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銀色のアイオリア  作者: 天羽八島
第四章「流浪の英雄姫」
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第百二話「マグネッセン牧場地及びコモレビト会戦―握られた拳と―」

 他人の能力に驚いている時の人間は実に無力だ。

 容易く自らの支配下に置けてしまう。

 幼い頃より激烈と言って過言ではないサラセナの国王候補者の争いを若干十五歳で勝ち抜いた美少女が覚えた人身掌握術の一つである。

 見せた能力を余計に誇ってはいけない、控え目にしつつ実績はキッチリと示し、己が相手より上だと解らせ、更に自分は能力は貴方より上だが、害するつもりはない、逆らわない限りは頼りになる味方だと安心させるのだ。

 信頼に足る人物であると心から信じさせるのだ。

 ユージィ・エリュキュネルは優秀な頭脳と美貌を持っていたが、サラセナの次期国王候補者にも個人的な才覚ならばユージィに劣らぬ者が居たかもしれないし、武勇ならば男子の候補者にサラセナ一番と言われた武勇の持ち主もいた。

 だがライバル達は自らの能力を鋭く研ぎ澄ます努力は惜しまなかったが、ユージィの様にその能力で味方を増やすという努力は足りなかった。

 研ぎ澄ました才能の刃がそれが無い者の嫉妬や敵愾心を容易に腸を引き裂き表に引きずり出させるのを解らなかったのだ。

 結果、ユージィ・エリュキュネルは後継者争いの始まりでは片手の指に入る競争順位ではなかったにも関わらず、周囲の者達を雪達磨式に味方に付け、最終順位では圧勝してしまったのだ。



 戦端が開かれた二日後。

 総司令部として接収したマグネッセン牧場地に偵察兵から入ってきた情報は敵陣の第一陣を破ったにも関わらず、マグネッセン牧場地とコモレビト城の間には変わらず三段の帝国軍の防御陣が敷かれているという物だったのである。


「女王陛下……これは!?」

「ここを接収した夜に言いましたよね? これが敵軍の将ヨヘン中将が我々に対する機動防御戦術なんです、名前を付けるなら機動多重化防御戦術とでもいいましょうか? 長いですかね?」

「…………確かに言われた通りだ」


 可愛げに笑みを浮かべる茶目っ気すら見せる若き女王だが、驚く参謀は信じられないと言いたげに呟く。

 二日前の夜にユージィが帝国軍の狙いと作戦を機動多重化防御戦術を説明した時は参謀長を初めとする参謀の半数がそれには懐疑的であった。

 しかし……真実という答えの前にはその様な懐疑は意味もなく吹き飛ぶ。

 そして驚愕は人を無力にさせる。


「対応策は正面からの突破です、下手な戦術は戦線の混乱と長期化を呼ぶ可能性が高いです、戦力の大きさを活かして敵軍の多重化防御陣を全て徐々に弱体化させていくのが私の策です」


 立場もあるが、帝国軍の戦術を正確に読み切ったユージィの提案に逆らう者はもちろん居なかった。



 サラセナ軍が再び動き出す。

 マグネッセン牧場地の南側に現れた帝国軍の第二陣に対して全面的な攻勢に出た。

 数を活かした攻勢に帝国軍第二陣は早朝から昼まで粘ったが、無理攻めはせずにジワジワと攻め立てるサラセナ軍の前に今度は二手に別れず、急激に後退して距離を取ると南に退却を始めたのである。


「女王陛下……」

「いけません」


 追撃を促す参謀長にユージィの口調は強かった。


「我々の攻勢は全面的にわたりましたが、激しい物ではありませんでした、その気になれば日没まで守れて時間稼ぎが出来たというのにそれをしなかったのは相手に何かしらの企みがある証拠です……今日も勝ちました、欲深くなれば足元に掘られた簡単な落とし穴すら見えなくなります」


 指摘されれば親衛遊撃軍の精鋭にしては不可解な動きである、参謀長は良く覚えておきます、と素直に女王に頭を下げた。

 相手に与えた損害は大きくないが、サラセナ軍のそれは皆無と言っても良い。

 勝利である。


「今日は兵を休ませましょう、おそらく明日か明後日にはまた敵陣は三重に戻っています、人に破られても何度も巣を張り巡らせる蜘蛛の様に、しかし蜘蛛の巣では人は捉えられないのです」

 

 女王の言葉に幕僚達は満足な顔で揃った敬礼をする。

 向けられる畏敬の念。

 それを受けて穏やかな表情に戻りながらも、ユージィは去っていく敵軍にこれからの戦いが簡単でない事を悟り始めていたのであった。



             ***



「お待たせ、これだよ」


 部屋に入ったメイヤは窓を開け放ち安楽椅子に座り込んでいたセフィーナに手に持った何枚かの書類を渡す。


「ああ……ようやく来たか、ご苦労」

「窓開けんな」


 抑揚の無いいつもの口調ながらメイヤはセフィーナを叱り、部屋の大きく開け放たれた窓を閉めようとする。


「暑いんだ、まだ六月なんだぞ!? フェルノールはこんなに暑くない」

「ここはフェルノールじゃないからね、窓なんか開けてたら松明だって投げ入れられるし、毒矢だって撃ち込める、三階なんかその気になればナイフを口にくわえて登っても来られる」


 その可能性は限りなく低い。

 警備の都合上、新しく建てられた帝国大使館にセフィーナは居を置いていて、侵入者を赦さぬ高い塀と広い庭には周囲を守る警備兵がついているので大使館自体に近づくのも難しいだろう。

 しかしメイヤにはそんな事は関係ない、セフィーナを傷つける要素は窓ひとつにも容赦がない。


「この暑さでは暗殺云々の前に私が勝手に倒れてしまうぞ、それじゃ意味がないだろう?」

「ワガママだなぁ、わかったよ」


 メイヤは窓を再び開け放つと、自分が窓際に立つ。

 外に不審者が居ないか見張るつもりなのだ。


「やれやれ……窓を閉めろ、窓際は西陽がキツいぞ」


 セフィーナは安楽椅子からベッドに座り直し、メイヤに渡された書類をその場に広げる。


「見ていい?」

「ああ……」


 窓を閉めメイヤは書類が散乱したベッドに座る。


「これは?」

「西部戦線の最新情報だ、と言っても数日のブランクがあるのは仕方がないがな」

「ヨヘン、頑張っているのかな?」

「そうだな……」


 親衛遊撃軍にはある程度の思い入れがある様子のメイヤ。

 セフィーナは軍情報によりかなり詳しく書かれた資料を口元に拳を当てながら暫く見つめる。


「これはどういう作戦なの?」

「優勢な敵の攻撃を多重に敷かれた陣で少しずつ受け止め、敵軍の疲労や補給線の限界を待つ手段だ……見た通りならばな」

「見た通り?」

「うん……」


 セフィーナは気の無い相づちを打つと黙り込む。

 その瞳には鋭さが出てきていて、さっきまであれほど部屋が暑いと文句を言っていた癖に頬を流れる汗も気にしていない。


「何かわかるの?」

「わからん……」

「なぁんだ」

「いや、ヨヘンの動きに整合性が見られない……なぜヨヘンの様な指揮官が敵軍の先鋒隊を撃破するのに、味方にサラセナを倒せと演説まで打って自ら出撃し、撃破に成功したからと言って数的に無謀な攻城戦まで攻め続けたんだ?」

「怒ったんだよ」


 メイヤは即答した。


「おそらくシアの事はサラセナの企みだって思って怒っているんだ、私も怒ってる」

「……」

「そうじゃない? セフィーナはどう?」


 シアの亡命の件の情報はあくまでも不確定だ。

 シアを信用する眼で見れば、彼女を欲しがったサラセナの謀略により行き場を失ったという見方が出来る。

 しかし一部の軍関係者からはそれならばなぜ公の場に出るか、友人のヨヘン中将の助力を借りようとしなかったか、南部まで行ったのならセフィーナに面会すらしなかったのか、という批判がなされ、一度は本気でゼファー派に付いたが結局は意見や相性が合わず今度は南部に亡命しただけではないか、などという意見も聞かれていた。


「いや……私は怒っているがそれはサラセナにもシアにも向かっていない」

「だろうね」


 セフィーナが顔を上げるとメイヤはやや瞳を伏せた。

 幼馴染みは知っている。

 セフィーナが怒っていない訳がない、だが鉾先が違う。

 セフィーナが怒っているのは赦せないのはシアが南部にやっとの思いで辿り着いた時、アルフレートのゼファー派参加に激しく動揺していて、シアをして自分の胸に飛び込む事を躊躇させてしまった己の迷いの愚かさに対してであった。


「ごめん、嫌な話した」

「メイヤの謝る事じゃない、お前は何も悪くない」


 迂闊な話だった。

 メイヤが素直に謝るとセフィーナが首を振り、再び作戦図に瞳を落とす。

 メイヤはセフィーナに主人を慕う猫の様に寄っていき作戦図を覗き込む。


「セフィーナはヨヘンが怒っているから、サラセナ倒せと演説して、先鋒隊を破った勢いでそのままマイラオス城を攻めたとは思わないの?」

「絶対に思わない」


 断言。

 絶対という部分をセフィーナは強調した。


「ヨヘン・ハルパーという女性は場合によってはシアよりも冷静で……戦という場所を心得ている、普段の態度からは考えるよりも行動が先で感情が作戦に現れる指揮官に見られがちだが、ヨヘンという指揮官は私やシアというよりも、戦略戦術志向はゴットハルト・リンデマンに近いと私は思う」

「わ、訳わかんねぇ」

「つまり勝利の為には感情的な事柄を戦争に持ち込むような無駄や徒労をしない、だが敵を相手を叩く時には完膚無きまで、すなわち」

「すなわち?」


 メイヤの続きの催促にセフィーナの瞳が一瞬泳ぐ。

 先の言葉を選んでいるのだ。

 当の本人が目の前にいる訳でもないし、メイヤにはそういう気遣いが要らないのを承知しつつもセフィーナには気苦労性な所があった。

 だが表現する良い言葉が見つからなかったのか、セフィーナはメイヤと瞳を合わせて言った。


「ヨヘンの戦はその、シアよりも徹底的で冷徹なんだ」


 メイヤは何も答えなかった、コクリとだけ頷く。

 数秒、見合った後で、


「ベッドの上で引っ付くな、お前だって暑いんだろ?」


 いつの間にかピトリと横に付いていた彼女をセフィーナは少しだけ離したのであった。



             ***



 サラセナ軍と親衛遊撃軍の戦いは七月に入っていた。

 主戦場はマグネッセン牧場地から南のコモレビト街道に移っている。

 街道の道は石畳で整地されておりサラセナ軍の南進は早まると思われたのだが、親衛遊撃軍の各陣の抵抗は更に頑強さを増しサラセナ軍の損害も出始め、南進の速度は六月に比べて明らかに落ち始めていた。


「メッツア三級上将より連絡です、敵軍の防衛陣地の突破は予想以上の損害を出しました、反撃により確保地点を失うおそれがあり、来援を乞うとの事です」

「了解です、エンリケ三級上将、麾下部隊を率いてメッツア三級上将を助けてください!」


 伝令からの報告を野戦陣地で受けたユージィは来援要請を受け入れ、幕下に控えるエンリケ三級上将に命令を下す。


「はっ!」


 エンリケ三級上将は敬礼して麾下部隊を率いて出撃した。

 直射日光の暑さに陽炎が立つ石畳の街道を南下していくエンリケの部隊。

 数時間後にはエンリケより、メッツアと共に敵軍の反撃は退けたがエンリケの部隊は二割、メッツアの部隊は五割の損害を受けたと報告が入る。

 サラセナ軍の全体から見れば、一個連隊にも満たない部隊の損害であり戦線にすぐに影を落とす訳でないが短時間の間に相当な数の損害だ。


「コモレビト街道を越えれば、城はすぐ先です、親衛遊撃軍の抵抗も激しいですな」

「ええ……敵軍も最精鋭、簡単にはいきません、ここは何よりも敵地なのですから目標が目の前でも油断はいけません」


 情報では知っている。

 しかし来てみれば情報を何百聞くよりも予想を越えた事が襲いかかって来るのが現実。

 ユージィの白い肌を刺激する直射日光や汗を噴き出させる熱も想定を越えている強敵であった。


「ふぅ……」


 激戦の最中に侍従からタオルを受け取り、汗を拭うユージィに更に報告が入る。


「ユージィ王女、敵軍が再反撃してきました、これによりエンリケ三級上将の部隊が半数の被害を受けて三級上将が戦死なされました! エンリケ三級上将の部隊を吸収しメッツア三級上将の部隊は後退するとの事です!」

「なにっ!?」


 救援した筈の戦線での親衛遊撃軍のしぶとい反撃に参謀長が思わず声を上げた。


「ユージィ王女」


 不安げに振り返ってくる幕僚達。

 損害はサラセナ軍全体から見れば甚大とは言えないが、千には届くだろう。

 わずかの沈黙の後、


「突出し過ぎの感がありましたね、焦らずに……焦らずに敵軍を圧していきましょう、こちらがイニシアチブを握っているのは依然変わらないのですから」


 そう言ってユージィは泰然とした表情で部下達を安心させつつも、僅かにではあるが右の拳を握り締めたのであった。




                           続く

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