第百三話「マグネッセン牧場地及びコモレビト会戦―負けぬ復讐の炎―」
七月十二日。
相変わらず睨み合いの膠着状態の中部戦線に対して、西部戦線は従軍記者が記事に迷うほどの激戦が繰り広げられていた。
「ダメです、今は退いて、私の突撃命令が出るまでは騎士連隊は控えてください!」
ここ数日の熱射に代わり、コモレビト街道には天から大粒の雨が降り注ぐ。
白い髪と肌に滝の様な雨が伝わせながら、雨音に負けない位の声でユージィが怒鳴ると、総参謀長が伝令を走らせる。
「第二騎士連隊のスチュワート三級上将はこの戦いの後で会議にかけます、これ以上突撃戦力を無駄に減らせないというのに勝手に突撃するなんて……」
ユージィ・エリュキュネルは唇を噛み締め、伝令の走っていく方向を見つめた。
その瞳にはやや疲労の色が見え、絶世と言われた美しさに影が差している。
戦端が開かれてから二十四日。
帝国軍の採った作戦は、まさに彼女の読み通りであった。
代わる代わる常に三重の防御陣が、サラセナ軍とコモレビト城の間に敷かれるという防御体制。
ユージィ率いるサラセナ軍はここまで帝国親衛遊撃軍の防衛陣を九陣突破しているが、損害も多く、開戦当初五万を数えたサラセナ精鋭軍は、帝国軍の頑強な抵抗の前に三万を僅かに越える程度にまで磨り減っていた。
もちろん帝国軍にも同程度か、それ以上の損害を与えているが損耗率四割は多大だ。
しかし参謀長から一般兵士まで浸透している畏敬とも言える支持を受ける女王ユージィの作戦指揮指導が無ければ、損害はもっと大きく、ここまでコモレビト城に近づく事も敵わなかったかもしれない。
コモレビトに近づけば近づくほど、帝国軍の抵抗は頑強を極め、ユージィは朝から夜遅くまで不眠不休で作戦指示に当たっている日も珍しくなかった。
「あと三枚、多くとも五枚……親衛遊撃軍を完全に撃破出来れば、西部の不安定な貴族達はこぞってサラセナに参加する筈」
親衛遊撃軍の防衛についてはともかく、後の展開である西部貴族云々についてはユージィ自らも判る甘い認識だ。
その通りになる部分もあるだろうが、期待を大きく裏切られる部分がある事を承知しながらも、目の前で起こり続ける激戦に先の希望を抱かずにはいられない。
強い雨音と殺戮し合う阿鼻叫喚。
そのどちらも白き髪の若き女王は耳に慣れ始めていた。
―――
「マジかよ、サラセナの色白野郎ども! ここまで来やがるとはな!」
肥満した体躯を揺らし、クルサードは目の前に現れたサラセナ兵を愛用の槍で突き刺す。
彼の率いる親衛遊撃軍第二連隊は既に定数の一万から六千を切るまで損害を受け、損耗率は四割を越えている。
守る側とはいえ、ここまで五倍近い敵軍と戦い続けていたクルサードの防御戦指揮能力は特に芸術的な突出した点は見当たら無かったが、隙もなかった。
それを証明する訳ではないが、同じような状況のアンポロニトフ准将が指揮する第三連隊は既に損耗率が五割を越え、戦力としては崩壊し始めていた。
「アンポロニトフ准将の連隊は次の防衛で敵軍に完全捕捉される可能性がありますね!」
「そうだな、まぁ、そろそろ他の部隊を気にしている余裕も俺達にもないが……なっ!」
剣で敵兵を斬りつけた副官のサーヴイ中佐に頷きながらクルサードも寄ってくる相手を槍で刺す。
「サラセナ軍もやっとこさ息絶え絶えだが、俺達もいつまでも息を止めてはらんねぇぞ!? アンポロニトフの事もそうだが俺達もそろそろ限度だと三列候家のお嬢様に伝令を送れ! 次はヤバイとな!」
「了解です、このままじゃ俺たちの司令官が痩せてしまう、こんなに動いているのを見た事がない、と付け加えます!」
「好きにしろや、まずは街道入り口まで下がるぞ」
指揮官まで武器を取る死闘の中でも冗談を言ったサーヴイ中佐をクルサードは鼻で笑いながら後退命令を出し、その三時間後に連隊全体を撤退させた。
「限界、ですかね……」
第四連隊の指揮所でマリア・リン・マリナ准将はクルサードの第二連隊の撤退と彼からの報告を受けて呟く。
軍服は汚れ雨に濡れ、度重なる激戦に所々が破れてもいた。
「クルサード中将の意見に小官も賛成です、ここまで閣下の指揮により見事な戦術機動でしたが、もうこれ以上の事は不可能でしょう、我々の連隊も損耗率はクルサード中将の部隊と変わりませんし、特にアンポロニトフ准将の部隊の損耗が無視できません」
カナヘル大佐が意見を述べると、マリア准将はうーんと腕を組んで唸ってから、はぁと息をついて、何かを無理矢理納得させる様に首を縦に二回、振った。
「わかりました、私のやれる事はここまで、クルサード中将にそう返答してください」
カナヘル大佐に指示を出すとマリア准将は、
「あ~あ、疲れましたぁ……全く、ヨヘン中将も意地悪で酷いんですからねぇ~、それにしてもクルサード中将からの報告、痩せちゃうって何なんですかね? むしろ痩せた方が良いんじゃないでしょうか、あとこれは正式な公文書に載せて良いんですかね? 私も何か面白い書き方が出来ない物でしょうかね?」
と、妙な事を言いながら、汚れた眼鏡をポケットから出したハンカチで拭き始めた。
―――
ようやく雨の止んだコモレビト街道。
第二連隊を撃破したサラセナ軍はいよいよコモレビト城まで僅かの距離に詰め、夜営の準備に入っていた。
サラセナ軍の猛烈な攻勢に帝国軍は三段防御を諦めた様子で一部の戦力を城外に出してコモレビト城に入った様子だ。
ユージィも女官達に身の回りの世話を受け、専用の幕舎で連戦に疲れた身体を休めようとベッドに身を預けていた。
「明日になればコモレビト城を直接攻撃できる、親衛遊撃軍を撃破すれば新たな援軍をだって倒せる力を持てる筈」
もちろん敵軍の抵抗は更に増して強いだろう。
当たり前である、相手は南部諸州連合との戦いに苦戦してはいるが強大なアイオリア帝国なのだ、一筋縄で行くわけがない。
だが負けない、いや負けられないのだ。
帝国軍は破れ去っても次があるだろう、しかしサラセナ軍、いやサラセナには次は無い。
ここで勝利して積年の夢、ガイアヴァーナ大陸の三国鼎立の計を大きく前進させるのだ。
瞳を閉じる。
出来ることなら、あの人と。
一緒に夢を見れたらと望んだあの人と。
「結局は……」
呟いたその時だった。
幕舎の周囲がにわかに慌ただしくなった。
ふぅ、とため息をつき……
「やはり来ましたか」
ゆっくりとベッドから離れる事に抵抗する身体を強引に起こし始めた。
「失礼します、女王陛下!」
予想通りだ、慌てた様子の参謀長と数人の幕僚が幕舎に駆け込んできたが、既にユージィは悠然と、そして気品良く背筋を伸ばし直立していた。
「じ、女王陛下?」
「来たのでしょう? 帝国軍が」
「は……」
参謀長と幕僚達の顔に衝撃が走る。
女王は分かっていた。
明日の総攻撃をコモレビトのような小城で震えて待つような帝国親衛遊撃軍では無い事くらい百も承知していた。
一ヶ月かかってジリジリと圧された状況を逆転するには今夜しか時間は無いと行動する筈、そしてその必死の反撃を敵を上回る覚悟で迎え撃ち勝利しなければいけない事を。
「マルケス三級上将の部隊に戦闘準備を命令してあります、すぐに迎撃させてください、他の部隊は……」
「女王陛下」
「他の部隊は初めは守りを固めて状況を整理し……」
「女王陛下」
「敵軍には疲れがあります、そこまで積極的な……」
「女王陛下!!」
参謀長の強い口調がユージィの指示を遮った。
明らかに彼は動揺していた。
「違います」
「違う!? 何が違うのです!?」
ユージィは問い質す。
敵軍の反撃ではないのか、そうでなければ何故ここまで参謀長達は狼狽しているのだ!?
「て、帝国軍が突如として」
「だから……」
それに対応する策を説明しているではないか、ユージィの珍しく焦れた声に参謀長は首を振る。
「違います! 帝国軍が突如として現れ……後方のサペンス、ガイアペイヤ、シュランゲシャッテンを襲い、我々の輸送部隊は物資と共に潰滅させられました!!」
「………………!!」
あまりにも予想外の凶報。
瞳を見開き、口が開いたままになる一人の少女には、数秒前まで完璧に演じてきた女王の姿は既に無かった。
闇夜の中、シュランゲシャッテン領の主城マイラオスがまるで松明の様に燃えていた。
「…………」
馬上でそれを見つめるのはヨヘン・ハルパー。
「さぁ、いくよ、ユージィ・エリュキュネル…………覚悟しなよ、後悔してもしきれない代償を今からこのヨヘン・ハルパーが払わせるからね」
巨大な松明に照らされたその童顔には目の前のそれにも負けぬ復讐の炎が燃え上がっていたのだった。
続く




