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銀色のアイオリア  作者: 天羽八島
第四章「流浪の英雄姫」
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第百五話「汗と埃と敗北と」

 親衛遊撃軍がサラセナ軍を見事に撃破した一報はすぐさま各方面に伝えられる。

 それまでサラセナ軍の有利が伝えられていた所から、一転しての一方的な逆転劇に多くの軍関係者達は驚いたが、南部諸州連合軍大将ゴットハルト・リンデマンと連合軍中将であるシア・バイエルラインはその報が朝の食卓に伝えられると、特に驚きもせず食事の手を一時止めた程度であった。


「なるほどな、見事な心理的トリックと華麗な機動作戦の融合といった所だな、ヨヘン・ハルパー中将はやはり帝国軍の将星の中でも煌めきが一段違うな」

「はい、ヨヘンは戦場が大きければ大きいほどに素晴らしく躍動します、先手先手を重要視する攻撃的な指揮官という先入観をおそらくサラセナ軍は持っていた筈が、今回のような戦いを長引かせ不意の一撃で勝敗を決するという意外なヨヘンの作戦に敗れたのだと思います、報告が正確ならばサラセナ軍は既に組織的な抵抗が出来ないでしょう」


 リンデマンのヨヘンへの評価にシアは同意した。

 朝食の席にはシアと同様にリンデマンのアパートに居候しているルフィナと三人を給仕するヴェロニカがいる、二人は個人的な格闘戦においてはリンデマンとシアを上回るが、食事の際に良く話に上がる戦略戦術となると素人であり、名の知れた戦略戦術家二人の前に出る幕はなく主に議論を聞いているだけだ。


「君の親友は流石だね、まぁまだこれからだろう」

「はい……これからです、ヨヘンがここまでの訳がありません」


 唇を引き締めてシアは答えた。


「サラセナは少しやり過ぎました、二度の大規模反乱の裏で糸を引き、今回の内戦への干渉」

「そして君への謀略か、ヨヘン・ハルパー中将はそれを承知してサラセナ軍を徹底的に討伐するつもりで今回の作戦を立案したように私は思えるがね」

「……」


 リンデマンが挟んできた言葉にシアは僅かに目線を床に落としただけである、シアへの謀略はユージィ・エリュキュネルの個人的な希望から行われた物であり、それをサラセナの帝国への罪とするかは対象となった自らが懐疑的だ。


「動機はともかく私はヨヘンがサラセナ軍の組織的な戦闘能力を奪い、西部の失地を回復しただけで戦いを止めるとはとても思えません、おそらく」

「サラセナを滅ぼすべく逆侵攻を仕掛ける」


 シアの答えを先に言ってしまうリンデマン。

 サラセナを滅ぼす。

 まさかそこまで。

 ヴェロニカとルフィナは思わず見合うが、シアは落ち着いた様子でコーヒーをひと口飲む。

 

「はい、リンデマン大将はわかっていましたか」

「ああ、サラセナを滅ぼすにはこれが絶好の機会だ、だがここまでの激戦はサラセナ軍を潰滅させたが、ヨヘン中将の親衛遊撃軍も相当な損害を受けていると聞いているが」

「損耗率が五割だとすると、親衛遊撃軍の残兵力は二万、でもヨヘンはおそらく迷いません、サラセナと帝国西部国境のラヘア山脈にはサラセナの築いた自然の要塞がありますが、ヨヘンは躊躇なく攻略にかかるでしょう」

「なるほどな、今回の勝利を要塞攻略に活かすならば敵軍の敗残兵を利用した浸透戦術が有効だろう、何しろサラセナ軍は王女陛下がいるんだ、要塞を閉め切ってしまう訳にはいくまい」

「流石」


 リンデマンの分析能力にシアは脱帽する、身分を預かってもらってから暫く経つが、戦略戦術の話をする度にセフィーナの参謀を務める事が多かったシアは帝国の英雄姫と南部諸州連合の戦略教授の二人を比べてしまっていた。

 あくまでもシア個人の比較だが、セフィーナのような作戦の閃きはリンデマンは見せないが、情報を分析し状況を把握する能力はセフィーナはリンデマンほど深くない。

 どちらがどうではなく、戦略戦術を考える際の判断要素の比重の違いとでも言えばいいのだろう。


「で? 君はこの逆侵攻をどう思う?」

「どうとは? 成功か失敗かを問われたらヨヘン・ハルパーなら成功すると見ています」


 リンデマンから訊かれたシアは質問の意図が読めなかったので、成否を答えるとリンデマンはコーヒーを口に運んだ。


「おそらくね、だが私はこう見ている……サラセナを滅ぼしたならアイオリア帝国は確実にその寿命を縮めるだろうとな」

「帝国の寿命を!?」

「そうだ、近年の戦いで傷ついているとはいえアイオリア帝国はまだ健在だからな、だから私はヨヘン中将のサラセナ侵攻がぜひ成功してほしいと考えているんだよ、これはヨヘン中将には気づきにくいだろう、彼女は現場で全力で戦う事を義務づけられた司令官なのだからな、後の事までは構ってられんだろう」


 まるで矛盾した問答。

 獅子身中の虫と化していたサラセナを滅ぼす事がなぜアイオリアの寿命を縮めてしまうのか?

 難問を出されてしまった生徒のような顔をするルフィナと私もそこまで解りませんよ、と彼女に微笑むヴェロニカ。

 シアは十数秒間顎に手を当てていたが……


「なるほど、そういう事ですか」


 と、顔を上げたのだった。

 


             

             ***



 五万の精鋭に囲まれて祖国を出立した筈が女王を護る兵士達は僅か二百名たらずであった。

 西部の荒野。

 七月下旬の容赦のない太陽光線が美しい白い肌を容赦なく焼き付ける。

 無理矢理に乗せられた馬車はとうに破壊され、女王も兵士達と同じく、所々が汚れ破れた軍服のまま重々しい足取りでひたすら北に向かう。


「女王陛下、もう少しでラヘア要塞に着きます、そうなれば一息つける筈です、これ女王陛下に肩をお貸ししろ!」


 初老の侍従がユージィにそう言ってからお付きの娘に命令すると、二人の娘がユージィに肩を貸そうとするが女王は力なくだがハッキリと首を横に振る。


「私はまだ歩けます、それよりも余裕がある者は倒れそうな者を助けてあげてください、ところで周囲に味方は確認できませんか? 帝国軍の攻撃は執拗でしたがまだ健在な部隊はいる筈です、どうですか情報参謀」

「はい、もちろん味方部隊は全滅したとは思えません、まだ合わせれば一万以上は生き残りがいると推測されますが、まだ連絡はどの部隊とも取れずにいます」

「そうですか」


 唇を噛むユージィ。

 その美貌は帝国の英雄姫セフィーナにも劣らぬと言われているが数日にもわたる壮絶な退却戦で戦場の泥や埃、そして軽傷だが傷も負い痛々しさが影を差していた。


「仕方がありません、ラヘア要塞へは明日の昼には着けるでしょう、付近の味方との合流は諦めて先を急ぎましょう」

「了解しました!」


 若い情報参謀は敬礼する。

 二十名以上いた幕僚団はいつの間にか作戦参謀、情報参謀、輜重参謀が一名ずつとなっていた。

 混乱の中で離れてしまったのか、帝国軍に討ち取られてしまったのか総参謀長すらユージィの傍らには居ない。

 それから数時間後、真夜中に同じく退却行をしていた部隊と幸運にも合流した。

 集団は五百をようやく越える程度の頼りない兵力に過ぎないが兵士達は互いに戦友との合流を悦び、女王の率いる部隊と相手部隊は知ると更に歓喜に沸く。


「わたくしの失策で苦労をかけます、しかし明日の昼にはラヘア要塞に着けるでしょう、今少しだけ私に力を貸してください」


 小休止の間、帝国軍に見つからぬ様に月明りだけを頼りにユージィは彼等に訓示し、深々と頭を下げる。

 敗戦に疲れきった兵士達だったが、その少女の態度は彼等に活力を与え、少しの時間の小休止の後に部隊はラヘア要塞に向かい、暗闇を歩き出した。



 朝陽が昇る。

 輜重部隊などはとうに撃破されていて、食料どころか喉を潤す水もろくに部隊には残っていない。

 上昇する夏の陽射しに倒れていく兵士達。


「皆さん、もう少しです、あと数時間で……ほら、ラヘア山脈です、ラヘア山脈が見えました! 故郷です、私達の故郷まであと少しです!」


 倒れかける兵士を抱き起こしたユージィがふと視線に入ってきた山脈を指差すと、兵士達から上がる歓声。

 既にラヘア山脈の麓近くだ。

 もう数時間もかからない。

 どうにか、どうにか、ここまで来た。



 だが……味方兵士の歓声を掻き消す程の音量の鬨の声がラヘア山脈の麓に響き渡った。


「…………っっっ!!」


 声にならない唸りを上げ歯を喰い縛るユージィ。

 その顔には普段の淑女たる彼女の雰囲気はどこかに吹き飛んでいた。


「ヨヘン・ハルパーだぁぁぁぁぁ!!」

「し、死神が俺たちを付け狙ってきやがったぁ!」


 鬨の声を上げて現れた帝国軍親衛遊撃軍第一連隊の連隊旗にサラセナ軍の兵士達は恥も外聞もなく悲鳴を上げる。

 数千を越える部隊。

 勝ち目などもちろん有り得ない。


「こうなればもうラヘア要塞に駆け込むしかありません! 追いつかれたらそれまでです!」


 作戦参謀が言うか言わないかのうちに、帝国軍から上がった再びの鬨の声をスタートの合図に兵士達は勝手にラヘア山脈に向けて走り出してしまう。

 もう命令も何もない。

 だがおそらく逃げ切れない。

 退却を重ね、ろくに食事も睡眠もせずにようやくここまで辿り着いた数百の部隊など、機動戦を得意とするヨヘン・ハルパーからみれば、のろまな獲物でしかない。


「どうにか、どうにか少しだけでも……」


 帝国兵達の大喚声に恐怖し疲労しきった身体に鞭を打って走るユージィ。

 殿に残る事も考えたがこの戦力差では無意味だ、数十、いや数人でも助かる為に走るしかない。

 激しい息つぎ。

 もつれる身体。

 数分間、必死に走り続け疲労困憊のサラセナ女王はようやく違和感を感じ取った。


『お、お、追ってこない!?』


 ユージィは脚を止め振り返った。

 確かに帝国軍は戦闘開始の鬨の声を上げてはいるが、その場からは動いていない。


『数百ほどの集団の撃滅など意味がないと? いや有り得ない、見逃す理由が無い、なら何故? あああっ!?』


 ユージィ・エリュキュネルの思考は数秒後にその答えに辿り着いた。


「いけません! 皆さん、ダメッ! ラヘア要塞に行ってはいけませんっ、これは敵軍のワナですっ!! これはワナです!」


 両手を広げユージィは出来る限りの声を上げる。

 しかし……誰も脚を止めない。

 それどころか帝国軍の追い立てるような鬨の声と自分達の大地を踏み締める足音にその声すら聞こえていない。


「女王陛下、止まってはいけませんっ!」

「作戦参謀、今すぐ全員を止め……」

「失礼っ!!」

 

 駆け寄ってきた作戦参謀にユージィは担がれてしまう。


「違いますっ、違いますっ、ダメッ、ダメなんですっ!!」


 手足をばたつかせてヒステリックに喚き散らすサラセナ女王だったが、ようやく辿り着いた故郷への境で数十倍の敵に追い立てられて逃げるなという方が無理な命令であった。




「……」


 精鋭を讃えられたサラセナ正規軍の滑稽な退却行、鬨の声だけで脱兎の如く逃げる様を馬上の童顔司令官は睨み付けていた。


「司令官、そろそろ」

「ダメだよ、こんなんじゃ直ぐに追いつく、もう少し、もう少し逃げ切れば助かるってタイミングを見極めないと」


 参謀の催促にヨヘンは表情を変えずに答えた。

 数百のサラセナ軍の集団はラヘア山脈に一直線に逃げていく。


「情報によりますとあの集団にはユージィ・エリュキュネル女王がいるとの事です、もし逃がしますと……」

「参謀」

「はっ!」

「ユージィ・エリュキュネルは女王なんかじゃない、只の反乱を起こした自治領主だよ、彼女を女王と呼ぶのは帝国軍人として好ましくないよ」

「も、申し訳ありません」


 慌てて頭を下げる参謀。

 更に数分間ほどサラセナ軍を睨み付けていたヨヘン・ハルパーはフゥと大きく息を吐き、


「これより親衛遊撃軍は帝国自治領区サラセナを反乱鎮圧の目的を以て攻撃制圧する、サラセナ制圧について私は命は受けていないが、私は帝国国内での軍事行動を全て認められた親衛遊撃軍司令官である、よって独断専行には一切当たらない正当な司令官権限の適用である! 突撃開始!」


 と、命じたのであった。



 

続く 

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