第百七話「アンデレルタ東方攻防戦」
アンデレルタ丘陵地東方。
アレキサンダー率いるゼファー軍の猛攻は続く。
「よし、俺に続け! 今度はこちらだ!」
馬上のアレキサンダーは直属の部下達を率いて、戦場を縦横無尽に駆け巡る。
当たる敵陣を踏み倒し、立ち塞がる敵兵を突き倒しながらも別の部隊にはフェルノール軍の陣地攻撃指示を的確に出す。
この戦術指揮能力はアレキサンダーならではだ。
数時間の戦闘でフェルノール軍はせっせと築き上げた防衛陣地のおよそ二割以上が破壊され、四千以上の兵士の損害を出してしまう。
数時間で相当な犠牲を出してしまったフェルノール軍であるが猛攻にひたすら堪え忍び、遂に司令官カールと参謀長パティの待ち望んだ瞬間が訪れた。
猛攻の中心となっていたアレキサンダー直属部隊が休憩と補給の為に最前線を一時退いたのである。
「カール皇子」
「ああ……フェルメッツア少将とルルー少将に連絡しろ! 私が良いというまで暴れろとな! 目標は我々の陣地の南側を攻撃しているあの集団だ! 必ず仕留めろっ!」
パティ准将に促されたカールは櫓の手すりを強く叩いて指令を下す。
防御一辺倒だったフェルノール軍の反撃が始まった。
フェルメッツア少将とルルー少将の各五千の騎兵部隊が出撃し、防衛陣地の南側を攻撃していたゼファー軍に襲いかかる。
攻撃目標となったのはアルフレート麾下のハイゼン少将の率いる一万五千の部隊。
「やっと出てきおったな! 返り討ちだ」
ハイゼン少将は意気揚々と反撃を命じたが、そこに伝令が駆け込んでくる。
「アレキサンダー皇子より、ハイゼン少将へ、麾下の部隊は攻勢を続け疲労もしている、敵軍の攻勢に対しては後退する事を命ずる、以上です!」
戦況を観たアレキサンダーが緊急に派遣してきた伝令からのメッセージだが、それを聞いたハイゼン少将の顔が真っ赤になっていく。
「せっかく敵軍が出てきて、つまらん戦が新たな展開を見せておるというのに、何を弱気になる必要があるか! 元々が決戦を意図した進軍だった筈だ、そのような命令は聞けぬ!」
伝令兵に怒鳴り返すハイゼン少将。
普通の将校であればアイオリアの皇子からの命令には一も二も無いが、彼はアルフレートの召集に応じて協力にやって来た北部の貴族の一員で、軍での階級こそは少将だが、貴族としては公爵の地位を持つ大貴族なのだ。
それも彼は完全なアルフレート一派であり、アレキサンダーをゼファー派の首領とは見ていなかった。
「反撃せよ、襲ってきた敵軍など我々より少ない部隊だ、すぐに蹴散らせ!」
ハイゼン少将はアレキサンダーからの命令を無視し、再び反撃命令を発するが、彼の部隊は正規軍ではなく、兵としての質も統率力も劣る私兵であり、更にアレキサンダーの指摘通り開戦から数時間、攻め戦を敢行して疲労していたのだ。
フェルメッツア、ルルー両少将は対応の鈍いハイゼン少将の一万五千の部隊を左右から挟むようにして騎兵の突撃を敢行する、正規軍に彼等にとってそれはさほど難しい事でなかった。
「何をしている、追いかえせっ、敵軍を追いかえせっ!」
ハイゼン少将は挟撃された危機にようやく気づくが、騎兵部隊の機動力には対応できない。
一万五千の部隊が二つの騎兵部隊の突撃により、散り散りに引き裂かれていく。
「よし……」
その様子に頷くカール。
初めからハイゼン少将の部隊を反撃の目標にすると決めていた、彼は対陣のこの二ヶ月間、目の前のゼファー軍の陣容の情報収集を怠らず、パティ准将に命じて敵部隊の細かな情報をほぼ完全に掴んでいた。
数は十分だが、盟主アレキサンダーよりも副盟主アルフレートの方が兵力を多く用意できた事から生ずる表向きはともかく、内情では全く統一を見ていない指揮系統と貴族出身の司令官、そして正規軍で無いだけに多数を構成する貴族私兵の多さ。
それらをカールとパティ准将は見逃さなかった。
中でも最も反撃が容易く成功するであろう相手として、指揮能力皆無だが大貴族というだけで少将の地位を得て、質にこだわらず私兵の数を看板だけ立派な店を立てる経営者の如く集めていた彼の部隊に狙いを定めていたのだ。
「やりましたね」
「うむ……ようやく狙っていた通りの展開になったな、しかしパティ准将」
カールは振り返る。
「アレキサンダーもなりには頑張ったが、ここからは俺の思う通りだ、見ていろ」
「期待しています」
そこには先程までの予想外の苦戦など無かったかの様に振る舞う余裕綽々の美男子。
パティ准将は彼よりも年上なのだが、その表情にやや当てられた感のある彼女はそれを悟られないように深々と頭を下げた。
「何をしているっ!! ハイゼンの奴め、俺の言う通りに退却しないからあんな目に会うのだ!」
後方に直属部隊と共に下がっていたアレキサンダーは怒鳴り散らして、乱暴に噛み千切っていたパンを地面に叩きつけた。
「このままではハイゼン少将の部隊は潰滅しかねません、他の部隊を救援に向かわせる命令を下すべきかと」
「ダメだ、カールの奴の狙いはそこだ、俺が前線に居ない隙を突いて私兵中心の他の部隊を叩くつもりなのだ、別の部隊を向かわせても混戦に陥るか、二重遭難が関の山だ」
総参謀マック少将の提案をアレキサンダーは却下する。
もちろんアレキサンダーもカールがゼファー軍の何処を狙ってくるかは承知していた。
貴族将校の率いる私兵という弱点。
アルフレートとも相談してベテランの者を参謀や副司令として配置し対策は練ったが、そのベテラン自体の数が圧倒的に不足している上、プライドだけは高い貴族は派遣されてきた者の言うことを軽く扱う所もあって問題は解決には程遠かった。
危機に陥った味方部隊の救出等という高度な戦術行動が必要な動きなどをそれらの部隊に期待するほどアレキサンダーは見通しの甘くはなかった。
「しかし見捨てる訳には、それに手を打ちませんと他の部隊が勝手に彼らを助けんと動き出す恐れがあります」
「ああ……」
鉄槌遠征にも参加した老少将マックの経験に基づく指摘は、まさに的を射ている。
若い貴族などは自己陶酔か大貴族の信頼を得る為、現在の戦局などを無視して大貴族のハイゼン公爵を助けよ、と勝手に部隊を動かしかねない。
「行くしかないな、武器の補充を急がせろ、他の部隊にはハイゼン公爵の部隊の救援は俺が向かうから予定通りの敵陣地攻撃を続けるように伝令を出せ」
「しかし我々は先程まで戦場を他の部隊の何倍も駆け巡っていた所でようやく休憩をとっている所ですし、誰よりもアレキサンダー様が……」
「くどい! やらねばならん、俺は平気だ、俺が萎えれば部下たちも萎える、俺の心配は二度とするな!」
アレキサンダーは強い口調で決定に讒言したマック少将に鋭い視線を向けた。
そんな事はアレキサンダーも百も承知なのだ。
そのアレキサンダーの武勇と鉄の意志を信じ、反乱という行為に、これからの人生を賭けたマック少将である、
「私ごときがアレキサンダー様を心配など出過ぎました、直ぐにでも直属部隊の再出撃の準備を整えます」
すみやかに謝罪し、敬礼して命令を受けた。
「カール皇子、アレキサンダー皇子の直属部隊が再び動き始めました、我々の陣地の南側に向かう模様」
偵察兵が叫ぶ。
だが同じ櫓に上がっていたカールは報告よりも早くアレキサンダー部隊の動きに反応する。
「やはり来たな、だがお前の期待にはまだ答えるつもりはないぞアレキサンダー! パティ准将、次の段階に移ろう!」
「はっ、了解しました」
カールの声が何処か愉しげになってきているのにパティ准将は気づいたが、敢えて無視して傍らの伝令に命令を伝えた。
アレキサンダー率いる直属部隊が駆ける。
目標はフェルノール軍の攻勢に振り回され続けるハイゼン少将の救援だ。
だが、それは簡単にはいかなかった。
ここぞとばかりにカールは各部隊を出撃させ、アレキサンダーの行く手を阻んだのだ。
マック少将がアレキサンダーに告げる。
「敵軍が立ち塞がります!」
「構うな、蹴散らしてハイゼン少将の部隊の退却を助けろ!」
「他方面の味方部隊の救援を仰いでは?」
「ダメだ、混戦になったら俺達の方が収拾はつけられなくなる、戦線を混じり合わせた状態からアルフレートの連れてきた私兵達が指揮系統を維持できると思うか?」
「おっしゃる通りです」
「ならそう言う事だ!」
マック少将との意志疎通の通じた早口でのやり取りを終えると、当たる敵を幸いとアレキサンダーは部隊の先頭に立ち、それを突破していく。
アレキサンダーを先頭に据えた突撃はまさに暴風であり、新たに現れたフェルノール軍も、ハイゼン少将の部隊を攻撃していたフェルメッツア、ルルー少将の部隊も蹴散らすかに思われたが、その衝突威力の減退は予想よりも早かった。
何しろ開戦の始めから戦場を駆け回り、やっと一段落をつけて補給と休憩を入れようとした時の再出撃である。
いかに最精鋭のアレキサンダーの直属部隊と言えども、部下達が皆アレキサンダーの様な超人では無いのだ。
四隊の新たなフェルノール軍を突破したアレキサンダー部隊であるが、遂にその進撃が止まったのである。
「ようやく捉えたか……」
「くそっ!」
兄が笑い、弟が舌打ちする。
機動力と攻撃力を喪いつつある直属部隊。
だが指揮官は諦めてはいなかったし、力尽きてもいなかった。
「退却だ! 俺が切り開くっ、続けっ!!」
疲労困憊の味方に大声で激を飛ばし、アレキサンダーは周囲のフェルノール兵を蹴散らして、後退を命令する。
ハイゼン少将の部隊を助ける事は不可能だが、自らの手足である直属部隊を失う訳にはいかない。
「最後の力を振り絞れっ、こんな奴等にやられるなっ!! 俺達は何の為にこれまで血の滲む訓練をしてきたのだ!」
怒号を発し槍を振い、鬼神の如くフェルノール兵を突き刺し殴り倒すアレキサンダー。
「アレキサンダー様の言う通りだ、俺達はアレキサンダー様と一緒にあったのだ!!」
その姿に気力が尽きかけていた部下達も奮起する。
これも直属部隊を鍛え上げる為、脱落者が大量に出るような普段からの厳しい訓練をアレキサンダーが行い、皇子の立場で在りながらも高みから見下ろす事なく、それに積極的に兵と参加してきた賜物だ。
直属部隊は前進こそは諦めたが、再び息を吹き返した猛獣のように力を振り絞り、包囲を完成させつつあったフェルノール軍を見事に振り切り退却に成功したのである。
それに続いて各陣地を攻撃していたゼファー軍も続き、全面退却の形に移っていく。
「カール皇子、敵軍は全面退却です、追撃を行いますか?」
「ああ、でも深追いはダメだ、アレキサンダーの直属部隊はともかく他の敵部隊はまだ余力がある、適度な追撃に留めて戦いを終わらせよう、ファール、サドランド両中将の部隊に我らと敵陣の中間地点まで全力で追撃させろ、だがそこからは敵陣に近づくなと厳命してくれ」
「了解しました」
パティの確認にカールは答えた。
堅実な判断だ、全面退却をしたとはいえ、ゼファー軍の全面敗北では決してない。
「だが……アレキサンダー、これで決められるかと思ったが奴はやはり並みじゃないな、次を考えなければいけなくなった」
呟くカール。
フェルノール軍は防衛陣地の約三割を破壊され五千以上の兵を失ったが、ゼファー軍は結局自力で退却が不可能になったハイゼン少将の部隊を失い、追撃で失った兵も合わせ、一万五千を大きく越える損害を出して、攻撃は失敗に終わり、このアンデレルタの戦いはフェルノール軍の大勝と言っても過言でない結果に終わったのであるが……
この時、アイオリア第一皇子カールはこの勝利を更に劇的な物に仕立て上げる策を既に実行に移そうとしていたのである。
続く




