたリンデマンがいた。
続く




